2024.12.18
女性社員を「女の子たち」と呼ぶ職場で陥った貧困生活
『まじめな会社員』で知られる漫画家・冬野梅子が、日照量の少ない半生を振り返り、地方と東京のリアルライフを綴るエッセイ。
【前回まで】:働きやすかった事務職の会社に、同僚のセクハラ事件を目撃したことをきっかけに見切りをつけた冬野さん。次の職場は女性が多く、待遇もよかったのですが……。
(文・イラスト/冬野梅子)
第20話 気がつけば貧乏
次の会社は不動産関連の会社だった。
求人サイトに「東京オリンピックまでに上場を目指す」と書かれており、東京オリンピックが彼らにとって特別感を持つ重要な存在であるらしいことに大きなギャップを感じたが、未経験からでもCADというソフトを使った図面制作に携われる点と、新宿勤務という立地の良さに惹かれて入社した。以前の事務の仕事は、接客や営業も伴う金融機関に比べればだいぶ楽だったが、苦手な電話対応も少なくないし、やはり人数の少ない会社では帰属意識やフレンドリーさが求められる点も、本当はずっと嫌だったのだ。それに比べてここなら仕事の大半は図面と向き合うだけだろうし、今年から図面制作チームを大量に雇っているらしく同期が多いようだ。今まではたった一人の新人として注目を避けられなかったので、大人数に埋もれて働くという環境はかなり魅力的だった。
実際、働き始めてからも日々のストレスの少なさは後にも先にもこの会社が最も高かった。図面制作チームの所属するオフィスは9割女性で、上司は技術者として現場に出向くことが多く不在、仕事は図面チームの先輩から回してもらいぼちぼち進めていくという形だった。周りも20代から30代の女性で、みんな新人なので上下関係もなく、変な相互監視の空気も出来上がっておらず、社内政治を気にして誰かの顔色を伺う必要もなかった。
ランチも各自で自由にとるので、自前のお弁当の私はデスクでネットサーフィンしながら食べるか、天気のいい日は隣のビルの中庭で食べたりした。内勤の私にとっては天国のような環境だったが、たった一回の面接で入社できる点からも想像がつくように、実はブラック企業であった。正社員の男性は主に測量士で、彼らの所属する各支店は深夜残業・休日出勤が当たり前らしい。偏見かもしれないが、企業理念に「感謝」とか「幸せ」とか書いてある会社ってなんでブラックなんだろう。今のところ、本社は無理な残業もないので絶対に支店勤務は避けたいと思っていた。
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ところが、ものの半年でこの本社勤務の図面チームは解体され、女性社員は支店配属となった。最初は支店のヘルプに行ってほしいと通達され、期限や理由を聞いてもはぐらかされ、結局そのまま支店から帰ってこないという流れだった。図面チームの人数がどんどん減っていき、みんなも会社の思惑に勘づいて、転職を考える人や上司に直談判する人もいた。だって、新宿勤務、女性の多い職場、残業少なめ、という条件がよくて入社したのだから、勤務地も変わり周囲も男性ばかりの職場になるなんて当初の予定とあまりにも違う。私も部長にメールで抗議を入れたが無駄に終わった。上司の中に、この図面チームを解体したがっている人がいるという話は聞いていたし、なんとなく目星もついていた。いつも意味もなくこのオフィスにやってきて、ニヤニヤしながら女性社員に声をかけ、ちゃんと仕事しているか見張りにきていた上司だろう。あるいは直属の上司含めて全員かもしれない。いずれにせよ残業しない風潮をよく思わない類の人間。こういう人を見るたび『es』という映画を思い出す。とある実験で看守役と囚人役に分かれて一定期間刑務所のような場所で過ごすうちに、両者の行動がどんどんエスカレートするという内容だった。権力や立場を与えられた監督者というものは、配下の人間がのびのび働いていると気に障り、支配力を行使しないと気が済まないのだろう。ただ測量チームにしてみれば、日が暮れる頃に仕事を終え図面を作ってもらおうと電話すると図面チームはもういない、というのは不満が募るのもわかる。しかし、それは私たちのせいじゃないだろう。でも羽より軽くポイっと異動させられるのは私たちだった。
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次の勤務地は住宅街にある支店だった。居住地を考慮しての異動なので家からは近くなるが、電車の乗り換えが面倒だし通勤時間は変わらない。何より退社後に出かける時に不便なのが不満だった。この頃はインディーズバンドのライブに行くことが多かったので、移動しやすい新宿にいないなら働く意味がない。
支店勤務になる前は、先のような測量士からの不満の噂を聞いていたので、どんなに冷遇されるのかと気が滅入っていたが、意外にも仕事自体は問題なかった。配属先には、既に20代と40代の女性社員がいて毎日定時に帰っているようだし、他の男性社員は支店長も含めて現場作業に出向くため日中は誰もいない。そして彼らも、女性社員をどう扱っていいのかわからないようで親切だった。親切なのは、この会社における私たちの位置付けが「女の子たち」だからだろう。実際、支店長が私たち三人を呼ぶ時に「女の子たち」と呼んでいた。「じゃ、電話があったら女の子たちに」「女の子たちー! これなんだけど」という具合。30代の私も40代の女性社員もどう考えても女の子じゃないし、その呼び方は明らかにアウトである。支店長、まだ40代なのにこの感覚? いずれにせよ、私たちはいわゆる「女子供」の扱いで、大変な仕事や残業の強制が免除されていたが、当然対等にも扱われていなかった。作業を効率化しようと図面制作のスケジュール化を提案しても、「うんうん、大変だよねー、でもやってあげて」と受け流され、空き時間があるので倉庫の整理をしたいと申し出ても「うーん、いや、いいよいいよ」とかわされる。そういう時の支店長は「女の子の愚痴を聞いてあげるのも上司の仕事」という顔をしていた。困り眉毛で目を細めて、なだめるように頷く顔。女子供の提案を聞き入れるなんてもってのほかだし、みんなが持て余している散らかった倉庫の整理をして役に立たれても沽券にかかわるのだろう。
私は舐められた立場をありがたく有効活用し、ライブの日などは率先して半休を入れ、飲み会は適当に断って、毎日ダッシュで定時に帰ったが、仕事のできる20代の女性社員は気の毒だった。まともな提案もスルーされ、図面を頑張って作っても評価(給料や役職の上昇)が望めない。一度、社長が訪ねて来て現場に出て仕事をやってみないかと提案されたらしく、給料や評価制度も測量士と同じになるのかと聞いてみたところ、スッと席を立ってそのまま消えたらしい。これは比喩ではなく本当に、フラッとトイレにでも行ったかと思ったら何分待っても戻って来ず、いつのまにか帰っていたそうだ。図面制作で雇われた女性社員が何人か現場のサポートに行っていると聞いていたが、給料は内勤と同じなのだろう。そういえばベテランの測量士さんからも、深夜に社長が来て「なんで誰もいないんだ!」と怒鳴って帰ったと聞いた。深夜残業に怒るのかと思ったら……。こんなにリテラシーの低い会社は初めてだった。
しばらくして、当然ながら20代の女性社員は会社を辞め、しっかり者の同僚が減ったことで私はますますサボりに精を出した。当時の私はアンケートバイトで小遣い稼ぎをしていた。基本的には簡単なアンケートに答えて地味にポイントを貯めるのだが、時々どこかのビルに出向き、発売前の商品のCMなどを見て感想や印象を答えると数千円の謝礼がもらえるというものもあった。その連絡は電話で来るため、着信があるとダッシュで外に出て電話を受けた。だって当時、本当にお金がなかったから。
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