「然」を含む四字熟語一覧
然を含む四字熟語の一覧です。
五十音順に表示しています。
唖然失笑(あぜんしっしょう)
突然の出来事に驚いて、思わず笑ってしまうこと。 「唖然」は予想外の出来事で驚いて呆れること。 「失笑」は無意識に笑ってしまうこと。
黯然失色(あんぜんしっしょく)
衝撃を受けて気力を失うこと。 「黯然」は暗い様子。または、顔色を失うこと。 「失色」は元の色が失われること。または、顔色を失うこと。 本来の色が消え失せて、暗く冴えない色になるという意味から。
安然無恙(あんぜんむよう)
病気や怪我などがなく、心を悩ませることもなく穏やかなこと。または、軍事などでそれまでに損害が出ていないこと。 「安然」は穏やかな様子。 「無恙」は健康で悩みなどもない様子。 「安然(あんぜん)として恙(つつが)無し」とも読む。
怡然自得(いぜんじとく)
心が落ち着いていて、満ち足りていること。 または、自分の心を理解し、喜び安らぐこと。 「怡然」は喜び楽しむ様子のこと。または、悩むことなく道理を理解する様子のこと。 「自得」は現在の自分に満足すること。または、自身の心の内側を自身で理解すること。 「怡然として自得す」とも訓読する。
一目了然(いちもくりょうぜん)
ほんの少し見ただけでも、はっきりとわかること。 「一目」はほんの少しだけ見ること。 「瞭然」はしっかりとした区別があり、わかりやすいこと。 「一目了然」とも書く。
一目瞭然(いちもくりょうぜん)
ほんの少し見ただけでも、はっきりとわかること。 「一目」はほんの少しだけ見ること。 「瞭然」はしっかりとした区別があり、わかりやすいこと。 「一目了然」とも書く。
一結杳然(いっけつようぜん)
文章の後に残っている風情。 「一結」は文章に一旦まとまりをつけること。 「杳然」は悠然という意味。
一旦豁然(いったんかつぜん)
ふとした時にいきなり迷いがなくなり、悟りが開けること。 「一旦」はとある朝。 「豁然」は迷いがなくなって悟りが開けること。
威風凛然(いふうりんぜん)
りりしく、威厳のある様子。 「威風」は威厳に満ち溢れている様子。 「凜然」は勇ましく、引き締まっている様子。 「凜然」は「凛然」とも書く。
威風凜然(いふうりんぜん)
りりしく、威厳のある様子。 「威風」は威厳に満ち溢れている様子。 「凜然」は勇ましく、引き締まっている様子。 「凜然」は「凛然」とも書く。
易地皆然(えきちかいぜん)
人は地位や立場などが異なるので考えや行動に違いがあるが、立場をかえてみれば皆同じことを考えたり行ったりする。 考えや行動は地位や立場によって左右されるものであるということ。 「地(ち)を易(か)うれば皆(みな)然(しか)り」とも読む。
塊然独処(かいぜんどくしょ)
独りきりで動かず静かにしていること。 「塊」は土の塊のことで、「塊然」は動かずに独りきりでいる様子。 「独処」は独りきりで静かにしていること。 『荀子』にある天子の理想を述べた一節のことで、見ようとしなくても見え、聞こうとしなくても聞こえ、考えようとしなくても理解でき、動こうとしなくても功績が上がるために、独りで座っているだけで世の人々が自然につき従うので、一つの身体のようであるということ。 「塊然(かいぜん)として独り処す」とも読む。
廓然太公(かくぜんたいこう)
不満や疑念などなく、さっぱりとしていて、心に偏りがないこと。 聖人の心構えを学ぶための心構えをいう言葉。 「廓然」は心が広く、わだかまりのないこと。 「大公」は私心がなく、公平なこと。 「廓然太公」とも書く。
廓然大公(かくぜんたいこう)
不満や疑念などなく、さっぱりとしていて、心に偏りがないこと。 聖人の心構えを学ぶための心構えをいう言葉。 「廓然」は心が広く、わだかまりのないこと。 「大公」は私心がなく、公平なこと。 「廓然太公」とも書く。
廓然大悟(かくねんたいご)
不満や疑念などのわだかまりがなく、真理を悟ること。 「廓然」は心が広く、何のわだかまりもないこと。 「大悟」は真理を悟ること。
廓然無聖(かくねんむしょう)
不満や疑念などのわだかまりがなく、聖なる真理などないと悟ること。 「廓然」は心が広々としていて、わだかまりなどなにもないこと。 「無聖」は凡人と聖者の差がないという意味。 仏教の言葉で、古代中国の南北朝時代の梁の国の武帝が、インドから来た達磨に聖諦第一義のことを尋ねたという故事から。
豁然開朗(かつぜんかいろう)
目の前が明るく広がること。 または、これから先に望みの持てる見通しが立つこと。 または、悩みが解決して悟りを得ること。 「豁然」は広々と開けている様子。または、悩みなどが解決してすっきりとすること。
豁然大悟(かつぜんたいご)
迷いや疑いがなくなって真理を悟ること。 「豁然」はからっと開けるということから、迷いや疑いなどがすっきりと晴れるということ。 「大悟」は悟りを得ること。
豁然大悟(かつぜんだいご)
迷いや疑いがなくなって真理を悟ること。 「豁然」はからっと開けるということから、迷いや疑いなどがすっきりと晴れるということ。 「大悟」は悟りを得ること。
豁然大悟(かつねんたいご)
迷いや疑いがなくなって真理を悟ること。 「豁然」はからっと開けるということから、迷いや疑いなどがすっきりと晴れるということ。 「大悟」は悟りを得ること。
豁然大悟(かつねんだいご)
迷いや疑いがなくなって真理を悟ること。 「豁然」はからっと開けるということから、迷いや疑いなどがすっきりと晴れるということ。 「大悟」は悟りを得ること。
煥然一新(かんぜんいっしん)
人目で分かるほどにはっきりと新しくなること。 または、一気にすっかりと新しくなること。 「煥然」は明らかな様子。 「一新」はがらりと新しくなること。 「煥然(かんぜん)として一新(いっしん)す」とも読む。
環堵蕭然(かんとしょうぜん)
狭く質素でみすぼらしい家の様子。 「環堵」は家を囲む垣根のこと。または小さく狭い家のこと。「堵」は長さの単位で、一説に約二・二メートルとされるが諸説ある。 「蕭然」は寂しい様子。
鬼気森然(ききしんぜん)
鋭くただならない気配が漂っている様子。 「鬼気」は身の毛もよだつ、ただならない気配。 「森然」はおごそかな様子。
希言自然(きげんしぜん)
聞き取れないほどのちょっとした言葉こそが、言葉の自然なあり方であるということ。
屹然特立(きつぜんとくりつ)
山などが一際高くそびえ立っていること。 「屹然」は山などが高く立っている様子。 「特立」は周囲より際立って高く立っていること。
旧態依然(きゅうたいいぜん)
昔の状態のまま、進歩や変化が全くないこと。 「旧態」と「依然」は、どちらも昔からの状態が良くも悪くも変わらずに続いていること。
興味索然(きょうみさくぜん)
興味が次第に薄れていくこと。 または、面白いと感じなくなること。 「索然」は次第に減っていってなくなること。
巍然屹立(ぎぜんきつりつ)
人並みはずれてすぐれている人のこと。 または、山や建物が一際高く立っていること。 「巍然」は山がとても大きく高い様子。 「屹立」は一際高く立っていること。 「巍然(ぎぜん)として屹立(きつりつ)す」とも読む。
光輝燦然(こうきさんぜん)
強く鮮やかに光り輝くこと。 「光輝」は光と輝き。 「燦然」は鮮やかに光り輝くこと。
恍然大悟(こうぜんたいご)
ちょっとしたひらめきから悟りを得ること。 「恍然」はふとした瞬間にいきなり理解すること。 「大悟」は煩悩をなくして悟りを得ること。
恍然大悟(こうぜんだいご)
ちょっとしたひらめきから悟りを得ること。 「恍然」はふとした瞬間にいきなり理解すること。 「大悟」は煩悩をなくして悟りを得ること。
浩然之気(こうぜんのき)
ゆったりとした壮大な気持ち。 天地に恥じることのない道義にかなった行動をすることで、心に自然と生まれてくる強い精神のこと。 「浩然」は広くて大きいこと。
狐影蕭然(こえいしょうぜん)
一人だけしかいなくて、しょんぼりと寂しい様子。 「孤影」は一人で寂しい様子。 「悄然」は元気が無く寂しい様子。 「孤影蕭然」とも書く。
孤影悄然(こえいしょうぜん)
一人だけしかいなくて、しょんぼりと寂しい様子。 「孤影」は一人で寂しい様子。 「悄然」は元気が無く寂しい様子。 「孤影蕭然」とも書く。
古色蒼然(こしょくそうぜん)
とても古びている様子。 または、古びていて趣のあること。 「古色」は古くなったことで出る独特の色合いのこと。 「蒼然」は古びて、色が薄くなったり変わったりしていること。
混然一体(こんぜんいったい)
複数のものが溶け合ったり混ざり合ったりして、区別することができない様子。 「渾然」は複数のものが溶け合っている様子。 「混然一体」とも書く。
渾然一体(こんぜんいったい)
複数のものが溶け合ったり混ざり合ったりして、区別することができない様子。 「渾然」は複数のものが溶け合っている様子。 「混然一体」とも書く。
業果法然(ごうかほうねん)
前世での行いの報いを、現世で受けるのは当然のことであるということ。 「業果」は前世の行いが招く報い、業因。 「法然」はありのままの姿で存在していること。
索然寡味(さくぜんかみ)
内容が不十分で、面白みがないこと。 「索然」は面白みがないこと。 「寡味」は少ないこと。 「索然(さくぜん)として味寡(すくな)し」とも読む。
雑然紛然(ざつぜんふんぜん)
様々なものが、まとまりなく入り混じっていること。 「雑然」と「紛然」はどちらも入り混じること。 「紛然雑然」ともいう。
死灰復然(しかいふくねん)
火が消えて冷たくなった灰が再び燃え上がるという意味から、衰えたものが勢いを取り戻すこと。 また、解決したことが再発すること。
自然天然(しぜんてんねん)
人の手が加わっていない、あるがままの状態のこと。 人の手が加わっていないという意味の「天然」と「自然」を重ねて強調した言葉。 「自然天然」ともいう。
自然淘汰(しぜんとうた)
環境に適したものが生き残り、適していないものが滅びること。自然選択。 ダーウィンが進化論で用いた言葉。 「淘汰」は劣っているものを選び、取り除くこと。
灼然炳乎(しゃくぜんへいこ)
非常にはっきりとしている様子。 「灼然」と「炳乎」はどちらも明らかな様子をいう言葉で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。
煮豆然萁(しゃとうねんき)
兄弟の関係が不仲であることのたとえ。 「煮豆」は豆を煮ること。 「萁」は豆殻のこと。 中国の三国時代の曹操の子である曹丕は、弟である曹植の詩才を妬んで冷遇した。 曹丕は七歩歩く内に詩を作らなければ殺すと言い、曹植は「同じ根から生まれた豆殻は燃えて火となり、豆はその火で煮て苦しめ続けられる。兄弟なのに何故苦しめるのか」と答え、それを聞いた曹丕は恥じたという故事から。 「豆を煮るに萁(まめがら)を焼く」とも読む。 「燃萁」は「然萁」とも書く。
朱墨爛然(しゅぼくらんぜん)
学問や読書に精を出すこと。 「朱墨」は朱色の墨。 「爛然」は鮮やかで美しいこと。 朱色の墨で書物に様々なことを書き込んでいて、鮮やかで美しいという意味から。
自然法爾(じねんほうに)
浄土真宗で如来の絶対的な他力に身を任せること。 「自然」は外部からの影響ではなく、自ずからそうであること。 「法爾」は法則のままやあるがままということ。 全てのものは、自ずから如来の知恵のあらわれであり、真理にかなっているということ。 「法爾自然」ともいう。
蒼然暮色(そうぜんぼしょく)
夕方になって、少しずつ暗くなっていく様子。 「暮色」は日が沈んで薄暗い夕方の景色。 「蒼然」は日が沈んで薄暗い様子。 「蒼然暮色」ともいう。
足音跫然(そくいんきょうぜん)
人の足音が響く様子。 または、予想もしていなかった来訪や便りがあることのたとえ。 「跫然」は足音が響き渡る様子。 人里離れた荒れ果てた場所で道に迷うと、人の足音が聞こえるだけでも喜ぶという意味から。
足音跫然(そくおんきょうぜん)
人の足音が響く様子。 または、予想もしていなかった来訪や便りがあることのたとえ。 「跫然」は足音が響き渡る様子。 人里離れた荒れ果てた場所で道に迷うと、人の足音が聞こえるだけでも喜ぶという意味から。
大壑拐然(たいがくかいぜん)
大きく波打っている様子。 または、大きな谷が曲がりくねり、うねっている様子。 「大壑」は大きな谷のこと。または、海のこと。 「拐然」は曲がりくねっている様子。
泰然自若(たいぜんじじゃく)
心が落ち着いていて、冷静さを失うことがないこと。 「泰然」は心に余裕があって落ち着いている様子。 「自若」はどんなことに対しても常に冷静な様子。
澹然無極(たんぜんむきょく)
この上なく静かで穏やかなこと。 「澹然」は静かで穏やかなこと。 「無極」は程度が甚だしいこと。
天然自然(てんねんしぜん)
人の手が加わっていない、あるがままの状態のこと。 人の手が加わっていないという意味の「天然」と「自然」を重ねて強調した言葉。 「自然天然」ともいう。
道貌岸然(どうぼうがんぜん)
表情や態度に威厳があり、近寄り難い様子。 「道貌」の「道」は他の学派の儒家からは、かたいことを非難されていた朱子学の道学者のこと、「貌」は表情のこと。 「岸然」は険しい、とげとげしいこと。
紛然雑然(ふんぜんざつぜん)
様々なものが、まとまりなく入り混じっていること。 「雑然」と「紛然」はどちらも入り混じること。 「紛然雑然」ともいう。
物議騒然(ぶつぎそうぜん)
世論が騒がしく、人の心が落ち着かないこと。 「物議」は世間に広がっているうわさや評判。世論。 「騒然」は騒がしくて落ち着きのない様子。
物情騒然(ぶつじょうそうぜん)
世の中が騒々しく、人の心が落ち着かないこと。 「物情」は世の中の人の心情。 「騒然」は騒がしくて落ち着きのない様子。
法爾自然(ほうにじねん)
浄土真宗で如来の絶対的な他力に身を任せること。 「自然」は外部からの影響ではなく、自ずからそうであること。 「法爾」は法則のままやあるがままということ。 全てのものは、自ずから如来の知恵のあらわれであり、真理にかなっているということ。 「法爾自然」ともいう。
茫然自失(ぼうぜんじしつ)
予想外のことに、気が抜けて我を忘れること。 「茫然」は予想外のことに、気が抜けてぼんやりすること。 「自失」は放心してぼんやりすること。 「呆然自失」とも書く。
呆然自失(ぼうぜんじしつ)
予想外のことに、気が抜けて我を忘れること。 「茫然」は予想外のことに、気が抜けてぼんやりすること。 「自失」は放心してぼんやりすること。 「呆然自失」とも書く。
茅堵蕭然(ぼうとしょうぜん)
かやぶきの垣根のある家の物寂しい様子。 「茅堵」はかやぶきの垣根がある粗末な家のことで、田舎の家をいう。 「蕭然」はひっそりとしていて物寂しい様子。
暮色蒼然(ぼしょくそうぜん)
夕方になって、少しずつ暗くなっていく様子。 「暮色」は日が沈んで薄暗い夕方の景色。 「蒼然」は日が沈んで薄暗い様子。 「蒼然暮色」ともいう。
満目蕭然(まんもくしょうぜん)
目で見える全てが物寂しい様子。 「満目」は見ることができる全て。見渡す限り。 「蕭然」はどことなく寂しい様子。
無為自然(むいしぜん)
人の手を加えずにあるがままにまかせること。 「無為」は何もしない、「自然」は人の手が入っていないありのままの状態。
毛骨悚然(もうこつしょうぜん)
激しい恐怖を感じて震え上がること。 「悚然」は恐怖で立ち竦むこと。 髪の毛から骨の中まで恐怖を感じるという意味から。
理路整然(りろせいぜん)
話や考えが道理にかなっていて、前提から結論までの順序や段階がしっかりとしていること。 「理路」は話や考えの道理、「整然」はしっかりと整っていること。