8月20日にどえらいことが起きる!
そう予告していましたが、起きましたね。
これです。
爆弾発言。
「万博リングは犯罪だ!」
プリツッカー賞といえば、新国立競技場問題以来ですよ。
このときに、プリツッカー賞受賞者である槇文彦先生、伊東豊雄先生らが、
新国立競技場の問題の原因であるコンペ審査員ぼ安藤忠雄さんに疑問をもった。
プリツッカー賞VSプリツッカー賞だったんです。
建築エコノミスト 森山高至『新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 3』新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 1新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 2新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 4新国立競技場…ameblo.jp
プリツッカー賞というのは建築のノーベル賞といわれるほどの権威であり、
プリツカーというのは人の名前です。
これは1979年にハイアットグループの総帥ジェイ・プリツカーさんが始めたものです。
1979年 フィリップ・ジョンソン (1906–2005)
1980年 ルイス・バラガン (1902–1988)
1981年 ジェームス・スターリング (1924–1992)
1982年 ケヴィン・ローチ
1983年 イオ・ミン・ペイ
1984年 リチャード・マイヤー
1985年 ハンス・ホライン
1986年 ゴットフリート・ベーム
1987年 丹下健三 (1913–2005)
1988年 ゴードン・バンシャフト (1909–1990) オスカー・ニーマイヤー
1989年 フランク・ゲーリー
1990年 アルド・ロッシ (1931–1997)
1991年 ロバート・ヴェンチューリ
1992年 アルヴァロ・シザ
1993年 槇文彦
1994年 クリスチャン・ド・ポルザンパルク
1995年 安藤忠雄
1996年 ホセ・ラファエル・モネオ
1997年 スヴェレ・フェーン (1924–2009)
1998年 レンゾ・ピアノ
1999年 ノーマン・フォスター
2000年 レム・コールハース
2001年 ヘルツォーク&ド・ムーロン
2002年 グレン・マーカット
2003年 ヨーン・ウツソン (1918–2008)
2004年 ザハ・ハディッド
2005年 トム・メイン
2006年 パウロ・メンデス・ダ・ロシャ
2007年 リチャード・ロジャース
2008年 ジャン・ヌーヴェル
2009年 ピーター・ズントー
2010年 妹島和世 西沢立衛 (SANAA)
2011年 エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ
2012年 王澍
2013年 伊東豊雄
2014年 坂茂
2015年 フライ・オットー
2016年 アレハンドロ・アラベナ
2017年 RCRアルキテクタス
2018年 バルクリシュナ・ドーシ
2019年 磯崎新
2020年 イヴォンヌ・ファレル シェリー・マクナマラ
2021年 アンヌ・ラカトン ジャン・フィリップ・ヴァッサルス
2022年 ディエベド・フランシス・ケレ
2023年 デイヴィッド・チッパーフィールド
2024年 山本理顕
その、本年の受賞者が山本理顕さんなんですね。
私など昭和40年代世代が建築学生時代に格好ええと思っていた若手建築家のお一人。
山と本はそのまま読めるんです、やまもと、と。
理と顕はどう読んでいいのかわからなかった。だから、りけん、と読んでいた。
りけんさん、と呼んでいた。
この「理」と「顕」はどういう意味かわかりますか?
理は、小学校の学習課目にも入っている「理科」の理です。
高校では「物理」として出てくる。
大学では理工学部として使われ、理系文系とも呼ばれる。
「理」は訓読みの日本語では「ことわり」と読みます。
これは物事の筋道という意味です。
宇宙の根本という哲学的意味もある。
自然の仕組みを学ぶのが理科ですね。
元々は玉を磨いて浮き出る筋目のことから来ている。
「顕」は普段はめったに使わない言葉、しかし顕微鏡の顕ですよね。
はっきり見えるようにする、あきらかにすることです。
可視化する、神が現れることを指します。
つまり、理顕とは、ことわりをあきらかにする。
ものごとの筋道を明示する、大きくは宇宙の根本が顕現することを指します。
すげえ、スケールの大きな話なんですが、山本理顕さんとは名が体を表す、まさにそういう建築家です。
これ、私が始めて理顕さんの作品として知った、有名な家なんですが、家の平面図です。
いわゆる間取りです。
これが?間取り…。
って思いません?
家の平面図といえば、全体が壁で囲われていて、その中を仕切ってある。
八畳間とか六畳間とか、間を取る、だから間取り。
普通は、家の間取り、平面図といえば、こういうものをイメージしますよね?
理顕さんの、「山川山荘」はこの外側の囲みの壁がないんです。
しかも、部屋が箱状に並べてある。
こういう平面図
なに?これ?マレービッチ?ていうよな、ミニマルアート。
もし、機能別に色分けしたら
モンドリアン?ミニマルアート?ていう感じになる。
抽象絵画というかダイアグラムというか、モダンアートのような平面図。
なのに、この家は「山荘」と名付けられるくらいに、山荘山荘しているんです。
こんな感じに。
あれ?
案外、自然。
自然というか、民家の様相。
屋根があって、白壁があって、縁側があって、という。
篠原一男や白井晟一、高須賀晋を彷彿とさせるような、古民家の現代化のようなプリミティブな「家型」
しかし、その屋根の下は、
またもや、現代美術。
家を構成する梁や柱が見えない。
焦げ茶の天井と床の間に散らばるホワイトキューブ。
自然の中に建つ、現代美術的空間。
この外から白い柱とみえた部分、ポリスボックスみたいな部分は収納。
縁側みたいな部分は吹きっさらしの床。
なんだ?これは?と
これは、果たして家なのか?
でも、見れば見るほど家だしなあ、と。
虫とか、動物とか、鳥とか平気で屋根の下に入ってくるじゃん、
まあ、屋根の下ってだけじゃ外とはいえないんだけども、
風も、多少の雨や雪も吹き込んでくるじゃん、
これどうなん?海の家、というか山の家。
しかし、内部はあるのか?というと、内部はある。
でも、この内部空間は屋根の下の白い箱の部分なんですよね。
外部と内部が二転三転している。
「家って何?」と考えさせる、哲学的な作品です。
家と言われれば、非常に始源的な家。
必要な空間はすべてそろっているのだけど、それはバラバラで、しかし繋がっていて、
抽象的な箱のはずなのに、深い軒をもった大きな屋根の下で、空間も人も統合されて、集まっている。
なんという、構成力なんでしょうか?
ひとつひとつの構成要素が独立しながら寄り添って、
観測するもの体感するものが、どのポジションにいるかによって様相が変わってくる。
完全に固定された恒久性をもった建築という強固なオブジェクトなのにも関わらず、
自然の中におけるインスタレーションとかパフォーマンスアートのようなものに変容している。
単に、見た目のかっこよさとか、専門的な解釈の妙技ではなく、具体的な建築なのに、
いくつもの両義性をもった芸術に仕上がっています。
この家は夏の間しか使われない「山荘」であるところがミソで、
理顕さんはこの建築が発表された新建築で、以下のように書いておられます。
ここには不意のお客さんもこなければ、ご用聞きも新聞配達も牛乳屋さんもヤクルトのおばさんも、そしてセールスマンも近所の奥さんも尋ねてはこない。山荘とか別荘はあらかじめ外部とは隔絶された場所としてある。もしさまざまな部屋の性質が外部との関わりによって決められるものであるとすれば、ここには外部と関わるための場所のない、つまりあらゆる部屋は内部の者だけの同質の場所だということができる。だからそれぞれの部屋の結合因(結合の原因、関係)を説明することは不可能なのだ。用在的機能だけがあればいい。それが結びついていようとバラバラに離れていようと、どこにあろうとどうだっていいことなのだ。 (新建築1978.08)
つまり、「これでいいのだ」ということなんですね。
理顕さんは、
説明しない、と言ってます。
いや、むしろ、この建築の存在こそが、理を顕している。
宇宙の中の自然の摂理とそこに住まう人の理屈を極限的に表現しています。
にも関わらず、極限的な緊張感や苦痛を与えない、優しい空間、考える空間、答えではなく問いを発する空間です。
これが、山本理顕なんです。
というものが、ほぼ最初の仕事。
普通、ここまで凄えの作ったら、これで一生の作品、建築家としては終わりなんですけどね。
むしろ、ここから始まります。
つづく