菊田 悟さんとコーヒーミル
第1回
自然と対峙する登山という行為を支えてくれる山道具。それらは優れた実用性と機能性を兼ね備え、日々進化し、今日も登山者の心を豊かにしてくれている。ここではそんな山道具と人との関係性に注目し、誰かの日常に欠かせないものとなっている山道具を取り上げて紹介していく。
いつかの山の一服を思い起こす、挽きたてのコーヒーの香り
慣れた手つきで、美味しそうな香りの立つコーヒーを入れてくれる
山でコーヒーを飲むと美味しい。少々乱暴な言い方になるが、シェラカップに沸かした湯にインスタントの粉を適当に放り込んだだけでも、多くの人には格別な一杯と感じられるのではないだろうか。しかし菊田 悟さんはそこに留まらず、そのもう一歩先へと踏み込んで、より本格的な味を楽しもうとするひとりだ。
シンプルなデザインが際立つ「ポーレックス」のコーヒーミル
「山でもちゃんとこれで豆を挽くところから始めて、エスプレッソメーカーでコーヒーを淹れます。道具も手間も少し多くなってしまいますが、できるだけのことをして一緒に山に来た友達を喜ばせてあげたいんです」
自ら「おもてなし好き」を公言する菊田さんが使用しているのは、「ポーレックス」の手動式コーヒーミルだ。小型で非常にシンプルなデザインで、かさばるハンドルを外してコンパクトに携帯できるので、少人数でコーヒーを楽しみたい山行に特にフィットする。山登りと挽きたてのコーヒーを共に愛する人にとっては既に欠かせない存在ではないだろうか。
「コーヒー豆の挽き加減もこまかく調節できたりと、なかなか本格的なのにほんとに小さくて、無駄のないデザインもいいですよね。何より使いやすい。シンプルな構造なので壊れにくそうだし、取り回しもいいので、いつも身近に置いておきたくなります」
世界を旅する料理研究家「キクタロー」として活動する菊田さんは、国境を超えて美味しいものを探し歩く。そして気に入った味に出会うと、手に入りにくい調味料の入手に奔走し、とことんまで試作を繰り返して自分流のものに仕上げてくる。そんな菊田さんが抽出器として選んだのはイタリア老舗メーカー「ビアレッティ」のエスプレッソメーカーだ。
直火で使用するオーセンティックなエスプレッソメーカー
ちなみにコーヒーの美味しさにこだわりたくても、気温が低かったり風が強かったりといったことがありがちな山の中で、ドリップ式ではお湯を適温・適量かつタイミングよく垂らし続けるのがなかなか難しく、手をかけた割にはいまいちな仕上がり……といった苦い経験をした方もいるだろう。
その点、少し重くても菊田さんのようにエスプレッソメーカーを持って行く方が、山で美味しいコーヒーを飲むという目的においては合理的かもしれない。
ミニマルな暮らしにこそ、山道具がさりげなく馴染む
無機質でスタイリッシュな部屋には沢山の器とスパイスが並ぶ
今回取材させていただいた菊田さんの自宅は、一般的な住居としてはちょっと変わった作りのワンルーム。その開放感と無機質な雰囲気を活かして、今後多目的スタジオとしての利用も想定している。そのためもあり、大きな家具などは置かず、洗濯もコインランドリーで……と極力生活感が出ないように暮らしているのだ。
そんな菊田さんの暮らしの中だからこそ、ミニマルな生活道具として山道具が活躍する。そもそも移動することを目的に作られた山岳用の寝袋やバーナーなどは、片付けたくなったら瞬く間に撤収し、コンパクトに収納しておける。生活における役割を担いつつ、不要なときは存在感を消すことができる。それが菊田さんの日常に山道具が溶け込んでいる理由のなのだ。
優先したいのは実用性。だからじっくり選んで自分に合うものを
アプローチシューズにトレラン風のウェアなど。菊田さんの登山スタイルはスピードがありそうだ
菊田さんと話していると、道具に対する一定の価値観のようなものを感じる。
「買いものは好きな方だと思います。でも真新しいとか話題性とかでなく、特に山道具に関しては自分が使って満足できるよう、とことん選び抜いたものを買うようにしています。それらは結果的に長く使うことになるので、ほとんど買い替えることがないですね」
バーナーに関しても、2人分の調理に使う大きめの鍋にも対応できる、火力が強くゴトクに安定感のあるものをチョイスしている。もう10年近く使っているという。菊田さんにとって、もの選びの基準となるのは、自分にとっての実用性や使い勝手に合っているかどうか、ということなのだろう。
コーヒーの香りで思い出す山旅が増えていく
菊田さんの登山スタイルに合わせて、あれこれとじっくり吟味された山道具たち。そのひとつが、普段使いもできて機動力もある小さなコーヒーミル。菊田さんにとっては、幾多の山旅の思い出を語りあえる友のようなものかもしれない。
ハンドルを回す手。ごりごりと深煎りの豆を挽く音が、少し軽い音に変化する。湯気とともにふわっと立ち昇る香りを胸に吸い込みながら、この美味しいコーヒーをいつか、菊田さんと山で一緒に味わえたらいいなと思った。
北アルプス表銀座からの穂高連峰(撮影:菊田悟)

菊田 悟 Satoru Kikuta
キクタロー(料理研究家)。インテリアショップ勤務、器屋店主としての経験を持つ。 ポルトガル料理店、和食店での料理の勉強を通して、 現在は、世界を旅して出会った料理や和食を研究し、ケータリングやイベント等の活動を行っている。好きな山域は北アルプス。 テントを担いでテント場で調理をするのが楽しみのひとつ。
instagram: kikutaro.e.a.t.w
text: Tomoya Arai
photo: Misa Nakagaki
edit: Rie Muraoka(YAMA HACK)