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2006年4月23日

北朝鮮は「恐るべき国」か?

 清水惇氏の著書『北朝鮮軍の全貌』(光人社)を読むと、今、北朝鮮の人民軍がいかに荒廃した状態にあるかが極めてよく分かる。物資の欠乏や腐敗、構造的問題を抱え、少なくとも正規戦の全面戦争は絶対にできない状態だ。関心のある方はぜひご一読いただきたい。もちろん、特殊部隊などは温存されているのだから、注意しなければならないが、過剰な恐怖感や過大評価は謹むべきだろう。
 さて、1968(昭和43)年1月21日、韓国の大統領官邸を狙って派遣された北朝鮮ゲリラの話をご存知だろうか。「シルミド」という映画が韓国で大ヒットし、日本でも上映されたが、あの主題になっている韓国空軍684部隊は、隊員に軍籍がない秘密部隊だった。
 北朝鮮のゲリラ31名は朴正煕大統領殺害を企図して韓国に侵入し、大統領官邸、通称青瓦台の裏山にまで迫る。幸い鎮圧され、ほとんどが射殺、1人だけが捕らえられたのだが、その金新朝中尉が後に記者会見の場で「何の目的で侵入したのか」と聞かれ「朴正煕の首を取りにきた」と言ったことは、韓国社会に強い衝撃を与えた。これで面子丸つぶれになった韓国軍が特殊部隊を北朝鮮へ侵入させ、軍施設の破壊などを行った。そのために作った部隊の一つが684部隊である。
 さて、その北朝鮮ゲリラについてだが、先日調べていていくつも興味深いことに気がついた。詳しくは「拓殖大学海外事情研究所報告」40号に書いた(通常は目に触れないので関心のある方にはファックスか郵送でお送りします)が、大統領暗殺のためのゲリラという割には何というか、マンガチックなのだ。例えば、31人で部隊を編成するのだが、当初25名の予定を30名に増やし、さらに1人増やしている。最後に1人増やした理由は「浸透過程で意見が分れたときに多数決で決めるため」という信じ難い理由だという。敵中の野営地で北朝鮮の特殊部隊員が集まって「東に行った方がいいと思う人」「はーい」とか多数決をとっている姿を想像すると微笑ましくさえなってしまう。
 元の資料がKCIA(韓国中央情報部、現在の国家情報院)の『北韓対南工作史』(1972,1973年)なので誇張ないし過小評価、あるいは過大評価の可能性も考えてはみたのだが、この当時、韓国は1972年の「7.4共同声明」で対北雪解けの時代だった。逆に言えばKCIAには国民に危機感を煽る必要があり、実際『北韓対南工作史』全体は北朝鮮の浸透事例を細かく(ただしかなりの悪文とまとまりのない構成だが)記載している。少なくともある程度の根拠は(捕らえた金新朝が証言したとか)あったのだろう。
 「多数決」以外では、例えば浸透途中で本国からの暗号電報を解読できなくなってしまったり、時間がかかるからといって計画のルートを変えて普通の道を歩いて検問にひっかかったりしている。1月21日というのは、検問にひっかかった日であり、警官に誰何され「CIC(韓国軍の情報機関)防諜隊だ」と答え、証明書を見せろと言われて、「見せる必要はない。一緒に部隊に行こう」と連れ出し、400メートル程歩いてから交戦になっている。その後は皆バラバラに逃げて、途中大部分が掃討されている。イメージは大統領官邸を見下すところまで来てやられたという感じで、私もそう思っていたのだが、現実は大分違ったようだ。
 もちろん、危機管理の要諦は「悲観的に準備して、楽観的に対処する」だから、北朝鮮の特殊部隊に対して準備を怠らないことは必要だ。自衛隊でも最近はゲリラ・コマンド対策が進んでおり、私たち予備自衛官でも訓練の中で市街戦の訓練が(本当にサワリだけだが)入ることがある。国民保護の観点からも自衛隊、警察、海保、そして一般国民と、もっと意識向上を図ることは必要である。
 しかし、だからといって北朝鮮全体を過大評価することで萎縮することはないはずだ。これは辛光洙などについてもそうだが、多くのマスコミは「大物工作員」と書いている。しかし、ある朝鮮問題に関心を持つ記者は「いや、あんなのはただの詐欺師ではないですか」と言っていた。私もそんな感じがする。
 ひいては金正日である。「恐るべき戦略家」「瀬戸際外交」「緻密な戦術」などと評価する声もあるが、私にはとてもそうとは思えない。二代目のボンボンが訳も分からず勝手なことをやっているのをこちらが勝手に過大評価しているのである。これは常に受け身でやってきた戦後の私たち自身の思考、「専守防衛」で固まってしまった思い込みに問題があるので、こちらから積極的に(軍事的手段も含め)解決していこうという意志があれば、全く別に見えてくるはずだ。
 日本は60年前、米英中蘭を相手に4年間戦争をした国である。その善し悪しはともかく、戦ったことには自信を持っていいはずだ。少なくとも北朝鮮のような人口で6分の1、面積で3分の1、経済力や国際的信用は比較にもならない独裁国家を恐れる必要はない。
 正直な所私たち朝鮮半島研究者、俗に言う「朝鮮屋」からすれば、研究対象が大した相手ではないというのは自分の方まで情無くなってくるから、大きく見たがるきらいはある。しかし、現実の問題を解決していくためには冷静さが必要だと思う。

(戦略情報研究所会員向けメールマガジン 「おほやけ」93号所載)

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2006年4月 8日

政党の変化

  私は平成6(1994)年の民社党解党以来、政党の党籍を持ったことがない。
 したがって、民主党の党首選挙も自分には関わりがないのだが、ちょうどテレビを見ていたら、代表選挙に臨む国会議員が何人かマイクを向けられて、「二人の演説を聞いてから決める」と言っていた。時代が変わったなあと思った。
 民社党当時は、国会議員でも本部の専従者でも地方の党員でも、皆大なり小なり同じ民社党員という意識があった。当然党首は大会で選ばれていたし、中途半端なままで終わりはしたが、「議員政党から組織政党への脱皮」というのが常に言われてきたことだった。
 国会議員もそれぞれの所属する県連の代表という意識が強かったから、国会議員が「これから党首選挙の演説を聞いて誰に投票するか決める」というのは、考えられないことだった(もちろん、今回多くの議員は投票する候補を決めていても、事前に「誰に投票する」と言いにくかったからああいう答えをしたのだろうが)。いずれにしても、今の民主党では自分のバックにいるはずの地方議員や党員、支持団体の意向はほとんど判断基準にないと思う。
 出身母体の意向が、かつて議員の自由な活動を縛ったのは事実である。だから、昔がよかったと言って今を否定するつもりはない。どのみち国会議員は国民の投票によって選ばれるのだから、その時点で民意を収斂しているではないかと言われればそれまでである。
 しかし、それを理解した上でも、今国会議員と有権者の間は昔に比べて非常にギャップができてしまっているのではないか。政党助成金が出るようになって、逆に政党は金をもらうための受皿と選挙互助会になってしまっているし、その一方で政治資金規正法の強化で一般からの資金集めは難しくなっている。この状態は国会議員のサラリーマン化をもたらし、一朝有事の際に身体を張って闘う議員を出にくくしているように思う。
 政治は、かつて弓矢と槍でやっていたものを投票に置き換えただけのことである。小泉総理は、それを理解していたから勝てたのだと思う。したがって、後継者と言われる自民党の4人も、無責任な言い方かも知れないが、一度は反小泉で闘わなければ未来はないと思う。
 今回、小沢氏が代表になった民主党がどう動くのか。非常に興味があるところだが、政治が闘争であることを実感し、実際にやってきている人だけに、先代及び先々代の代表から比べれば、存在感は出るだろう。
 いずれにしても、将校だけでは戦争はできない。いくら良い作戦を立案しても、それを実現するためには下士官と兵が必要である。「こんな素晴しい作戦があるんです。これを実行すれば間違いなく勝ちます」と、マニフェストを見せられても国民は信用できないのだ。もう一度、政党がどういう意味を持つものなのか、見直してみるべきではないか。

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2006年4月 5日

中国脅威論

最近中国脅威論がかまびすしい。そして、それはそれなりにもっともでもある。
前にインドの公使と話しているときに「Learn from North Korea, Prepare for China」と下手な英語で言ったら、わが意を得たりという顔で同意してくれたことがある。私自身も朝鮮半島が専門だが、北朝鮮という国は同じ共産党独裁の国でも、つまるところ小国に過ぎないのだから、今は振り回されていても、日本が国家レベルで本気になれば問題の解決はそう難しいことではないと思っている。
 それに比べると中国の場合は国のスケールが大きいだけにもう少しやっかいだ。政官財あるいはマスコミにも学会にも媚中派は少なくないし、国際的な影響力も大きい。私たちはより警戒を強めるべきだと思う。
 その前提で、なのだが、少なくとも、「中国の力が圧倒的だ」とか、「今のままではやられてしまう」と、必要以上の悲観論に浸る必要もない。中国という国は近代に入ってから一度も外国と戦争をして勝ったことのない国である。そして今でも経済構造の軋みや公害問題はもちろん、東トルキスタン(新疆ウイグル)やチベットの独立運動などを抱え、国内に火種は山ほど持っているのだ。
 それに比べれば日本は近代に入ってから、世界中の大国と戦争し、負けた相手は事実上米国だけである。牽強付会に「いや、第2次大戦に中国も連合国側で参加していたのだから、中国は日本に勝っている」としたとしても、その「中国」は「中華民国」、すなわち蒋介石の国民党であって共産党ではない。
 「いっそのこと、南京大虐殺を本当にやったことにして、『文句を言ったらまたやるぞ』と脅かしたらどうか」というのは畏友福井義高・青学大助教授が冗談交じりに言った話だが、確かに江沢民時代、山ほど抗日記念館を建てて反日教育を煽った中国共産党にとって、今更「あれは嘘でした。本当は日本軍はそんなに沢山殺したりはできませんでした」とは言えないだろう。

 今月号(5月号)の「諸君!」に掲載されている東トルキスタン人、ラビア・カーディルさんの話(水谷尚子・中央大講師のインタビュー)の中に、拘置所で彼女が漢族の公安に言った言葉が出てくる。
「中国と戦った日本人はなぜ、私たちの所にまで来なかったのか。彼らがきたら、私たちの運命は今とは変わっただろう」
 あくまで結果論だが、戦前日本の対中政策で最大の過ちは、中国の共産化に手を貸してしまったことだと思う。もし日本が国民党との和平を実現していれば、大躍進政策による飢餓も、文化大革命も天安門事件もなかったろう。国民党の腐敗も相当なものだったとは言え、共産主義による人権弾圧から比べれば天と地の差がある。
 その意味で、もし「中国人民に謝罪する」必要があるとすれば、国民党と戦うことによって、共産党政権を作るのに結果的に手を貸してしまったことである。そして補償する方法は唯一、中国共産党の政権を倒すことだ。親中派の皆さんは、本当に中国のことを思うのなら、ぜひ起ち上がってもらいたい(あるいは中国に媚び、共産党を増長させることによって日本国民に警戒心を掻き立て、それによって対中圧力を強めようという深謀遠慮に基づく愛国的謀略なのかも知れないが)。
 いずれにしても、共産党を利することをやってしまったら、それは中国人民への背信であり、東トルキスタンやチベットなど、共産党に侵略された地域の人々への重大な罪を犯していることになる。厳に戒めるべきである。

 米国も含めて、どこの国もそれぞれ欠点、弱点を山ほど抱えているのであって、日本だけに弱点があるわけではない。過度のコンプレックスは現実の対処すら誤らせてしまう。「もうだめだ」などと思っていないで、私たちはもっと積極的に前に出て行くべきではないか。

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