・国費の教育費に占められる割合がOECDの中で最下位
・家庭が負担する教育費が世界でトップクラス
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“高校や大学の学費無料をめざす”という国際人権規約の条項を承認していないのは、157カ国のうち、日本、ルワンダ、マダガスカルの3カ国だけという、教育最貧国ニッポンですが、来春開始予定の高校教育無償化が実現されればほんの一歩だけでも「人並み」に近づけるというものです。
高校進学率が90%を超えている現在、高額な教育費負担が多くの家計を圧迫し、それが少子化の原因の一つになっているのは間違いありません。高校、大学(私学ともなれば莫大)進学に備え、親は皆せっせと貯蓄に励みます。
大抵の親はそれが当たり前だと思っていますが、もし、先進国では高校無償は当たり前だし大学も無料または給付奨学金が整備されてる、と知ったら唖然とするでしょう。
あるべき教育の姿を考え、今の日本の教育環境を振り返るためにスウェーデンの教育について見てみましょう
この国のゆくえ 「教育費をタダにせよ」 親の所得格差が生み出す教育格差は亡国への道
(引用開始)
教育費が無料の国がある。鉛筆1本、ノート1冊までタダ。給食費もかからない。それどころか、16歳まで国から児童手当が支給されるし、高校に行けば卒業するまで児童手当の支給期間が延長される。うまくやりくりすれば、子どもの洋服代などの生活費を負担する必要もない。
「義務教育は無償」。どこかの国の文部科学省に問い合わせても、きっとこう答えるに違いない。だが、この国の義務教育は文字通りの義務教育。親の所得に関係なく、高校まで学校に通うことができる。
子どもを産み、生きることに不安のない国
もちろん、大学の授業料も無料である。手厚い奨学金制度があるため、学びたい人は親の所得に関係なく、意志と力で大学に進学できる。
この国の名はスウェーデン。人口900万人。高福祉で知られる北欧の小国である。子育て、教育、失業給付、医療、介護、年金――。人生の様々なステージで手厚く支援するスウェーデンは、子どもを産み、生きることに不安のない国と言えるだろう。
(略)
子ども1人を大学まで進学させるのに1000万円かかる日本
翻って、日本はどうか。子ども1人を大学まで進学させるためにかかる費用は、公立の学校に通ったとしても、1000万円を超えるコストが必要だと言われている。私立であれば、その倍は優にかかるだろう。日本の平均給与は約437万円(国税庁平成19年分民間給与実態統計調査結果より)。この中で、子どもの教育費を払い続けるのは至難の業と言っていい。
事実、この10年で給食費も払えない家庭が増えた。母子家庭の中には、義務教育すら困難な子どもが増えている。今回の不況によって、その数はますます増えるだろう。親の所得によって、教育の格差がつく――。それが、この国の現状である。
崩壊しているのは教育制度だけではない。年金や医療、介護、雇用など、日本の社会システムは様々なところに歪みが出ている。「子どもを産み、生きることに不安がない国」。冒頭でスウェーデンをこう評した。「社会の安心感」という点について、スウェーデンとはあまりに対照的な姿である。(引用ここまで)
給食費が払えない
修学旅行の積み立てが出来ず修学旅行を諦めねばならない
私学助成金を打ち切られたため途中で高校を諦めざるを得ない
こんなことが横行している日本からすればまるで夢のようですね。
日本では義務教育は授業料はタダとはいえ、それ以外の、制服代、給食費、部活代、遠足費、就学旅行代、、卒業アルバム代、塾費等々で、小学生年間31万円、中学生47万円かかることが文部科学省の調査でわかっています。
しかしスウェーデンでは、教科書代、ノート代、学校医療費、教材費、給食費がタダなのはもちろん、地域によっては通学定期も無償でもらえます。遠足費などの負担も少額ですみます。高校も基本的にはこれらは無料です。(有料の所もあるようです)
スウェーデンと日本の違いについて語ることは山のようにありますが、とりあえずひとつだけ。
私学助成金カットを取りやめるよう陳情しに来た女子学生を橋下氏が自己責任だと切って捨てたことに見られるように、日本では、義務教育以上の高等教育は「金を払って買うサービス」と捉えているように思います。
だから授業料も払えない貧乏人は我慢しろ、安い公立高校へ行く学力がなかった自己責任だ、みたいな人を見下した冷たい話になるのです。
しかし、高等教育は「金がない人間は諦めるべき贅沢」なのでしょうか?
これは教育を受ける権利とは何か、と言う根本的な問いに繋がると思います。
高等教育は有料サービスであり義務教育のように当然のように請求できる権利ではない、と考えるならば、授業料が支払えない者には基本的に学ぶ権利を保障してやる必要はなく、授業料が支払える者だけにその権利は認められるという考え方になります。
女子高生を自己責任だと言い放って泣かせた橋下氏やそれを支持する人々の高等教育に対する考え方はこうじゃないでしょうか。
それはなんて精神的、文化的に貧困なんだろうと悲しくなります。
学習内容が義務教育のものであれ高等教育であれ、学ぶ機会は貧富の差なく広く平等に保障されるべきだと思います。
成績が足りなかったから医学部に進学できなかったというのは仕方ありませんが、親にお金がなかったから医学部に進学できなかった、というのでは、全ての人間に等しく学ぶ権利が保障された豊かな教育環境が整ってるとは言えないでしょう。
またスウェーデンでは、学ぶ機会の保障は所謂学生の年代でなくても社会人であろうと等しくなされているところが素晴らしいです。
たとえば日本でよく言われる「今年高校を卒業した者の大学進学率」と言うのは、スウェーデンでは意味がないそうです。なぜなら、
(先掲のリンク日系オンラインより)
高校卒業後、すぐに大学に進学する学生はそれほど多くない。徴兵制度があるため、徴兵を済ませた後に、または企業に勤めた後、社会活動などを経験した後に大学に進学する人が多い。25歳以上で4年以上就職をして税金を支払った人だと、医学部のような特別な学部を除いて無条件(行く大学は高校の成績で決まる)で入学できる
一旦社会人になっていたら大学へ通う間は働けないので、その分国が援助してくれます。
大学生の年齢はバラバラですね。まさに「生涯学習」が保障されています。
そしてそれはスウェーデン人にだけではなく、外国人も所定の条件を満たせばその恩恵にあずかれるのが素晴らしいところです。(奨学金、住宅手当まである)
学ぶことは国籍を問わず全ての人間に保障された権利である、という考えが行き渡っており、門戸が開かれているのですね。
スウェーデンの教育について、
次の記事でもう少し見てみましょう。
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