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はてなキーワード: 時間割とは

2025-03-02

実は

30年前に大好きだった人に

当時いろいろあったけど、大好きすぎてたまらなかった人に

去年の夏、仕事に疲れて病んででどうしようもなくなったときに30年前のその人がたくさん夢に出てきて

なんとか生きてこられたんだ。

から半年前にお手紙書いた。

生きてるかも何してるかもわからなかったけど

年賀状来た

既婚者になってた

それでもやっぱり会いたくて

今日実家から呼ばれてたから無理やり単独帰省にして

相手も忙しい中時間割いてもらって会ってもらったよ

良くも悪くもお互い変わってた

私もいい歳のBBAになったし、相手もおじいちゃんだった

それでも当時大好きだったことは変わらないし、当時の楽しかたことは今でも支えになってる。

ま、学年末テスト全部欠席して0点で出しても5がついたとか言うしょーもない記憶が残ってたらしいんだけど。

で、年明けからすっごいストイックダイエットしたし、自分磨き頑張ったし

肩透かしに終わったけど

その人の3時間を私が独占したことはきっと一生の思い出。

いろいろあったことは断固認めてくれなかったけどね。

きっと相手も覚えてると思うんだ。

認めてはいけないものではある(アウトだから)

から

当時大好きだったって告白してきた。

こんなにしっかり告白したのってほぼない。

ありがとって言われた

10年早かったらなっても言われた

今の彼にはそれが精いっぱいの優しさなんだと思うことにした

めんどくさがりで

それでも優しくして

すぐカッとなるし

お世辞にもカッコいいとは言えないけれども

それでも私はあなたのことが好きだったし、好きになってよかったし、人生でのいくつかの初めての相手でよかったと思うよ

また会ってね

大好きだったセンセーへ




にしてもさ

その先生が、ほぼ初恋相手(もちろん教師)と修学旅行先で夜飲みに出た話とかさ

先生の奥様との出会いが、自分小学校時代の恩師の紹介とかさ(世界が狭すぎて少しだけ引いた)

これ以上の悪いことをしてはダメだなと思ったよ

またワンチャンいかなーとか少しだけ期待したけどダメダメ

なので、いろいろあったことは私の中で事実だし良き思い出としてしまっておきます

2025-02-28

anond:20250228120300

モテが史上の価値でそれに非モテはみんな囚われてるって理屈、古くね?

今時の男はそんなに女を追い求めてない

女も男を追い求めてない

恋人作らなきゃ結婚しなきゃって本当にみんな切迫してたら少子化になってない

赤の他人時間割くより自分時間大事にする人ばかりだろ

ハッキリ言えばお前はただの恋愛

もう日本では少数派の存在

2024-12-29

[]anond:20241229153859

2024-12-29

他人バカにしたい気持ちと常に戦っている

こう書くと他人バカにしないと気が済まない暴走人間しか聞こえないが

細かく言うと、「他人バカにしようとする心が常に自分の中にあるので、それを内心にとどめて過ごすように頑張っている」

とでも言えばいいだろうか。

どっちにしろヤバい奴じゃないか?という気もするが、これが私のいつわりない本心である

他人バカにしたい!と思うときはどんなときか考えてみたことがある。また、なぜそうしたいのかも考えた。

箇条書きにするとだいたいこんな感じだ

自分より知識能力が劣っている相手を貶めて優越感に浸りたいか

・劣っている(と私が思っている)相手あざ笑うことで自分を大きく見せたいか

自分に自信がなく、逆に自分対象にされるのを恐れて自分バカにする側だと確認したいか

安全から弱いものいじめるのは楽しいぞい♪という攻撃的な快楽気持ちよくなりたいか

自分が劣っている存在である勝手に思っているため、下に見れる相手を探さないと怖い

物事がうまくいかないので自暴自棄になり、他社を思いやる余裕がなくなり、攻撃的になる

思いつくかぎり書いてみたが、自分の弱さを受け入れたり、認められずにごまかそうとするとき

他人バカにしたい!という気持ちがわいてくるのだと思う。あとは単純に調子が悪いとき

数年前から自分が人をバカにしたくなるときってどういうときだろう?と

ひたすら考え続けて最近やっと少し文章にできるようになったのでこれを書いている。

あと、ネット上でそんなふるまいをするようになったらもちろんたくさんの人に嫌われるだろうし

自分もどんどん手がつけられないモンスターになっていって…そんなんデメリットしかなくね?と思い

意識的に人を傷つけるような言葉を使うのはやめよう!と気を付けていた。時間割全部道徳か?

そんなグダグダ考えずともインターネットSNSはてなブックマークYouTubeコメント欄を見るのすべてやめて生きろ!が正解っぽい気もするが

そうなるとコミュ障の私は孤独まっしぐらなので、ネット友達趣味の知人などと穏やかにコミュニケーションをとって生きていきたいので頑張って考えました。

歳をとったからなのか、他人とむやみにケンカしたくない…!なるべく穏やかにしたい…!という思いが最近強い。

もちろん人の怒りや悲しみの感情だって大切だと思うので、バランスが難しいのだが、それはこれから考えていきたい!難しいよ~

anond:20241214234727

2024-12-14

他人バカにしたい気持ちと常に戦っている

こう書くと他人バカにしないと気が済まない暴走人間しか聞こえないが

細かく言うと、「他人バカにしようとする心が常に自分の中にあるので、それを内心にとどめて過ごすように頑張っている」

とでも言えばいいだろうか。

どっちにしろヤバい奴じゃないか?という気もするが、これが私のいつわりない本心である

他人バカにしたい!と思うときはどんなときか考えてみたことがある。また、なぜそうしたいのかも考えた。

箇条書きにするとだいたいこんな感じだ

自分より知識能力が劣っている相手を貶めて優越感に浸りたいか

・劣っている(と私が思っている)相手あざ笑うことで自分を大きく見せたいか

自分に自信がなく、逆に自分対象にされるのを恐れて自分バカにする側だと確認したいか

安全から弱いものいじめるのは楽しいぞい♪という攻撃的な快楽気持ちよくなりたいか

自分が劣っている存在である勝手に思っているため、下に見れる相手を探さないと怖い

物事がうまくいかないので自暴自棄になり、他社を思いやる余裕がなくなり、攻撃的になる

思いつくかぎり書いてみたが、自分の弱さを受け入れたり、認められずにごまかそうとするとき

他人バカにしたい!という気持ちがわいてくるのだと思う。あとは単純に調子が悪いとき

数年前から自分が人をバカにしたくなるときってどういうときだろう?と

ひたすら考え続けて最近やっと少し文章にできるようになったのでこれを書いている。

あと、ネット上でそんなふるまいをするようになったらもちろんたくさんの人に嫌われるだろうし

自分もどんどん手がつけられないモンスターになっていって…そんなんデメリットしかなくね?と思い

意識的に人を傷つけるような言葉を使うのはやめよう!と気を付けていた。時間割全部道徳か?

そんなグダグダ考えずともインターネットSNSはてなブックマークYouTubeコメント欄を見るのすべてやめて生きろ!が正解っぽい気もするが

そうなるとコミュ障の私は孤独まっしぐらなので、ネット友達趣味の知人などと穏やかにコミュニケーションをとって生きていきたいので頑張って考えました。

歳をとったからなのか、他人とむやみにケンカしたくない…!なるべく穏やかにしたい…!という思いが最近強い。

もちろん人の怒りや悲しみの感情だって大切だと思うので、バランスが難しいのだが、それはこれから考えていきたい!難しいよ~

2024-12-05

[] 時間選好

未来よりも現在の方が価値を高く見積もりがちな心理のことで、「時間割引」ともいう。

たとえば「退職金はないが、その分を普段給与に含める」というのは時間選好からくる考え。

2024-12-04

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え の

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

https://anond.hatelabo.jp/20220114133403

の筆者です。三年後の現状を追記

当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています

当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。

教職を取る

ボランティアに参加する

・長期インターンで働く

バイトをする

心理学の本を読む

卒業研究就活も並行してやった。

教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。

ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係リハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで

ボランティアは市の団体に参加させていただいた。

長期インターン地元のある企業一年ほどお世話になった。

バイト販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分無能さを思い知った。

心理学の本を読むのも、コメントアドバイスしてもらったことだ。アドラー加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。

とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。

結果、俺は今修士二年生で、博士課程に進もうとしている。

あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。

でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。

第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと

研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。

ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。

これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。

文学研究が分かりやす社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。

またバイトインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死メモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。

こんな俺なので、社会に出て企業めしたところであまり役に立てないように思う。

第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本教員不足だから)。

学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。

第三に、やっぱり文学が好きだった。

文学ができることの一つに、「目に見えないもの表現できる」というのがあると思う。

俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。

だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情存在している。焦り、恐怖、驕り、不安自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。

こういった説明し尽くせない心持ち表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか

不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。

そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。

修士一年ときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。

博士課程から奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。

ももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。

最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。

これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。

誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。

何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています

俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。

追記心配してくれた人がいたので。奨学金は貸与じゃなくて給付です

2024-11-26

覇権を握れない空間にいるのはしんどい

何を返しても、応酬が返ってくる。

そんな所居心地良い訳がない

バイトなら金貰えるけど

学校なんて当たり前に貰える単位をただ取る為だけに存在してて

馬鹿みたいに組まれ時間割りをこなすだけで

2024-11-25

獣医学科の学生生活就活国家試験を語る

1年

選択授業や第二外国語サークル活動など唯一大学生らしい大学生活を送れる。ただし2年次からパンパンに詰まっている必修単位のせいで時間割毎日比較的詰まっている。

上下関係の厳しさが1つ上の先輩から示唆される。独特な文化を前にやや選択を後悔しだす。

2年

必須単位が牙を剥く。5年次まで時間割が必修単位で詰まっているため、この先の落単は=留年意味する。また一般教養も同じ理由でこの先ねじ込む先がないため、やはりこちらも落単すると留年。6年次に国試があり留年組は不利になるため皆必死

基本的に午前は座学、午後は実習(授業終わりの時間は決まっておらずレポート必須)のため、実家サポートの有無(バイトをしなくてよい等)が成績の明暗をわけるが、実家が裕福な学生が多いため基本的には問題がない。

3年

基本的に2年と同じ。この2年間が1番キツい。

秋以降は4年次の研究室配属にむけて情報錯綜し、緊張感が走る。成績の悪い学生前評判の悪いアカハラ研究室に叩き落とされ、地獄の3年契約を交わす羽目になる。

4年

研究室配属。アカハラ教授、疲れ切った准教、5,6年の先輩に囲まれ実験主義を教わりつつ研究室雑用をこなす掃除備品管理、果ては忘年会幹事など。

授業は臨床科目(座学)がメインを占めるようになり獣医学生らしい日々を送る。また面倒見のよい研究室では卒論の準備を始めるところも。

学年末にオスキーという仮免試験があり、こちらも落ちたらもちろん留年来年病院実習に出られないため)

5年

座学がかなり減り実習メインになる。大学病院での小動物診療だけでなく学校外での公務員や大動物診療の実習もここ。1番気楽な一年間。卒論を書き始めるが、テーマによっては気楽でなくなる。

民間企業への就職(ほぼいない)を考えているごく少数の人間就活もするが、ハンデが凄まじく一般大企業はだいたい落ちる。

冬、1学年上の先輩がノイローゼゾンビとして一日中国試勉強している姿を見て来年の今頃は…とゾッとする。


6年

授業はほぼなくなる。民間企業以外を希望する学生は春から就活開始。よほど選ばなければ病院公務員、その他診療系、だいたい受かるので、キャリアセンターで取り急ぎの面接対策をしてゆるく過ごす。

からは秋冬の卒論〆切に向けてラストスパート卒論で落ちることはほぼないため、内定後の夏から開始した自由研究並のクオリティ卒業研究を行う者もいる。

11月-12月卒論提出後から国試対策を開始。この時ばかりはほとんど全員が朝から晩まで勉強し、大量の語呂合わせを作りながら2月の本番での合格を目指す。

出題範囲が膨大、過去問の解答はあっても解説がない、ノウハウ化されていない等の理由によりボッチは合格できないことが多い。不思議と毎年9割前後合格するが、合格率以上の難易度が確かにそこにある。

合格できなかった場合大学からのアフターケアはないため、卒業後も出入りできるよう研究室先生や後輩とは極力仲良くしておくのが無難である

なお、東大北大学生以外は就活難易度と引き換えに獣医師免許必須内定が出ている場合が多いので、落ちたら就活もやり直しである

3月合格発表と卒業式をもって大学卒業

なお、数年後には小動物臨床に進んだ人以外のほぼ全員が獣医になったことを後悔しだすが、待遇小動物臨床が1番悪い。

医学部受験をする者が後をたたない。


番外編

卒業試験: 私立にはある。国試の合格見込みがないもの強制留年とする親切なのか余計なお世話なのかよくわからない制度

国試対策授業: 私立にはある。科目毎に先生から重要ポイントを教えてもらえるらしい。

国試浪人のアフターケア: 私立にはある。詳細不明

2024-11-21

がんの猫の通院、10時間かかる

タイトル通りである

ほぼ週一で猫の通院に10時間かけているので、インパクトを持つタイトルであるか否かの感覚も既にかなり曖昧になってきている。

しかしながら10時間だ。

所定労働時間

月延べ40時間、猫の通院に時間をかけている今は、人生を振り返ってみてもかなり稀有体験をしている時期だ。

このエントリは、そういう時期についての個人的な記録です。

敬意

この記録を残そうと思うにあたり、まず、担当獣医師、及び飼い猫(順不同)に敬意を払いたい。

健康だった時期の飼い猫を知っている身としては、通院に時間を費やさなければならない現状に文句たらたらではあるが、獣医療と猫に対しての敬意だけは常に忘れてはならないと感じている。

担当獣医師は、少なくとも飼い猫を診せる日は、おそらく10時間以上勤務しているはずだ。重病を抱え、寿命がそう長くはないであろう犬や猫が集まる医療センター10時間、ないしはそれ以上の勤務、それによる凄まじき労苦は想像に難くない。

対して飼い猫は、朝から晩までの間、檻に入れられているか抗がん剤の投与をされている。週に一度とはいえ人間エゴイズムによりそんな訳のわからない目に遭わせてしまって、心底申し訳ないとは思っている。

担当獣医師と猫に敬意を持ち、それぞれの境遇にも思いを馳せながら、文章を記すことにする。

患う猫(とその見た目について)

猫は現在15歳の老雄猫である。約一年前にがんであることが発覚し、経口薬その他による対処や諸々の検査を経て、約二か月前から血液投与による抗がん剤治療を開始した。

チャーミングな見た目についても少し記しておこう。

毛並みはサビ模様と白い胸毛(および腹毛)、靴下のような白い足先がトレードマークで、なかなか洒落雰囲気だ。

耳の形は猫らしい三角形ではなく、丸みを帯びていて、常にぴん、と立っている。

猫らしからぬその耳の形状故に、電車の隣席に座った女性からケージを見つめながら「うさぎちゃんですか?」と訊かれたことがある。猫です。

そんな茶目っ気すら感じる飼い猫が、がんにより闘病中だ。なかなか、ままならないものである

狂気時間

10時間も何するんすか、と改めて思うが、時間割としては以下の通りである

1) 午前8時~午前9時(1時間):往路(自宅から病院まで)

2) 午前9時~午後13時(4時間):猫を病院に預け、抗がん剤投与前の検査

3) 午後13時~午後16時(3時間):検査結果確認後、抗がん剤投与

4) 午後16時~午後17時(1時間):医師との面談、薬の処方、会計

5) 午後17時~午後18時(1時間):復路(病院から自宅まで)

1)、5)の往復路にかかる時間や、4)に関しては大した話ではない。

2)、3)が曲者だ。

「通院」の大部分を占める7時間をどのように過ごすか。

医療センター辺鄙な立地にあり、周辺に存在している施設はごく限られたものになる。

飲食店で過ごすのも手だが、せいぜい潰せる時間は2、3時間程度である

そもそも、猫の検査結果や現在の体調、検査中の猫の姿を思いながら過ごす時間というのは、憂鬱であり、賑やかな飲食店で過ごすには心が落ち着かない。

少し足を延ばせばラブホがあるが、毎週ラブホに行くのも滞在費が嵩んで仕方がない。観光できるような場所も近くには存在しない。

そうなると、行きつく先は自然と定まってくる。

鬱箱収容7時間

通院時間のメインである7時間を過ごす場所として最終的に落ち着いたのは、インターネットカフェ通称「鬱箱」である。(これは世間一般における通称ではなく、私が便宜的に名付けたという意味での通称です)

人々が蚕の繭のように小箱収納されており、その小箱は窓がなく、暗い。曇っていようが晴れていようが、空が見えない。常に暗い。

パソコンの画面には、よすがを求める者に向けた結婚相談所広告や、行く当てのない者に向けた入寮可能、即金の仕事を勧める広告が忙しなく踊っている。

そんな小箱の中で、猫のことで気を揉みに揉みながら7時間過ごす。

鬱を加速させるしかない、暗い、箱。まさに鬱箱である

しかしながら、7時間という迫力のある長い時間を過ごすには、やはり鬱箱以外にはなかなか見当がつかない。

7時間のうち2割はパソコンでの作業に充て、1割は食事病院との連絡に充て、4割は眠り、3割は『あたしンち』(これ以外に鬱を加速させない漫画を知らない)を読む時間に充てる。

不穏な時間の中、暗闇で読んでも鬱が加速しない漫画を知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。

現在の救い

ここまで散々陰鬱トホホ文章ばかり記してきたが、救いはある。

猫が元気なのである

猫は少々痩せてはいるが、闘病中ながら食欲は大変旺盛で、便通も申し分ない。家の中を悠然と徘徊し、腹を天に向けて放り出し、ぐうぐうと眠る元気がある。

先日も通院から帰宅し、屋内に開放した途端に人間の足元に纏わりつき、ニャンニャンと大声で啼いて飯の催促を始めた。もちろん大盛りの猫缶を食わせてやった。処方された薬も忘れずに。

投薬の効果か否かは定かではないが、本当にがんなのか疑わしいほどの生活ぶりだ。

ともあれ、本猫に今、有り余る元気があるのは何よりなことだ。

猫が生きて十五年を過ぎ、これからもまだ元気でいてくれるなら、通院10時間も苦ではないと思っている。

いや、少ししんどいが。会計金額を見て、毎回眩暈がするような思いをしているが。頑張りたいと思っている。

病院を訪れて、病院から猫を連れて帰る頃には日がとっぷり暮れていようと、鬱箱に7時間籠ろうと、猫が元気ならば、頑張りたい。

猫も、もしま人間寝床に潜り込んでくることが楽しいのならば。申し訳ないが病院へ連れていくことを、どうか許してほしい。

猫、通院を我慢してくれて、元気でいてくれてありがとう

担当獣医師も、毎回真摯に向き合ってくれて本当にありがとう

そして、鬱箱の店員さんも、いつも私に温かいポテトフライを揚げてくれてありがとう

鬱箱って言ってすみません。でも、ネカフェって鬱箱すぎます

これからもお世話になります

2024-11-19

anond:20241119163834

増田です。

『ぬいペニ』って聞いたことあるけど意味がよく分かってなくて、調べたらまさしくこういう状況のことなんですね。「友達でしょう」と断るのは問題の先送りにしかならないし、その時点で関係破綻しているのだから良くないとも書かれていて、私の返事は良くなかったんだと改めて思った。もっと早く調べれば良かった。

お互いの話をしていく中で私は人と付き合ったりすることができないって話もしたことがあって、その時は俺も同じだって同意してくれてそういうところでもシンパシー感じたり、だからこそ趣味時間割けるし独身でもこのまま人生楽しめるんじゃないかって話をしてたんだけど、いつから違う道を歩いてたのか、ただ元から合わせてくれていただけなのかは今となっては分からない。

 

 

数年友達として接してきて本当に良い人だったんだよ。だからその数年があの1日で全て嫌な思い出になってしまうのは悲しくて。でもじゃあ他の人にもし同じことをしたら?って考えたらそれは絶対に許せないし、あの行為フォローできない。

 

でも今でも嫌いにはなりきれないというか、されたこ自体もショックだけど、それ以上にあれだけ親しくした人を失ってしまった寂しさもあって。

 

でも、私が馬鹿だっただけで全部嘘だったのかもしれないって信じたくないから色んな言い訳を考えてるだけかもしれない。だから私たちはあの時楽しいって気持ちだけで、親友だった期間がちゃんとあるよねって思い込みたいだけかもしれない。

2024-11-12

追記ありカマラハリスの負けた要因って何かなと思って。

サンフランシスコ主婦増田です。

この段階ですでに増田では無い気がするけどそっとしといてください。増田ってみたかったんだよ。

カマラハリス敗因分析を色々読んだけど、なんかちょっとピンとこなかったので自分意見を書こうと思う。

・Hillary Syndrome(ヒラリー症候群

これは私が作った造語ではなく当地サンフランシスコの終身名誉市長(Mr.Mayor)でありカリフォルニア州民主党の元重鎮ウィリーブラウン(Willie Brown)がハリスが急遽、大統領候補となったときに受けたインタビューの中で使っていた。

ヒラリー症候群に気をつけろ」

ウィリーブラウンなんて言っても日本の人はよう知らんであろう。でもカマラハリス不倫して云々、みたいのは聞いたことがある人も多いはず。その相手ウイリーブラウンカマラハリスを世に出した、誰よりもカマラハリスをよく、そして深く知る人である

「元」重鎮という触れ込みではあるが、ハリスバイデンの後釜候補になる騒ぎが勃発直後、民主党黒人議員NO1であるアレン・ウオーターズ(Allen Waters)、下院リーダーのハキーム・ジェフリーズ(Hakeem Jeffries)と即会ったりしてて(Source/Politico)一線を退いたようには思えない。そうそう、トランブJr婚約者キンバリーギルフォイル(Kimberly Guilfoyle)のこともよく知ってる。だって彼女は元ニューサム嫁でサンフランシスコ出身。なによりMr.Mayorはイケイ公共投資改革した人で彼女の親は不動産開発屋。だから彼女が生まれときから知ってる。とにかく、政界フィクサー御年90歳、その目は全く曇っておらず、今回の選挙を誰より正確に見通せる人であるのは言うまでもない。

とまあこんな話してもはてブ民は読まないと思うので本題。

ヒラリー症候群、それは「うーんなんとなく嫌い」「よくわかんないけど嫌い」みたいな、とにかく無条件に嫌われる2016年ヒラリー・クリントンみたいな状態のことであるウイリーブラウン曰く「これに罹患すると軌道修正不可能」。わたしはこのヒラリー症候群こそが最大の敗因だとみている。

カマラハリス無能だ、実績がない、いやそんなことはない、彼女は優秀だ

「どういうところが?」

どうして無能だと思うのか、過去の実績の何をもって優秀だと思うのか。これを誰も説明できない。

なんとなくでも彼女を優秀だと思う人に対してフォローアップは必要ないが、無能だ、実績がないと思う人に対しては地道な政策アピール挽回していくしか無い。ヨボヨボのバイデンから若々しいハリス大統領候補になり、鬱々とした現状に変化を求めていたアメリカ人は色めき立った。だってトランプよりもさらに新しさがある。実際、最初はなんかキラキラして見えた。カマラハリス黒歴史ウオッチャー歴がそこそこ長い自分ですら「これもしかたらみんな騙されたまま勝っちゃうんじゃん?」と思った。

しかし、そのハネムーン期が終わりハリス陣営がやったことといえば、トランプをただただディスりまくること。ようやく出した具体的政策トランプのパクりのチップ課税シェールガスのフラッキング(掘削方法)容認。その他は目新しさ皆無、毎度おなじみ分断危機中絶民主主義マイノリティ人権がどうのこうの。挙句の果てがハリウッドセレブ無駄遣い。気の毒だなと思うが、インフレ改善不法越境移民問題(Southern border crisis)解決を声高に叫べば「おめーは4年間なにやってたんだ?」となる。こんな調子では無能だとか実績がないという視点はどう頑張っても変わらず誰も彼女には期待できない。焼け野原に残るのは「なんとなく嫌だ」という感情、ただそれだけ。

ウイリーブラウンの言う通り「これに罹患すると軌道修正不可能」となった。

この「なんとなく嫌だ」という感情馬鹿にできない。

なぜなら、ヒラリー症候群の原因は解明されておらず特効薬はない。原因さえわかれば特効薬はすぐ出来る。カマラハリスの何が嫌なのか。どうしてダメだと思うのか。それが明確ではないから手の打ちようがない。どんな薬(政策論をはじめとする様々なアピール)を投薬しても効かない。

もし本当にカマラハリス無能で実績がなく人種とか女性というだけで担がれた神輿(副大統領)であったとしても、そんなことは無関係当選へと導くのが陣営と党本部仕事しか陣営と党本部無能すぎた。なんならカマラハリスよりよっぽど無能だと思う。でもしかたない。カマラハリスバイデン陣営にとって副大統領である以前に「元対立候補である。蹴落とす分析はしっかり成されていても当選させるための分析なんか全く成されていなかった。急ごしらえのハリス陣営は、ヒラリー症候群特効薬どころか対処療法に使う薬すら用意できなかった。



民主党時代の流れに完全に乗り遅れた

残念ながら民主党も支持者も未だそれに気づいていないようで、第一トランプ政権アメリカはまるで戦国時代だったような妄想を撒き散らし、またトランプ大統領に選ばれてこの世の終わりだ、暗黒の時代が来るなどと呪詛を吐きまくっている。2016年以来8年ぶり2度目。前見たそれ。これを一般人SNS上でくりひろげているならわかる。今や民主党信仰」憧れの総本山となったカリフォルニア州に至っては、まだ就任も発足もしていないトランプ政権に対し100件を超える訴訟を提起しようとしておりその予算策定をはじめる模様。その対トランプ防衛強化予算は(昨年度分の)州の予測を上回った分の所得税収入を充てるらしい(Source/Los Angeles Times)

カリフォルニア州民主党にとって未だ盤石、安住の地であり続けているまだ理解できるが、すでに内陸は真っ赤。有権者約40%がトランプ投票した。あと10%でスイング・ステートの仲間入りである。にも関わらず、税金使って対トランプ防衛強化予算とは一体、何を、どこを見ているのか。

今の民主党とその狂信的な支持者のやっていることは、部外者立ち入り禁止、窓のない部屋で、トランプ藁人形を柱に打ち付けながら呪詛を吐き、それが終わると自分たちの「進歩的理想論」をお互いに声が枯れるまで大声で叫びあい最後自分たちはなんてすばらしいんだと涙を流しながら抱き合いうっとりしているのと変わらない。外の世界を全く見ていない。

パレスチナ学生運動の総括であちこちの著名大学が一気にDEI(Diversity, Equity, and Inclusion/多様性公平性、包括性)から手を引き始めた時、民主党は世の中の潮目の変化に気づくべきだった。遂に左派思想にNOを言う人(組織)が出てきた。しか民主党の仲間であるはずのインテリ巣窟である大学軌道修正をはじめた。わたしはこれが重大なターニングポイントだったと思う。

そもそもイスラエルパレスチナ紛争左派支持者は割れていた。

当地選出のカリフォルニア州上院議員のスコット・ウイナー(Senator Scott Wiener)を紹介しよう。彼は保守層からすると悪魔のような存在だ。LGBT教育話題では必ず出てくる。わたしが彼を唯一支持できる部分はカリフォルニア州高速鉄道計画日本新幹線システム推していることだけ。彼の支持基盤は超極左〜急進左派左派ジョージ・ソロスからお金が出てるなどと普通に噂されるタイプ議員である

彼はイスラエルパレスチナ紛争がはじまった10月7日から一貫してイスラエル支持を訴え続けた。ユダヤ人からである。リプ欄には今まで熱烈な支持者だった人たちからの本当に心無いコメントが並んだ。彼はイスラエルを支持し続け、最近支持基盤であるいくつかの左派団体から正式に縁を切られた。おそらく、似たことは全米のそこかしこで起こっているはずだ。

特に政治主張がない人たちも「ぼくのかんがえたさいきょうのせかい」という押し付け理想論に皆辟易していた。人権大事だ。差別には反対だ。世の中平和な方が良い。でもそれより何より大切なのは「日々の生活」だ。人権を声高に叫んだところでで物価はいつまでも下がらない。思いやりだけで人は救えない。

外を見ることがなかった民主党時代の変化に完全に乗り遅れたのである

有権者を惹きつけられなかった、内輪で盛り上がりすぎて外野を全く見ていなかった。だから負けた。教育水準の違いとか所得水準の違いとか関係ない。

インターネット上では左派一般人有識者政治家問わず断末魔叫びよろしく分断だ!と騒いでいるが、赤一色の地図を見て何も思わないのだろうか。アメリカ自分たちが選んだ大統領の下団結しようとしているではないか政治に限った話だが、自分たちが空気全然読めずどんどん取り残され先鋭化してるだけなのに、必死に「分断」とか言いかえるのはいい加減やめる時期に来てる。

・さいごに

前出のウイリーブラウントランプについて同じインタビュー内でこう応えている。

トランプがなんで成功たかって?彼はエンターテイナーだ。それが全て。」

大衆トランプパフォーマンスに夢中になっていればトランプは生き残る。」

有権者トランプパフォーマンスに夢中になっていることをバカ呼ばわりは出来ない。」



以下追記

褒めてくれてる人ありがとう文句言ってるのに時間割いてわざわざ読む変わった人もありがとう

ブコメも含め、ツイッターに比べると日本語読めるけど文章読めない人少なかったし、増田ってよかったです。


はてな記法見出し をつけて読みやすくしてほしい ー

使い方よくわかんなかったの。読みにくくて申し訳ない私もそう思います追記公開後適切に直しときます。ごめんね。

ー日々の生活人権が守られてこそ守られるのだが何を言ってるんだろうね 第二次大戦中に在米日本人人権は守られず日々の生活は壊されたんだよー

論破したと思い込んで気持ちよくなってるところ大変恐縮だけど、日系人強制収容大統領令9066にサインしたのは 民 主 党 の フランクリン・ルーズベルト第32代大統領だよ。このネタ2016年既出です。

AI要約 ー

ー Claude さんに「この文章をわかりやすく書き直して下さい。」とお願いしてみた ー

AI要約のほうは3/5 Claude のほうはSBQだな、プロジェクトからリムーブされないようにね。

増田の言い分だと「なんとなくトランプが嫌」のゆる左派層は存在しないのかな ー

シンプルに疑問なんだけど共和党トランプではない聡明で盤石な候補はいなかったんか? ー

もう一人「トランプ以外の候補だと勝てたか」って仰ってた人いたはずだけど見失っちゃった。

この御三方質問面白いなと思った。トランプ版も書いたほうがいいのかな。

・「なんとなくトランプが嫌」のゆる左派

まりいないのでは。アメ人って子供の頃から自分意見を理路整然と述べる訓練を義務教育からやってるので教育水準属性わず皆かなり理路整然と意見を言う。トランプのことは皆しっかり根拠を述べる 嫌い。法廷闘争議会乱入が重罪人が/嫌いだけど経済政策不法越境移民対策を支持する/好き/MAGA の4パターンにはっきり分かれるのでは。アンチと同じ数だけファンがいるの典型みたいな人だと思う。

共和党トランプではない聡明で盤石な候補

トランプ大学時代は成績が非常に優秀だったみたいよ?この部分は左派の人もあーだこーだ言わないでしょう。盤石に関しては満場一致トランプ以外ないと思う。人気だけとってもそうだけど、日本の人はどうも「前のトランプ政権の時アメリカは酷かった」って言ってるけど、どこが???株価は安定してて戦争もなく平和だった。パンデミックの時、アメリカのいち早いワクチン開発はトランプのおかげだよ(だから反ワクのトランプ支持マジ意味不明)経済金融系の人は仮にトランプ嫌いでもトランプ政権の時アメリカは酷かったとかあまりいわないでしょう。だってデータ乖離するもん。

唯一、本当にクソだったと言い切れるのは「China Virus」あれには参った。見た目で国籍なんかわからいから前から歩いてくる人に露骨に避けられたり。皆トランプ嫌いなはずのサンフランシスコでそこだけトランプ意見賛同するわけ?wっていう。

トランプ以外の候補だと勝てたか

からない。これは共和党が直面する次の課題でもあると思う。4年後はトランプ無理だし(二期までしか不可)今のカリスマ性を引き継ぐパワフル人材っていうと相当難しいと思うので、この4年間に誰を育て上げるのかは見ものだと思う。

ハリスが嫌われた理由の一つにめちゃくちゃパワハラして恩義に薄いという事実があるー

パワハラ疑惑報道されてた。(正確な数字失念しているが、残ったのがたった4人)スピーチライターにも逃げられてる。

恩義に薄いっていう指摘もその通りだと思う。地元ベイエリア蔑ろにしすぎ。もともとアジア人(インド)がウリだったのにアジア人完全に切ったのも個人的にどうかと思うし、イスラエルハマス人質になってたバークレーのアメ人の死亡が確認された時に地元+旦那ユダヤ人なのにコメントなしってのはいくらなんでもひどくない?と思った。なにより、TIME誌のインタビューを固辞し続けて遂にオーナーマーク・ベニオフ(Salesforce)がガチギレで文句言いまくってたのに驚いた。ベニオフベイエリアの有力民主党支持者だし、カマラハリス地元であるオークランド自身名前のついた病院もある。そんな人に不義理するとか失礼にも程ある。どうして党から怒られが発生しないのかも謎。

ハリスの負けた原因はもうどうでもいいので、何で「じゃあトランプ」なのかの納得いく説明がほしい。トランプは実際4年やってクソだってことがわかってるわけでしょ? ー

上↑で回答した通り。でも日本報道けが情報源だとそう思うのも仕方がないのかも。

日本報道はそれくらいクソだった。各社、特派員おいてるのにどうしてあんなに偏ってるのか逆に私すごく知りたい。

ヒラリー症候群ってそれ、単純にミソジニーじゃないの ー

この手のタイプの人が一番カマラハリスを「女性から」って視点で見てると思う。個人的ガラス天井論も副大統領カマラハリスに対して失礼だと思う。

愛人稼業立身出世した女性リベラル代弁者としてトップに登るのはおかしいって皆んな感じてたってことやろ ー

ここアメリカからびっくりするくらい誰も気にしてない。最初保守系のひとがちょこっと騒いでた程度でその後話題にすらならなかった。当時、離婚を前提に別居してた時期のことで〜みたいなことをウイリーブラウンは言ってたそうですが今現在全然離婚してません!w

ハリスが負けたのは、ディープステートとか言ってるやつらをマジで信用してるバカ過半数越えてるとは思ってなかっただけやろ ー

ネタだよね?こんなこと真剣に思ってる人っていなくない?もう陰謀論信者のお陰で勝ったなんて思ってる人いないよ?



日本マスコミの人へ】

からでも良いから、ウイリーブラウン取材に行けば?めちゃくちゃ気さくでアポ無し取材大歓迎よ?

(みんな基本アポ無し。話聞きたいときは外で待ってる)

毎週火or水曜日はSam's Grillでステーキ食べてて、金曜日はお昼からLe Centralの窓際でお友達と博…サイコロゲームしてる。

しかも街の様子を見るために絶対に歩いてくるし、歩いて帰る(地下鉄乗ってくる) 

きっと喜ぶし面白い<

2024-10-31

anond:20241030173236

どうでもいいんだけど、じゃあ大谷を扱う時間を減らしたらまともなニュース流れるのかというと流れないんだなこれが。

これは本当

野球サッカーシーズンオフの間は朝のニュースでも

海外監視カメラドラレコに写った衝撃映像とか動物園動物映像流してる

政治厨は愚民化政策だののたまうけど需要が無いか市場原理時間割いてないだけ

2024-10-25

親に捨てられて5年経った

私のことについて書きます

1.捨てられたきっか

まず、親に捨てられたきっかけは私のニート生活でした。ニート中は模範的深夜アニメゲームをしながら過ごしていました。ところが実家ニートを始めて1年ほどたったある日急に家から親が居なくなっていました。

急すぎる。

何も連絡なしに急に家から誰もいなくなってしまった。食べるご飯もなく、収入もない。これではどうしようもないので近くのネットカフェバイトに応募しました。そのすぐ後にアパート契約して一人暮らしを始めることにしました。

実家はあるからアパートは借りる必要がないと思われるかもしれないが一点だけ補足させてほしい。私の世帯構成は父母姉私の4人だが、そのうち家から突然出ていったのは母と姉である。すると、父と2人になるがこれは厳しいのです。元々、父のだらしなさが原因で夫婦関係が悪く、父は別居していました。しかし、母と姉がいなくなったことで父が実家にINしてくることになってしまった。父はだらしない人間実家に戻ってきたときには無職だったので、家に無職2人生活は耐えられないものがあります。だから、早く家を出ていく必要がありました。ニートニートを支えられない。

話を戻すと、家を飛び出した私は、アパートを借りてバイトではあるが収入を貰い自立した生活を始めることになりました。収入は少ないが、1人だから生活管理できることが何よりも楽だし嬉しい。ニート時代では、収入を限りなく抑えるために外出をしなくなったし、友達と遊びに行くことを全くしなくなった。とにかくひっそり生きていた。

2.ニートの頃の生活

起床が大体お昼前、昼食は冷蔵庫から物を頂戴してよく自炊していました。そして昼食後から夕方まではオンラインゲームをよくしていました。夕方ごろになると姉や母が帰宅するので音を立てないよう仮眠していました。0時過ぎたころに寝静まるので、そこから深夜アニメゴールデンタイム。毎クールごとに時間割を作ってリアルタイム視聴して楽しんでいました。そして見終わると3時ごろで、またゲームを始める。ゲームに夢中になって朝日が昇り始めると就寝という生活をひたすら毎日続けていました。ニートの才能あり。

余談ですが、ゲームは原神という無料オンラインゲームプレイしていました。ニート始めたてのころは何をしていいかからニュースニート特集を見漁ると、ほとんどのニートが原神をプレイしていたから、それを真似して始めました。無料プレイできるのに遊べる要素が多くて、ありあまる時間をつぎ込んでもアップデートが来るため永遠と遊べました。ありがとう原神。

3.会社をクビになりニート

閑話休題そもそもニートになったきっかけは、会社をクビになったことです。大学卒業後、新卒会社に入ったが、あまりにも仕事ができないため3ヶ月でクビになりました。試用期間内正式に職を失った。ショック!仕事のできなさ具合の詳細は省くが、あまりにも仕事ができていないことは、自分上司、同僚からみても明らかでした。働かない方が人に迷惑をかけないで済むからという点で、働くべきでない人もいると思いました。それがたまたま自分だっただけ。入社1日目で自分辞めるなという予感がありました。仕事を始めて、環境がかわり精神的にとても不安定でした。実際に2日目には精神科を初めて受診して、仕事に行ったあとは病院に通う生活をしていました。こんなのじゃ働いて精神不安定にさせて、お金をもらっても結局病院代に消えて意味が無い。そう思って壊れて破綻してしまった。

4.さいごに

それでも、今はバイトを5年続けられていて、生活も低水準ながら維持できている。家族との縁は完全に切れているが、不安定な時期を支えられないなら関係性の修復をすることは今後ない。たかだか血の繋がりだけで、縁があるように見えるが、家族であっても得体の知れない他人だと思う。先日、戸籍を分籍して、一切の他人であることを公的にした。もう記憶からも無くなって欲しいので、断捨離としてこの文を書きました。

消えてなくなれ

2024-10-15

anond:20241014214011

個体差では?

自分もあれダメこれダメだったけど、どうしたらできるか?

親の前でできないなら親がいない時やるしかない

証拠隠滅考慮してどういう時間割でそれをやるか

失敗したのをやり直す時間は無いからどの時点でここまで出来なければ辞める、失敗しないように事前計画と準備と前提知識はしっかり頭に入れておく

とかやって親の目を盗んでやってたよ

2024-10-02

三四郎はそれなり寝ついた。運命与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京火事はこれで二へん目である三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか講義最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなもの白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師ちゃんとこっちを見ている。白紙丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。

https://anond.hatelabo.jp/20241002004712

 広田先生病気だというから三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、

「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである

先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である先生もすぐ起き直った。

「なるほど」と言っている。

「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから危険です」

 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。

「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」

「ええ、もうよろしい」

 三四郎風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。

「柿を買って来ました」

 広田先生書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

 三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分寿命わずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎蕎麦などを食う時のように、気がさえない。

 広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである

「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」

 三四郎は礼を述べて書物を受け取った。

寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生安心して柔術学士談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇悲劇として味わう余裕がない。ただ事実報道として読むだけである自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒はいたか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。

だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。

「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセント墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」

 これはハイドリオタフヒアの末節である三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。

 贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である三四郎はこれから曙町原口の所へ行く。

 子供葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのであるしかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである

 曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣きれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからいくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。

 玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。

 描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。

「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。

「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、

「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、

「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。

 それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しか足音はしない。

 静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間画家意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。

「また苦しくなったようですね」

 女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。

 原口さんは丸テーブルそばまで来て、三四郎に、

「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。

 絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから素人三四郎が見ると、なかなかりっぱであるうまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着人間でないとみずから証拠立てるだけでも三四郎風流である

 三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。

小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」

2024-10-01

anond:20241001232451

教育幼稚園の方がいいというのは時間割があって動くということか、、確かに

anond:20241001231949

保育園から幼稚園に移ったら退屈だったな。幼稚園には時間割があって、それに従って音楽時間工作時間、体育の時間なんかがあった。幼稚園なんて小学校と変わらない。

それにひきかえ保育園自由だった。まあ通ってた保育園モンテッソーリだったからかも知らんが。

2024-09-30

三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

2024-08-26

勝間さんのyoutube動画タイトル一覧取得したらすごかった

これだけのコンテンツを作り上げるのがただただすごい。。

誰かAIとかで類似トピック分類してくれない?

※chatgtp: YouTube動画タイトル一覧を取得して公開すること自体は、著作権法違反する可能性は低いです。

0.2% の改善趣味にしよう

1.8万円のWin11タブレットが意外とよい!!

100%の正解も間違いもない

100歳時代勝間式「人生戦略ハック100」の読みどころ紹介

10分後、10ヶ月後、10年後の結果をいつも同時に考えよう

15cm四方以上のものを買うのはスーパー慎重になろう

15秒以内に開始できないことはまずしない

15年ぶりの引越しでわかった、買ってはいけない負債となる家具家電ワースト3

1日1万歩歩くことの本当の意味理解する。それは、こまめに動く習慣がついているかどうかの指標です。

1日3分続けられるのは超すごい。運動でも、読書でも、食事でも、短時間でもずっと続けるほうが効果が高いです。

1週間に1日位は自分を甘やかす日を作ろう。あまりガチガチ目標に向かって邁進したり、自分節制し続けると、返ってバランスを失う恐れがあります

1週間に半日自分ミーティング時間を設けよう

3Dプリンターもの発注してみよう

3ヶ月使わなかったもの原則処分をしよう

5000円以内でチャレンジできるものはとりあえずやってしまおう

50代になってよかった3つのこと

50年間知らなかった、布団カバーの便利なかけ方

52歳にして、日傘に目覚めた話

53歳小柄女子勝間1000ccのバイク買います

55歳ぐらいからは、人生カウントダウン計画を立てよう

55歳にして初めて知った衝撃。寝心地の決め手は寝返りにあった。

5分前行動を徹底するための最も簡単方法

8月19日バイクの日。これからバイクに乗りたいと思っている人への応援歌

8時間睡眠のためには、9時台に寝室にいく習慣をつけよう

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AIに勝つためには運動機能を鍛えよう。ちょっとした動作については当分、人間のほうが優位です。

Amazon が急に土日に配送されなくなった人への対処方法

AndroidiPhone以上に便利にする方法

Audibleの聴きたい放題が最高すぎる。2022年1月から聴きたい放題に変更になりました。

BMI20未満にしない方が良い理由健康リスクは太ってるよりも痩せてる方が、はるかに高いことを知っておこう

Chat GPT質問相手相談相手として最適

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Google Chromeスペースキー活用が超絶便利

Google KeepはTo Do管理の必需品

Google Pixel6 Proはどんな人なら「買い」なのか。1ヶ月半毎日使った感想をまとめます

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KYとは、非言語情報の読み取りが苦手な人

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Kindleアプリ読書時間をこじ開けよう

Kindle書籍はどの端末で読むのがいいのか

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MECE(もれなく重なりなく)はなぜ重要

Mサイズは実は結構大きいので注意

PDCAサイクルの回し方のコツ

Pixel 7と Pixel 7a どちらが買いか

Pixel Fold使用1週間レビュー。予想よりかなりよかった!

Pixel6は無印とProどちらを買うべきか

Pixel7と7Proのレビュー。6より相当よくなりました。

Pixel8のファーストインプレッション

Q&amp;A これまでキャリアのない40歳女性が、同年代男性正社員並みの収入を得るためにはどうすべきですか?

Q&amp;A 勝間和代さん、1日何食とっていますか? 栄養バランススタイルキープのコツは?

Q&amp;A 勝間和代さん、人見知りの克服方法を教えて

Q&amp;A 勝間和代さん、使っている体重計を教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、まゆげの手入れはどうやっていますか?

Q&amp;A 勝間和代さん、お気に入りスマホアプリを紹介して下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、適切な買い物をするためのコツを教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、ふだんのネイルのお手入れ方法を教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、人前で緊張せずに話せるコツを教えてください

Q&amp;A 勝間和代さん、気の合う友達をたくさん作る方法を教えてください

Q&amp;A 勝間和代さん、どんな人とつきあっていけばいいか、教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、どうやったら、見栄っ張りな自分をやめられますか?

Q&amp;A 勝間和代さん、どうしたら、時間を守れる人間になれるでしょうか?

Q&amp;A 勝間和代さん、自宅でのヘアケアスキンケア方法を教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、ふだん、どのようにテレビを使っているか、教えて下さい

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Q&amp;A 勝間和代さん、仕事育児家事で忙しい中での目標達成方法を教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、スマホ1台だけで仕事をするのはどんなイメージでしょうか?

Q&amp;A 勝間和代さん、良い習慣を身につけ、悪い習慣を追い出す方法を教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、変化することが怖いのですが、どのように考えればいいですか?

Q&amp;A 勝間和代さん、イライラする事が起こってしまった後の対応方法を教えて下さい

Q&amp;A 勝間和代さん、隣の芝生は青いと、つい妬んでしまう心をどうしたらいいでしょうか?

Q&amp;A 勝間和代さん、ヘルシオホットクック、どちらか片方だったらどっちを買えばいいですか? また、型番は何を買えばいいですか?

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Q&amp;A 勝間和代さん、就職や転居のように失敗リスクが高い決断については、たくさんの試行錯誤ができないのですが、どのように考えればいいか、教えて下さい

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半年から1年かけてうまくいかなかったもの損切りしよう(訂正バージョン)。それ以上の時間を使ってもうまくいく確率は低いです。

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なぜお金配り系の SNS に反応してはいけないのか

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音声入力最新情報2022

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過度なやせ願望に注意

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信頼こそが加齢の味方

信号をすぐに渡るな

空腹は判断を間違える

建設的な先送りの勧め

外食は迷ったらパスタ

暇ならばマメになれる

普通から脱却しよう

悪い自分を見捨てない

許せない相手の許し方

初めて買うものはほぼ100% 失敗する。だからこそ、そこから学習することが重要

古いスマホは売らずに2台持ちにしよう

無意識掃除を実現しよう

から親切にされるコツ

細切れ行動蓄積のすすめ

少食は行動力を阻害する

根気の正体は体力である

ドライブ読書は最高!!

使える道具は全部使おう

美容整形功罪について

妖怪「出不精」の退治法

レシピから抜け出そう

天気予報は風速も見よう

音声入力人生を変える

サボりぐせの乗り越え方

怠けたい心が変革を生む

イチゼロ習慣をやめよう

気が散りやすいのも才能

情報クッキングのすすめ

体力はすべてを解決する

不安能力を低下させる

最高効率幻想を捨てよう

ライフログで身を守ろう

寝具にはお金をかけよう

ギリギリは頭が悪くなる

会話泥棒に気をつけよう

上手な利他力発揮のコツ

風呂は最高の瞑想場所

適切なムダは人生必要

寝室は静かでなくていい

1日1やめ運動のすすめ

脅す人には注意をしよう

目標を追い求めすぎない

わが道を行く最大のコツ

損切りをする3つの技術

歯磨きは歯間磨きが主役

楽しくなければ学べない

時間割引率の引き下げ方

健康にも完璧求めない

試せることは全部試そう

遊びこそが最高の脳トレ

自動運転プロパイロット2.0で気ままな全国旅

私達は自分の実力よりも2割ぐらい自信過剰だと思うとちょうど良い

アドバイスとクソバイス3つの違い

勝間和代の、キャリアは5年かけて、強みを活かす仕事100%状態まで持っていこう。そうすれば、短時間労働になるし、収入も上がります

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猫に圧倒的に好かれる Permalink | 記事への反応(3) | 14:37

2024-08-14

SideM 9thライブを見たら入学辞退したはずの大学院に入りたくなった話

ちょうどアイドルマスターSideMの9thライブ2日目から一か月たつわけですが、

一か月もたったらこ気持ちも落ち着くかな?と思っていたのにあまり落ち着かなかったので折り合いをつけたくて文字に起こしてみることにしました。

長いし、読みにくいし、自分の恥ずかしい話をする感じの日記です。

3か月ほど前のこと、わたしはせむPだったので、「2日目せむ揃ったのか!!現地はもう間に合わないので配信見るぞ!!」という気持ちで日々を過ごしていた。

そして時は流れ9th直前の金曜日仕事でどうしても納得できないことがあり、

2024年はいってからずっとバタバタしてるし、その上先輩へのモヤモヤチリ積もで無視できなくなってきたしで珍しくめちゃくちゃ落ち込んでいたわたしは、とにかくこの配信を楽しみにしていた。

なぜなら、SideMの曲ってものすごく元気になるから

ライブは本当に良かった。

当時せむの最新CDは未発売で、あえて視聴も聞かないようにしていたので、Life’s Side Menu!の衝撃はすごかった!せむってこれだよな~~~~~

そんなこんなでライブも終わった頃、自分が思っていたより元気になっていないことに気付いた。

当然、SideM摂取したはずなのになぜ……という思いがぐるぐると渦巻く。

かに子どものころアイドルになりたかたこともあるよな…なりたかった気持ちを思い出しちゃってセンチになったのかな……うーん。

もう寝ようかという頃、ある一曲が引っ掛かっていることに気付いた。

それが『Eteniteen Age!!!/S.E.M』である

特にこのフレーズ

『今になって やればよかった なんて思うこと やろうよ一緒に』

これをきいて無意識のうちに「今になってやればよかったと思うこと」がジワジワと心に染み出してきていたことに気付いた。

アイドルになりたかったとか、お笑い芸人にもなりたかったんだよなとかいろいろあったが、その最たるものがまさに大学院進学だったのだ。

最近しんどいし、やっぱり本格的に大学院戻りたいかも……

でも辞退した身で、就職して2年目となり権限付与された身、いまさら戻る決心もできず、

あと後述のとおり先輩へのモヤモヤで院進から逃げたのに職場の先輩のモヤモヤで院に戻りたいなんて、お前はまた逃げるのか???となり、

とにかく自分選択が正解であったことを確めるためにとにかく一か月間いろいろ考えた。

それはつまり、なぜ院をやめて就職を決めたのかを振り返る時間だった。

〇この日記はつまり、振り返ったことを整理したいというのが主な目的です。

大学入学したばかりのころは、当然院に進学することまでセットだと考えていた。

しかし2年のときコロナウイルスが突然猛威を振るい、外出自から映像授業で完全に家に引きこもらざるを得なくなった。

1年の頃はあんなに時間割詰め詰めで忙しかったのに、急にあまりにも時間が増え、世の中が変わりすぎて漠然とした不安を覚え、そこでふと「公務員になりたかった」ことを思い出した。

小学生のころ、響きのカッコよさで国家公務員になりたいと思ったことがあったのだ。

あらためていろいろ調べてみると、合格したら3年(今は5年らしいけど)は有効なので、「学部合格しておけば院いってから就活楽じゃん」と安直に考え、学部4年で受験することを決めた。

2年の途中から、「実験科目は対面でないとどうしようもない」ということで少しずつ家を出る機会も増えたが、このころにはわたし公務員試験受験の決意は固まっていた。

また、この2年から3年にかけての実験授業で諸事情あって手が爆荒れしたので、もともと有機に憧れていたものの「実験系はやめよう」となり、もう一方で興味のあった物理系を志すことにし、研究室計算系のところを選んだ。

さて、この研究室先生も先輩も同期もみんないい人で居心地は大変良かった。

しかし、あまりの緩さに、というか、先生はきちんとコアタイムを定めていたが、月に1~2週間程度リモートワークで研究室にいなかったり、

当時M1先輩が若干先生のことをナメていて(個人の感想)平気で「コアタイム?ないよ」と言い放って午後5時に来たり(まあPCがあれば計算できるので100歩譲ってこれは良いとしても)、

週に1回ある、英語の本の読み合わせを頻繁にぶっちしたり、予習忘れたので変わってなどなどあったりした。

もともと夜型でなまけ癖のあるわたしは、3年の3月に配属されてから数か月この環境で過ごす中で、

「このままでは、わたしもああなってしまう……それどころか、もっと完全にダメ人間になって研究どころではなくなってしまう、、、、、、どうしよう」

と考えるようになった。(シンプルめっちゃ腹立った、というのも、もちろん考えたことあります。)

4年になってから研究したり、決意に沿って公務員試験も受けたり、(ちょっと教育実習も行ったり、)して過ごして8月になった。

わたしの通っていた大学の前期の院試8月下旬なので、このころはちょっと研究スピードを落としながら試験勉強をしていた。

大学受験みたいに(まあもちろん過去問とかはありますが)問題集が充実してるわけじゃないので、手探りで不安になりながら勉強している中、

いつものように遅刻をキメる先輩を横目にみていると「このまま院に行ったところで、わたし大丈夫なのか……???」という気持ちがどんどん強まっていく。

また、院試が近付いてきたときに親からかかってきた電話で院の話をしたときに「お金は?また奨学金借りられるんだよね」という話もされた。

まあ、もちろん院でもいったら奨学金を借りるつもりだったが、本格的にお金のことを考えると、また借金が増えるのか…

そういえば高卒就職した妹はもう貯金3桁あるって言ってたな…ゔ、頭が……という気持ちにもなった。

そしていよいよ院試まであと1週間ちょっとというところで、公務員一般職合格発表があった。

と思った矢先、某省庁からいわゆるスカウト電話がかかってきた。

もともと院を卒業したら入りたい省庁だったのもあり、「運命では!?」と思い、ほいほい説明会に行った。

とはいえ、院に行くことを第一に考えていたため、院試も受けた。

このころの時系列としては、

 某省庁の説明会に行く → 院試 → 某省庁面接から内々定 → 院試合格

8月下旬という短い間に、わたしはいきなり二つの選択肢を手に入れてしまったのだ。

ここから半年間、わたしはとにかくいろいろ考えた。

(いろいろではなかったかも、前述のダメ人間になるか否か・お金問題をどうするか・わたしがやりたい仕事はなにかの3点が主です)

結果、いったん就職して、先輩から逃げ、規則正しい生活を手に入れ、お金を稼いで借金を減らすことを決意した。

10月内定式ときの人事課長の「皆さんが4月に来る準備を、我々一同進めていますからね」という言葉に、ここで辞退したら迷惑かけるなという気持ちにさせられたというのもある。)

就職した今となっては、生活リズムは整ってるし、きちんとご飯規則正しく食べるようになったので大学のころは痩せすぎて頬がめっちゃコケてたのがマシになってちょっとだけ鏡見られるようになったし、貯金ちょっとあるし、転勤族になったのでものも減らすようにしてすっきりしたし、いいことばかりではある。

でもやっぱり、今になってやればよかったって思うこともあるなって、SideM 9th ライブを見て思い出した、というところに戻る、というわけです。

2024-08-13

anond:20240813110903

俺の友達遅刻癖あるけど普通にいい奴

悪口言わない嘘つかない見栄張らない威張らない

でもあいつと仕事だけは絶対一緒にしたくないと思う

そいつと他の5人で大学受験一緒に行った時も集合場所に遅れてきた

他の奴らそいつ遅刻癖知らなくてめちゃくちゃ怒ってた

結果は俺以外全員落ちて、卒業までそのことでずっと擦られてた

浪人して俺と同じ大学に入ったけど、待ち合わせすると必ず遅刻してた

新卒で入った会社を1年で辞めて教育大入り直して、今は小学校先生

辞めずに務まってるのは時間割のある仕事が逆に合ってるのかもしれない

でも課外活動の集合時間なんかには相変わらず遅刻してるんだろうなと思う

2024-07-12

ラジオ英会話、暗記すれば英語喋れるようになるって見て頑張っているが全然暗記できない

当たり前だが暗記しても次の日は忘れてたりするので1週間はかけないと暗記したとは言えないし他の日のもの並行して覚えなきゃいけないし

15分で暗記できるわけないから数時間割かなきゃいけないし、そもそも話の流れも覚えられない

日本語でも次何言ってたっけ?となる

そのくらい本腰入れて勉強しないとダメなんだろうけどそんなに時間毎日取れるわけじゃない……

2024-07-04

>「女性が無言で立ち去ろうとしたので押さえつけたりどなったりした」

この女が!俺が忙しい中時間割いたのに無言で帰ろうとしやがって!何様のつもりだ!ふざけんなよ女風情が!

やっぱ50代になると狂うんだな。

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