コメント
橋下市長について
http://togetter.com/li/251181
勿論単なる点数稼ぎの可能性もありますし、「実際に」これから何を行うのかを厳しく監視していく必要がありますが、レスポンスの速さや行動力についてはもう少し評価されても良いのではないかと思います。
政治家当人というよりも
「非正規」で橋下に投票する人って、自分の(だけじゃなくて他の非正規雇用の人の)首を自分で絞めながら「自分たちが苦しいのは公務員のせいだ」なんて言ってたりするんですよね。
民主主義社会において、少なくとも投票分の責任は当然ある。
それは「非正規だから」といって免責されるものじゃない。
ポピュリズムが横行するのは、何より「市民がバカ」だからなんです。
(「市民はバカ」ではありません。それでは諸外国に失礼です。)
ところで、私の考える「阿久根の竹原氏」と「宮崎の東国原氏、尾張の河村氏、横浜の中田氏、江戸の石原氏、そしてなにわの橋下氏」の違い(竹原氏以外は失脚ではないので、私ならここで分けます。退任した人でもいまだに当選する/させる力があります。)は、
「阿久根市の民度の高さ」と「それ以外の地域の民度の低さ」
だと思っています。
阿久根市は、その民度の高さで、「選挙によって」竹原氏を失脚させることに成功しました。
新幹線行政で衰退しつつある九州の一地方都市。
「『絶対に失敗できない』という真剣さ」が、市民の民度を高めたと私は考えます。
翻って大阪は「一度やらせてみよう」「現状を壊してくれればいい」。
真剣度の違いは一目瞭然。失敗してもいいってんだから。
この「ヌルさ」が、市民の民度を下へ下へと押し流す。
「経済足りて人権足りる」ってのは、半分ウソだと思います。
阿久根市のニュースを「全く田舎は~」などと笑っていた大都市のお茶の間のみなさんよ。
俺からしたら、お前らの方がよっぽど笑えるぞ(いや、本当は笑えないぞ)。
「東京・大阪・名古屋の市民は、阿久根市民より民度が低い」
三大都市に住む一人一人がこの事実を認めない限り、ポピュリズム政治は延々と繰り返されるでしょう。
はじめまして。
長文になりますが、ご参考までに読んでいただければ幸いです。
ご紹介のTogetterはわたしも拝見しました。Kさんの頑張りには敬意を表しますし、この件での橋下市長の迅速な対応は評価すべきだとわたしも思います。もちろんこの「対応」が実際に実を結ぶかどうかという事は、注視していかなければならないです。
わたしはこの件が「点数稼ぎ」でも別にかまわないと思います。市長に下心があろうがなかろうが、それで今まで見過ごされてきた問題が解決し、院内学級がもっと幅広く普及すればそれでいいと思います。
基本的にはこのお話は「いいお話」として受け止められていますし、そうすべきなのでしょう。「水を差す」べきではない、という事は理解しているつもりです。
ですが、ですが、です。
ここで評価すべきは「レスポンスの速さや行動力」ではないように思います。今回はたまたまその早さが良い方に向かいました(正確には向かいつつあります)が、それが常に良い方に向かうとは限らないわけです。ものすごいスピード感は認めます。ですがそのスピード感で何かを破壊することも可能なわけです。破壊は一瞬ですが、それが間違いだったと分かった時というのは既に幾ばくかの犠牲が生じた時です。そして再建には多くの時間とコストがかかります。その危険を回避するためには、スピード感は落ちても多くの人の眼によってチェックされ、検証されることが必要になると思うのです。
それは「誰がやっても同じようにできる」ために必要な事です。今回の件は繰り返しますが、良い方に話が向かいつつあります。ですが行政はこの一時限りのものではありません。これからもずっと続いていくものです。「橋下市長でなければできない」というのは行政の施策としては欠陥なんです。橋下市長はいずれいなくなります。国政へ転身するか否かという話ではなく、寿命のある人間である以上、いつか誰もがいなくなります。いなくなった時に「同じこと」ができなければいけないのです。それが「システムを作る」という事なのです。「マニュアル対応」というとよくないイメージが付きまといますが、マニュアルに従えばだれでも一定水準の事ができるというのはとても大切なことなのです。受け持つ人によって行政やサービスの対応水準が左右されてしまうのは、法の下の平等に反しますし、それを逐一是正する社会的コストが爆発的に増大します。
橋下市長のスピード感は凄いです。ですが、速度は速度でしかなく、それ自体の正しさを証明しませんし、彼個人の能力に頼った行政というのは、彼がいなくなった時に破綻をきたす可能性が高いです。そしてスピード感を重視するあまり、チェックが働かないというのはやはり危険なことなのではないかと思うのです。なぜならたとえ良い事と思えても、その実現が、他に悪影響を及ぼさないか、検証することは絶対に必要だからです。スピード感はその検証をすっ飛ばしてしまう危うさを常にはらみます。
繰り返しますが、今回の事はよい方向に向かいつつありますから、橋下市長の行動は評価しますし、院内学級の整備はぜひ迅速に広範に進めてもらいたいです。その上で、わたしが引っかかっているは2008年の10月のある出来事です。大阪府知事時代、橋下氏が私学助成の削減を打ち出したとき、それに反対する私立高校の学生たちとの意見交換会がありました(その詳しい内容はこちらを参照ください。橋下氏に批判的なブログの記事ですが、末尾の主なやりとりは客観的なものと思います→http://os7.biz/u/bfx3T)。
結論から申し上げますと、橋下知事(当時)は高校生たちの陳情を拒否しました。「自己責任だ」「国を変えるか国を出るしかない」「あなたが政治家になってやってください」といったように、全く取り合わなかったわけです。
今回の「美談」を見るにつけ、彼らとKさんとの「違い」はなんだったのかと、考え込んでしまうのです。涙ながらに橋下氏と必死のやり取りをした彼らの事を思うとき、今回の「美談」を素直に受け取ることができません。ちなみに後に「国の政策として」高校無償化が決まった時、橋下氏が彼らに謝罪したという話はありません。
多分キーポイントとなるのはKさんが「成績優秀」だった事でしょう。橋下氏と意見交換をした高校生たちは、必ずしもそうではなかったようです。つまり橋下氏は「難病にもかかわらず並外れた努力によって優秀な成績を修めた」という、「美談」にこそ心を動かしたのではないかという推測が成り立ちます。
もちろんそれはそれで結構なことです。多大な努力をして良い結果を出した人が相応に評価されるのは正しい事です。ですが世の中で困窮している人すべてがよい結果を出せるわけではありません。そうでない人が大多数です。その人たちに橋下氏はKさんと同じように手を差し伸べてくれるでしょうか。少なくとも2008年10月の時点ではそうではありませんでした。
つまるところ橋下氏が今回したことは、「優秀な人間は救う、それ以外は知らん」という事でしかないのではないか。もっと言えば、「市長個人の歓心を買い得た人間は救い、そうでない人間は救わない」という事でしかないのではないか。それは「救済がほしければ市長の歓心を買え」というメッセージであり、人治主義の極致と言えます。市長個人の「お情け」で、社会における扱いが左右されることなど、上記したようにやはり問題があると申し上げざるを得ません。
そしてそれは困窮し救済を求める人たちに「努力しろ。現にKさんという実例がいる。結果を出せないのは自己責任だ」と、行政が言い放つことを可能にします。さらに言えばKさんという非の打ちどころのない成功例を盾に批判を封じることもできるでしょう。問題はそれでいいのか、という事なのです。わたしは、いいとは思えません。
「僕ら政治家は大きなことを言うが、このK君を救えないなら政治なんか要らない」
橋下市長はこの件に関してこう言ったそうです。
では、2008年10月のあの日、高校生たちを救えなかった、それどころか泣かせて追い返したあなたは一体何だったのか。橋下知事にはそう問いかけたいです。わたしが「水を差す」無粋を自覚しながら、この件に関して橋下市長への疑問を抱かざるを得ないのは、こういった理由によります。繰り返しますが、スピード感は認めます。Kさんの願いをかなえるために市長には全力を尽くしてほしい。ですが、スピード感には危うさが付きまといますし、救われる者と救われない者の差が「政治家個人の歓心の有無」だとしたら、やはりそれは問題だと、わたしは考えます。
もちろんこれを機に、橋下市長が個々の住民の痛みに寄り添い、その回復と救済に全力を尽くす(そしてそれを民主的な手続きに沿ってしてくれる)市長になってくれれば、当方としても言う事はありません。
長文大変失礼しました。
junaさん、そして秋原さんにお礼とお詫びを申し上げます。
橋下徹の現実認識―日本は、公務員組合が支配している
橋下氏のツイッターに次のような内容がありました。
「教員組合が文科省を押さえているから。大阪市役所の組合が幹部を押さえているのと同じです。文科省は教員組合に完全に牛耳られてしまっている。教員組合とバトルしてでも日本のために真の教育改革をやろうとする気概がない。日本全国、公務員組合の支配下。これが現実です。」
>jeanvaljeanさん
垂れ込み部屋4でこのバカ殿妄想に観測霊さんが容赦なく突っ込みまくってくださってますよ^^
観測霊さんへ
ご指摘頂いた「個々の能力に依存し過ぎるシステムは脆弱である」と言う点については同意です。ただ、今橋下さんが何より実行しようとしているのは、「システムの構築」以前の「破壊的な」構造改革であり、この改革手法自体をルーチン化するのはかなり難しいように思います(劇的な改革か、漸次的前進か、と言った論点も必要かもしれませんが)。また、維新の会の国政進出も噂されていますが、少なくとも一定の結果が出るまで一過性のものにしないと言う心積もりもあるように思います(ついでに、改革には当然痛みも伴いますが、差し引きプラスになる限り、彼は躊躇なく実行する筈です)。
それと後半についてですが、ここからは完全に自分の憶測ですが、橋下さんは「各々がどれだけ努力しているか」を大きな評価基準にしているように思います。2008年の出来事に即すなら、
「困難な状況でも勉強を続けようとするK君」 > 「経営努力を怠る私学(を潰すこと)」 > 「その私学への進学を希望する学生」
と言った感じのように思います。
本筋からずれますが
既に竹島が武力で奪われ現在も武力部隊が駐屯している事実をご存じないのですか?
この事実を知っていればとても妄想などとは言えないと思うのですが
>逸郎さん
これで韓国が攻めてきてとの戦争になると本気で思ってらっしゃるとすれば、やっぱりそれは妄想です
>秋原葉月様
とは言えません
ことさら国内の危機感を煽ったり周辺諸国との緊
張感を高めることが得策とは思いませんが、他国
に攻められる可能性を「妄想」の一言で片付ける
のは強引すぎではないでしょうか
日本が再び軍国主義化したり他国に侵略戦争を仕
掛けることのないよう監視・警戒するのが大事なのと同じくらい、日本との間に領土問題を抱える
国が軍事的行動をとることがないよう警戒し備え
ることは大事だと思います
事実関係を無視して妄想の一言で異論を押さえ込
むのが許されるのなら
「橋下はファシストなのだ」
という話もそれこそ妄想で片付けられてしまうで
しょうね
長文にもかかわらず、当方のコメントを読んでいただいてありがとうございます。
〉 今橋下さんが何より実行しようとしているのは、「システムの構築」以前の「破壊的な」構造改革
そうですね。市長自身が「破壊者」を自認しているかどうかはわかりませんが、そこに意義を見出しているのはほぼ確実だと思います。
〉 改革には当然痛みも伴いますが、差し引きプラスになる限り、彼は躊躇なく実行する筈です
その果断さが支持を得ている要因なのでしょうね。ですが、その果断さ=スピード感ゆえに、「差し引きプラス」という判断が果たして妥当なのか、市長個人の価値判断に過ぎないのではないか、という疑惑は常に付きまといます。
〉 完全に自分の憶測ですが、橋下さんは「各々がどれだけ努力しているか」を大きな評価基準にしているように思います。
わたしも市長の判断の分かれ目については憶測でしか申し上げられませんが、努力の量は単純に比較できないはずです。多大な努力が必ずしも良い結果に結びつくとは限りません。私立高校の生徒さんたちが、Kさんほど努力をしていなかったかどうかは証明が不可能です。ですから判断基準が”努力”であるとするなら、「Kさんはものすごい努力をしていて、私立学校の生徒たちはそうでもなかったんだろう。だから結果に違いがでたんだ」という極めて主観的で不透明で曖昧な線引きがされたと言えるのではないでしょうか。
念のため、Kさんの努力を疑うわけではありませんし、Kさんが良い成績を修めたことについては、大変すばらしい事だと思います。
ちなみにわたしの場合、Kさんが優秀な成績を修め、私立高校の生徒さんたちが「学力的な制約から」私立学校に行かざるを得なかったという点を比較すると、橋下市長の評価ポイントは“努力”ではなく“結果”ではないのか、と推測しています。ですからもしKさんが優秀な成績を修めていなかったら、橋下市長の対応は同じものだったろうかと、わたしは少し疑っています。
〉 「困難な状況でも勉強を続けようとするK君」 > 「経営努力を怠る私学(を潰すこと)」 > 「その私学への進学を希望する学生」
ひとつ付言しますと、2008年10月の意見交換会に出席したのは当時私立高校に在籍していた生徒たちです(進学を希望していた生徒ではありません)。彼らは在学中に学費が上がることで、家計における財政計画が苦しいものになる事を訴えていました。要するに在学中に学費があがるなんて話が違う、これでは卒業までの学費が払えなくなるかもしれない、というのが私立高校生たちの訴えだったわけです。
さて「経営努力を怠る私学」を潰すためにそこに通う生徒を財政的に危機に追いやるというのは、正直に申しあげて、下衆の所業としか思えません。そもそも私学助成は私立学校に通う生徒たちに質の高い教育(公立学校と同等のもの)を提供するためのものです(参照:文部科学省ホームページ「私学助成の充実」http://os7.biz/u/r74ah)。公立学校だけではすべての子どもを受け入れられないという現実があり、私立学校があってこそ公教育が成り立っているという事情もあります。
私立学校の中に経営努力を怠り教育の質が悪いところがないとは言いません。ですがそういう場合、自治体や文部科学省がすべきことは、私学助成を削減して生徒たちの家計を圧迫する事ではなくて、教育の質の向上を児童の学習の権利と、児童福祉の観点から学校側に指導・監督する事でしょう。財政的に締め付ければ学校が経営意識に目覚めるだろうというのは、一面的にはそうかもしれませんが、経営意識の表れが生徒たちにとって良い形で現れるとは限りません。そのために生徒が犠牲になる、極めて筋の悪い方法だと思います。
もし橋下知事(当時)がそのような意図を持っていたとしたら、わたしは改めて彼を軽蔑するでしょうね。
これまた念のためですが、これはjunaさんに対する非難ではありません。あくまで橋下氏がjunaさんのおっしゃる通りの意図を持っていたと仮定した上での、わたしの橋下氏への批難ですので、ご了承ください。
観測霊さんへ
TV等で橋下さんは度々「最終的には自分が決断し、その責は全て自分が取る」と明言しております。万人が納得するような解が(恐らく)存在しない以上、個人の価値判断に委ねられてしまうのはある程度已む無しかと。日本の「失われた20年」は決断して来なかった20年でもあるが故、多少の乱暴さがあっても何事にも素早い断を下す橋下支持が広まっているのではないでしょうか。
また極論になりますが、「全ての人達が等しく高等/大学教育を受けられるようにすべきか?」と問うた場合、リソースが限られているとの理由で彼はNoと答えそうな気がします。万人を救うべきか、それとも効率の良いところから優先的に改善していくべきか、この点については橋本派/反橋本派の溝は永久に埋まらないかもしれませんね。
それにしても、例えばこのブログでは橋下さんを批判するにしても、彼のどの政策がどう言う点で問題なのかはっきり明示された上できちんと議論がなされているのに、どうしてマスメディアに出て来る反橋本派(例えば香山リカ氏)には殆ど感情に訴えるだけのようなレベルの低い人しか居ないのでしょうか。
秋原葉月様
んて言ったらふつうは笑われます。
辺境領土のもめごとで戦争になった例は枚挙にい
とまがありません
秋原様相手にこの言葉を使うことになるとは思
てもみませんでしたが、フォークランド紛争とい
う「歴史に学んでください」
近代国家たる英国とアルゼンチンが南米の最南
端、まさに辺境のフォークランド諸島を巡り戦争
となったのはほんの30年前のことです
歴史認識の違いから両国が長年その島の帰属を巡
り対立していたことも竹島と似ています
もっとも別に武力で竹島を奪い返すべしとかそう
いうことを言いたい訳ではなく、辺境領土をめ
ぐって戦争は起こりうるという一例を挙げたまで
ですので誤解なきようお願いしたいです
現に竹島は武力で奪われ、世界を見わたせば辺境
のちっぽけな島をめぐり戦争となり、日本の領土
である尖閣諸島を我が国の領土であると主張する国がある
この現実を見ていながら
>「中国と韓国が攻めてくる!」並みのバカウヨ
妄想ですね。
などと妄想と片付けてしまっては逆に笑われてし
まいます
>TV等で橋下さんは度々「最終的には自分が決断し、その責は全て自分が取る」
>と明言しております。
で、責任の取り方ってどういうものですか?
橋下さんは、府知事時代に、財政赤字を前知事時代に比べて約倍増させ、
税収を減らし、
WTC全面移転計画を頓挫させて、府の財政に大損を与えました。
地震に弱い地盤にあるため、あの場所が不適格であることは散々指摘されていたのに、
橋下は、最終的に決断した結果、その指摘を無視してWTCを買収、結果はあの有様です。
でも、橋下は、府政を途中で放り出して、なーーんにも責任を取っていませんよ。
結局、
彼にとっては責任と取るとは、選挙で勝つか負けるかということであって、
選挙で勝ちさえすれば、全てはチャラってことじゃないですかね。
それが民意ってことで。
追伸
手紙をすぐに来れたからってぐらいで、
感動するのもいいですが、
それは、本当に院内学級を作るまで保留しては
いかがでしょうか。
それにあの話のソースは彼の腹心の部下発ですので、
いかにもって感じですね。
>逸郎様
鬼畜旧日本軍閥が中国や朝鮮半島へなした、非人間的な歴史的蛮行である“侵略戦争”(南京大虐殺などの大量殺戮、従軍慰安婦、韓日併合など非人間的植民地支配など)の償いのほんの微々たる一部として、中華人民共和国様には、“尖閣諸島”を…、韓国様には、竹島を進呈し平和共存を目指すべきです。
秋原さんのご指摘通り、何の根拠もない『どこどこが攻めてくる…。』というのは、妄想なんですよ…。中国や韓国との経済的な深い関係を無視した暴論です。無用なるナショナリズムを煽り立てる程、無利益で愚かなることはありません…。中国の故事に…“杞憂”というのがありますが、「月が落ちてくる。」と同様で、右翼論壇が吹聴する何の根拠もない妄想『中国脅威論』に振り回され右往左往するのは感心しませんね…、ドーンと構えていれば良いんですよ…、泰然自若…、冷静に全方位平和外交に努めることこそ、日本がなすべき現実的対応であると考えます。アメリカを“世界の警察”と言うとんでもない論が古くから日本で跋扈してますが、とんでもない誤りで、わたしに言わせれば、まさしくアメリカは“世界の暴力団”なんですよ…、日本は暴力団にミカジメ料を払っているみじめな場末の居酒屋みたいなものなのですよ…。日米軍事同盟を即刻破棄し、沖縄の米国軍事基地を無条件撤去させ、アジアに基軸をおいた外交を目指すべきです。中日、韓日ともに平和共存し未来指向の強固な基盤を構築すべきと、わたしは考えます。(^_-)-☆
逸郎様へ
が、私も竹島問題が韓国が攻めてくるというのは妄想と思う一人ですので、この理由を簡単に述べます。
フォークランドの領有問題は、19世紀からの二国間の懸案です。紛争は、アルゼンチンの右翼軍事政権が、左翼の弾圧、経済政策の失敗による国民の不満を逸らすために、国民を煽って上陸作戦を開始したというのが通説です。
陸続きの二国間だと、領土をめぐる全面戦争になる可能性はあります。フォークランド島の場合は、Falklands Conflict紛争と呼ばれています。それによってアルゼンチンがイギリスに攻め込んだり、逆の場合もありません。
アルゼンチンは、フォークランド紛争で国際的信用をかなり落としました。今の国際社会では、国際紛争は話し合いで解決するのが主流になっています。島の領有をめぐって日韓両政府が、アルゼンチンのような愚を冒すことは極めて少ないと思われます。
ナチスを学ぶ
これは、ヒトラーから離反した、一人のナチス党員の証言である。
「私は青少年にたいして、私の教育実践を開始しようと思う。自分を前にして、世界が震え上がるのだと、青少年に信じ込ますのだ。粗暴で、大胆不敵で、残忍な青少年。彼らが若い獣がもつ強さと美しさをもつことを、私は望む。肉体を鍛えることだけを、彼らにたたき込む。私は、知的な教育はいっさい求めない。私が彼らに望むのは、ただ一つ。恐怖を抑制する技を身につけることだ」。
H. Rauschning, 「ヒトラーは、私にこう言った」1940年
新しい規則
a.嘲弄される自由
当局によって次のことが認められた。諸個人の自由、出版の自由を含む表現の自由、集会の自由にたいする制限、そして郵便物、電報、電話などの通信の秘密の侵害、さらに家宅捜索、財産の没収、所有権の制限。
第三帝国の官報、1933年2月28日および5月24日
b.新しいドイツ市民
市民のみが、市民的権利を享受する。市民であるためには、ドイツ人の血統が必要である。それ故、ユダヤ人は、何人も市民でありえない。市民でない者は帝国から追放されねばならないだろう。
「ナチスのプログラム」、1920年
選挙
1933年11月8日ゲッペルス(情宣相)は、ラジオでの対談で、議会選挙の新しい選挙の意味について説明する。
質問―なぜ新議会なのですか?
回答―政府はこの8ヶ月の間に、これまでの40年間の政府より多くのことをやり遂げた。これまで実現したことは、アドルフ・ヒトラーの改革の仕事の始まりでしかない。これまでの議会は、この新しい歴史的義務まで高まっていなかった。議会主義の刻印の下に選ばれてきており、いまだに政党の寄せ集めである。
質問―しかし、もし国家社会主義労働者党しか存在しないならば、この選挙の意味は何ですか?
回答―この選挙は、一つの戦線に団結するドイツ国民の姿をはじめて示す 我々は、ただひとつの合金で鋳造された議会をもつことになる。これが、アドルフ・ヒトラーの指導によってつくられたリストの意味である。もし人民が、全体として、明快に、このリストに賛同するならば、我々はついに、政党の分散と不愉快な反目を乗り越えることができるであろう。
白バラ抵抗運動
ソフィ・ショールは、1921年5月にドイツに生まれた。1942年から、ミュンヘンで生物学と哲学を学び始めた。しかし他の学生とともに、ドイツをその中に沈めた全体主義を拒否し、精神の独立を守ろうとした。1942年6月から他の学生と集まりをもち、学生たちが、ナチス体制と戦争に反対するビラを印刷し、配布するのを手伝った。1943年2月18日、ミュンヘン大学の中庭でビラを撒いた後、管理人によってゲシュタポに密告され、兄のハンスとともに逮捕された。1943年2月22日、見せかけの裁判のあと死刑を言い渡され、その日のうちに斬首刑に処せられた。
jeanvaljean さんへ…
>1943年2月22日、見せかけの裁判のあと死刑を言い渡され、その日のうちに斬首刑に処せられた。
映画化された作品を観ました。彼女の勇気にうち震えました…。
今の日本の惨憺たる状況をみていますと、とんでもなく歴史の歯車が、猛スピードで逆回りしている“怖さ”をひしひしと感じます…。手遅れにならないことを祈るばかりです…。君が代の強制、教員の分限免職にみる反動的傾向の怖さ…、いまはヌルま湯ですが、直に沸騰してしまいます…。ナチス暗黒時代…治安維持法下の暗黒時代…嫌な予感がします…。イシハラやハシモトは、日本の恥部です…。
まったく同感です。この「ナチスを学ぶ」を読んでいると、子供の個性を豊かにする教育を否定する点や、議会民主主義を軽視する点など、ハシズムとの共通点が見られます。ファシズムもナチズムも、国民の不満に少なからず応えました。問題は、実利を離れた人間の権利、尊厳を尊重するか否かなのです。
ドイツの場合は、ナチスが政権をとるまでに14年間という短い間しか民主主義が存在しませんでした。議会制民主主義が定着しないうちに、ナチスが政権を奪取したのです。
日本には65年、民主主義が存在しました。しかし民主主義が140年経たフランスの教科書には、民主主義は国民が監視しないと危うくなると教えています。
いま日本では、人権をまもる司法さえ、内心自由を侵す判決を下しています。これは由々しき問題です。日本の民主主義の危機だと思うのです。
司法が人権と尊厳を守り、あらゆる圧力に対して独立を維持することを願っています。いや憲法の精神を尊重して欲しい。フランスの司法官が、「人と市民の権利宣言」を法廷に持ってくるように、日本国憲法を法廷に持ってくるような気がまえでいてほしいと思います。」
脅威の見積もりを偏ることなく計ることが大事なのではないか
それでも可能性は小さいと思いますが、少なくとも妄想といって片付ける気にはならない
私がわからないのは、何故国内からの脅威にはこれだけ敏感になれるのに、国外からの脅威は根拠がないと妄想扱いしてスルーできるのかということです
はっきりいって脅威の過大な見積もりと過小な見積もりが行なわれているよう見えます
竹島に関しては既に日本は攻められ奪われ重機関銃が威嚇するように日本に向けられてる有様
日韓の間で将来戦争になるかどうかは別として、攻められることが現実化している以上妄想とは呼べない状態ですね
中国は台湾との「統一」のためにはいずれ武力行使も辞さずの構えを国是として崩してません
台湾侵攻を支援するため足がかりとして日本領島嶼へ上陸する、というシミュレーションがおこなわれています
また、周辺海域に豊富な地下資源があることが判明してから尖閣諸島への領有権を主張し始めたこともキナ臭さを感じさせます
加えるなら定期的に「無慈悲な鉄槌」を下すと公式に日本を恫喝する北朝鮮
もしこの程度では日本が攻められる根拠として弱いから無視してOKというのであれば、あえて言いますけど橋下氏とナチスを結ぶ糸も細すぎるから無視して差し支え無し
ということになります
>青い鳥様
>中華人民共和国様には、“尖閣諸島”を…、韓国様には、竹島を進呈し平和共存を目指すべきです。
まずは青い鳥様所有の土地を(お持ちなら)両国に献上することから始められてはどうでしょうか^^
フリスキーさんが橋下市長の「責任」観について、鋭くお書きになっておられますので、一部その内容と重複するところもあると思いますが、いくつか。
〉 最終的には自分が決断し、その責は全て自分が取る
まず第一に大阪市のような巨大な自治体で政策を誤った際、現実的に「責任を取る」事は不可能です。WTCにおける失政の責任を取るとしたら、金銭面だけでも百億円以上が必要ですが、橋下氏にそれほどの支払い能力はないでしょう(多分)。最終的には負わなくて済まされると分かっている責任について「責任を取る」と豪語するほど楽なことはありません。
第二に、フリスキーさんご指摘の通り、市長の「責任」のとり方とは、「選挙で落としてくれ」なのです。
少し話がそれますが、わたしの地元大阪で選出された松浪健四郎という国会議員がおりました。彼は暴力団が絡んだ私設秘書給与問題を追及されましたが、その際「責任を取る」として、自身のトレードマークであった「髷(実際には長い後ろ髪をうなじで一つにまとめたもの)」を切り落としました。彼的には「重大」だったのかもしれませんが、傍から見れば「それがどうした」程度のことでしかありません。
このように政治家の「責任の取り方」とは、必ずしもわたしたちが期待する「責任の取り方」とは一致しない事が多々あります。
繰り返しますが、橋下市長の責任の取り方は「選挙で落としてくれ」なのです。なので選挙で勝った場合、「民意は責任を取らなくていいと言った」というのが、彼の解釈ですし、主張でしょう。これは自身の人気を傘に「落ちっこない」という自信があるからこそできる方法ですが、先のW選に臨んだ際、彼はWTCや財政の失政に対して自省的な言及はしませんでした。それどころか「大阪府は優良企業」と自画自賛して府庁を去って行ったわけです。彼や彼の支持者にとってはそれでいいのかもしれませんが、それで失政とその結果が消えてなくなるわけではありません。
果たしてこれは「責任を取った」と言えるのでしょうか?
〉 個人の価値判断に委ねられてしまうのはある程度已む無しかと。
程度問題の話になりますが、たしかに個人の発案による政策を実現させようというとき、個人の価値判断に政策決定が委ねられる事もあるでしょう。ですが、橋下氏が問題なのは、彼個人の価値判断について「合意を求めない」ところにあります。従うか、さもなくば去るか。彼は彼の「価値判断」に異を唱える人にこう迫るわけです。
民主主義の基本は議論とそれによる合意の形成にあるとわたしは思います。「民意に支えられた強力なリーダーによる政治主導」は常に独裁の危険をはらみます。合意を求めない彼のスタイルは、言い換えれば「自分と違う意見は聞かない」という事です。それは多様な意見の抹殺であり、議論の放棄です。それは民主主義を死に追いやるものだとわたしは思うのですが、橋下市長とその支持者の皆さんは、その危険を顧みていないように思えるのです。
もちろん、年金問題などの国家的な危機状態に際して、国会が建設的な議論の場にならず、危機が長期化してのっぴきならない状態になってきていることは確かです。この「後がない」感覚も、積極的で果断な橋下氏が支持される土壌になっているのでしょうね。
〉 万人を救うべきか、それとも効率の良いところから優先的に改善していくべきか、この点については橋本派/反橋本派の溝は永久に埋まらないかもしれませんね。
憲法25条が「すべての国民」に「健康的で文化的な最低限度の生活」を保障している以上、すくなくとも日本国の役割は「万人を救う」事にあるはずです。「万人を救う」方法はリソースを多大に消費するので、嫌われる傾向がありますが、全体のボトムアップは社会全体の安定に大きく寄与します。高度経済成長期を経る事で、日本社会の治安は大きく向上しています。
一方で「効率の良いところを優先的に改善」する方法は、短期的な成果が得られやすい(橋下市長のように短期的な「成果」を積み重ねていくタイプの政治家は、当然こちらの方法を好みます)のですが、それは多くの人々を切り捨て排除する事で成り立つものです。切り捨てられた人々の苦難や悲哀は無視してよいのか。また、切り捨てられた層によって社会全体が不安定化し、そのリカバリーのために却って多くのリソースが失われる面もあります。
こう言った事を、本来は繰り返し議論して、合意を形成するのが民主主義の基本的な営みなはずなのですが、橋下市長と維新の会はスピード感を重視するあまり、意見を異にする人々の「合意」を軽視してしまっているように思えてなりません。
ちなみにわたしは、高等教育は希望するすべての人に開かれているべきだと思います。
〉 どうしてマスメディアに出て来る反橋本派(例えば香山リカ氏)には殆ど感情に訴えるだけのようなレベルの低い人しか居ないのでしょうか。
わたしは件の朝生を見る事が出来なかったため、香山氏が、橋下市長とどんな議論をしたのかは、間接的にしか存じません。ですが、橋下市長の手法に対して違和感は感じながらもそれを言語化できない、漠然とした拒否感(あるいはその逆)を頭から否定していいとは思いません。そこは言葉を重ねて理解を進めるべきでしょう。その意味では、件の議論は「橋下市長が香山氏の不安感を取り除くことができなかった」という風にも解釈できるわけです。ですがそう見られないのは橋下氏との議論が「合意の形成」ではなく、「どっちが勝つか」という視点で見られがちであるという根源的な問題があります。
この点に関してはやはりディベート的に対談相手をやり込める事に傾倒している橋下市長の態度こそ、民主主義的には問題であり、橋下市長にこそ責任があるとわたしは考えます。上記の「橋下派と反橋下派の溝は埋まらない」問題についても、同じことが言えます。橋下市長にそもそも「溝を埋める」意志がないのです。その責任はやはり彼自身(もしくは彼の支持者)が負うべきでしょう。
ただ、件の朝生に関しましてはなぜか橋下市長の過去の失政がほとんど問題にされなかったという奇妙な経緯があり、ひょっとしたら番組側からなんらかの規制があったのかもしれないと考えています(もちろん証拠はないので、わたしの妄想である可能性が大ですが)。
橋下府政は非効率的
逆説的なようですが、これこそが橋下府政の最大の失敗ではなかったかと私は考えています。
何度もいいますが、府立高校に対する一連の動きがその象徴かと。
私学助成金大幅カット→私学授業料値上げ→府立高校に受験生殺到→府立高校大幅定員増で倍率低下→私学無償化→府立高校定員割れ大幅増加
一体何をやっているんでしょうかね。
効率化に徹しきれずに人気取りばかりやってきたからこんなことになったわけで。
三年間定員割れが続けば統廃合対象なんて言わないで、自分の責任で統廃合を進めればいいじゃないですか。
こういう行動こそがまさに責任のがれとして責められるべきことです。
香山リカさんのまずい点は、橋下氏を非情なコストカッターだと勘違いして批判していることです。
福祉を切り捨てていることだけを非難するのではなく、切り捨てで浮いた分をばらまくという府民甘やかし政策をやっていることを併せて指摘すべきだったのですよ。
あまり適切な表現ではないかもしれませんが、福祉、例えば障がい者に対する政策は、対象が少数派であり必要度が高い分、効率がよいともいえるわけです。
それを削って高校入試のために低所得者以外にもばらまきを始めるとは、とんだ失態でしょうに。
>逸郎さん
理由ですか?
そんなことして得るものより失うもののほうが比較にならないくらい大きいからです。竹島一つのために自国の存亡を危うくするバカがどこにいますか。日本と経済的に密接な関係にあるのにそれを全部ご破算にするようなバカなまねをすると思いますか。
そのくらいの簡単な計算、韓国だってしてますよ。計算できないのは嫌韓嫌中くらいのものでしょう。これでこの話はおわりです。
もし韓国が攻めてきたらそのときにまたお越しください。
それにしても。。。
「日の丸君が代なのになんで大阪は独立すべきなの?」
といえばよかったのではと思います。
特に香山さん、薬師院さん、共産党の山下さんの三人のうちの誰かがいえば効果絶大かと。
大阪都構想とつながっている「地域主権型道州制」は国旗国歌の崇拝とは相矛盾する点が多いと私は常々思っているのですが。
そしてこの「地域主権型道州制」こそが非常に問題の多い考え方であることを議論してほしかったのです。
こんなことを許してしまうと日本はバラバラになってしまいますよ。
それこそ「絆」なんて吹っ飛んでしまいますから。
そういう議論は番組的には許されていなかったのでしょうかね。
>元大阪府民からの伝言さん
「大阪府という地方自治体なんだから、大阪府歌をうたうべきなんじゃないの?」とつっこんだ方がいました。まさに正論。それに応えることができたバカ殿支持者は誰もいませんでしたよ(笑)
K君の事例について
元大阪府民からの伝言さんのコメントの中で、
「特に香山さん、薬師院さん、共産党の山下さんの三人のうちの誰かがいえば効果絶大かと。」
と
「香山リカさんのまずい点は、橋下氏を非情なコストカッターだと勘違いして批判していることです。福祉を切り捨てていることだけを非難するのではなく、切り捨てで浮いた分をばらまくという府民甘やかし政策をやっていることを併せて指摘すべきだったのですよ。」
というところになるほどなと思いました。
ネトウヨがはびこるポピュリズムネット言論の現場を知らない(笑)真面目な学者だからこういう短いツッコミが言えないんでしょうね。やはりここは、学者ではないけれどネット上でありとあらゆるネトウヨのありとあらゆる屁理屈への反論術やあしらい方を体得してきた、このコメント欄に集っている皆さんのような人が橋下にこういう突っ込みを一つだけでもいいので、面と向かって入れるべきでしょう。笑
それから、
http://togetter.com/li/251181
で紹介されているK君への処遇ですが、私はこう考えます。
大阪市旭区当局の担当者と橋下氏がこのような処遇をしたのは、「本人K君にとっては」もちろん良いことです。
しかし、苦境をかかえているのはこのK君だけではありません。旭区の担当者や市長をたまたま「感動」させたK君にはすぐに前向きに対応し、そうでない人々に対しては良くても何もしない、あるいは「定期代くらいバイト代で稼げ」だの「私に反対ならあなたが市長になって政治を変えろ」だのといった市長によるマスコミ上での一方的な罵倒が待っているのなら、それは政治「全体」としてはかえってダメなのです。
なぜなら、政治は、首長に投票した人たちだけの利益だけを図るものではなく、住民全員に公平に奉仕するべきものだからです。歴史の中で人類が練り上げてきた民主社会では、それは「法の下の平等」とか「基本的人権の尊重」とか「あらゆる差別の禁止」とかという言葉で表現されていますが、それらの原則は政策「全体」に対して貫かれていなければならないのです。K君への「感動的なまでの」処遇は、それぞれの政策的処遇を必要としているあらゆる住民に対して「公平に」「平等に」実施されるべきことであって、K君あるいは限られた人にだけ実施されるべきものではないのです。簡単に言えば、政治にエコヒイキはいけません、ということです。
それに対して、「しかし、予算には限りがあるんだし、政治には優先順位があるじゃないか。それを判断するのは市長の橋下氏だ」と言いたい人がいるだろうと思います。確かに、「判断」は橋下氏の権限です。しかし、その判断が「エコヒイキ」であったり、「不公平」「不平等」であったり、「乱暴」であったりしたら、いかにK君への処遇が多くの人を感動させたとしても、橋下氏の政治は「全体として」「法の下の平等」や「基本的人権の尊重」などの民主政治に欠かせない「公正さ」や「尊厳」を欠くものとみなされるのです。別の言葉で言えば、政策による、あるいは首長の好みによる「差別」になる危険性を持っているのです。そして、橋下氏の今までの言動や行動からして、それは「危険性」というよりも「現実性」だと私には思えます。
言葉をかえて言えば、為政者は、自分の政策がすべての面で公正で公平であることを常に住民に納得させる責任を負っている、と言ってもいいでしょう。たとえば、あくまでも仮定の話ですが、別の種類の苦境にある生徒への感動的な処遇をおこなう一方で、K君に対しては「K君の学費くらい両親が残業して稼げ」と突き放す選択肢も、自己責任論者の橋下氏にとっては論理的にはありえます。しかし、彼は、ある種の高校生を冷たく突き放す一方でK君に手厚く対処することを選びました。そこに、一貫性、平等性、公平性はあるでしょうか。
政治に求められるのは、誰かをいけにえの羊にする一方で誰かに特別な恩恵を施すことではなく、公平で公正な尊厳ある処遇をすべての住民に対して行うことです。そこまで考えに入れずにK君への感動的な処遇をほめるだけというのは、K君個人にとってどんなよいことであっても、「政治全体」への評価としては不十分、不完全です。
実際に、K君への感動的なまでの処遇と、罵倒されて切り捨てられる分野や人々との間の大きな断絶を残すような政治しか橋下氏にはできないとしたら、部分的に感動的なことが行われたとしても、「政治全体として」は不平等や不公正を促進する副作用を生み、かえって有害だとすら言えるのではないでしょうか。
K君への処遇に感動した人にお願いしたいのは、K君にだけではなくて、それぞれの問題やそれぞれの要望をかかえるすべての生徒、すべての住民に対してエコヒイキなく感動的な処遇を実施してほしいと大阪市各部署や市長にどんどんメールしていただきたいということです。たとえば、「定期代くらいバイト代で稼げ」と市長に言わせないように。
そして、反橋下氏の人々にとっても、このK君の実例は、ひょっとしたら橋下政治を変える、あるいは橋下政治の見えにくい問題をわかりやすい形で本人自らに表に出させるように仕向ける一つの大きなきっかけかもしれないのです。
橋下政治の是正のためには、「エコヒイキ」や、「不平等」「不公正」の実例の指摘を一つ一つ積み重ねることが大切であるとも改めて思いました。「エコヒイキ」「不平等」「不公正」を是正しないまま中途半端なプラス評価をすると、橋下政治の悪いところが拡大するようにしか思えないからです。
橋下政治をプラス評価するのは、人々からの指摘や批判や、人々からの「平等」や「公正」の要求によって、「エコヒイキ」「不平等」「不公正」「横暴」などの問題が橋下政治から一切なくなってからでいいと私は思います。それまでは、中途半端な褒め言葉は一切いらないと私は思います。
観測霊さんへ
一般論として、政治家の責任の取り方はそれしかないのでは?後は辞任するか、リコールを受けるか、個人名義で損害賠償請求を受けるくらいでしょうか。個人的には多少失敗があっても差し引きプラスなら、そのまま政治家を続ける資格があると思っています。
WTCに関しては確かに適切でなかったですね。移転を撤回するなら撤回するで、橋下さんはきちんとその経緯を説明した上で謝罪してから市民の審判を受けるべきだったかと(ついでに、WTCを作った側や売った側の責任も誰か追求してくれないのでしょうか?)。
「強力なリーダーシップに基づく政治主導」が独裁を生み出しうると言う問題を孕んでいるのと同様に、多数による合議制にも「利害が真っ向から衝突する際に全く機能しない」と言うリスクがあります(今のシリア問題のように)。これについてはもう優越の問題と言うより、国民がどちらの制度を望むのかとしか言い様が無い気がしますが。
> 本来は繰り返し議論して、合意を形成するのが民主主義の基本的な営みなはずなのですが
そうやって延々と議論を繰り返しながら、全く結論を出せないままで居たのがこの日本の失われた20年なのではないでしょうか?実際のところ、今の橋下人気は彼の政策が優れているからと言うのではなく、彼の「目的を明確に打ち出した上、直ちにそれを実行しようとする政治姿勢」にこそあると思います。と書きつつも我ながら橋下ビジョンはもう少し精査されても良いような気もしますね(笑)。
朝生の件は仰るように余りにも反橋下派が酷いので、橋下さんに肩入れするTV局側がわざとそう言った人選を行ったのでは、と言う意見もネット上では見掛けますね。
観測霊さんのお陰で、自分の中での橋下派/反橋下派間の互いに相容れない点がより明確になりました。色々とお付き合いありがとうございました。ただ、このまま両者がいがみ合いを続けても仕方ないので、後は如何に互いの妥協点を探り合うかですね。なかなか橋下さんは自分からは折れないでしょうから、いっそ反橋下派は橋下さんの懐に飛び込んだ上、内部から軌道修正させるようにした方が良いような気もします。
政治的公平性について
恐らくは「自由主義者」にカテゴライズされるであろう者の一意見としてご参考までに。
junaさんへ
私は橋下の府民甘やかし政策が気に入らないという主張を常々しているのですが。
教育に過剰投資するのはもうやめなさいといっているのです。
私学無償化のせいで倍率が異常に上がり、結果として元々学校が少ない近隣県の生徒が、大阪府の私学を受験しにくくなっているのではないかと思っています。
また、同じ学校に通うのに大阪府の生徒だけが不相応に分厚い無償化をうけているのなら、隣接県の生徒が気分が悪いから受験を避けるかもしれません。
教育にバラマキという「社会主義」を持ち込むのはやめていただきたいものですね。
大阪だけ特別扱いは許されません。
他府県の生徒が受験しにくくなることなく、大阪府の生徒と入試において競争できるようにすべきではないでしょうか。
私学には都道府県境の縛りはないのですから。
自由主義と新自由主義を混同しないようにね。
リベラルは、所得の再分配を大事にしますのでね。
さて、平等についてですが、何も全ての人を同じ収入にするべきだとか、金持ちを引きずり下ろすべきだとか、そんなことは誰も言っていません。
何億も、何十億も稼ぐ人がいて良いんです。能力のある人がどんどん伸びて行って良いんです。しかし、現代資本主義においては、応能負担をしていくというのが常識です。
そうして所得の再分配をしていかなければ、機械の平等(結果の平等ではなく)さえ保てなくなることは資本主義の歴史から明らかです。
橋下は先の朝日新聞のインタビューで、
日本は社会保障の充実したラグジュアリーな国だという大前提を立てていましたね。
ところが、その大前提が正しくありません。
所得格差はジニ係数等のデータの推移を見ても、たしかに戦前と比較すると、戦後急激に格差が縮小していますが、戦後から現在のスパンで概観すると、ほぼOECD諸国間の中位のところで推移しております。
また、80年からの20年間で格差は約15%拡大していますし(ジニ係数から明らか)、
国民所得に占める租税負担の割合である租税負担率を国際比較すると、日本は米国をも下回っていて先進諸国の中で最低水準となっています。
http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-80.html
財務省による参考資料を見ても、申告納税者の所得税負担率(平成19年分)では、
年収一億の人の26.5%をピークにしてそれ以上は年収が増えるほどに右肩下がりで負担率は下降していきます。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/tax_reform/outline/fy2010/zei001e.htm
このように税率とは裏腹に、実際の租税負担率および国民負担率は、日本は、最低水準にあるわけです。
次に、社会保障給付費対GDP比を見ると、日本はOECD加盟国34か国中20位と社会保障レベルが真ん中より下に来ています。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2798.html
よって日本はやや低福祉国家であり、また決して他国に比べて金持ちに重税を強いているということは無いということがこれらのデータでわかります。
junaさん、あなたは橋下のいう事を、真に受けすぎるんですよ。一度でも、彼が言っていることが本当かどうか、自分の頭で考えるべきです。
権力者の言うことをそのまま鵜呑みにして思考停止する人は、自由主義者とは言うより、
ただの従順な羊です。実はあなたみたいな人は、橋下にとって、簡単に騙せる大衆の一人とみなされるだけですよ。
元大阪府民からの伝言さんへ
確かに「府民甘やかし政策」と言う観点から橋下さんを批判する人はマスメディア上では殆ど見掛けませんね。そう言った議論こそ意味がある筈なのに。
フリスキーさんへ
橋下さんが「日本は社会保障の充実したラグジュアリーな国だ」と発言したのであれば、それは明らかに間違いですね。「日本は社会保障の充実したラグジュアリーな国だ。※但し現高齢者世代に限る」と手直しすれば概ね間違いないかと。
低所得/高所得に関わりなく、日本は全般的に税負担が少ないですよね。国際標準に合わせるのなら、個人的には反対ですが、IMFの要求する消費税の大幅増税も一理あると思います。
>橋下さんが「日本は社会保障の充実したラグジュアリーな国だ」と発言したのであれば、
>それは明らかに間違いですね。「日本は社会保障の充実したラグジュアリーな国だ。
>※但し現高齢者世代に限る」と手直しすれば概ね間違いないかと
はい。間違いです。
あなたの思い込みではなくデータに基づいて発言しましょう。
http://goo.gl/8KrXt
このデータによると、日本の高齢者の社会保障は、ラグジュアリーとは言えません。
OECD加盟国の中で平均よりやや上程度です。
しかも、これは総額でして、日本は高齢者の人口割合はOECDの中で最高水準にありますから、
一人当たりの社会保障支出でいえば、さらに低くなっていきます。
そして、
最近は、若年と高齢者を対立関係で捉える馬鹿な論法をよく見かけますが、
見当違いも甚だしい。
高齢者というの将来の若者です。現在の高齢者福祉を削減するということは、
それだけ自分で老後をなんとかしないといけなくなるわけで、
老後に備えて、若年時から蓄えをしておかなければいけなくなります。
そうすると、消費がその分、抑制されますよ。
それで良いんですか?
稼いだお金は使ってもらわないと景気は浮揚しませんよ?
でも、
使おうにも、高齢者福祉がこれから先細る一方なのならお金は使いません。
貯蓄に回します。
さらに、貯蓄に回すだけの余裕の無い人には、
老後の貧困が待っているだけです。
つまり、高齢者を“既得権益者”(実際はそうではありませんが。)としてバッシングする
ということは、結局自分で自分の首を絞めるだけです。
将来の自分の首を絞めているということに気づきましょうね。
やはり、あなたも、思考停止してるよ。
それと、高齢者福祉を削減するということは、それだけ
親の老後を子供の収入で養っていかなくなっていくわけですから、
若年世代への負担となってかかってきますね。
そういうところまで考えてみてね。
フリスキーさんへ
それではご要望のデータを。
http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis290/e_dis281.html
「ごく一部の人間だけが負担した額より遥かに多くの給付を受け取り、それ以外の人達は大幅な損をする持続不可能な制度」をラグジュアリーと呼んだとて、あながち間違いでは無いと思います。「政治の平等性」の看板を取り下げた自分に文句を言う筋合いはないかもしれませんが。
> やはり、あなたも、思考停止してるよ。
たった数回コメントのやり取りをしただけでそのように断を下してしまう事の方が余程思考停止でしょう。と言っても、先に橋下さんのスピード感を褒めてしまっている以上、これも否定してはマズいのか(笑)。
当初の橋下さんの話からはかなりずれてしまっているので世代間格差についてはまた別の機会に、と思います。
junaさんへ
社会保障がラグジュアリーな国と規定した橋下に対して、
OECD諸国との比較ではそうはなっていない。
高齢者福祉もそうだと。それは否定のしようがありません。
で、あなたの示したデータは、年金、医療、介護において、
生涯収入に占める社会保障による受益の割合が、後世代に行くほど低くなっていく推計になると。それを示しているわけです。
『1950年生れ1.0%、1960年生れ▲5.3%、1970年生れ▲7.8%、1980年生れ▲9.8%、1990年生れ▲11.5%、2000年生れ▲12.4%、2010年生れ▲13.0%と生年が下るにつれて支払い超過の傾向にある』
こうありますね。
ということは、あなたがお幾つかは知りませんが、あなたの後世代から見ると、
あなたはラグジュアリーな社会保障を享受しうるということで、あなたの世代も、これから社会保障を削減していく必要があるということでOKですね。
そのようにして世代が下に行くほど受給レベルが下がるからといって、足の引っ張り合いをして社会保障水準をどんどん下げていくことのどこに国民の利益にかなった要素が見出されるのでしょうか。
まず、日本は社会保障(高齢者福祉を含む)は、他国との比較でラグジュアリーであるという大前提は、データ上間違っているということ。まず、ここを見るべきです。
日本は、高齢者福祉を含めて福祉国家であった時代はありません。
ラグジュアリーというからには高福祉国家であるという条件を満たさないといけません。しかし、そうななっていません。
そういう状況にあっては、まず日本を低福祉国家としないために、企業を含む全国民で負担し合う、
応能負担の原則によって金のあるところから出してもらって、
制度を支えていくということが大事です。日本は、企業も個人も租税負担率は決して高いわけではありませんので。
さらに、産業構造、社会構造によって昔のような地域社会による互助は機能していません。
あなたのお住まいの地域もそうでしょう。近所のお付き合いがあったとしても、
生業はバラバラ、地域との結びつきは距離的な関係のみで、個人の生活基盤は別々でしょう。
そういう中にあっては国による社会保障が生命線となります。
既に述べたように、高齢者福祉を削減するということは、現役世代にも負担となって帰ってきます。
高齢者福祉をあてにできなくなるということは、
それにそなえて貯蓄をしていく必要がある。その分、現役世代の消費が抑制されます。
また、貯蓄といっても、長生きするほど底をついてきますし、老親を支える現役世代の負担も増えていきます。
また、出生率を上げて子供を増やしていく必要がありますが、高齢者福祉がこれから先細っていくばかりなのならば、
自分の老後が心配で、子供を産むことさえはばかられて行きます。
結局、国民全体の負担となって掛かってくるのです。
高齢者福祉を目の敵にする人は、生老病死という一生のサイクルを忘れていて、いつまでたっても自分が若いと錯覚しているんじゃないですかね。
あるいは、親の老後など知らんぷりということなのならば、
それは、親を大事にするという保守の精神にも反しますよ。
そのへんを、よく考えてみてください。
P.S
以前の投稿と重複して恐縮ですが、
橋下が責任を取ると明言した。だから、そうなのかと
鵜呑みにする前に、ちょっと待てよ、
どうやって責任を取るんだ?と考えれば、その言葉の
空疎さに気付くはずです。そのように、権力者の言葉を
鵜呑みにする前に、民主主義社会の一員としての
自立した思考をもう少し身につけるべきでしょう。
余計な老婆心ながら気になりましたので。
追伸
高齢者福祉を削減すれば、若年世代がその分、楽になるとは、上述したように、論理構成上そうはなりえません。
そうなるのは、社会保障に頼る必要のないほんの一部の富裕層のみでしょう。
フリスキーさんへ
> あなたの世代も、これから社会保障を削減していく必要があるということでOKですね。
はい。例えば年金なら一旦清算した上で積立方式に切り替えて欲しいところです。政治的には先ず無理でしょうが。
当然私自身は応能負担よりも応益負担の方が好ましいです。
> 高齢者福祉を削減するということは、現役世代にも負担となって帰ってきます。
返ってくるも何も、正にこれから雪だるま式に高齢者分の社会保障費が若年層にのしかかって来る訳なのですが。ちなみに、既に今現在自分の納めた社会保険料の半分は無条件で後期高齢者医療費として持って行かれます。
> 親を大事にするという保守の精神
別に保守主義ではありません。だから自由主義者を名乗った次第です。決め付けは良くないですよ。
> 権力者の言葉を鵜呑みにする前に~
こちらとしても繰り返しになりますが、よく知らない人の事を一方的に決め付けても良い事はありませんよ。「自立した思考をもう少し身につけるべき」と仰るのであれば、ご自身とは違う論理や価値基準を持っている人の意見も許容されては如何でしょうか。
junaさんへ
現在、現役世代の公的医療保険は3割負担ですが、
4割、5割とあげても構わない。
自分たちの将来受け取る年金もガンガン下げても構わない。
健常者であってもいつ障害者になるかわからないですが、
障害年金をガンガン削っても構わない。
失業するのは自己責任だから失業保険の受給額はどんどん減らせ。
自分たちの老後はもちろん、
今の父母や祖父母の年金受給額もどんどん減らし、
医療の本人負担をバンバン上げても構わない。
応益負担により、所得によらず本人の負担を一律にし、
累進課税をやめて、税制を人頭税にするべきだ。
これでいくと、どこの先進国もやっていない薄ら寒い国家になるけど
OK?
>返ってくるも何も、正にこれから雪だるま式に高齢者分の社会保障費が若年層に
>のしかかって来る訳なのですが。
ん?若年層と言ってもいろいろだよ。企業負担及び累進性と応能負担により、
金のあるところから持ってくる。これによって貧乏人にのしかかる負担を軽減できます。
のしかかっている物を取り除いても、今度は自己責任という形でさらに重石がのしかかってきますよ。
高齢者と若年世代は一対なんだよ。どうして、そうやって切り離そうとするの?
生老病死というライフサイクルが頭からすっぽ抜けてるみたいだね。
>別に保守主義ではありません。だから自由主義者を名乗った次第です。
>決め付けは良くないですよ。
へぇ、保守じゃないんだね・・・
あなたは自由主義を古典的自由主義を指しているとして、
これに与していると言いましたね。
で、アメリカでも日本でも経済政策において古典的自由主義を信奉している政治家は
保守に分類されますよ。ブッシュも小泉もそうです。
伝統的な家族の役割だとか伝統文化、宗教という保守的な価値観を重視しているのを知らないの?
福祉政策についても、例えば公的介護制度に反対した保守派は、これを導入すると、
親の面倒は子供が見るという道徳が失われるとして反対したのです。
ですから、こういった道徳さえ無視して、高齢者を若年から切り離そうとする
あなたの志向からは、ただの薄ら寒い自己責任論しか見えてきません。
>ご自身とは違う論理や価値基準を持っている人の意見も
>許容されては如何でしょうか。
あなたの思想の自由、表現の自由を私は尊重いたします。
と同時に、
私の思想の自由、表現の自由も尊重して頂きたく思います。
表現の自由には他者の考えを批判する自由が含まれております。
あなたが私の考えを批判する自由。
わたしがあなたの考えを批判する自由です。
そして、ここは秋原さんのブログですので、
秋原さんの管理権に基づいて、許されている限り私は自分の考えを表明し、
批判するべきは批判する。
以上です。
お返事ありがとうございます。またしても長文になってしまいましたが、”反橋下派”の思考のご参考までに。
> 一般論として、政治家の責任の取り方はそれしかないのでは?後は辞任するか、リコールを受けるか、個人名義で損害賠償請求を受けるくらいでしょうか。
> 個人的には多少失敗があっても差し引きプラスなら、そのまま政治家を続ける資格があると思っています。
「それしかない」わけではないですよね。ご自身でもいろいろ挙げてくださっていますし。
失政を犯した後、政治家を続けるか否かは、基本的に本人の倫理観しだいですから、政治家を続けたいと思えば選挙に出ればいいし、失政を反省して政治から遠ざかるのもまた選択の一つです。
ですが、選挙民が候補者の功罪の「差し引き」を考える時、そこには判断材料となる情報が必要不可欠なはずなのですが、選挙前も選挙中も選挙後に至っても橋下氏の失政が広く報道されたかと言うと、そんな事はないわけです。ネット上で意識的にそういった情報を探さない限り、WTCにしろ、福祉を削減して旧来型の土建屋利権にばら撒いたりしている実態にしろ、府の財政における”粉飾”にしろ、なかなか接する機会がありません。
本来これほど注目度の高い人物の、その言動の根拠が問われるような事実について、ほとんど報道されないと言う状態は異常ですらあると思います。そして橋下氏はそういう異常な状況を、よく理解して、最大限利用していると思います。
「選挙で落としてほしい」と言うのなら、本来その功罪を明らかにした上で、その「差し引き」が本当にプラスであるかどうかが判断されるべきであるのに、功罪の「功」だけが声高に喧伝されるのはどうしたことでしょうか。橋下氏自身やその陣営がそうするのは当然です。功績を訴え、自らが当選することのメリットを有権者に説くのは当然です。ですがその功績に虚偽が含まれているのは問題ですし、「不偏不党」「公正中立」を掲げるはずのメディアまでもが、「功」のみを伝え、「罪」にふれない中で、わたしも含めて、有権者は本当に「差し引き」の計算ができているのだろうかという疑問がわたしの中で消えないのです。
言い換えれば橋下市長がアピールするところの「差し引きプラス」は、虚構ではないかという疑いです。
その点、junaさんのおっしゃるとおり「橋下さんはきちんとその経緯を説明した上で謝罪してから市民の審判を受けるべきだった」でしょう。しかし、彼はもう当選してしまいました。そして彼は当選したからには白紙委任であるべきであると、朝日新聞のインタビューに答えています(http://os7.biz/u/hn5kh)。これで本当に「差し引き」はプラスと言えるのでしょうか。
個人的な「差し引き」勘定をさせていただくならば、こちらの「垂れ込み部屋」に列記されている氏の言動や行動の数々を鑑みる限り、橋下氏の「差し引き」は大きくマイナスにふれております。先日判明した思想調査の件だけ見ても、これを帳消しにしてなおプラスになるほどの功績が橋下氏にあるとは思えないのです。
> 「強力なリーダーシップに基づく政治主導」が独裁を生み出しうると言う問題を孕んでいるのと同様に、多数による合議制にも「利害が真っ向から衝突する際に全く機能しない」と言うリスクがあります(今のシリア問題のように)。
おっしゃるとおり、民主主義にはまどろっこしい面があります。シリアの惨状を見るにつけ、国連の早急な救済が必要であることはわたしも異論がありません。ですが、停滞のリスクと独裁のリスクを比較したとき、決定的な違いがあります。
民主主義は、究極的には自分自身を否定することすら可能な制度です。極端な話、国民の大多数が「天皇親政」を支持すれば、憲法を変えて、そのような国にすることも可能です。そこまでいかなくとも「強力なリーダーシップに基づく政治主導」によって、独裁に近い政治体制をとることもできるでしょう。
ところがこの逆は難しい。独裁者が自ら権力を手放して主権を国民に返すというような事例は、世界中を見渡してみても数えるほどしかないでしょう(わたしが唯一知っているのはブータン王国が議会制に移行した際の事例くらいです)。世界各地で自由と権利を求める人たちが独裁者と戦ってきましたし、現在でもその戦いの途上にある国も多いです。そこでは膨大な人々が生命と尊厳と財産を脅かされています。
つまりいったん独裁を認めてしまうと、それを合議制に戻すためには莫大なコストが必要になると言うことです。合議制から独裁制への移行ほどに簡単にはいきません。日本でも天皇主権の国が現在のような国民主権の国になるまでに、多くの人たちの長い権利獲得のための努力を経て、敗戦と言う巨大なインパクトを必要としました。独裁は、やばい間違ったやめようと国民が思っても止める事は難しいです。これは独裁特有のリスクです。
”独裁”的にアフガンやイラクへ侵攻したアメリカと有志の各国が、そこでどんな辛酸を舐めさせられ、そして現地の人々にどれほどの苦難と悲嘆をもたらしたのか、という事例もありますね。
合議制の場合、まどろっこしさが逆にメリットとして働く場合もありますね。議論を重ねれば当然問題点が見えやすくなりますし、改善案も出るかもしれない(少なくとも独裁よりは可能性が高いです)。ブレーキも利きやすく、修正もしやすい。
合議と独裁、確かにリスクはそれぞれにありますが、その重さは異なるとわたしは思います。
> そうやって延々と議論を繰り返しながら、全く結論を出せないままで居たのがこの日本の失われた20年なのではないでしょうか?
失われた20年が何によってもたらされたのか、と言うテーマはわたしには大きすぎる気がしますが、少なくともわたしの実感としては「議論が百出して決着がつかなかった」からではなく、新自由主義に囚われた政府が、多くの指摘があったにもかかわらずその悪影響への対策を怠ったからではないかと考えます。この20年について、前半はバブル崩壊によって失われたものを何とか取り戻せないかと言う試行錯誤とそれを諦めるまでの10年、そして後半は新自由主義によって富の再配分を止め、資本家と大企業による国民に対する搾取の10年だったと思います。
問題は後半10年の間に新自由主義を批判し、再分配を強めようと言う議論がありながら、政権維持に拘った自民党政府とその周辺の人々が資本家と大企業の支援ほしさに、その議論を黙殺し続けた事にあると思います。そこには議論さえ存在しませんでした。新自由主義を掲げる人たち(政府)が、再分配強化を掲げる人たちと、合意を図るための議論をまともにしたことが一度だってあったでしょうか?痛みに耐えろ、苦しいのは改革が足りないからだ、文句を言うなら企業がつぶれるぞ、海外に出て行くぞ…そうやってなかば脅しながら、展望のない経済政策を推し進めてきたのが実情ではないのでしょうか。
政府は合意をそもそも求めていませんでした。黙々と自身の信条に従って資本家を優遇し、大企業のために規制緩和をし、結果大多数の労働者=国民の待遇は悪化の一途をたどったわけです。結局年金の崩壊や、派遣村と言う貧困の可視化がおきるまで、その流れが緩まる事がありませんでしたし、現在においても止まったとはまったく言えません。
その点で、合意を図ろうとしない橋下氏の施政はなんら変わらないと言うのがわたしの考えです。
> 実際のところ、今の橋下人気は彼の政策が優れているからと言うのではなく、彼の「目的を明確に打ち出した上、直ちにそれを実行しようとする政治姿勢」にこそあると思います。
この点、わかるような気がします。橋下市長を支持する人の中には「これは賭けだ」と言う人もいたようです(W選前後に新聞でそんな記事を読んだ記憶があります)。
橋下氏の政策が特に優れているとは思わないけれども、過激な言動と行動でとにかく何かが変わりそうだ、だから投票する。変わることでよくなると言う保証がないことはわかっているが、変わらないよりはマシだ、という判断です。
やはりこの下地になっているのは失われた20年による「後がない」感だと思います。同時に政権交代が「思ったより大したことがなかった」という失望感も重なっていますから、こうした橋下市長支持の声は切羽詰っていて、自暴自棄な感じがやるせなく思えます。
> 朝生の件は仰るように余りにも反橋下派が酷いので、橋下さんに肩入れするTV局側がわざとそう言った人選を行ったのでは、と言う意見もネット上では見掛けますね。
わたしは”反橋下派”の出演者の人たちがそこまで能力的に劣悪だったのかどうかというのは、実際に見ていないからなんともいえないのですが、わたしが疑ったのは”反橋下派”の出演者の人たちに番組サイドから「橋下氏の過去の失政には触れないように」という注文がついたのではないかという事です。これが呑めないなら出演は認められないし、今後にも影響があるよ、と言われれば従うしかないんじゃないのかな、と。
実際に橋下氏の施政の問題点については、ネットで意識的に探せば見つからないこともないわけで、それが一切議論の俎上に上らなかったらしい事に、少なからず不自然さを感じたからです。
特に薬師院先生などは、シンポジウムでお話を一度聞いたきりですが、きっちりデータに基づいて冷静に話す方というイメージがあったので、朝生の評判をあちこちで目にしたり耳にしたりして、なんだか変だなという印象を持ちました。もちろん何ら証拠はありませんので、わたしの妄想として聞き流してください(笑)
> なかなか橋下さんは自分からは折れないでしょうから、いっそ反橋下派は橋下さんの懐に飛び込んだ上、内部から軌道修正させるようにした方が良いような気もします。
それも方法のひとつでしょうが、わたしは納得ができません。なぜならそれに従うなら、権力を持つ側、多数派は常に折れる必要がなく、権力のない少数派は常に妥協と屈服を強いられる事になるからです。
民主主義の基本は議論と合意だと申し上げました。
社会的な力関係だけを考えても、少数派は立場が弱いです。いとも簡単に多数派に押しつぶされてしまいます。ですが少数派であろうと同じ主権者であり、社会のうちで少数だからといって、一方的に不利を押し付けられて言い訳がありません。多数派に属していようと少数派に属していようと、その人の自由と権利は他の人々と平等に尊重されなければいけないはずです。
ですから少数派であろうと代表者を議会に繰り出し、自分たちの意見を表明することが必要です。まどろっこしい議会制民主主義ですが、独裁的な手法では見過ごされがちな社会の少数者や弱者の声を拾い上げることができると言う大きなメリットがあります。人は社会のある場面では多数派でも、ある場面では少数派になると言うこともありえますから、このメリットは大きいわけです。
こうして議会では少数派も多数派と同じように意見を表明し議論を戦わせることで、双方の合意を探っていくことが求められます。そうしなければ多数派はひたすら多数決に頼れば妥協する必要もなく、自分の意志を押し通し続けることができてしまうわけで、これでは少数派は民主主義であろうとなかろうとひたすら妥協と屈服を強いられるばかりです。議会に議員を送る意味もありません。民主主義以前の貴族や王族による寡頭政治とどこが違うのかと言う話になります。
民主主義=多数決というのはひどい誤解で、もしそうなら何で国会では延々と質疑が繰り返されているのか説明がつきません。というか多数決が民主主義のすべてなら、そもそもそも議会を開く必要さえありません。議会の多数派がすべてを牛耳って、好き勝手にやればいいということになります。しかし、それでは困るのです。
わたしは橋下氏のやり方は「合意を求めない」やり方だと申し上げました。これは多数決ですべてを決していく方法であるとも言えます。彼は少数者や異論を持つ人との間に合意を求めません。「多数の民意」を盾に議論や合意を排除していくやり方は、本人や周囲がどれだけ否定しても”独裁”色の強い政治手法であると言えます。その下では、少数者はひたすら圧殺され続けます。たまに橋下氏から与えられる「恩寵(院内学級の必要性を訴えて橋下氏からエールを送られたKさんのように)」を先を争って奪い合わなければいけません。
そういった状況下にあって、なお少数者に妥協せよと迫るのは、わたしには最早社会的な暴力としか思えません。橋下氏がタダで懐に飛び込んできた少数派=異物を受け入れるでしょうか?そうではないですよね。例の思想調査や国旗国家の強制のように、何らかの形で「服従」を要求するでしょう。それは少数派にとっては変節を迫られるものになるでしょうし、その過程で少数派は、本来の立ち位置から切り離され、かつての仲間=橋下氏の懐に飛びこまなかった(飛び込めなかった)人たちとは分断されます。これはかつての植民地支配と同様に、現地の有力者を間に挟んだ二重支配によって、人々の憎しみを取り込んだ現地の有力者に向けさせて、搾取をやりやすくする方法です。これによって助かるのは飛び込めた人だけで、その他の飛び込まない、飛び込めない人たちは相変わらず圧殺され続けます。
意地悪な言い方をするなら、橋下氏に逆らうのではなく、おもねり媚びへつらって「恩寵」を受けたほうが利口だということに他ならないわけで、それは本当に民主主義なのか、少数者は少数と言うだけで個人として尊重されることさえできないのか、といささか絶望的な気分になるのです。
もちろんこれが教条主義的な形式論であるという側面は理解しています。苦境を脱するために、橋下氏に特別の「恩寵」を請う人たちを責めるつもりはありません。ですが、たまたま「恩寵」を得られた人の影には無数の「得られなかった人たち」がいることを忘れるわけにはいきません。
国や地方自治体には底で暮らす人々の自由と尊厳と財産を守る義務があるわけで、橋下氏のような手法は、意図的に一部の人たちに対するその義務をネグレクトしていると言えます。わたしはネグレクトされる人たちがいてはならないと思いますし、そのネグレクトでもって、つまり他者を意図的に苦境に追い込むことで維持される政治はあってはならないと考えます。正直に申しあげれば、そういう手法も、それを用いる人も好きになれそうにありません。
以上、大変長くなりましたが、語りつくした感でいっぱいですので(笑)、これにて失礼します。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
> 秋原さん
なんか、もう、いつもすみませんm(__)m
フリスキーさんへ
> 高齢者と若年世代は一対なんだよ
それは人口ピラミッドが理想的な形をしていた頃のお話なのでは?それともこれからの子供達は一人で自ら+一人の老人を支えるべきだとでも?
一般的に、保守主義者とは経済面では自由主義を、道徳や宗教、国家観については古き良き伝統を信奉する人達を指すと認識しています。そして私自身は「古き良き伝統」の方に全く拘りがないだけの話です。ですから保守主義ではない。お分かりになりませんか?
観測霊さんへ
「合議と独裁の重みの違い」については仰る通りですね。自分自身少し考え足らずでした。ご進言ありがとうございます。これについては早速維新の会が首相公選制を打ち出していますし、日本人がこれにどのような反応をするのかとても興味深いです。
「橋下さんの懐に飛び込んだ上~」の方は説明不足で申し訳ありません。自分の考えはもっと姑息で、「トロイの木馬的に」懐に飛び込めばと考えた次第です。橋下さんは頑強な反面、情には脆そうなので一旦信頼を得たのなら結構扱い易いんじゃないかと(笑)。
junaさんへ
>だったら彼らの資産に対する大増税を提言されては如何でしょう?
ああ、資産課税を含む富裕税に関しては、私は原則賛成ですよ。
応能負担の原則を重視しますからね。
富裕税には年齢は関係ありません。
あなたは反対なんですよね。応益負担なんですから。
どんなに財産を有している高齢者であろうと、応益負担である以上、受給に応じた負担をするべきだということで、
金持ちも貧乏人も等しく負担すると、富裕税は不要ということになります。
あなたは、高齢者=金持ちだと勘違いしてません?
どうしてそうやって十把一絡げにレッテルを貼るの?
私は、地元の高齢者と何人も親しくなっていますが、
比較的余裕のある人もいますが、
年金でつましく生活している人ばかりです
貯金のある人はまだしも、ほとんど蓄えのない人で、夫婦二人合わせて十万円台の年金生活をしている人が沢山います。
さらに負担を押し付けると、ただでさえ貧しい生活に追い打ちをかけることになります。
こんなことをして先進国と言えるの?
そうではなくて、法人税も含めて金のあるところから取ってきて、経済政策と合わせて立て直すしかないでしょう。あなたは日本の貧困の実態を知らないんだよ。
貧乏な高齢者がいる現実を知らないんだよ。
具体的なデータを見ましょう。
http://goo.gl/MjOzG
(「日本における貧困の実態」国立社会保障人口問題研究所)
日本の全人口に占める貧困率は、16%ですが、
65歳以上の高齢者の貧困率は、20%を超えていて、
全人口の貧困率を超えています。
だから、企業、高齢者、現役世代を問わず、金のあるところから取ってくる以外に道はありません。応益負担によってこれ以上の負担を貧困層に押し付けることは
現代国家のやることではありません。
> 高齢者と若年世代は一対なんだよ
これが理解できなかったら、言葉は悪いですが、あなたは相当な馬鹿だよ。
一対に決まってるでしょうに。人口ピラミッドがどうなろうとその関係性は変わりません。
あなたの父母、祖父母がいるからあなたがいるんだよ?
その血のつながりさえ否定するの?
みんなそうです。家族がいるんです。
そして、自分もやがて高齢者になります。
高齢者への社会保障を削減するということは、それだけ本人の負担のみならず、家族への負担、
自分自身の老後への負担となって掛かってくるわけです。
だから、
その分、若いうちから蓄えないといけないし、蓄えるということは消費が抑制されます。
景気浮揚にとってマイナス要因です。
出生率の上昇を阻害します。
この理屈が分からないのかな・・・
それとね、
>一般的に、保守主義者とは経済面では自由主義を、道徳や宗教、
>国家観については古き良き伝統を信奉する人達を指すと認識しています。
>そして私自身は「古き良き伝統」の方に全く拘りがないだけの話です。
>ですから保守主義ではない。お分かりになりませんか?
だから、あなたは保守主義じゃないんだねって言ってるでしょう。
橋下と維新の会が政策の重要な柱としている、教育基本条例の基本理念には、
『五 我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土愛に溢れるとともに、
他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること』
このように書かれています。そして、真正保守の安倍晋三がこの条例の推進のためのタウンミーティングに参加します。あと つくる会の八木秀次とかね。
そもそも、維新の会には松井大阪知事を含めて自民党出身の人が多いです。
このように保守右派の念願を叶えてくれる勢力として維新の会にこぞって真正保守の
人たちが擦り寄っている現状があるんです。
で、あなたは、日本の伝統文化さえこだわらず、高齢者と若年を分断しようとしている(これは保守の道徳にさえ反します。)わけで、ただの薄ら寒い自己責任厨としか言えませんね。
観測霊さんへ
フリスキー
私は単に「歴とした世代間格差が存在しており、その偏りを是正すべきだ」と言っているだけなのですが、なぜそこまで話が飛ぶのか全く理解出来ないですね。馬鹿認定は別に構いませんが、フリスキーさんこそもう少し落ち着かれてみては?
junaさんへ
>言っているだけなのですが、なぜそこまで話が飛ぶのか全く理解出来ないですね。
いいえ。
高齢者と現役世代が一対だということは、明明白白なことです。
恐縮ですが、大事な点なので、同じことをもう一度言いますね。
あなたは父母から生まれ、父母は祖父母から生まれています。
そして、あなたもいずれ高齢者になります。
この地上に生きるすべての人は、早死でもしない限りは
生老病死というライフサイクルを辿ります。
そして、高齢者福祉を削減するということは、本人のみならず家族、
将来の自分への負担となって掛かってくるのです。
だから、
その分、若いうちから蓄えないといけないし、蓄えるということは消費が抑制されます。
景気浮揚にとってマイナス要因です。出生率の上昇を阻害します。
よって高齢者と若年は断絶する存在ではなく繋がっているのです。
何度いえばわかるのかな。
それと、世代間格差だけど、問題になるのは、
現在の高齢者の社会保障レベルと、現役世代の老後の社会保障レベルの
推測値の部分です。つまり、現在の経済状況、財政、システム、人口分布からの将来の
推測値に基づく社会保障受給の格差を言っているのであって、
何も、現在の、リッチな高齢者vs貧しい若年の
構図を言っているのではありません。
ですから、我々が考えるべきは、社会保障レベルを下げることではなくて、
それを維持していくために経済状況、財政、システム、出生率の上昇、労働人口の増加を
いかにして改善していくかを考えるべきなのです。
高齢者福祉を目の敵にするのは愚の骨頂ですよ。
考えれば考えるほどに馬鹿な発想です。
結局、現役世代の首を絞めていることにもなっていることにそろそろ
気づきましょう。
そもそも、
あなたは古典的自由主義を信奉しているそうですね。
ということは、なおさらのこと、人がどんどん金を稼いでリッチになることを
否定するわけがありません。
20代より30代、30代より40代、40代より50代と
収入が増え、貯蓄高が増えていくことは当然のこととして
肯定するはずです。
若年より金を持っている高齢者は、それは若年期からの労働と努力の蓄積による
結果なのであって、これを世代間格差だとして批判するのだとしたら、
古典的自由主義に反しますよ。(笑)
社会保障については、これは記述したとおり、システム全体の問題として
考えていくべきで、まず削減ありきでは、ただの思考停止でお話になりません。
富裕層に属する高齢者には応能負担によって、貧乏人よりも税負担および社会保障負担を重くすることに
異存はないはずですが、若年の富裕層の国民負担を重くすることには反対するのならば、
それはただの年齢差別であって、憲法14条の法の下の平等に反します。
結局、あなたの考えは、論理的整合性が取れていないんですよ。
>フリスキーさんへ…
現代国家のやることではありません。
貴殿のご指摘通りです。大賛成です。北欧諸国などの“共生社会”は、ノブレスオブ・リージュ;富の再分配の精神が根底に流れているから、日本と同じ資本主義社会であるにもかかわらず、相互扶助が微に入り細で、“揺り篭から墓場まで”安心して暮らせるんですね…。日本の富裕層は、社会保障制度維持の為、財政健全化の為の応分の負担を拒否しているという情けない状態なんですね。そのうえ非正規労働者をゴミの如くに使い棄て平気の兵佐…。貴殿ご指摘通り、日本が先進国なんてとてもじゃありませんが恥ずかしくて言えません。人間の尊厳を踏みにじる最後進国ですね…。今の異常な橋下人気をみると、なんと日本は馬鹿な国かと情けなく思います。彼は、新自由主義・市場原理主義の申し子であり、“共生社会”の対極にいる人物であるとわたしは断言します。核武装容認論者であり、日本経済を崩壊に向かわせるTPP推進論者です。橋下なんかに国政を任せようものなら、貧困層は拡大され、中小零細企業や中小零細農林水産業者は死活問題に直面することは火を見るより明らかですね…。弁護士ともあろう者が、日本の最高法規である日本国憲法を無視するという考えられないことをしていますよね。“無法者=橋下徹”は危険極まりなき人物ですよ…。やはりこの熱病にも似たハシモトシ礼讚状態が続くと日本はとんでもない国になってしまいます。やはり、政治は、庶民・貧困層など社会的経済的弱者をどう救済するかに腐心するべきなんですね…。ハシモトシのやらんとしていることは、統治機構を少し手直しするに過ぎず、社会的不条理・理不尽はそのままにする“マヤカシ”に過ぎないんです…。労働組合を“敵”と見做し袋叩きにする様な輩に、首長の資格なんてあるわけがありません…。 フリスキーさん…話しが大きくそれてしまいすみません…。m(__)m
日本が、まともな社会になることを祈るばかりです…。
フリスキーさんへ
秋原葉月さんへ
長々とお邪魔致しました。
最後になりますが、2ちゃんで見つけた面白いコピペを貼っておきます。
老人「お前が借金返して、俺の面倒を見て、俺を敬え。ところで、お前元気ないな」←今の日本
junaさんへ
財政赤字は、別に今の高齢者が作った借金じゃないですよ。
財政において、権力と決定権を有しているのは政治家と官僚であって、
そして彼らに最も影響力を有しているのは圧倒的に財界であって、
個々の高齢者ではありません。
長年に渡って財政赤字を膨らませ続けた政権与党は、保守政党、自由民主党です。
そして、自由民主党と財界、官界が結びついて利権を貪ってきたのです。
公共事業利権、利益誘導、天下り利権など、すべてそうです。
橋下のWTCの移転問題の失政など、その最たるものじゃないですか。
あれで、100億を超える損出を府に与えたんですよ。
それが借金として府の借金に上乗せされました。
さらに、このまま所有し続けた場合今後30年間の経費が約1200億円もかかってしまうという
ことです。
でも、橋下はそれで責任とった??
責任とらされるのは府民だよ?
そういうことです。
社会保障は国民全体の利益となって帰ってきます。
しかし、WTC移転の失敗のような初めから分かりきっていた無駄な事業は、損失のみで
市民にとって、なんの見返りもありません。
橋下もその重大な責任を糊塗したのです。
橋下は、財政赤字の拡大に手を貸したんですよ。
2ちゃんねらーは、そういうことには目をつぶるよね。
実に愚かだ。
junaさん、あなたは、
そういう権力者の責任は不問にして、どうして権力も決定権も有しない高齢者を目の敵にするの?
強いものに靡き、弱いものを叩き続ける2ch脳から目を覚ましませんか?
そんなことじゃ、民主主義国家として世界の常識である人権感覚は身につきませんよ。
そこから第一歩を踏み出しましょう。
謝罪の件、了解しました。
お気になさらないでください。
フリスキーさんとのお話にちょっと横レスですが、高齢者の負担が増大すると、その負担が高齢者の子ども世代(現在30歳~50歳くらいの世代)にも降りかかっていきます。親が生活に困窮しているのを、子どもとしては放ってはおけないですから、やはり経済的にもあるいは生活面でも支援をしようという事になります。
その結果、働き盛りで一番消費の大きい世代でもある人たちがお金を使いにくくなってしまうわけです。老齢の親が大きな病気をすれば、当然親の年金だけでは治療費をまかなえませんから、子どもから支援することになります。見捨てるわけにはいかないのですから。介護が必要になれば、またその負担が増えますし、更には自分の老後もあるし、子どもたちの将来のこともあるし…で、結局使うお金は必要最低限に抑えて、残りは貯蓄に向けざるを得なくなり、市場にお金が回らないという悪循環にはまってしまうのですね。更には日本全体として、賃金がなかなか上がりませんから、余計にお金を使いにくい状況になっていくわけです。
フリスキーさんが「高齢者福祉を削減するということは、本人のみならず家族、将来の自分への負担となって掛かってくる」とおっしゃっているのは、こういう事だと思います。誰だって、家族や自分たちの生活が大事で、それを第一に考えてしまうことはやはり責められないでしょう。
観測霊さんへ
はい。仰るように、高齢者が自ら負担しきれない分については、結局はその子世代が肩代わりする事になります。ただ、一時的にせよ直接負担を目に見える形にする事で、モラルハザードの解消が見込めるんじゃないかと考えた次第です。例えば医療費総額等はある程度抑制可能になるのではないでしょうか。