北朝鮮は「恐るべき国」か?
清水惇氏の著書『北朝鮮軍の全貌』(光人社)を読むと、今、北朝鮮の人民軍がいかに荒廃した状態にあるかが極めてよく分かる。物資の欠乏や腐敗、構造的問題を抱え、少なくとも正規戦の全面戦争は絶対にできない状態だ。関心のある方はぜひご一読いただきたい。もちろん、特殊部隊などは温存されているのだから、注意しなければならないが、過剰な恐怖感や過大評価は謹むべきだろう。
さて、1968(昭和43)年1月21日、韓国の大統領官邸を狙って派遣された北朝鮮ゲリラの話をご存知だろうか。「シルミド」という映画が韓国で大ヒットし、日本でも上映されたが、あの主題になっている韓国空軍684部隊は、隊員に軍籍がない秘密部隊だった。
北朝鮮のゲリラ31名は朴正煕大統領殺害を企図して韓国に侵入し、大統領官邸、通称青瓦台の裏山にまで迫る。幸い鎮圧され、ほとんどが射殺、1人だけが捕らえられたのだが、その金新朝中尉が後に記者会見の場で「何の目的で侵入したのか」と聞かれ「朴正煕の首を取りにきた」と言ったことは、韓国社会に強い衝撃を与えた。これで面子丸つぶれになった韓国軍が特殊部隊を北朝鮮へ侵入させ、軍施設の破壊などを行った。そのために作った部隊の一つが684部隊である。
さて、その北朝鮮ゲリラについてだが、先日調べていていくつも興味深いことに気がついた。詳しくは「拓殖大学海外事情研究所報告」40号に書いた(通常は目に触れないので関心のある方にはファックスか郵送でお送りします)が、大統領暗殺のためのゲリラという割には何というか、マンガチックなのだ。例えば、31人で部隊を編成するのだが、当初25名の予定を30名に増やし、さらに1人増やしている。最後に1人増やした理由は「浸透過程で意見が分れたときに多数決で決めるため」という信じ難い理由だという。敵中の野営地で北朝鮮の特殊部隊員が集まって「東に行った方がいいと思う人」「はーい」とか多数決をとっている姿を想像すると微笑ましくさえなってしまう。
元の資料がKCIA(韓国中央情報部、現在の国家情報院)の『北韓対南工作史』(1972,1973年)なので誇張ないし過小評価、あるいは過大評価の可能性も考えてはみたのだが、この当時、韓国は1972年の「7.4共同声明」で対北雪解けの時代だった。逆に言えばKCIAには国民に危機感を煽る必要があり、実際『北韓対南工作史』全体は北朝鮮の浸透事例を細かく(ただしかなりの悪文とまとまりのない構成だが)記載している。少なくともある程度の根拠は(捕らえた金新朝が証言したとか)あったのだろう。
「多数決」以外では、例えば浸透途中で本国からの暗号電報を解読できなくなってしまったり、時間がかかるからといって計画のルートを変えて普通の道を歩いて検問にひっかかったりしている。1月21日というのは、検問にひっかかった日であり、警官に誰何され「CIC(韓国軍の情報機関)防諜隊だ」と答え、証明書を見せろと言われて、「見せる必要はない。一緒に部隊に行こう」と連れ出し、400メートル程歩いてから交戦になっている。その後は皆バラバラに逃げて、途中大部分が掃討されている。イメージは大統領官邸を見下すところまで来てやられたという感じで、私もそう思っていたのだが、現実は大分違ったようだ。
もちろん、危機管理の要諦は「悲観的に準備して、楽観的に対処する」だから、北朝鮮の特殊部隊に対して準備を怠らないことは必要だ。自衛隊でも最近はゲリラ・コマンド対策が進んでおり、私たち予備自衛官でも訓練の中で市街戦の訓練が(本当にサワリだけだが)入ることがある。国民保護の観点からも自衛隊、警察、海保、そして一般国民と、もっと意識向上を図ることは必要である。
しかし、だからといって北朝鮮全体を過大評価することで萎縮することはないはずだ。これは辛光洙などについてもそうだが、多くのマスコミは「大物工作員」と書いている。しかし、ある朝鮮問題に関心を持つ記者は「いや、あんなのはただの詐欺師ではないですか」と言っていた。私もそんな感じがする。
ひいては金正日である。「恐るべき戦略家」「瀬戸際外交」「緻密な戦術」などと評価する声もあるが、私にはとてもそうとは思えない。二代目のボンボンが訳も分からず勝手なことをやっているのをこちらが勝手に過大評価しているのである。これは常に受け身でやってきた戦後の私たち自身の思考、「専守防衛」で固まってしまった思い込みに問題があるので、こちらから積極的に(軍事的手段も含め)解決していこうという意志があれば、全く別に見えてくるはずだ。
日本は60年前、米英中蘭を相手に4年間戦争をした国である。その善し悪しはともかく、戦ったことには自信を持っていいはずだ。少なくとも北朝鮮のような人口で6分の1、面積で3分の1、経済力や国際的信用は比較にもならない独裁国家を恐れる必要はない。
正直な所私たち朝鮮半島研究者、俗に言う「朝鮮屋」からすれば、研究対象が大した相手ではないというのは自分の方まで情無くなってくるから、大きく見たがるきらいはある。しかし、現実の問題を解決していくためには冷静さが必要だと思う。
(戦略情報研究所会員向けメールマガジン 「おほやけ」93号所載)
| 固定リンク