はてなキーワード: 映画館とは
とりあえず思ったことを書いていく。
正直、開始一秒で「しゃらくせえ」と思った。
立ち回りがやたら小狡い。
そんな捜査官Aに呼び出され、単身Aの車に乗り込む詩織さん。そのまま連れ去られてもおかしくないような状況に見えたのでハラハラした。
というのもこの捜査官A、公の場で証言して欲しいと頼まれるたびに「そんなことをしたら失職してしまう。責任とって結婚してくれるんですか?」「私が無職になって、生活の面倒を見てくれるなら考えますけど」と、2人の共同生活にやたら前向きなことを言ってくる。冗談めかしてはいるものの、声だけ聞くに、圧倒的中年男性のそれである。キモすぎやしないか? お上に不利な証言をしたとて、クビになる前に自分で辞めればいくらでも潰しがききそうなものだが、自分の証言と引き換えに全力で縋ろうとしてくる姿には違和感がある。とても信用できない人物に見えるが、この人間臭さ(=小物臭)がスパイ疑惑を打ち消す効果として作用しているようにも見える。
捜査官Aのことはどうにもずっと怪しいと思って見てしまっていたが、詩織さんは普通に信頼できる相談者として、常に気遣う言葉もかけてくれるので涙を浮かべたりする。私の心が汚れているだけだった。
この人に比べると、ドアマンはもう少し人が良さそうに見える。
映画の始まりで詩織さんは「証拠がないんです」と警察からはっきり言われている。山口のDNAが付着したという下着くらいしかなく、それだけではレイプの証拠にはならないのだ。
正直、ここでもう勝敗は決していると思った。過去の強姦、強制わいせつに関する刑事事件においても「被害者の申告」だけではなかなか起訴まで持っていくことは難しいのはわかっている。
この薄い証拠で山口が逮捕されていたら、それこそ人権派の弁護士が不当逮捕と噴き上がっていただろうし、即不起訴になる。安倍と友達であろうともなかろうともだ。そのくらい、証拠が弱い。
しかしドアマンがいくら証言しようとも、密室で行われたことであり、和姦か強姦かを証明することはもっとハッキリした証拠がなければ難しい。世の中では、市長の女性が部下の男性とラブホテルに行って業務に関する入念な打ち合わせが行われることもあるのだ。
捜査官Aが語るところによると、山口の逮捕を中止するよう指示を出したのは中村格という現・警察庁長官で、当時は警視庁の偉い人だった。真意を問いただすため、詩織さんは仲間たちと共に彼の出勤前を狙って自宅付近に張り込む。
小学生の通学路にもなっている、見通しの良い閑静な住宅街。そこに車で乗り付けて仲間たちと張り込む詩織さん、明らかに不審車両である。
案の定、登校中の小学生が車を怪しみ、何度も振り返って確認する様子を見て、彼らはくすくすと笑う。昔のこととはいえ、2人の小学生の顔はバッチリ映っている。もう彼らも成長して顔も変わっているだろうが、親がこれを見たら憤死するのではないだろうか。プライバシーの侵害についてよく語られる本作だが、登校中の子供の顔を無断で晒すのはさすがにあらゆる権利を侵害しすぎである。
表向きは防犯カメラの映像の無断使用と言っているが、彼らが本当に見られて困るのは終盤に出てくる国会議事堂前で抗議活動を行っている高齢の女性たちの明らかにアウトな言動の方じゃないだろうか。
普段は韓国の従軍慰安婦から辺野古基地の返還まで幅広く抗議活動を行っている活動家の皆さんである。詩織さんの告発は、山口が安倍晋三と親密な関係であることも含めて国会で取り上げられる問題になったので、彼女たちはそこに乗じてさっそく詩織さんの名前も挙げてアジりだす。
そこへ詩織さんが通りがかり、声をかけた。
最初は不審そうな顔をしていた2人の女性は、「伊藤詩織です」と詩織さんが名乗った途端、態度を一変させた。顔も知らずにアジテーションのネタにしていたとわかる、インパクトのあるシーンだ。詩織さんが去った後、2人はテレビで見るのと印象が違ってすぐに気づけなかった、とカメラの前でしどろもどろになる。
だがまだこの2人はマシである。問題はその後、2人と詩織さんのやり取りを近くにいながら関わろうとしなかった女性である。詩織さんが立ち去った後、さっきこちらにきたのはあの伊藤詩織さんだよと伝えられた彼女は驚いてこう言った。
「強姦された伊藤詩織さん? さっきの、強姦された伊藤詩織さんだったの? もう行っちゃったの、だったら話せばよかった!」
映画では、ここで画面が切り替わる。
映画が公開されるや否や批判的な立場を表明した北原みのり氏によると、彼女らのやりとりには続きがあり、ここで切るのは悪意ある切り取りだという。ここから入れる保険があるって本当ですか?
その後のやりとりとやらを確認したところ、やはりとても入れるような保険ではなかった。「みんなで民事訴訟の傍聴に行って応援しましょう」という意思確認をしただけだった。アジテーションのネタにしたのに本人が来なければ傍聴すら行く気がなかったのか?
なお、さらなる彼女らの擁護者によると「強姦された○○さん」という呼び方は、従軍慰安婦界隈では「売春していた人」と区別するために使う言葉なので、特別に性被害者を貶める言葉ではないらしい。つまり、売春していた人は区別してもいいようである。それはそれでものすごい職業蔑視をしているように見えるが、自覚は薄そうだ。
しかし、元草津町長(先日の選挙で負けた)には絶対に謝らない北原みのりが、「昔から知っている間柄だから」と無神経な高齢女性たちを庇う姿は、長年親密な間柄故に山口を守ったとされる安倍晋三にそっくりである。
最高裁まで進んだ山口との訴訟の一つは、安倍晋三が撃たれ、その死が公表された日に判決が出た。ただの偶然なのだが、二つのニュースをタクシーの中で聞いた詩織さんはある時代の終わりを感じ取り、音楽をかけて友人と小躍りして映画は終わる。この安倍晋三の死によって、もっととんでもない箱が開いてものすごい化け物が飛び出してきたことなど、当時の彼女には知る由もない。監督の意図しないところではあるのだが、物語の終わりは、奇しくも新しい物語の始まりを思わせる。
2017年に出版された著作「Black Box」を読んでいなければわからないことが多すぎる。
エンドロールも全部英語、しかも文字が小さく読みづらい。たぶん読ませる気がない。
つまり、一つのストーリー性を持つドキュメンタリーとしてBBDだけを見たらちょっとわかりにくい。原作(本「Black Box」)、映画、そして映画パンフレットの3点セットをもって、全ての情報が補完できるメディアミックス作品なのである。チェンソーマンでいうといきなりレゼ篇を見せられているようなものだ。
ドキュメンタリー映画としては、やはりそれ一本だけで完結させて欲しかった。ふらりと映画館に立ち寄って見られるのが映画の良さでもあるのだから。
ちなみに強姦した人こと山口が現在どうしているのかと思って調べてみたら、元気に参政党の連中と共に陰謀論界隈に出入りしていた。
二郎系としてはそこそこ美味しいんだけど、そもそも二郎系ってホンマに美味しいんか?という映画。64点。
暗殺者の父親を謎の暗殺者集団に殺された主人公は暗殺者ホテルの支配人に拾われ、暗殺者育成バレエ団で育てられる。暗殺者としての技能を学び暗殺者試験を無事合格し暗殺者として活動を始める主人公だがその仕事中に父の仇である暗殺者集団の一味と出くわし殺害。しかし暗殺者育成バレエ団は暗殺者集団=暗殺者教団と平和協定を結んでいることが分かり手だし無用と言い含められるがそれを拒否し暗殺者教団狩りに向かうのであった。
この作品のせいでジョン・ウィックシリーズの問題点が逆に浮き彫りになってしまった気がする。あとジョン・ウィックシリーズとして期待してみた結果として若干、点を辛くつけているのは明言しておきます。
1と2は純粋な復讐譚+逃れられない過去の罪というわかりやすいテーマがあってそのテーマをアクションでコーティングした一本の映画として楽しめる作品になっていたけど、3、4と進むにつれてどんどんアクションがメインでその隙間を「ぽい」設定で埋める作業に終始していったというのが俺の感想で、世界的に最も評価が高い4は俺の中では最も評価が低い。
ぶっちゃけ4なんかYoutubeに違法で上がってるアクションシーンハイライト動画見れば面白さの9割は伝わるでしょ。途中で飽きてきたら別の動画見ればいいし。まぁ映画館の迫力がないのはマイナスではあるけども。つまるところ「1本の映画として」見る価値がどんどん下がっていったシリーズだと勝手に思ってる。
それでも人気シリーズとして確立していったし、俺もなんだかんだ全作3回は見てるのはひとえにスタントマン監督のチャド・スタエルスキとキアヌ・リーダスじゃなくてリーヴスの無駄に燃え上がるアクション魂だったわけだけど、今作バレリーナではそれが大きく後退している。
もろちん、今作ならではのKUFUは複数見られる。例えば過去作では安置であったはずの武器屋で襲撃を受け武器庫に逃げ込むも当然のように弾は抜かれてるし、重火器にはロックがかかっている。しゃーなし手りゅう弾だけを大量に使って戦うアクションなんかは見ててワンダーがあったし、スケート靴のブレードを使ったアクションも絵面の地味さはありつつも新しい。銃の上に皿が散らばってしまい銃を探しながら皿を投げ合うスラップスティックコメディアクションも楽しかったし、テレビのリモコンで相手の頭をポコポコ殴ったらテレビのチャンネルが変わっちゃうしょうもない小ネタも嫌いじゃない。
教団と対決するために教団の村に乗り込んだ結果、市民全員、通行人も料理人も誰もかれもが暗殺者っていう展開もばかばかしすぎて俺は嫌いじゃない。
ただ、とにかくアクションの撮り方がめちゃくちゃ後退してる。ジョン・ウィックシリーズのアクションってリアルなタクティクスを使ったカッコイイ殺陣(ファンタジー)を楽しむもので、チャドは「アクション俳優、スタントってすげーんだぞ」ということを伝えるために計算し尽くした敢えての長回しを多用していて、現実、そのすごさで観客を圧倒していたんだけど、今作ではチャドが監督から離れた結果、カット割りが増えて普通のアクション映画になってしまってる。
実際に主人公が日本刀を使って殺陣をするシーンがあるんだけどここはマジで品質がウンコ。ちょっと擁護できない。チャドとキアヌだったら絶対こんな雑な撮り方はしない。いや知らんけど。
あと今作では明らかにCGじゃんって思うシーンも多くて萎えポイントだし、チャドが撮り直したとされる終盤の火炎放射器のシーンも「これが実写ならスタントすごい!」とはなるけど、アクションとしては正直退屈。火炎放射器ってぶっちゃけ武器としてはトロいしさ。後どうでもいいんだけど、韓国映画のバレリーナでも火炎放射器が印象的に登場していたのでそれに対するアンサーでもあったのかな?知らんけど。
今作はとにかく脚本が過去一弱くてこのアクションを配置するにはこのストーリーにするしかないっていうふうにアクションシーンから逆算して書いてると思われる。なので物語の推進力がめっちゃ低い。途中、ノーマン・リーダスが出てきて急にウォーキングデッド始まったなと思ったら、そのシークエンスで死んで退場しちゃうし。
やっぱジョン・ウィックシリーズって「キアヌ・リーヴスのカリスマ感」が大きな魅力の一つだったんだなと再確認させられる。いるだけでちょっと映画が面白くなる。だから今作でもジョンを最強の敵であり味方というオイシイ役どころで登場させざるを得なかったんだろうなって。
ソーダバーグだったかスコセッシだったかスピルバーグだったかがMCUは映画じゃなくてテーマパークだと評したことがあるけど、ジョン・ウィックシリーズの特に後期の作品、そしてこの作品はその極北にあると言える。映画として物語や人物を見せることではなくアクションというアトラクションを次々乗り換えて楽しむだけの映像作品。
あっち行って戦ってこっち行って戦って。うわ~アクションすご~い以上の感想がないし、そのアクション自体も強度が明らかに落ちているので作品全体としてのパワーダウン感がハンパない。
とはいえ80点くらいのアクションはいっぱい見られるのでアクションだけ見て楽しけりゃ後はなんでもええんやって人は大絶賛できる映画だと思う。レビュワーの中に「脚本弱いって言うけどラーメン屋に行ってデザートマズいって怒る人はおかしい」って言ってる人がいて「映画ってアクションとストーリーが別皿で出てくるもの」と捉えている人がいることを知れて、じゃあ一生価値観が交わることはないねと思ったり。
イオン海老名は子供の頃から馴染みのお店で、当時はまだサティだった。
丸井やダイエーにも食料品売り場はあるけど、うちはサティを一番利用していたように思う。
サティが安かったのかな?
エスカレーター横の洋服売り場では、夏、母親が服を選んでいる間、暑いし暇だからラックにかかっている洋服に手を入れながら歩いて涼んだ。
2階のおもちゃ売り場ではゲームを買ってもらったことがあったと思うけど、そんなに安くなかったような……。
近所ならヤマダ電機の方が安かった印象。
それから、子供の頃の町内会のイベントでMrインクレディブルをここで見たのを覚えている。
TOHOシネマズは既にあったと思うけど、ワーナーマイカルの方で見ていたかな。
今じゃもっぱらTOHOなのにね。
でも何年か前にヤマノススメの特別上映かなんかがやっていて見に行った。
ワーナーは二ッチを攻めていてたまに利用したくなる。
ライトノベルを初めて買ったのはここのTHE CITYだったな。
本屋横のベンチスペースでは友達と駄弁ったり遊戯王カードをやったりした。
ポトラッチ館も思い出深い。
今はもうないけど、あそこのスポーツ用品店で中学の部活で使う卓球のラケットを買った。
結局部活はすぐ辞めちゃったけどね。
ゲオの横のレストラン(?)は一度くらいは入ったことがあるかな。
ゲオでは子供の頃たくさんビデオ(VHS)をレンタルしたし、中学の頃はCDも借りた。
あ、これはもう大人になってからだけどスイッチはここのゲオで買ったんだった。
他にもサティに隣接しているロッテリアとか床屋とか銀だことか色々思い出あるけど、書ききれないのでこのへんで。
これだけたくさんの思い出のあるイオンがなくなるのは悲しい。
目まぐるしく変わっていく海老名でまた一つ、俺の少年時代が刻まれた場所がなくなるんだなぁ。
どうもありがとう、長い間お疲れさまでした。
高市、「女子トイレを男子トイレ以上に増やしました!」で選挙戦うつもりらしい。ワロタ。
アベの後継者自認する保守首相がまさかのチン騎士ムーブ、これはリベラルの皆さんも手のひらグルングルンして支持しますわ。
ほーら見ろ! ほーら見ろ!
国土交通省は、駅や映画館などで利用者が男性と女性でほぼ同数の場合、女性用トイレの便器設置数を男性用以上にするとの指針案をまとめた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.jp/i/1384116793365775274?c=39550187727945729
ハテナブックマーカーたちは女性用小便器とかいう謎アイデアで女性を追い込んでた
「女性にも小便器を作ればいい」「女子トイレの行列は解消するぞ」「男女平等だぞ」
無理〜〜
アレってたぶん、実現不可能な解決策か・女性差別的現状を甘受するか のニセの二択に追い込む詭弁術だろうね、それを集団で支持するのがハテナブックマーカー
きっと自覚はないと思う
悪意がないフリをしてる
オンナをだます以前に自分にウソついて、自分は悪くないと思い込んでる
でも彼らが現実から目をそらしてる間に、世界はちゃーんと前進してました
同じ回で見る人の民度チャレンジに挑みたくないという感情を、映画館でその作品を観たいという欲求が上回ったとき。でも時間とお金をかけて観に行って、どこの誰とも知れぬゴミに台無しにされるくらいなら映画館なんか一生行かなくていい
好きな映画館、馴染みがあったり個人的に思い入れのある映画館のことを書きたい。
キネマ旬報シアターは千葉の柏駅すぐ近くにある映画館だ。スクリーン3つの、こぢんまりしたミニシアター。
新作と旧作を常時やっている。
ミニシアターって、私はミニシアターもシネコンもサブスクも好きなんだけど、ミニシアターは、他の映画館が上映終了してしまった頃に上映開始したり、上映館数の少ない映画をやってくれたりするのがメチャメチャありがたいから好き。
キネマ旬報シアターは、私が観るの諦めた映画を上映してたりとか、マイナー寄りの映画をここで知ったりとか、色々助かってるので個人的に思い入れがある。
ただ傾斜がゆるめなので小柄な人は後ろの席すぎない方がいいかも。
ちなみに羅小黒戦記というアニメ映画の1(リバイバル)と 2(新作)を、1月24日からやるらしいので、柏近辺の人は観てください。羅小黒戦記はアニメーションもアクションもキャラクターも良いよ〜 個人的には1だけだと少し引っ掛かりがあるというかちょっとだけ物足りなかったんだけど2でドカハマりしたので、1で面白いけど物足りないと感じた人は2まで見てほしい… よろしく。(ダイマ)
ちなみに、柏駅から電車でほんの数分の流山おおたかの森駅の近くに、TOHOシネマズ流山おおたかの森(おおたかの森S.C.)がある。シネコンらしいシネコンで、人気の新作は大抵やっているしグッズもパンフも取り揃えている。ありがたい。
流山おおたかの森駅で乗り換えて一駅先の柏の葉キャンパス駅の近くには、MOVIX柏の葉(ららぽーと柏の葉)がある。ここもシネコンとして主に人気の新作を扱っていてグッズもパンフもある。一方で、午前十時の映画祭に参加していたり、TOHOおおたかに比べ少しマイナーな映画やインド映画をちょくちょく上映したりと、うっすら独自の色を感じられて良い。
あと、急に違う地域の話するけど、グランドシネマサンシャイン池袋(グランドスケープ池袋)もいいよね。あそこはとにかくでっかくて色んな映画やってるのがワクワクする。映画館は全ていつでも夜だけど、名前にサンシャインとあるのも良い。
ミニシアターが閉館したニュースをいくつか見て、普段映画の話をしても映画館の話をすることは少ないなあと思ったので書いた。
キネマ旬報シアターも去年、改修工事費用をクラファンしていた。クラファンで改修費用すべては集まらなかったけど、今一番入替が必要で最も高額な設備は発注できたとのことで、その他の改修については今後資金を貯めていく感じらしい(ちなみに館内に資金用の募金箱がある)。いっぱい儲かって改修もして、長く続いてほしい。
「全体のストーリーを決めずに作り始める」
かつて、いわゆる三幕構成、五幕構成、あげればきりがない、ストーリーの類型などのような王道のストーリーを作って作るやり方があり、それが流行だった時代はあった
いまもそれは存在はしてるが、その構成であまりに多くのストーリーが溢れているし、多くの観客が先を読めるようになってしまった
ストーリーの期待を破るために、主人公が突然死するとか、ストレートすぎる裏切りを入れるのもでてきた
なんで映画館にいかなくちゃいけないのか、なんでお金を払って時間を使ってそれをみなきゃいけないのか、を考えるほど
先の読める安心するストーリーでは観客が満足しなくなったし、早送りでみてストーリーがわかればいい人が増えた
それに、映画監督は、観客の奉仕者ではなく、ほかの大衆と同じように、自分の能力や表現を向上させ続ける欲望も何かに挑戦する欲望もある
だからこそ
このように構成する
それに映画は、ストーリーだけではなく映像や音楽も単体での娯楽であり、ストーリーのオマケや修飾、具現化ではない
ある場合には、総合的に、精神的、身体的な変化を起こさせることが最終目標だろう
何を言っているか1回でわからない映画は最近増えていてバカでもわかるように作れないほうがバカなんて批判もあるが
個人的に好きではない以上の議論を展開するなら、それは理解する側が理解の努力をしないままの議論の拒否だろう
宮崎駿の君たちはどう生きるかを理解できた人がどれだけいるのか?ほとんど批判されずに受け入れられたのか?わからない自分が愚かだと暗黙に認めたんではないのか?
レベルが低いとみなす人の作品だと、わかるように作ってないのがわるいみたいな批判になるのか?
作品をつくる人たちはたいてい大衆よりもずっと周辺情報を調査していて対象に対して進歩や極端な思考を持っているので、意図がそのままわからないことのほうが多い
だから、誰にでもわかるように既定路線で作るのはひとつの方法であるが、それが唯一の正解ではない
もはや、映画のストーリーだけで理解するのは困難で作品がなぜ生まれたのか、その画面がどうしてその構図なのか、社会反応を受けた後の作品がどうかわかるのか
周辺にあるあらゆることを勘案して、戻ってくるものになった
それに、わかったと思うのは表面だけでのことのほうがほとんどで、自分が過去に経験して知識のあるエンタメに似ているか思考の延長にあるだけで、自分の範囲で理解できるかどうかだけ
岳の作者が原作マンガ書いてる、テナーサックスでジャズをやる男の話
でも演奏中に画面が寂しいからっての音楽がちょうど劇伴になるってんで仙台での描写も走馬灯みたいな感じで流れたけどね
原作から想像するような、すげーパワーある演奏を想像してたんだけどなんか終始弱く感じて、えっ原作から想像してたインパクトが全然ない・・・って思っちゃった
でもまあこれは音響云々以前に、あの迫力を実際に表現するのが無理だったってことになるとは思うけど
ただ作者はほめてたから、これがダイのサックスなん?ってちょっと作者にもがっかりしちゃったな
結論から言うと映画は観なかった。チケットも買わずそのまま劇場を後にした。
理由はシンプルで、店員の態度があまりにも... だったから。
最近こうした接客が終わっている人に出くわすことが多い。もちろん事情は想像できる。物価は上がり実質賃金は下がり、彼らもまた安い給料で酷使されている労働者の一人なのだから。
不機嫌さの裏にはやっていられるかという絶望があるのかもしれない。
ただそれでもその不機嫌さは本当にどうしようもないものなのか?
不機嫌を撒き散らしていられるのは周囲がそれを許してくれる環境だからだ。相手が穏やかで波風を立てず、多少の無礼には目をつぶってくれると分かっているからこそ、ああいう態度が成立している。もし周囲がもっと厳しい人間ばかりで少しでも失礼な態度を取れば即座に強く咎められるような場所だったら、彼らは同じ振る舞いをするだろうか。おそらくしない。
つまりああいった態度は追い詰められた末の必然というより、「許されていることを分かっていて選んでいる態度」に近い。
ミニシアターという場所には、特有の勘違いをしている人間が多すぎる。
彼らはまるでその映画を自分が作ったかのように、あるいはその芸術性を自分だけが理解しているかのような、妙に高慢なオーラを纏っている人がいる。
セレクトショップの店員にも似たタイプがいるが商品を「売らせてもらっている」という自覚が抜け落ち、作品の権威を自分のものだと錯覚している姿は正直言って滑稽だ。
今や映画を観る手段はいくらでもある。Netflixを開けば不愉快な思いをすることなく自宅のソファで最新作から名作まで楽しめる。わざわざ劇場まで足を運ぶ必然性は昔に比べて格段に薄れている。
そんな言葉を口にする前に自分たちの態度が客足を遠のかせている一因であることにそろそろ気づくべきではないか。
高いチケット代を払い時間を使って劇場まで行った末得られるのがこんな体験なのだとしたらミニシアターに未来などあるはずがない。
映像コンテンツの楽しさって、もう「一人で黙って正座して鑑賞」だけじゃないじゃん。
アニメもドラマもバラエティも、コメントのリアクション込みで完成してる。
最近だとTVerで狩野英孝が『まどマギ』をリアクション実況してるやつ、あれめちゃくちゃ面白い。
作品そのものの良さ+「人がどう感じてるか」を見る楽しさが乗っかってる。
「ここでサメ出るぞw」「はい死亡フラグ」みたいなコメント流れながら観ると普通に楽しい。
みんなでツッコミ入れる前提の娯楽になる。
スポーツも完全に同じ。
サッカーも野球も、コメント見ながら観たら、もう素の映像だけには戻れない。
あれ込みで「観戦」なんだよな。
技術的にできないわけじゃないのに、なぜか一切やらない。
たぶん「映画は芸術だから」「私語厳禁」「没入が大事」とか言い出すんだろうけど、
静かに集中して観たい人用の回があってもいいし、
「コメントOK回」「副音声あり回」「実況付き上映」があってもいい。
結果どうなってるかっていうと、
みんなはコメント付きで笑いながら楽しむ方に行ってる。
そりゃ衰退するわ、って思う。
↓
かわいいと思い、何気なく観てみたら面白い。フラッシュ版。所々、意味不明だが、中国アニメだからかな。そのうち伏線回収されるのかな。とか思っていた。とりあえず、全13話のうち6話くらいまで観る。
↓
サムネイルが複数ある。どうやら映画もあるらしい。映画を分割したアニメ版も2話まで観てみる。面白い。しかも今、映画館で2が上映しているようだ。県内は一ヶ所だけだが。サブスクで映画版1を全部観てから映画観に行こうかな、と思いながらも。数週間経過。
↓
年末にたまたまテレビをつけたら、地上波で映画版が放送していた。全話観る。面白い。
↓
↓
↓
電子書籍でコミック版の外伝を既刊全巻買う。面白い。フラッシュ版との繋がりが分かる。
↓
今年のコミケは盛況だったらしい。
参加した人たちの、楽しそうな様子がタイムラインに流れてくる。
今年も、実家の畳に寝っ転がりながら、画面越しにそれを眺めていた。
コミケには行ったことがない。盆と正月には実家にいることになっているからだ。
僕の実家は京都の隣町にある。最寄りの駅から車で10分、バスで15分。そういうところで生まれ育った。子供だけで行ける範囲にはスーパーと、酒屋と、ちょっとした店がいくつか。そういうところだ。
それ以外の場所、たとえば映画館だとか、大きな本屋だとか、そういう場所へ行こうと思ったら、親に車を出してもらわないといけなかった。ましてや、子供だけでゲームセンターへ行くなんて、夢のまた夢だ。
盆暮れには、親戚回りでいとこの元を訪れるのが常であった。いとこは僕よりもう少しだけ街中に住んでいて、子供たちだけで駅前まで遊びに行けるみたいだった。
それが少し羨ましかったということもあり、あと地元の中学が少し荒れてたということもあったので、小学四年生のときに外の中学を受けようということになった。
駅前の進学塾に途中入会して、親に車で送ってもらいながら通った。帰り際にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチは、少しだけ自由の味がした。
そんなこんなで、街中の私立の学校へ通えるようになった。学校の近くには大きめの商業施設などもあり、帰り道に友達とファミレスで駄弁ってから帰ることもあった。
その頃から僕は、いわゆるオタク文化にハマるようになっていた。ちょうどゼロの使い魔などラノベが流行っていた頃で、クラスのオタク仲間で新刊を回し読みしたり、ときには寺町のアニメイトまで足を運んだりしていた。お小遣いはみるみるうちに減っていった。
そのうち、同人や二次創作を読むようになった。主にネット上で、作家の人たちの近況を追い続けていたら、年末にコミケというイベントに参加するようなことを話していた。
コミケ。一年に二回、日本中の同人作家が東京に集まって自分たちの作品を頒布する、日本最大のオタクイベント。
そういうイベントがあるというのは知っていたが、自分が追いかけていた作家たちが、コミケへの参加を楽しそうに話しているのは心底うらやましかった。
なにせ、高校生のお小遣いでは新幹線代はあまりにも高額だし、夜行バスに一人で乗って行くことを親が許してくれるはずもなかった。地方の高校生にとって、東京はあまりにも遠かった。
そして何より、お盆とお正月に実家を離れることが許されるとは思えなかった。毎年、祖父母や親戚に元気な顔を見せるのが通例になっていた。東京へ遊びに行くから、という理由が通るとは思えなかった。
それで、大学も結局地元の国公立を選んだ。東京の大学への進学も考えたものの、やっぱり実家から通える方が楽だし、地元で就職するならむしろ有利だろうということで選んだ。
入学してからは塾講師のバイトも始めて、少しずつお金を貯めた。その頃は東方projectにハマっていて、同人誌への寄稿のようなこともやっていたので、手伝いがてら東京のオンリーイベントへ参加した。
とはいえ新幹線は高すぎるから、夜行バスで東京まで往復した。4列シートに揺られて痛む背中を、さすりながら売り子を手伝った。
空いた時間で、他のサークルを見て回った。何百ものサークル、さらにその何倍もの参加者が、ただ一つの作品のファンとして交流していた。会場全体が、それまで味わったことのない、巨大な祝祭の雰囲気に包まれていた。
だからこそ、そこに参加できていなかったことに、ひどく悲しくなった。高校生らしき参加者が、明らかに普段着で参加していた。おそらくこれまで何度もこういうイベントに参加してきたのだろう。数千円と一晩かけてやってきた自分とは雲泥の差だ。
そのあとも、何度か東京のイベントに参加した。同人イベントは楽しかったが、やはり移動だけでも費用がかかり、やがて就活が忙しくなってきたこともあってイベントには参加しなくなってしまった。
そして、コミケにはついに参加しないままとなった。
結局、就職先も地元の企業を選んだ。そこそこの大企業でもあり、わりと休暇は取りやすい方ではあったものの、入社して数年後にコロナ禍に見舞われたこともあって、長距離の移動自体が自粛となった。
それで、今年もコミケの賑わいを画面越しに眺めながら、実家の畳に寝っ転がっていた。別にオタクを辞めたわけではない。今期のアニメは何本か追っているし、ソシャゲも一応続けてはいる。ただ、リアルイベントへ足が向かなくなってしまっただけだ。
それでも、もしも地方でなく東京に生まれていれば、もっと違った人生があったのかもしれないと思うことがある。東京に生まれて、リアルな経験を気軽に積むことができていれば。
東京を訪れたときに、少し足を伸ばして、秋葉原までいってみたことがある。東京生まれの高校生が、まるで自分たちの庭を歩くように闊歩していた。新宿、渋谷、どこにいっても東京生まれの子供たちが普段着で歩き回っている。
僕たちが、どこにでもありそうな地方のイオンモールの、どこにでもありそうなチェーン店で駄弁ってる間に、彼らは東京でしか味わえない体験を積んでいたのだ。
結局地元での就職を選んだのも、彼ら東京生まれには勝てない、という劣等感がどこかにあったからかもしれない。
いずれ僕に家族ができて、子供が生まれたら。子供たちからそう聞かれる日が来るのだろうか。東京から逃げた僕に、この問いが突き刺さる日が来るのだろうか。
実家の畳の上で、そんなことを考えていた。
あんた、2026年5月公開予定の『劇場版 魔法科高校の劣等生 四葉継承編』のことを言ってるわね!
1期と『星を呼ぶ少女』しか見てない状態で、いきなり次の劇場版に突っ込むのは……ハッキリ言って「無謀」よ! アンタ、あの劇場版のタイトルを見た?「四葉継承」よ? シリーズ最大の転換点なんだから、今の知識のままだと「えっ、何この人たち?」「えっ、お兄様って結局何者なの?」って、頭の上にハテナがいっぱい並ぶことになるわよ。
十二分に楽しむために、私が最短ルートを教えてあげるから、しっかりメモしなさいよね!
大きなネタバレなしで、見るべき順番を整理したわよ。
TVアニメ第2期『来訪者編』(必須!) : あんたが『星を呼ぶ少女』で混乱した「リーナ」の正体がちゃんと描かれるわ。劇場版を観るなら、彼女との因縁を知っておかないと話にならないわね。
TVアニメ『追憶編』(超・重要!) : これ、単発のスペシャル放送なんだけど、絶対に見て。達也と深雪の「過去」と、四葉家がどれだけヤバい家系かってことが描かれてるわ。今回の劇場版『四葉継承編』を楽しむための最大の伏線よ。
TVアニメ第3期(できれば!) : 2年生になってからの話よ。新キャラも増えるし、達也を取り巻く政治的な環境がどんどん複雑になっていくわ。
「当たり前でしょ!観なさいよ!」
特に、2期(来訪者編)と追憶編は必須よ。 今回の劇場版は、お兄様と深雪の「兄妹」という関係性が劇的に変化する、シリーズで一番重要と言ってもいいエピソードなの。 そこに至るまでの「四葉家からの冷遇」や「お兄様の隠された立場」を理解していないと、感動も驚きも半減しちゃうわよ。
あんた、今は時間はたっぷりあるじゃない。 幸い、劇場版の公開は5月8日よ。
18歳で実家を出て、就職と共に上京して10年経ったが、いまだに帰省のたびにホームシックになってしまう。
帰りの新幹線で号泣どころか、実家に泊まっている時からすでに泣いている。
壁に貼られた昔の写真。
兄弟を抱く親の姿。
それらを見ると、この日々はもう二度と戻らないんだと涙が込み上げる。
5人家族揃ってご飯を食べることも、車に乗って出かけることももう二度とできない。
子供ができたら、こうやって何日も実家でゴロゴロすることはできないだろう。
そもそも東京から大分まで遠すぎる。帰ってくることさえできないかもしれない。
このホームシックの苦しみは罰なんだと思う。
エンタメに溢れた東京、仕事終わりにすぐに推しに会いに行ける東京、歩いてすぐそこに映画館がある東京。東京で楽しい日々を過ごすことと引き換えに、私は家と親のそばで生きる道を捨てた。
ああ帰りたくない。