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戦争発生するのは自爆攻撃です。日本で神風特別攻撃隊の他、陸・海・空で多種多様なそれが行われていました。一方で実は第二次世界大戦中のドイツでも自爆攻撃がミッションとして実施されていたことがあるといいます。(写真は突入まえに脱出する兵器)

概要だけ紹介すると第二次世界大戦中、ドイツが自爆攻撃を実施したのはドイツ空軍第200爆撃航空団の第5飛行中隊(レオニダス飛行中隊)だといいます。その任務はドイツ空軍に志願し爆弾を搭載した航空機を使用することでした。

これは日本みたいに半ば強制ではなく志願制でした。そこには「自爆することで自らの命が死に繋がること完全に承知する」という一文の同意書と共に志願した兵士らで戦中70人あまりが参加したといいます。自爆攻撃については1944年2月にオットー・スコルツェニーとハヨ・ヘルマンにより考え出されたといい、時期としては日本が自爆攻撃をするようになったときよりも早かったとのこと。

ドイツでは当時、自爆攻撃はどのように評価されていたのか。少なくとも第200爆撃航空団の司令官は貴重な航空機と人命の浪費に繋がるとして反対していたといいます。そこで戦闘機に無人のJu-88をとりつけ爆撃機を制御、切り離し爆撃機だけを突入させるという案を提案したもののいずれも飛行速度が遅いなどの理由で敵機の餌食になり被害がでたとのこと。

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自爆攻撃の実施

結果として、ドイツでは実際に航空機を使用した自爆攻撃は実施されることになります。具体的にはソ連がベルリンに迫る末期頃だったといい、戦闘機のメッサーシュミットBf 109とフォッケウルフFw 190に爆弾と片道分のガソリンを積んで出撃した。

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その目標は当時ソ連軍が設営したオーデル川にかかる橋でした。合計で35人がこの自爆攻撃に参加し17の橋を破壊したとしているものの、実際に破壊されたのは1つの鉄橋にすぎなかったといいます。

その後1945年4月にソ連軍が自爆攻撃で飛び立った基地に迫ったことで放棄され部隊も消滅しました。

参考