東京地裁でまたしても酷い判決が出ました。
やがてこの国を背負う子ども達が民主主義を学べる場所は子ども達にとっての初めての「社会」である学校です。
でも、君が代強制裁判でも実感することですが、本当にこの国は、民主主義の番人である司法までが民主主義教育というものを嫌っているのだなあ、と痛感します。
◆asahicom
「職員会議での挙手の禁止」は適法 元都立高校長が敗訴
http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY201201300599.html?ref=reca
職員会議での挙手や採決を禁じた東京都教育委員会の通知は教育への「不当な支配」にあたるなどと主張して、都立三鷹高校元校長の土肥信雄さん(63)が都に約1850万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。古久保正人裁判長は「通知が相当かどうか議論のあるところだが、職員会議を主宰する校長の裁量権を侵害したとは言えない」として土肥さんの請求を棄却した。
都教委は2006年4月、学校の運営方針を職員会議で決めるのは不適切だとの理由から、都立の学校長に対して挙手や採決で職員の意向を確認することを禁じる通知を出した。土肥さんは校長会やメディアで「民主主義的な議論を奪う」などと繰り返し主張。09年3月の退職前に非常勤教員の採用に応募したところ不合格とされ、「意見表明への報復だ」として訴訟を起こした。
判決は、都教委の通知について「挙手によって校長の決定権が拘束されていた一部の都立高の状況を改善し、校長が権限を十分に行使できる環境を整えるためのもので、必要性があった」と指摘。「教育への不当な支配にもあたらない」と述べ、通知の違法性を否定した。さらに、「通知はそもそも個人の権利を対象としたものではない」として、国家賠償請求の対象にならないとも述べた。
土肥先生が提訴に至った経緯をこちらでおさらいしておきましょう。
◆都教委包囲・首都圏ネット
1/30 元三鷹高校土肥校長の裁判の不当判決に対する弁護団声明
http://kenken.cscblog.jp/content/0002778731.html
1土肥氏が訴訟の提起に至った経緯(本件訴訟の全体像)について
原告の土肥氏は,東京都の都立学校教員として長年熟山こ勤務して,2005年(平成17年)4月からは都立三鷹高校の校長に着任しました。土肥氏は,東京都内に二百数十校ある都立高校の校長の中でも間違いなくトップクラスにランクされるべき素晴らしい校長でありました。このことは,この裁判において証拠として提出された,教員,生徒,保護者らの合計130通にも上る膨大な数の陳述書,あるいは,生徒や保護者から手渡された心のこもった色紙、さらには生徒達が土肥氏が退職するに当たって贈呈した表彰状などからも,何人も否定できない事実です。
しかしながら,土肥氏が2009年(平成21年)3月の定年退職後にも教員として活躍するために,非常勤教員の採用試験に申込みをしたところ,応募した校長のほとんどが合格となったにもかかわらず,土肥氏は東京都教育委員会(以下,「都教委」といいます。)により不合格とされました。
極めて優れた教育実績を残してきた土肥氏が不合格とされた理由は,都教委の都立高校の校長に対する不当な干渉に対し,土肥氏が校長としての職責を全うし毅然とした態度をもって,それが不当な干渉であると告発してきたことを,都教委が疎ましく思っていたからに他なりません。
都教委は,都立高校の校長に対して,職員会議における意向を聞くための挙手・採決を禁止して校長による職員会議の運営方法に不当な制約を加えたり,教職員の業績評価について校長が絶対評価を行うべきところを逆に一定の割合を示して相対評価を行うよう指導したり,式典における国歌斉唱実施のために校長が教職員に対して個別的職務命令書を発出することを強要したりするなど,教育現場への不当な干渉を続けてきました。
土肥氏は,東京大学卒業後に勤務した大手商社時代に談合に嫌気がさして職を辞したエピソードからも分かるように極めて正義感の強い人物です。土肥氏は,都教委による不当な干渉を黙って見過ごすことができませんでした。また,土肥氏は,都教委の不当な干渉により教育現場における教員の言論の自由が失われ,むしろ都教委の意図する教育現場の活性化とは真逆の教育現場に対する統制を強める結果となっており,将来的には生徒の言論の自由についても失われる恐れがあると強く危倶しました。
土肥氏は,三鷹高校校長在任中の2008年(平成20年)8月22日に記者会見を開くなどして,都教委による不当な干渉が行われている実態を明らかにしました。これにより東京都民ひいては日本国民は,日本の首都である東京都において,これに全く相応しくない教育行政が行われている実態を知るに至ったのです。
都教委は,このような土肥氏の勇気ある言動に対し,自らの教育行政の在り方について真筆な反省をするのではなく,逆に土肥氏のことを,非常勤教員採用試験の不合格という形で教育現場から抹殺しようとしたのです。
そこで,土肥氏は,都教委による教育現場への不当を干渉と,土肥氏に対する不合格処分とが,いずれも違法な行為(具体的な法律構成としては,不当な支配,業務妨害,校長の裁量権侵害,教育の自由の侵害,人格権侵害,都教委の裁量権の逸脱・濫用など)であるとして,2009(平成21)年6月4日に,東京地方裁判所に東京都を被告とする国家賠償請求訴訟を提起したのです。
しかし東京地裁は土肥先生に全面敗訴を言い渡します。
最近にしては珍しく朝日の社説がまともなのでお持ち帰りです。
◆2/1朝日社説
校長の「反乱」―教委の強圧を許す司法 判決理由からは、いまの学校現場への深い洞察は読み取れない。民主社会でなにより大切にすべき「精神の自由」への理解も、うかがうことはできない。
がっかりする判決が東京地裁で言い渡された。
東京都立三鷹高校の元校長、土肥信雄さんが都に損害賠償を求めた裁判の一審は、土肥さんの全面敗訴で終わった。
3年前、定年退職後も引き続き教壇に立ちたいと望んだが、都教委は認めなかった。790人が応募し、768人が合格したのに、不適格と宣告された。
土肥さんはどんな校長だったのか。裁判をとおして明らかになった姿はこうだ。
何百人もいる生徒の名前を覚え、声をかける。社会的リーダーの育成を目標に掲げ、補講のコマ数を増やす。定時制クラスにも顔を出し、さまざまな事情を抱える生徒と交流する。
保護者や地元有識者らがしたアンケートでは、生徒の85%、保護者の95%が「この高校に入学して良かった」と答えた。
だが、都教委はこうした評価には目を向けず、土肥さんのふたつの行動を問題視した。
ひとつは、職員会議のメンバーに挙手や採決で意思表示させるのを禁じた都教委の通知を批判し、メディアの取材にも応じたこと。もうひとつは、教員の評価方法をめぐり、やはり都教委に異を唱えたことだ。
どちらも組織の一員としての立場をわきまえず、協調姿勢に欠けると判断した。
都教委は挙手・採決禁止の理由を、学校運営の決定権は校長にあり、職員に影響されてはならないからだと説明する。通知は6年前に出されたが、追随した自治体はない。
これに対し、土肥さんは「最後は校長の私が決めるが、挙手で意見を聞いてなぜ悪いのか。職員がやる気を失い、教育現場から議論がなくなる害の方がずっと大きい」と唱えた。
だからといって、会議で挙手させたり採決したりしたわけではない。「悪法も法」として、通知自体には従っていた。
どちらの意見や対応が教育の場にふさわしいか。土肥さんだと言う人がほとんどだろう。
それなのに東京地裁は、再雇用は都教委に幅広い裁量権があると述べ、不採用を追認した。
力をもつものが異議申し立てを許さず、定年後の生活まで人質にして同調を強いる。こんな行きすぎを押しとどめるのが、司法の役割のはずだ。
息苦しい学校は、物言えぬ社会に通じる。そこからは明日をになう活力は生まれない
非民主主義的な上意下達を強制し、それに異を唱える者を決して許さず排除する都教委。
それをバックアップする日本の司法。
こちらで最高裁が描いているであろう教育観にふれましたが、この東京地裁の教育観はそれより大幅に後退しているのではないでしょうか。
職員会議で先生に発言の自由を認めず、上からの命令をただ唯々諾々と従わせる場にすれば、やがて命令に従うだけの、自由の尊さのわからない先生が量産されてくることでしょう。
教師がおよそ民主主義とかけ離れた上意下達の全体主義的な環境にいて、どうして、生徒に言論の自由や話し合いを尊ぶ民主主義の大切さを伝えることができるのでしょうか。どうして子ども達に民主主義教育を実践することなどできるでしょうか。
土肥先生の危惧通り、この反民主主義的な空気はやがて必ず子ども達にも浸透するでしょう。
そういう雰囲気の中でできる教育と言えば、個人の言論の自由や話し合いを否定する全体主義的、国家主義的な教育だけです。
それが東京地裁が描いている教育観なのでしょう。
(集会前、事務局のHさん(三鷹高校卒業生保護者)が述べたこと http://kenken.cscblog.jp/content/0002772689.html)
土肥校長へ卒業生たちが『卒業証書』を渡したのは、
それまで土肥さんが作ってきた学校の雰囲気(言論の自由)
が結実したものだった。
都教委が恐れるのはそういう子が育つこと。
橋下が恐れるのもそういう子が育つこと。
そして民主主義の番人であるはずの司法が嫌っているのもそういう子が育つこと。
お上に逆らわず、命令に従うだけの、およそ民主主義とは相容れないメンタリティを持つ人間を作り、社会に送り出せば、その社会はおよそ実質的な民主主義を維持することはできなくなるでしょう。
はっきりいえることはこの国は、国家をあげて民主主義教育を否定している、ということです。大阪で教育基本条例がとおれば教育現場はこれよりもっと酷いことになるでしょう。
しかしこの分だとバカ殿抑圧教育も裁判所で肯定される可能性が否定できません。
このまま十何年もたてば、この国に残るのはせいぜい選挙、議会、といった民主主義の「形式」だけ。中身の伴わない民主主義の抜け殻だけになるでしょう。
民主主義の精神という生きた血は、もうどこにも通わなくなくなってしまいます。
こちらも併せてお読みください。
◆マガジン9
最下位の成績を付けられた校長先生~元三鷹高校長への「報復」を認めた判決
http://www.magazine9.jp/don/120201/◆土肥元校長の裁判を支援する会
http://dohi-shien.com/html/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=36村野瀬玲奈さんが土肥校長についてずっと書いてらっしゃるエントリーもご覧ください、おすすめです。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/?q=%C5%DA%C8%EE%BF%AE%CD%BA&range=blog&is_adult=false&s=y&charset=eucjp-win
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