コメント
龍馬って資料が少ないから脚色しやすい部分はあるみたいですね。
僕も龍馬って行動力はあったのかもしれないけど実質的に松下村塾などの吉田松陰などが色々と考えたんじゃないかと思います。だから松陰の方が興味ありますね.
僕も龍馬って行動力はあったのかもしれないけど実質的に松下村塾などの吉田松陰などが色々と考えたんじゃないかと思います。だから松陰の方が興味ありますね.
nul
明治維新というのは誇大広告で、民主党が自民党に代わって一層悪くなったのと同じです。
>まさささん
何度も映画化されてて、みんな自分の理想の龍馬像を投影しているんでしょうね。
> resistantさん
徳川幕府も明治政府も、君主主権。
自民党政府も民主党政府も、主権はアメリカと財界に。
何度も映画化されてて、みんな自分の理想の龍馬像を投影しているんでしょうね。
> resistantさん
徳川幕府も明治政府も、君主主権。
自民党政府も民主党政府も、主権はアメリカと財界に。
小林多喜二もそうですが、山本宣治もお忘れなく!
では、わたしは田中正造を推しましょう。
> 龍馬って資料が少ないから脚色しやすい部分はあるみたいですね。
> みんな自分の理想の龍馬像を投影しているんでしょうね。
なるほど、そういうことなんですね。
ちなみに現代の一部地域ではそれを脳内補完、もしくは脳内設定といいます(笑)
ただそれはあくまで妄想であるという自覚が必要なはずなのですが、自分で作り上げた理想の龍馬像や、司馬遼太郎の小説や武田鉄矢原作のマンガといった「作家の妄想(言葉は悪いですが)」にすぎないものを、そのまま史実だと受け入れてしまうような人は「現実とフィクションの区別がついていない」のではないかと(^_^;)
そんな人たちに「最近の若者は現実とマンガorゲームorアニメの区別がついていない」などと言われたくないものだなぁと思います(笑)
> 龍馬って資料が少ないから脚色しやすい部分はあるみたいですね。
> みんな自分の理想の龍馬像を投影しているんでしょうね。
なるほど、そういうことなんですね。
ちなみに現代の一部地域ではそれを脳内補完、もしくは脳内設定といいます(笑)
ただそれはあくまで妄想であるという自覚が必要なはずなのですが、自分で作り上げた理想の龍馬像や、司馬遼太郎の小説や武田鉄矢原作のマンガといった「作家の妄想(言葉は悪いですが)」にすぎないものを、そのまま史実だと受け入れてしまうような人は「現実とフィクションの区別がついていない」のではないかと(^_^;)
そんな人たちに「最近の若者は現実とマンガorゲームorアニメの区別がついていない」などと言われたくないものだなぁと思います(笑)
>観測霊さん
政治家も過去の日本の偉人を例えにあげるなら、人権尊重に熱心だった人、民主的な人をあげて欲しいなあ、と思います坂本龍馬はそうじゃないですもん(^^;
話はズレますけど、「最近の若者は現実とマンガorゲームorアニメの区別がついていない」とのオトナのクレームですが、実際はオトナが思うほど「若者は現実とマンガ、ゲーム、アニメの区別がつかない」なんてことはなさそうです。オトナの先入観なんでしょうね。
話はズレますけど、「最近の若者は現実とマンガorゲームorアニメの区別がついていない」とのオトナのクレームですが、実際はオトナが思うほど「若者は現実とマンガ、ゲーム、アニメの区別がつかない」なんてことはなさそうです。オトナの先入観なんでしょうね。
坂本龍馬をネタにした英雄ごっこ
私は、戦時中に天皇制軍国主義と闘って国に殺された人たちのことを考えます。以下は、私のブログの以前の記事の焼き直しですみませんけど、こちらにも書かせてください。
『どのような人が国家によって政治的に称揚されているか、祀られているかを知ることは、その国家の特徴を浮き彫りにしてくれます。フランスのパンテオンには世界的な偉人も圧政に抵抗した人々も祀られています。一方、日本では第二次大戦中に軍国政府の圧政に抵抗した人たち、名前を出すなら、戦時中の特高警察に24歳の若さで殺された共産党員の飯島喜美さん、伊藤千代子さん、高島満兎さん、田中サガヨさんたち(ブログ「Chupika Szpinak」の記事、「白バラの祈り」を参照)は祀られることはなく、逆に、圧政側にいて戦争を推進した人たちが与党の政治家によって称揚されたり靖国神社に祀られたりしています。たいへんに倒錯した奇妙なことだと思います。』
ただ、それらの人たちの英雄的行動に賞賛と尊敬の念しか抱けない半面で、人々に英雄になれと求めることはできないとも思います。そのような殉教の英雄を必要としない社会をつくることこそが尊いことだと思います。
『どのような人が国家によって政治的に称揚されているか、祀られているかを知ることは、その国家の特徴を浮き彫りにしてくれます。フランスのパンテオンには世界的な偉人も圧政に抵抗した人々も祀られています。一方、日本では第二次大戦中に軍国政府の圧政に抵抗した人たち、名前を出すなら、戦時中の特高警察に24歳の若さで殺された共産党員の飯島喜美さん、伊藤千代子さん、高島満兎さん、田中サガヨさんたち(ブログ「Chupika Szpinak」の記事、「白バラの祈り」を参照)は祀られることはなく、逆に、圧政側にいて戦争を推進した人たちが与党の政治家によって称揚されたり靖国神社に祀られたりしています。たいへんに倒錯した奇妙なことだと思います。』
ただ、それらの人たちの英雄的行動に賞賛と尊敬の念しか抱けない半面で、人々に英雄になれと求めることはできないとも思います。そのような殉教の英雄を必要としない社会をつくることこそが尊いことだと思います。
坂本龍馬の取り上げられ方には私も違和感をもっています.ただ地元民としては,やはり龍馬は偉かったな,と思います.それは権力の後ろ盾をもたず,身分の上下関係で言えばまるで格の違う人たちと,しっかり交渉したからです.
ところで土佐にも松下村塾のようなものがありました.岡本寧甫という陽明学者で,1,000人の弟子を育てたと言われます.熟の近所に武市半平太の剣道場があって,付近はさながら尊王攘夷の巣窟のようだったと想像します.
それとジョン万次郎から米国の情報を得て絵入りの本を書いた河田小龍もそのご近所でした.
さらに,もう1人のご近所さんが中江兆民.関連記事からのトラバが通らないのでURLのところに貼っておきます.ご参照を.
坂本龍馬はご近所ではありませんが,武市半平太や河田小龍から龍馬へ,そして中江兆民へ,という人脈を見ることができます.明治維新から自由民権へと続く反権力の流れです.その流れの中で,やはり龍馬は大きな結節点となっています.
ただ,これらの事柄と,日本史の上で龍馬が「ただ場を引っ掻き回しただけ」だったかどうかという話とは,全く別問題ですね.歴史の評価は難しい.
ところで土佐にも松下村塾のようなものがありました.岡本寧甫という陽明学者で,1,000人の弟子を育てたと言われます.熟の近所に武市半平太の剣道場があって,付近はさながら尊王攘夷の巣窟のようだったと想像します.
それとジョン万次郎から米国の情報を得て絵入りの本を書いた河田小龍もそのご近所でした.
さらに,もう1人のご近所さんが中江兆民.関連記事からのトラバが通らないのでURLのところに貼っておきます.ご参照を.
坂本龍馬はご近所ではありませんが,武市半平太や河田小龍から龍馬へ,そして中江兆民へ,という人脈を見ることができます.明治維新から自由民権へと続く反権力の流れです.その流れの中で,やはり龍馬は大きな結節点となっています.
ただ,これらの事柄と,日本史の上で龍馬が「ただ場を引っ掻き回しただけ」だったかどうかという話とは,全く別問題ですね.歴史の評価は難しい.
>Ladybirdさん
>坂本龍馬の取り上げられ方には私も違和感をもっています.ただ地元民としては,やはり龍馬は偉かったな,と思います.それは権力の後ろ盾をもたず,身分の上下関係で言えばまるで格の違う人たちと,しっかり交渉したからです.
私も龍馬を「ただ場を引っ掻き回しただけの人物」と評価するのには疑問を感じますし、龍馬は気骨溢れる魅力的人物で歴史の流れの中に足跡を残した人からこそ、こうして人々に愛されているのだと思います(脚色はあると思いますが)私はそれを全然否定するつもりはないのです。
ただ国民の暮らし、権利、民主主義の発展のために働くべき現在の政治家が、何故もっと、村野瀬玲奈さんがあげられたような人権と民主主義のために圧政と戦い命を奪われた人物を引き合いに出さないのだろう、とそこを不思議に思うのです。
私も龍馬を「ただ場を引っ掻き回しただけの人物」と評価するのには疑問を感じますし、龍馬は気骨溢れる魅力的人物で歴史の流れの中に足跡を残した人からこそ、こうして人々に愛されているのだと思います(脚色はあると思いますが)私はそれを全然否定するつもりはないのです。
ただ国民の暮らし、権利、民主主義の発展のために働くべき現在の政治家が、何故もっと、村野瀬玲奈さんがあげられたような人権と民主主義のために圧政と戦い命を奪われた人物を引き合いに出さないのだろう、とそこを不思議に思うのです。
おっ、続いてる続いてる。
私は、鈴木東民(元釜石市長)が好きですね。
上手くいかなかった所も含めて。
私は、鈴木東民(元釜石市長)が好きですね。
上手くいかなかった所も含めて。
誰もが「この人のようになりたい」と気軽に思える人は英雄ではない
>たぶん、村野瀬さんが挙げたような人物は、カッコよくて颯爽としてカタルシスを感じさせるような英雄豪傑ではないからでしょう。
それは納得できる説明です。あるいは、「手柄を立てて生きながら賞賛を浴びたい」からという答えはどうでしょう。だけど、そのくらいの平凡な功名心を持った人が、たとえば投獄されたネルソン・マンデラのような境遇にあったらいったいどのように行動するだろう、とも思います。
英雄なんてものは、普通の人が気軽にめざすものではないですね。逆にいうと、誰もが「なりたい」と気軽に思えるような人は英雄ではない、とでも言いますか。
それは納得できる説明です。あるいは、「手柄を立てて生きながら賞賛を浴びたい」からという答えはどうでしょう。だけど、そのくらいの平凡な功名心を持った人が、たとえば投獄されたネルソン・マンデラのような境遇にあったらいったいどのように行動するだろう、とも思います。
英雄なんてものは、普通の人が気軽にめざすものではないですね。逆にいうと、誰もが「なりたい」と気軽に思えるような人は英雄ではない、とでも言いますか。
英雄というか、
本当に立派だなあという人は、
人権という観点から言えば、
岩手県の旧沢内村の村長、故深沢晟雄氏を
挙げたいですね。
全国に先駆けて、乳幼児および高齢者の医療費無料化を
断行した村長で、豪雪地帯の僻地でありながら
乳幼児死亡率ゼロという数字を達成させました。
彼は、無料化を推し進める過程で県庁から、
国民健康保険法違反を理由に待ったがかけられるわけですが、
役人に向かって言い放った言葉が、
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、
憲法違反にはなりませんよ。
憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民が
たくさんいる。訴えるならそれも結構、
最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。
しかし国がやらないのなら私がやりましょう。
国は後からついてきますよ。」
だそうです。
保守ホシュ言っている人たちは、
やれ自己責任だの、
社会保障政策を取ると国民が努力しなくなるとか、
頓珍漢なことを言って、人権の何たるか、
所得の再分配の何たるかをまったく理解しようと
しないところが不可思議でさえあります。
本当に立派だなあという人は、
人権という観点から言えば、
岩手県の旧沢内村の村長、故深沢晟雄氏を
挙げたいですね。
全国に先駆けて、乳幼児および高齢者の医療費無料化を
断行した村長で、豪雪地帯の僻地でありながら
乳幼児死亡率ゼロという数字を達成させました。
彼は、無料化を推し進める過程で県庁から、
国民健康保険法違反を理由に待ったがかけられるわけですが、
役人に向かって言い放った言葉が、
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、
憲法違反にはなりませんよ。
憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民が
たくさんいる。訴えるならそれも結構、
最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。
しかし国がやらないのなら私がやりましょう。
国は後からついてきますよ。」
だそうです。
保守ホシュ言っている人たちは、
やれ自己責任だの、
社会保障政策を取ると国民が努力しなくなるとか、
頓珍漢なことを言って、人権の何たるか、
所得の再分配の何たるかをまったく理解しようと
しないところが不可思議でさえあります。
じつはこの問題って、ブログ主様が日々指摘している、様々な問題に、根源的に関ってくる話ではないでしょうか。
日本って実は戦国時代以降、英雄って存在しません。
近代で世界史上の英雄を挙げるならば、非暴力運動のガンジー、黒人解放運動のキング牧師、日本に馴染みがあるところで辛亥革命の孫文てところでしょうか。
英名のみならず、悪名に至っても同様です。ナチスドイツのヒトラーがまず挙げられますが、そういう、正負いずれにしろ、時代を体現する一個人の名って特に近代の日本って無いんですよ。
そして、今挙げた名には一つ共通点があります。それは、その時代の人々に熱狂的な支持を得ていた、ということです。
英雄って、人々の望みを体現する存在なんです。特に近代は。
故にこそ、英雄と呼ばれる人々は現在になってもその国の誇りに成り得るのでしょう。
ヒトラーの件にしても、支持してしまったからこそ、今でもドイツの人々に真摯な反省と自戒の念を与え続けているのでしょう。
翻って、日本はどうでしょうか。小林多喜二や田中正造が熱狂的とは云わずとも、全国的な支持を得ていたでしょうか。
そして、彼らの行いは、日本全国の支持を得るには足らざる事だったんでしょうか。
軍国日本にしても同様です。イタリアやドイツと違い、責任の所在がぼけてしまってますが、これは求心の対象が個人ではなく制度だったことに起因するでしょう。要は固有名詞なんかどうでもよかったんでしょうね。
そして、本気で支持してなかったから本気で反省できない。
逆に本気で反対していれば石橋湛山あたりの名はもう少し日本人の心に刻まれてよい筈ですがそれもない。
なんか、こう、政治とか、歴史を動かすことは他人事というか、どこか別の世界の話って感じで、ただこう時代になったからただ従うだけ。そりゃ英雄なんて出てくるわけが無い。
でもフィクションの世界ならば、作家一人の支持で英雄なんて幾らでも作ることができます。そしてそういったものが人気なのであれば、英雄が不要であるほど成熟した社会でもない。
龍馬好きの財界人とか政治家とかネトウヨとか、小沢信者とか、所詮はフィクションの世界で酔ってるだけ。それぞれ物差しが違うから話合いにもならない。
・・・どうしたらいいんですかねぇ。
日本って実は戦国時代以降、英雄って存在しません。
近代で世界史上の英雄を挙げるならば、非暴力運動のガンジー、黒人解放運動のキング牧師、日本に馴染みがあるところで辛亥革命の孫文てところでしょうか。
英名のみならず、悪名に至っても同様です。ナチスドイツのヒトラーがまず挙げられますが、そういう、正負いずれにしろ、時代を体現する一個人の名って特に近代の日本って無いんですよ。
そして、今挙げた名には一つ共通点があります。それは、その時代の人々に熱狂的な支持を得ていた、ということです。
英雄って、人々の望みを体現する存在なんです。特に近代は。
故にこそ、英雄と呼ばれる人々は現在になってもその国の誇りに成り得るのでしょう。
ヒトラーの件にしても、支持してしまったからこそ、今でもドイツの人々に真摯な反省と自戒の念を与え続けているのでしょう。
翻って、日本はどうでしょうか。小林多喜二や田中正造が熱狂的とは云わずとも、全国的な支持を得ていたでしょうか。
そして、彼らの行いは、日本全国の支持を得るには足らざる事だったんでしょうか。
軍国日本にしても同様です。イタリアやドイツと違い、責任の所在がぼけてしまってますが、これは求心の対象が個人ではなく制度だったことに起因するでしょう。要は固有名詞なんかどうでもよかったんでしょうね。
そして、本気で支持してなかったから本気で反省できない。
逆に本気で反対していれば石橋湛山あたりの名はもう少し日本人の心に刻まれてよい筈ですがそれもない。
なんか、こう、政治とか、歴史を動かすことは他人事というか、どこか別の世界の話って感じで、ただこう時代になったからただ従うだけ。そりゃ英雄なんて出てくるわけが無い。
でもフィクションの世界ならば、作家一人の支持で英雄なんて幾らでも作ることができます。そしてそういったものが人気なのであれば、英雄が不要であるほど成熟した社会でもない。
龍馬好きの財界人とか政治家とかネトウヨとか、小沢信者とか、所詮はフィクションの世界で酔ってるだけ。それぞれ物差しが違うから話合いにもならない。
・・・どうしたらいいんですかねぇ。
近代日本の英雄、または暇人さんナイスパスありがとう
>日本って実は戦国時代以降、英雄って存在しません。
そんなことないですよ、
>その時代の人々に熱狂的な支持を得ていた、
そんな人が、ほら、いるじゃないですか。
日本人には珍しく、苗字を持たないあの人が。
近代以降の日本で、求心の対象は人ではなく「神」でした。
「神」を相手に責任を追及することはできません。
なので、責任を問うベクトルは見えない壁より上には向かわず、
丸山真男言うところの無責任の円環を描き続けるのでしょう。
反省できていないのは、未だに支持されているからだと思いますよ。
あの頃の熱狂は無いにせよ。
そんなことないですよ、
>その時代の人々に熱狂的な支持を得ていた、
そんな人が、ほら、いるじゃないですか。
日本人には珍しく、苗字を持たないあの人が。
近代以降の日本で、求心の対象は人ではなく「神」でした。
「神」を相手に責任を追及することはできません。
なので、責任を問うベクトルは見えない壁より上には向かわず、
丸山真男言うところの無責任の円環を描き続けるのでしょう。
反省できていないのは、未だに支持されているからだと思いますよ。
あの頃の熱狂は無いにせよ。
ふなぼりすたさん
あの人に対する支持って、単にあの一家の家長である、それ以上のものは無いでしょう。
固有名詞が与太郎だろうが秋月葉月だろうがふなぼりすただろうが暇人だろうが、さして差し障りはなかったでしょう。
どこぞの国のお手本であろう神聖化作業も、固有名詞を装飾する事は殆ど無かったと思います。
これはあの国と、似ている様で違うところですね。比較論考すれば学士論文の一本くらい書けそうです。
これは私の空想ですが、もし、アメリカ統治時代にあの一家が族せられても、一部将校の激発、というくらいで済んでしまったかもしれません。
そして多くの日本人はそのことに対し、歓喜もしなければ悲嘆にくれたりもせず、どこか別の世界の話みたいに受け止めてたんじゃないでしょうか。
むしろ、激発した一部将校あたりに人気出たりして。
話は変わりますが、思い出しました。そういえば最近、この国に、英雄になり損なったひとがいたっけって。
ご存知、鳩山由紀夫前首相です。
かの普天間問題、もし返還が実現していれば彼は当代の英雄に・・・なっていたとは限りませんね。
なぜなら、彼が普天間問題を失敗した理由は、彼の能力の無さだけには求められないから。
日本の総意ではなかったんですよ。普天間基地返還とは。
でなければ、あれだけの醜態をさらした後の選挙であれだけ民主党が得票した(議席はなんか減ってましたが)説明がつきません。
自民党に至っては議席伸ばしてるし。社民党消えかけてるし。
人々の支持が無ければ、ガンジーだってキング牧師だって、空想癖の強いおっさん、で終わっていたでしょう。
でも、沖縄に基地が在り続けるのが日本の総意なのかというと、そうでもない。
唯一つ、日本人に共通なのは「俺の家の隣に作るな」て事だけ。
ならアメリカに帰ってもらいましょうよ、といっても現状を変えるのも嫌らしい。
故に現状に不満を持ちつつ、消極的賛成。日本の負の伝統ですね。
あの人に対する支持って、単にあの一家の家長である、それ以上のものは無いでしょう。
固有名詞が与太郎だろうが秋月葉月だろうがふなぼりすただろうが暇人だろうが、さして差し障りはなかったでしょう。
どこぞの国のお手本であろう神聖化作業も、固有名詞を装飾する事は殆ど無かったと思います。
これはあの国と、似ている様で違うところですね。比較論考すれば学士論文の一本くらい書けそうです。
これは私の空想ですが、もし、アメリカ統治時代にあの一家が族せられても、一部将校の激発、というくらいで済んでしまったかもしれません。
そして多くの日本人はそのことに対し、歓喜もしなければ悲嘆にくれたりもせず、どこか別の世界の話みたいに受け止めてたんじゃないでしょうか。
むしろ、激発した一部将校あたりに人気出たりして。
話は変わりますが、思い出しました。そういえば最近、この国に、英雄になり損なったひとがいたっけって。
ご存知、鳩山由紀夫前首相です。
かの普天間問題、もし返還が実現していれば彼は当代の英雄に・・・なっていたとは限りませんね。
なぜなら、彼が普天間問題を失敗した理由は、彼の能力の無さだけには求められないから。
日本の総意ではなかったんですよ。普天間基地返還とは。
でなければ、あれだけの醜態をさらした後の選挙であれだけ民主党が得票した(議席はなんか減ってましたが)説明がつきません。
自民党に至っては議席伸ばしてるし。社民党消えかけてるし。
人々の支持が無ければ、ガンジーだってキング牧師だって、空想癖の強いおっさん、で終わっていたでしょう。
でも、沖縄に基地が在り続けるのが日本の総意なのかというと、そうでもない。
唯一つ、日本人に共通なのは「俺の家の隣に作るな」て事だけ。
ならアメリカに帰ってもらいましょうよ、といっても現状を変えるのも嫌らしい。
故に現状に不満を持ちつつ、消極的賛成。日本の負の伝統ですね。
司馬さんの創作部分はあるにせよ、龍馬に関して資料が少ないって事はないような気が…
本人が姉宛てに送った手紙がかなり残ってるし勝海舟の手記やらなんやらにも結構出てくるし薩長同盟の裏書きも残ってるわけで、どちらかというと資料多い方じゃなかったっけ…
イメージだけで資料が少ないと認識してるだけじゃ…
ほんの140年くらい前の人物なんだしさ。
そういえば中江兆民とかも確か「優しいお兄さんだった」的なコメント残してなかったけな?
それから功績についてだけど、薩長同盟には上に書いたように龍馬の裏書きが残っているし、いわゆる船中八策(元ネタは横井小楠とか大久保一翁、まとめたのは龍馬、書記は長岡だったかな)では議会制度や憲法制定など構想してたわけで、五箇条の御誓文だけじゃなくこれは後の自由民権運動にも繋がってはいる。
自由民権運動はまぁ土佐閥の失地回復運動の側面はあったにせよ議会制度・憲法制定に漕ぎ着けたわけではあるし、その中心には後藤・板垣が居て、特に後藤は大政奉還の主導者でもあり龍馬との交流もあった。
またその帝国憲法及び帝国議会には不備もあったけどそれなりに機能はしてたわけで、第二次大戦がなくても遅かれ早かれ今の民主主義にはなってたと思うから、龍馬が先鞭をつけたってのもあながちそう的外れな話ではないと思うなぁ。
確かに騒ぎすぎな感はあるけど、ちゃんと功績がある人なのは間違いないと思うよ。
右にも左にも利用しやすい所があるのが司馬さんにしても龍馬にしても不幸というか、ファンだけじゃなくアンチ的な人も増やしちゃう要因なのかもなぁ。
本人が姉宛てに送った手紙がかなり残ってるし勝海舟の手記やらなんやらにも結構出てくるし薩長同盟の裏書きも残ってるわけで、どちらかというと資料多い方じゃなかったっけ…
イメージだけで資料が少ないと認識してるだけじゃ…
ほんの140年くらい前の人物なんだしさ。
そういえば中江兆民とかも確か「優しいお兄さんだった」的なコメント残してなかったけな?
それから功績についてだけど、薩長同盟には上に書いたように龍馬の裏書きが残っているし、いわゆる船中八策(元ネタは横井小楠とか大久保一翁、まとめたのは龍馬、書記は長岡だったかな)では議会制度や憲法制定など構想してたわけで、五箇条の御誓文だけじゃなくこれは後の自由民権運動にも繋がってはいる。
自由民権運動はまぁ土佐閥の失地回復運動の側面はあったにせよ議会制度・憲法制定に漕ぎ着けたわけではあるし、その中心には後藤・板垣が居て、特に後藤は大政奉還の主導者でもあり龍馬との交流もあった。
またその帝国憲法及び帝国議会には不備もあったけどそれなりに機能はしてたわけで、第二次大戦がなくても遅かれ早かれ今の民主主義にはなってたと思うから、龍馬が先鞭をつけたってのもあながちそう的外れな話ではないと思うなぁ。
確かに騒ぎすぎな感はあるけど、ちゃんと功績がある人なのは間違いないと思うよ。
右にも左にも利用しやすい所があるのが司馬さんにしても龍馬にしても不幸というか、ファンだけじゃなくアンチ的な人も増やしちゃう要因なのかもなぁ。
このエントリーを読まれる皆様へ
このエントリーは
政治家が、自分を国民の暮らし、権利、民主主義の発展のための改革者であることをなぞらえるなら、何故真に人権と民主主義のために圧政と戦い命を奪われた人物(村野瀬玲奈さんコメント参照)を引き合いに出さず、龍馬を引き合いにするのだろうか。(真に人権と民主主義のために闘うということが分かってないのでは?)
というエントリーです。
別にアンチ龍馬のエントリーではないです(^^)
紛らわしかったかな?
政治家が、自分を国民の暮らし、権利、民主主義の発展のための改革者であることをなぞらえるなら、何故真に人権と民主主義のために圧政と戦い命を奪われた人物(村野瀬玲奈さんコメント参照)を引き合いに出さず、龍馬を引き合いにするのだろうか。(真に人権と民主主義のために闘うということが分かってないのでは?)
というエントリーです。
別にアンチ龍馬のエントリーではないです(^^)
紛らわしかったかな?
秋原さんまで・・・ガクッ・・・
タイミングが良すぎるので、まさか朝日新聞で偉大な精神科医である野田センセの記事を読んでしまって、見事に影響されてしまった思ってしまって・・・(外してしまいました?・汗)
護憲連中が、精神科医(患者を保護室に拘束する権力を持っている)である、関西学院大の野田センセに利用されてしまってはシャレにならん。
野田センセ、坂本竜馬でワーワー言いはじめたでしょ。医師免許を返上して精神科医の肩書きを名乗れないようになれば、まだ許せるが(精神科医でなく、一評論家として好き勝手言うのならばokなんだけど)。政治的な発言する時は、精神科医を辞めて言えって!
高給取り朝日新聞のゴマすり連中は本当にどうしようもない。
「香山リカと野田正彰」だけは気をつけろ。ヤツラは「精神科医」の「看板」を「都合よく利用」している「目立ちたがり屋連中」だ。彼らの言説を使うときは最新の注意が必須。
頑張っている真面目な臨床精神科医が、彼らのおかげで本当に苦しむ。
余計なお節介でした。
タイミングが良すぎるので、まさか朝日新聞で偉大な精神科医である野田センセの記事を読んでしまって、見事に影響されてしまった思ってしまって・・・(外してしまいました?・汗)
護憲連中が、精神科医(患者を保護室に拘束する権力を持っている)である、関西学院大の野田センセに利用されてしまってはシャレにならん。
野田センセ、坂本竜馬でワーワー言いはじめたでしょ。医師免許を返上して精神科医の肩書きを名乗れないようになれば、まだ許せるが(精神科医でなく、一評論家として好き勝手言うのならばokなんだけど)。政治的な発言する時は、精神科医を辞めて言えって!
高給取り朝日新聞のゴマすり連中は本当にどうしようもない。
「香山リカと野田正彰」だけは気をつけろ。ヤツラは「精神科医」の「看板」を「都合よく利用」している「目立ちたがり屋連中」だ。彼らの言説を使うときは最新の注意が必須。
頑張っている真面目な臨床精神科医が、彼らのおかげで本当に苦しむ。
余計なお節介でした。
>くろねこさん
>タイミングが良すぎるので、まさか朝日新聞で偉大な精神科医である野田センセの記事を読んでしまって、見事に影響されてしまった思ってしまって・・・(外してしまいました?・汗)
はい、外れです。私はその記事を全く知りません。その野田先生という精神科医も存じ上げません。
ですからくろねこさんがここでその方を批判して気を吐かれても何だかすごく場違い感が・・
はい、外れです。私はその記事を全く知りません。その野田先生という精神科医も存じ上げません。
ですからくろねこさんがここでその方を批判して気を吐かれても何だかすごく場違い感が・・
10月のはじめに、朝日で野田センセが「坂本竜馬」の事を書いていたので、「もしや」と思ってしまって・・・
いやはやとんだ勘違いでした。どうも、失礼しました。
いやはやとんだ勘違いでした。どうも、失礼しました。