何のための裁判員制度なのか~国会閉会中の死刑執行
- 2009/07/30
- 06:34
今回の執行は国会閉会中です。閉会中は国民の代表である国会議員がその死刑について問いただそうとしてもできません。この不意打ちの執行に私も強く抗議したいです。
春霞さんのBecause It’s Thereから一部引用させていただきます。
7月28日、3人の死刑執行~今まで例のない衆議院解散中の処刑を実行
(引用開始)
なぜ、法務省が批判を覚悟で執行したのかというと、裁判員制度を担う市民たちに死刑制度の存在を顕示するためのようです。「法務省は、批判を覚悟のうえで執行にこだわったようだ。鳩山元法相以降続いていた「約2カ月~3カ月に1回」という執行のペースは崩れていた。17年半ぶりに受刑者が釈放され、再審開始が決まった「足利事件」などがあり、「執行しようと思っても、見送らざるを得ない事情が続いた」(幹部)という背景があった。
だが、初めての裁判員裁判が8月3日に東京地裁で開かれることが決まった。ある幹部は「これ以上、期間が開いてしまうと、裁判員制度を担う市民たちに死刑制度の必要性を理解してもらえなくなる」との思いを漏らした。」
(略)
裁判員制度を担う市民たちに死刑制度の存在を顕示するために、死刑を執行するのは、あまりにも人の命を軽視した扱いです。裁判員に対して死刑制度の必要性を説くのであれば、裁判で説明すれば足りるのであり、裁判員にならない市民にも向けて命を奪うというデモンストレーションをしてみせる必要性はないはずです。
法務省とすれば、衆議院解散中であり、政治的な影響力が少ない時期にこそ、死刑を執行してみせることで、死刑制度が存在することを全国民に誇示して力(=官僚の力?)を見せ付けることで、裁判員裁判での裁判員にも死刑を下すことの覚悟を促すためになしたように思われます。
しかし、死刑の運用に対する透明性の確保や死刑制度自体が見直しの対象である現状において、死刑制度が存在することを全国民に誇示してみせることは、極めて政治的な判断ですから、法務官僚が独断で実施していいこととは思えません。
《ある幹部は「これ以上、期間が開いてしまうと、裁判員制度を担う市民たちに死刑制度の必要性を理解してもらえなくなる」との思いを漏らした。》
この発言で、法務官僚が何のために裁判員制度を導入したのか、垣間見えた気がします。
以前現代思想10月号より、裁判員制度を考える(3)で、「裁判員制度は国民を統治主体意識に絡め取ることが狙いではないか」という事をまとめてみましたが、やはり法務省の思惑はこれだったのかと。
ここでもう一度「統治主体意識」の説明を載せておきます。
司法制度改革審議会は、この制度を提言するにあたり「裁判の民主化」とか「国民主権」という言葉は全く使いませんでした。(略)「統治主体」としての公共意識を持ち能動的姿勢を強めるために国民に裁判に加わってもらうのであり、そのために裁判官と役割を分担し協力してもらうのだ、と説明しました。
ここでの国民の「統治主体意識」というキーワードが非常に重要です。一見するとそれは国民主権の原則の下に主権者育成を目的とするものであるように(略)見えるのですが、しかし実際には、(略)経済的強者とこれに一体化している国家権力が操作する市場メカニズムによる統治体制へと国民を組み込んで行くための巧妙で狡猾なマジックワードなのですね。
あらたに統治者側の特権を与えられたように見えますが実は、国民主権や人権保障から遠ざかってしまうのです。
(これは)新自由主義の時代における支配の道具であり支配の技術なのです。
ー参加させるのだけど、それはあくまで擬似的であり、結局は参加させられつつ統治される、ということですね。
ちょっとの間だけ権力の席に座らせてもらいその蜜の味を少し舐めさせてもらうことで、自分が統治する側にまわったような気にさせられることを、小田中教授は「統治主体意識」と呼んでいます。
普通なら殺人の罪になるところ、法と正義の名の下に堂々と人に死を命じることが出来るのが権力というものです。
裁判員席という権力の席に座ったら、躊躇せずに死刑判決を出しなさい、それは正しいことなのだから、という法務省の強いメッセージを感じます。
裁判員制度を強く推した日弁連などは、一般の市民感覚を裁判に取り入れることで今のような捜査機関に偏った裁判をただし、冤罪を減らせるのではないかという思いがありました。
しかし、裁判員に対して裁判官が推定無罪の説明をすることが義務づけていないことからも、裁判員導入によって誤判を少なくしようという意図は法務省にはこれっぽちもないのです。
何のための裁判への市民参加なのでしょう。
死刑廃止が世界的な流れになってるにもかかわらず、死刑制度をより強固な草の根に染み渡らせるための市民参加なのでしょうか。
「これ以上、期間が開いてしまうと~」という発想もどうかしていると思います。
本来死刑囚一人一人の死刑執行の時期は、政治的な判断やタイミングで選んではならないはずです。それは命をもてあそぶ、死刑囚の命を政治利用するということです。
この点でも憤りを感じます
こんな掟破りなやり方をしてまで裁判員に死刑の存在をアピールしたいのか、と思います。
◆死刑執行に関する会長声明より
(引用開始)
我が国の死刑制度とその運用が抱える問題は、国際社会からの注目を集め続けてきた。世界では死刑制度の廃止が潮流となっているにもかかわらず、日本では死刑判決およびその執行数が増加しており、こうした状況に対して、国際社会から、極めて深刻な懸念が示されている。昨年10月30日には、国際人権(自由権)規約委員会によって、我が国の死刑制度を抜本的に見直すことを求める多くの勧告がなされたところである。
国内においては、今年5月に裁判員制度が実施され、一般市民も死刑という究極の量刑選択に直面することから、死刑をめぐってかつてないほど活発な議論が展開されつつある。とりわけ、足利事件において精度の低いDNA鑑定によって無実の人が無期懲役の確定判決を受けていたことが明らかとされ、同様の手法によって死刑判決を科され昨年10月28日に執行がなされた飯塚事件にも注目が集まっている。今こそ、上記勧告を真摯に受け止め、死刑制度とその運用について十分な資料と情報に基づいた広汎な議論を行い、死刑制度が抱える問題点を様々な角度から洗い出し、改革の方向性を探るべき時である。(引用ここまで)
こうした情勢を考えられず、ベルトコンベア式に判子をおして国民に死刑制度は健在なりと見せつけることが「粛々と職責を果たす」ことだと思っているのが日本の法務大臣です。
今こそ死刑に対し慎重を期し、ましてや閉会中に執行はひかえるとの判断を働かせることこそ法務大臣の「職責」ではありませんか
以下のサイトにもリンクをはりますのでお読み下さい。
◆保坂展人のどこどこ日記
40年ぶりの「衆議院解散後の死刑執行」に抗議する
◆死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90
抗議声明
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