鬼胎 黒い修道女


(冒頭から「ネタバレ」しています)

『プリースト 悪魔を葬る者』(2015)の女子高校生ヨンシン(パク・ソダム)は彼女から男の体に移動しようとする悪魔によって自殺未遂に追い込まれても自分の中で終わらせなければと踏ん張っていたが、続編の本作の少年ヒジュン(ムン・ウジン)は悪魔の手で母親を刺してしまったこともあり自分を殺してくれるよう頼む。最終的には修道女ユニア(ソン・ヘギョ)が癌を患った子宮に悪魔を閉じ込め自死する。このように女の方が犠牲精神を発揮する描写は嫌なものだ。前作主役のカン・ドンウォンを彼女の墓に参らせたところでごまかせるものではない。救ったヒジュンとの海辺での幻の場面も気味が悪かった。

「女が車から登場」の記号はハイヒール、あるいは逆にスニーカーだったりするものだがここではローヒールの黒い靴(あれでも走るとなれば走りにくいものなのかと映画の終わりに思うことになる)。降りてきたユニアはタバコを咥えポリタンクを携えている。悪魔の「叙階も受けられない女が出しゃばるな」との罵倒は女が普段言われることと同じなんだから可笑しい(最後に悪魔が名を明かすのも「女ごときに命令される雑鬼」と言われて逆上したように見えてしまう)。こういった、女の話となればどう変わるのかという面白さはあった。

前作では司祭二人の出動前にムーダンがお祓いをしていたのに韓国らしさを感じたものだが、こちらではそれどころかユニアは元修道女のムーダンであるヒョウォン(キム・グッキ)に協力を求める。いわく「うちらもムーダンも世間から見れば同じ変わり者」。ユリアの片耳が不自由なのは「悪魔のささやきは聞こえる」、すなわち霊的存在が何に働きかけてくるかという問題の提示かと思われたのが、ヒョウォンの弟子(シン・ジェフィ)が吃音であることで別の意味も持つ。彼が書物を飛ばされても太鼓の皮を破られても祈祷を続けるあたりは映画が輝いていた。

悪魔祓いを否定するパク神父(イ・ジヌク)はヒジュンを攫って治療を施そうとするがその症状に怖気づき引き下がる。彼が立ちはだかるとの予想が外れ拍子抜けしていたら、そのような「弱い」男でも組織がかばい要職に付けてくれるというわけなのだった。前作は非公式だからと表立っては保護してもらえない男二人の話だったが(そのためか奇妙にも潜入ものの空気を感じた)、本作では必要な聖具の受け渡しも儀式の筆頭者も現場には来ないパク神父に命じられる。結局男の力が必要だというのは、何でも使わなければ物事を行えないという女の現実を表していると受け取ればいいのだろうか。