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漫画の話です。

『フィットネス住職』説法とダイエットとなりたい自分になるための話

 2025年1月3日付ののジャンプ+で掲載された、ネズクマ先生の読み切り『フィットネス住職』。
shonenjumpplus.com
 霊障と思しき体の不調に悩む女子高生がお寺の住職に相談すると、説法という名のダイエットにいざなわれ、心身の復調と共に悩みも解決する……という筋肉と健康はすべてを解決する系のコメディなのですが、これが意外に奥深いことを語っている気がするのですな。

 主人公は当初こそ住職による説法(という名のダイエット指南)に半信半疑だったものの、住職の教えに従い修行を続けた結果引きこもりも鬱も治り身体も引き締まった隣の家のお姉さんという成功例を目にして、ひとまず修行に励みます。ですが成果は遅々としてあがらず、彼女の心は折れそうになりますが、そこに住職が仏教説話に絡めたダイエットの心構えを述べるのです。

 この、修行する→成果があがらない→不満を住職にぶつける→住職が諭す、という流れのテンポがよく、運動して食事制限もしてるのに体重減らないムキー!となるところに読者の共感がまずあって、そこに強引な仏教的ダイエット指南をぶっこんでダイエットを続けさせるというコメディを作る。これをもう一度繰り返して天丼にして、いよいよ諦めかけた彼女に、修行の前にあげたあるアイテムを見ろという。それによって彼女は、自分では自覚できていなかったけど、真面目にとりくんでいた修行の成果は確かにあがっていたと知るのです。
 それに気づけばあとは沼に引きずり込むだけ。ジム(本殿)のマシンを使って運動の強度を上げ、チートデイを設定してモチベーションが落ちないようにし、脂肪の下から現れてきた筋肉に喜びを見出すようにする。およそ半年も経過するとそこには、シックスパックとはいかずとも引き締まった身体を持つ少女が降誕したのです。

 まあダイエットなんてのはつらいわけですよ。主人公が、こんなに運動してるのに、こんなに食事も制限してるのに全然体重が落ちない!と悲嘆にくれるのは、私自身も経験があります。
 最近読んだ『運動しても痩せないのはなぜか』という、人類の進化とダイエットを結び付けた最新の研究の本によれば、人間は一日の消費カロリーが一定の範囲に収まる(運動で消費カロリーを増やしてもその分基礎代謝が落ちる)ように進化してきたからちょっとやそっとの運動じゃ体重は落ちない(でも運動自体は健康にいいからやっとけ)、ということですので、一朝一夕のダイエットで体重が落ちないのは当然と言えば当然なのです。
 もし数日で体重が落ちてたら、単にむくみや水分が絞られただけなのがほとんどで、あとは健康を害するレベルのハードな運動や食事制限をしたか。体重を健康的に落としたかったら、一日の消費カロリーを適度に下回るカロリーを摂取し続けるしかないのです。
 摂取カロリー<消費カロリーで初めて脂肪が落ちる。当たり前の関係ですね。

 ですので、その道理を知らぬ者が短期間のダイエットで成果が出ないことに嘆くのも無理からぬこと。そこに住職が仏の道に絡めた心構えを説く。なんとかダイエットを続ける。成果に気づく。いっそう励めるようになる。ついには目指していたものを手に入れる。
 この流れが、大げさかもしれませんが、なりたい自分になる為にはどうすればいいのか、という大上段な話にもつながると思うのですよ。

 人に優しくなりたい、モテたい、頭がよくなりたい、面白い漫画を描きけるようになりたい、楽器がうまくなりたい、金持ちになりたい、まともな人間になりたい等々、こうなりたいと日々焦がれる自分像は誰しも持つと思いますが、なりたい自分に簡単になれるようなら思い悩む必要はありません。なりたいのになれないから悩むのです。
 それでもなりたい自分になるにはどうすればいいか。結局のところ、何か一発逆転の方策があるわけではありません(まあ金持ちに関しては、宝くじは一発逆転かもしれませんが)。それに近づけるようなスキルを習得したり、自身の生活や人間関係を見直したりと、地道な努力をするしかないのです。でも、地道な努力は地道なだけにその成果がわかりづらいもの。自分が今していることは本当に理想へと近づく道なのか、回り道をしているのではないか、無駄なことなのではないかと、疑念はしばしば頭をもたげます。
 本作では、心身が健康である自分を求めて主人公はフィットネスに励むのですが、心くじけそうになるたびに住職が説法をしてくれ、成果を気づかせてくれるアイテムとしてお数珠もくれるなど、道の先達として彼女を導いてくれるのです。

”三世因果さんぜいいんが”
過去と現在さらに未来と全てに因果応報が働くという教えでございます
もし過去の行いによって苦しんでおられるなら
未来の自分が安楽に過ごせる因果を 今のご自分で作ってあげて下さい

”行ぎょうと積しゃく”
塵芥の様な行いであろうとも長い時間積み重ねるというもの
努力や鍛錬で変化が訪れる時… それは一日にしてならず…
1週間でならず… 1ヶ月でならず… 1年でならず…
まずは振り返る程の努力を積み重ねる事からでございます

卑下慢ひげまん
思った様な結果が出ず自信を卑下してしまう 誰しもある事です
ですが仏教では卑下する事も自慢や傲慢 慢心などと同じ 慢という煩悩として考えます
(中略)
自らを卑下しても 傲慢になっても 小さな変化に気づく事は叶いません
努力した変化は初め ごく見えづらい所から生じるものです 
ですが確実に訪れている事をお忘れなきように

修行に邁進する事 精進…
その言葉には語源がございます それは…
ヴァーリア サンスクリット語で”勇敢さ”を意味します
努力や継続は得てして平坦な道ではございません
苦難を超え 進めど報われぬ事 煮湯の如し それでも尚 精を尽くす者の勇敢さを秘めたる言葉
時に愛しみ 褒め 時に厳しく
自らの努力を見てあげるのです

 びっくりするくらいダイエットの話としてぴたりとハマるし、それを広げて、なりたい自分になろうとする人間のあがきにも通じます。
 過去が作り上げてきた今の自分だからこそ、未来になりたい自分になる為に、他を見上げず、他を見下げず、コツコツと努力を重ね、たとえ変化がないようでもそれに挫けず歩みを止めず、ささいな自分の変化に丁寧に気づいてあげる。それこそがなりたい自分に至る道なのだと。
 その言を信じて実行した果てに得たスマートな肉体に、主人公はそれでもまだお隣のお姉さんの体には及ばないと嘆きますが、そこに住職は言葉をかけるのです。

誰かと比べて得た自信はハリボテ
瞬く間に崩れてしまいます
大切な事… それは…
自分の努力を見る事です!

 と。
 私はこの平易な言葉こそが、この作品でもっとも強く響いた言葉でした。今まで耳馴染みのない言葉が続いただけに、シンプルに届いたのでしょうか。
 誰かと比べないというのは、ある意味で孤独な言葉です。他人を参照せず自分を自分で見つめるだけというのは、目的地まで誰もいない道を一人歩くようなものですから。先達の言葉に勇気づけられても、それはともに歩くためのものではなく、崩れそうになる膝を勇気づけるためのもの。本当に諦めてしまったときに、手を貸して立たせてくれるものではないのです。
 だから、なりたい自分になろうとするのは、とても孤独なことだし、辛いこと。だから大変で、多くの人が悩んではいても実行できないもの。なればこそ、それをできる人、その道を歩み続けられる人はとても偉大だと思うのです。たかがダイエットだろうと、それを思い立って現に成功させ、継続できる人というのは、とても強いものですよ。

 ダイエット×仏教という一点突破のコメディと見せて、意外なほどに奥深いところに触れてきた本作。読んで見てほしいですわ。

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俺の俺マン2024の話

 あけましておめでとうございます。
 さて今年も年明け早々去年を振りかえる俺の俺マン。俺シュレーションは例年通り、

1,2024年中に発表された、もしくは単行本が出た作品で
2,その中でも特に心をつかまれた作品で
3,5作品
4,今まで選んだことのある作品はなるべく除外する(なるべく)

 となります。
 ということで、順不同でひあうぃごー。

1,モノクロのふたり/松本陽介

 夢を諦め筆を擱いた男・不動花壱と、その彼の夢の残滓に触れて諦めた漫画家の夢をもう一度目指した女・若葉紗織。若葉の熱は花壱の夢をもう一度燃え上らせ、二人で漫画の世界に飛び込んでいく……という、夢を一度は諦め、でももう一度追い始めた二人の大人の漫画家漫画。
 テンポの良さと魅力的な絵。コミカルと本気を両立させるキャラクター。魅力的な絵とは、漫画とはなにかということを、技術面からも精神面からも伝えるメッセージ。ジャンプ+で連載中で、まだ1巻が出たばかりですが、これは最近の一推し作品。若葉さんかわいいよ若葉さん。
yamada10-07.hateblo.jp

2,あくまでクジャクの話です/小出もと貴

 自身のユニセックスな容姿と貧弱な肉体にコンプレックスを抱き、男らしさに憧れる高校教師・久慈を、二年連続ミスコンに輝き、インフルエンサーとしても名が売れる女子高生・阿加埜が、生物学の知識で恋愛弱者どもをぶん殴りつつ、過去に恩のある彼の気をなんとか惹こうとするのだけどそれはなかなか叶わず……という生物学ラブコメディ。
 生物学の知見を偏見で凝り固めてぶん回しわからんちんどもをボッコボコにしていく阿加埜セリフのキレがとても楽しい。女子高生の顔をビンタした直後に「黙って聞いてりゃさっきからファブルみたいな気の抜けた喋り方で下らんことをペラペラと…」ってヒロインがやっていい所業じゃないよな。
 そんなコメディ色が前面に出てるけど、その裏側に、多様性とは皆が同じことを考えるものではなく、皆が違ったことを考えていてもそれを認め合うものである、と受け取れるメッセージが流れているのがいいなと思います。まあ、キレッキレな阿加埜を見ているとそれも気のせいかもしれないと思ってきますが。
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3,ザ・キンクス/榎本俊二
 錦久家は、小説家の隅夫、専業主婦の栗子、女子中学生の茂千(モチ)に、男子小学生の寸助の四人家族。彼らが過ごす毎日は、刺激的で、穏やかで、どこにでもありそうで、唯一無二で、なんでもない毎日がかけがえのない色彩で彩られているのです……という、榎本俊二先生が描く日常系コメディ。
 日常系とギリくくれそうなくらいに、描かれている出来事は普通のこと。家族で夏祭りに行ったり、映画を観に行ったり、モチが深夜ラジオにはまったり、寸助が街を流れる水の出どころを気にしたり。でも、その普通なことをエキセントリック側に少しはみ出させて、でも異常な世界にまでは入り込まないで、すれ違っていそうで通じ合ってるような家族らしいやりとりを描き出す、奇跡のようなバランスの日常系。
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4,ドカ食いダイスキ! もちづきさん/まるよのかもめ

 食。それは人が生きるに不可欠の行為。しかしてドカ食い。それは一時の快楽と引き換えに確実に人の生命を蝕む悪魔の行為。これは人目を忍んで(でも忍びきれないで)ドカ食いに耽り生と死のタイトロープを綱渡る女、望月美琴(21)の物語である……という狂気のドカ食いコメディ。
 第一話の発表ですぐさまネットを震撼させた本作。「ドカ食い」、そして「至る」という言葉の恐ろしさをまざまざと見せつける望月さんの愛らしくも禍々しい姿は記憶に新しいところでしょう。「「ある」のがいけない!!! 「ある」のがいけない!!!!」は瞬く間にネットミームになりましたね。
 欲望に振り回されれる人間の姿は滑稽なものですが、それが死を予感させるものになると、おかしみの先にいる狂気に触れることになります。この恐ろしさは癖になる。
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5,ヤンキー君と科学ごはん/岡叶
 開校以来の問題児・犬飼千秋になんとか補習を受けさせるため、ダウナー系化学教師・猫村蘭が考えたのが、料理を使った科学の授業。小学一年生の双子の弟妹のために日々料理を作っている千秋はこのアイデアにまんまとひっかかり、初めはいやいや、でも次第に料理という名の科学の授業にのめりこんでいくことに……という料理&科学漫画。
 もともと私自身が、日常の中にある事象に理屈の光を当てるのが好きで、そこに日頃からやっている料理が対象となるともう大好物。当たり前の裏側にある、科学の世界、いいよね。そういう「知る楽しさ」という意味で、『銀の匙』(荒川弘)とも近しいところがあると思っています。
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 ということで、以上5作品が2024年の俺マンでした。今年はどれも5巻以内の比較的新しい作品ばかりでしたね。
 惜しくも5選には漏れたもののそれ以外の候補作として

ラーメン赤猫/アンギャマン

黄泉のツガイ/荒川弘

ドラゴン養ってください/東裏友希・牧瀬初雲

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イズミと竜の図鑑/凪水そう

オークの酒杯に祝福を/かなどめはじめ

 などがありました。
 『ラーメン赤猫』はアニメ化もした作品。ふと読み返してはニコニコしてます。コミックス未登場だけどゆずちゃんかわいい。
 『黄泉のツガイ』は十二分に面白いんですけど、あまりにベテランの面白さで、最推し!って感じにならないんですよね……
 『ドラゴン養ってください』は、ドラゴンという異物が紛れ込みながら日常の穏やかさを崩さず、コメディとしての面白さも失っていない良作。
 『イズミと竜の図鑑』は、2巻になって俄然面白くなりました。細部の描きこみや複雑な表情など、絵のうまさが面白さに寄与する作品なので紙で買って正解。
 『オークの酒杯に祝福を』は異世界系で今一番好きな作品。魔法と異種族が跋扈する骨太なファンタジー。

 さあ、今年も面白い作品に沢山であっていこうと思ってます。

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熱で夢はもう一度花開く さあその筆をとれ『モノクロのふたり』の話

 母が死んだあの日から、夢を諦め堅実に生きることにした。
 不動花壱は絵が好きだった。上手だった。将来はそれで食べていきたいと思っていた。でも、一人で自分たち兄妹を育ててくれた母が死んだ15歳のあの日、彼は筆を折った。妹を育てるため、勉強し、バイトをし、堅実に就職し、社会の優秀な歯車となる。そう自分に言い聞かせてきた。昼休みに手慰みで絵を描いていたのは、かつての夢と熱の残滓だった。
 しかしふとしたことから、会社の先輩である若葉紗織が一度諦めつつも漫画家を目指しなおしたことを知り、そんな彼女から漫画を手伝ってくれないかと頼まれた。大人になっても夢を見る彼女の熱に触れ、今、彼の熱もまたくすぶりはじめる……

 1巻が発売された、松本陽介先生の『モノクロのふたり』。ジャンプ+で第一話が掲載されたときにもレビューをしましたが、1巻が発売され、面白さの勢いいまだ衰えずなので、改めてレビューをば。冒頭のあらすじは前回の記事の流用ですが、勘弁してけろ。

 第1話時点のレビューはこちら(彼の絵は彼女の夢を蘇らせ、彼女の熱は彼に絵を描かせる『モノクロのふたり』の話 - ポンコツ山田.com)を参考にしてもらうとして、せっかく1巻が出たタイミングなのでそこまでの話をしましょう。
 この作品の魅力はなんといっても、一度夢を諦めた大人二人が、お互いの力量を、熱量にあてられて、再び夢を目指しだすその姿です。好きというだけじゃ、才能があるだけじゃ食べていけないのが、創作業界の常。
 かたや、才能は十分にあった不動花壱。10年後でも検索すれば出てくるレベルの絵を中学時代に描くほどだけれど、シングルマザーだった母の死をきっかけに筆を擱き、堅実な社会人を目指した。
 かたや、熱量は十分にあった若葉紗織。学生時代にずっと漫画賞に投稿していたけれど芽は出ず、結局就職を機に筆を擱き、堅実な社会人を目指した。
 でも、そんな二人が出会った。花壱が会社の昼休みの間にほんの手慰みで描いていた絵を若葉は見て、そのうまさに創作意欲を刺激され、再び漫画を描くことを決意した。
 あなたの絵こそ自分の漫画の背景として理想のものだと若葉に熱く語られ、花壱は自分の絵が誰かの心を動かしたことを知り、絵を描きたいという衝動が再び燃え上った。
 「物作りにおいて一番嬉しい瞬間は 作品が完成した時でも 最高のアイデアを生み出した時でもない 一番嬉しい瞬間は 自分の作品で 誰かの心を動かした瞬間だ」とは花壱の言葉ですが、花壱の絵が若葉の心を動かして漫画を再び描かせ、それを知った嬉しさが、花壱に再び筆を執らせたのです。なんて幸せな共犯関係。それはどちらか一人だけでは決して蘇ることのなかった夢の熾火。

 この「誰かの心を動かす」ことに嬉しさを感じるシーンは、1巻の中でもしばしば登場します。
 たとえば、花壱が若葉の漫画のキメゴマの背景を描くシーン。このシーンは主人公がこういう状況からのこういう流れで、と若葉から指示を受けますがその説明も取っ散らかっていたので、花壱は自ら物語を深く読み込み、このような主人公であればここでこのような風景を見たならばどう見えるのか、と解釈をして背景を描き上げました。その絵はただ美しい、ただ精緻だというものではなく、この主人公が今この光景をどういう気持ちで見ているのか、という感情が載せられた絵でした。
 そして、こんな感じでどうでしょう、と花壱に絵を見せられた若葉は、感極まって泣くのです。いくら漫画を描いても、全然賞に引っかからず、このまま誰にも読まれないのではないかとずっと不安だったけれど、こんなに深く物語を読み込んで、こんなに深く主人公の気持ちを読み解いてくれて、嬉しくてしょうがない、と。
 これは花壱の絵が若葉の心を動かしたシーンでもありますが、同時に、若葉の漫画が花壱の心を動かしたシーンでもあります。若葉の漫画が(自分で描いた背景はともかく)キャラや演出が十分に立っていたからこそ、花壱がそこまで解釈を深めることができ、それにふさわしい絵を描けたからです。そのような絵を描かせるくらいに、若葉の漫画は花壱の心を動かしたのです。
 残念ながら、熱量だけでは人の感情が動かせません。そこには一定水準の技術が、どうしたって必要になります。でも、技術だけで人の感情を動かすこともできないと、花壱は言います。

「絵を描く」という行為は 描写物に「感情」を乗せる行為である 
感情が伝わる絵は「名画」と呼ばれ 描き手の腕が試されるポイントでもある
(1巻 110p)

 若葉の描く漫画は登場人物に感情が乗っており、それゆえ花壱は心動かされ、その動かされた心に従い描いた絵が、若葉の心を動かした。やっぱり幸せな共犯関係です。

 と、絵で誰かの心を動かすこと、絵を描くことで己の心を揺さぶること。そんな創作者の熱を本作は描いていくわけですが、熱を持つのは当然二人だけではなく、若葉が敬愛する漫画原作者や、花壱の幼馴染である現役画家など、一癖も二癖もあるキャラクターが控えています。登場人物たちが、どんな熱でもって作品を作っていくのか、楽しみでなりません。

 あと、松本先生の絵で特徴的だなって思うのは、左右非対称の顔ですね。笑顔でも泣き顔でも驚き顔でも嘔吐顔でも、強い感情の顔は、特に左右の目の非対称性が強いです。1巻表紙の若葉にも表れてますね。
 この非対称性は、ともすればゆがみのようにも見え、アクの強さ、異質さなどを感じさせるものではありますが、同時にそれはやけに心に引っかかるトゲでもあり、なんか癖になるんですよね。くるくる変わる表情とか、表では凛としてるけど裏ではドジっ子とか、よく体液を垂れ流す顔とか、大きなバストを強調する服の皺とか、若葉さんはかなり性癖をゆがめに来てる感、あります。いいぞもっとやれ。

 今のジャンプ+で一、二を争うおすすめ作品。大好きだぜ。

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『その着せ替え人形は恋をする』五条のクソデカ感情とその陰に隠れていたあの気持ちの話

 14巻が発売された『その着せ替え人形は恋をする』。

 13巻後半での、冬コミの盛り上がりと裏腹の五条の落ち込みが不安を誘っていましたが、今巻で無事カタルシスを得ることができました。107話の最後5ページのバカな感じ、すごい好き。
 さて、13巻発売の時点で私にしては珍しく、五条の心情についてその時点での推測する記事を書いていたのですが
yamada10-07.hateblo.jp
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 それがだいぶ見当違いだったことがものの見事に判明しました。ガッハッハ。

五条の言葉を否定したもの。そして五条が気づいたもの。 それを、嫉妬や恋心などというのは簡単です。ですが、それだけと捉えるにはあまりにも五条の表情は重く、イベントが終わり二人きりになった後も沈痛なままでいる理由にもなりません。

『その着せ替え人形は恋をする』一目惚れへの五条の挑戦と、今更気付いたものの話 - ポンコツ山田.com

五条自身も、海夢が手が届かない人間だと心の底から思っていたわけではないでしょう。でも、理想の「ハニエル」が生まれてしまったことで、手が届かないハニエルの依り代となった海夢もまた手が届かない人間なのだと、両者が補い合うようにして彼の絶望的な感情を強めてしまった。そう思えるのです。

『その着せ替え人形は恋をする』五条の二つの後悔と、現実になってしまった「手の届かないもの」の話 - ポンコツ山田.com

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彼はなぜ「虜にさせるように振る舞って下さいなんて言わなければ良かった」などと思ったのか。 それは、そんなことを言った、すなわち、そんな指示を海夢にして、理想の「ハニエル」が現れたために、「「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」存在は、本当にその通りの存在なのだということ」に気づいてしまったから。

『その着せ替え人形は恋をする』五条の二つの後悔と、現実になってしまった「手の届かないもの」の話 - ポンコツ山田.com
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 深読みしすぎというか、いったい私は五条をどれだけネガティブな思いに囚われた人間だと考えていたんでしょう。14巻を読めば、五条がこの時点で自分の嫉妬心を自覚したことはわかりますが、その嫉妬心≒恋心が海夢に届くとは露とも考えていない(その気持ちは海夢に伝えるべきものではなく、自分の中で完結させるものである)と五条は信じていた、と私は考えていたわけですから。
 「嫉妬や恋心」と呼んでよかったんやで。むしろ正解だったんやで。

 とはいえ、負け惜しみではないですが、13巻までの五条君の心情のネガティブな描きっぷりと、それと対比するような周縁の人間(司波や溝上、コミケのカメコ、海夢をプロに誘ったプロダクションの人間など)による海夢の持ち上げっぷり、ある意味での偶像化は、読者に二人の関係性の亀裂を予感させるようなものだったと思うんですよね。そのミスリードに見事私は引っかかったわけです。

 さてさて。
 それを踏まえた上で、五条が海夢にハニエル、すなわち「作った物で人の心を動かす」「圧倒的な力」に挑もうとした理由を考えると、五条から海夢へのクソデカ感情があったことがうかがえます。もちろんずっと前から五条から海夢への好意は描かれていますが、そんなふわっと描かれたものではなく、また別種の、もっと激しいクソデカなヤツがです。
 なぜって、司波刻央の描いたハニエルに「心が完膚なきまでに叩き潰されたような」気持ちを抱き、「何十年も鍛錬を重ねてきた方に俺が敵うはずありません 俺ではハニエルを表現しきれません」と言いながらも、「「この衣装を作りたい」「見たい」と思」って、五条は制作に取り掛かったのですが、実際に実行に移せたのは、クソデカ感情を抱いていた海夢がいたからです。

俺が表現したいハニエルは
喜多川さんがいれば必ず完成します
今まで撮影してきた表情を見てきたからこそ確信しています
俺はハニエルが見たいです
お願いします 力を貸して下さい 俺の我儘に付き合って下さい
(13巻 11~13p)

自分がハニエルに愛されていないと分かるほどにです
でも「それでも構わない」と
虜にさせるように振る舞って下さい
(13巻 16p)

 人知を超えた美しさを持つハニエルになるための、五条からの要求。あまりの無理難題に海夢はためらいますが

大丈夫です!!
俺の知ってる喜多川さんなら
必ず出来ます!!
(13巻 18,19p)

 この断言。海夢の容貌と、モデルとして振舞うときの精神性にたいする絶対的な信頼がなければ、こんな物言いはできません。人間以上の美しさを持つ存在にあなたならなれるという絶対的な信頼。端々で描かれてきた五条のピュアピュアな好意とは明らかに別種なこの思いを、クソデカ感情と言わずして何と言いましょう。

 きっと五条は、自分のクソデカ感情については自覚的だったでしょう。だから海夢にハニエルのコスプレをお願いした。でも、そのクソデカの影に隠れていた恋愛感情は、嫉妬心に自覚するまで気づけなかった。
 五条が海夢への恋愛感情に気づくためには、第三者から彼女への好意が必要でした。好意というか、好奇というか。あるいは憧憬や崇拝かもしれませんが。
 もともと自分とは違う世界にいると思っていた海夢と、コスプレを通じて近くにいることができた五条。でも、まさにそのコスプレによって、彼女が他の人間から特別な感情を向けられてしまっている状況。必然のような、どうしようもないことのような。でも、どうしても我慢がならなかった。
 それは嫉妬。それは独占欲。俺の大事なものをとらないでくれ……

 13巻から読み返すと、答え合わせのように五条の表情や態度の意味が理解できて楽しいですな。そして14巻をまた読むと、海夢のはしゃっぎっぷりがさらに楽しいですな。よかったよ五条君…よかったよ海夢ちゃん……

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欲望は声に出さなきゃかなわない!己の「好き」を叫べ!!『君にかわいいと叫びたい』の話

 桐山はある新入社員を見て、生まれて初めて驚愕で腰を抜かした。その女性社員・南ことみは、自分が愛してやまないヴィンテージドール、てぃあらちゃんに瓜二つだったのだ。
 中野ブロードウェイで運命の出会いを果たしたてぃあらちゃんをお迎えして以来、単調だった桐山の生活は、まるで大輪の花が咲いたように明るく華やかなものになった。そんなてぃあらちゃんにクリソツの新入社員が隣の席に配属されて、桐山の人生が盛り上がらないわけはなく……

 ということで、ハッピーゼリーポンチ先生の『君にかわいいと叫びたい』のレビューです。
自分の好きなものが自分の人生を楽しくしてくれる高揚感と、己の欲望が肯定される満足感。それらが拗らせオタクしぐさたっぷりに描かれている、コミカルでパッションフルな作品です。

 主人公の一人、桐山さんは、まじめで気づかいができるのに、人間失格もびっくりなほどに笑顔を作るのが苦手なのが璧に瑕の社会人。

(10p)
そんな彼女のひそかな趣味は、ヴィンテージドールのてぃあらちゃんを愛でること。彼女を迎えたその日から、一緒に購入した服を着せ替え、写真を撮りまくり、ついにはドール用の服まで自作するほど。てぃあらちゃんのおかげで人生が楽しい!

 かたやもう一人の主人公、南さんは、人懐っこく天真爛漫な新入社員。

(5p)
 必死に作る笑顔が切ないと後輩社員から評判の桐山さんにも、ワンコのごとく慕っていきます(なお、下の桐山さんは生まれて初めて驚愕で腰を抜かしているところです)。でもそんな彼女は、子供の頃に女の子らしいことができなかったのが悩み。おしゃれな服は買えない。お化粧はできない。かわいいお人形も買ってもらえない。その反動のように、一人暮らしを始めてからはかわいくなりたいと努力しているけれど、いつだって誰かにかわいいっていてほしいのです。
 そして南さんは、桐山さんのティアラちゃんにクリソツ。そんな二人が出会って何も起こらないわけはなく。
 南さんとの仲が深まっていく中で桐山さんは、このタイミングなら彼女も聞いてくれるかも、と勇気を出して自分の趣味を告白するのですが、怖いですよね、隠していた自分の大事なことを人に話すのって。「ああ、そうなんですね」くらいに軽くうなずかれるだけならまだよくて、もし「ああ、それ微妙ですよね。それが趣味なんですか(苦笑)」なんて言われた日には、自分の半身を引きちぎられたような気にさえなります。
 自分の本当に好きなものはそれだけナイーブ。誰かに認めてほしいけど、誰かに傷つけられたくはない。桐山さんも、南さんが自身のことを少しさらけ出してくれたことで、初めて口にする勇気が持てました。
 で、清水の舞台から飛び降りた桐山さんの告白に、予想に反して大いに食いつく南さん。自宅に行っててぃあらちゃんを紹介することになると、かわいい人形にも憧れがあった南さんはヒートアップ。てぃあらちゃんをかわいいかわいいと褒め倒します。
 自分の大好きな人形を褒め倒している、自分の大好きな人形にそっくりな南さんを見て桐山さんもヒートアップ。そのままなだれ込むように、てぃあらちゃんを抱く南さんの撮影会が始まるのです。
 撮り撮られ、褒め褒められ、テンション最高潮に達した二人が叫んだこのセリフ。

(32p)
 なんとあけすけな欲望の爆発でしょう。
 自分の欲望を肯定してもらう気持ちよさ。
 誰かの欲望を肯定する気持ちよさ。
 すがすがしいというか、いっそ神聖とさえ言えそうなこの解放感。かわいいものに「かわいい!」と叫ぶ/叫ばれることの素晴らしさを、高らかに謳っています。

 自分の好きなことを人に言うのは怖いもの。もしそれをけなされては、とんでもなく傷ついてしまうのがわかっているから。だからそれを秘めてしまう。隠してしまう。
 でも、秘めているからこそ、隠しているからこそ、私たちはいつだって叫びたいのです。
「かわいい!!!!!!!!!」と。

 とまあ、そんな欲望と情熱の爆発が、桐山さんのオタクしぐさと、南さんのワンコしぐさで、茶目っ気とコミカルさたっぷりに描かれています。

(8p)

(17p)

(31p)
おい桐山、オタクが過ぎるぞ。

 誰もが自分の好きを叫べるわけではありません。叫べる場所や、叫べる人がいないことのほうが多いかもしれません。叫びたいほどの好きがない人だっているでしょう。
 でも、叫びたいほどの好きが叫べることは間違いなく幸せなこと。それを教えてくれる、なんとも楽しい作品ですよ。
君にかわいいと叫びたい-第1話

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科学の知識でおいしいごはんを! 『ヤンキー君と科学ごはん』の話

 品行方正な高校の中で、一人目立つヤンキー高校生・犬飼千秋。一年一学期の内に留年リストに入れられかねない彼をどうにかしろと、担任である化学教師・猫村蘭にお達しが下る。何とか補習に出席させるも千秋は「科学なんて役に立たねーだろ」と吠えるのだが、蘭は「今お前が頭を悩ませている料理だって、科学なんだぜ」と指摘。「俺が科学の知識でお前よりうまくオムライスを作れたら補習にちゃんと出ろよ」と、蘭(料理からっきしの化学教師)と千秋(家で料理をする勉強できない君)で勝負をすることに……

 ということで、岡叶先生の『ヤンキー君と科学ごはん』のレビューです。先日この作品について書いたものの、そういえばレビューはしてなかったよなと、5巻発売のこのタイミングでレビューです。
 双子の幼い弟妹と一緒に暮らす家族思いのヤンキー高校生・千秋と、やる気がないことに定評のある化学教師・蘭の凸凹コンビで展開する料理漫画。それもただの料理漫画ではありません。タイトルにあるとおり「科学ごはん」、すなわち科学的根拠に基づいておいしいご飯を作ろうぜ、という作品なのです。

 料理漫画といえば、料理シーンと一緒にレシピが書かれ、読者もそれを参考に自分で料理を作ることができますが、そのレシピに理屈が書かれていることはまずありません。
 野菜炒めや全体に火が通ったら仕上げに手早くします。
 唐揚げの下味には酒を加えます。 
 プリンを作る時は蒸し器の蓋をずらします。す・が入ってしまいますから。
 そう書いてあれば、そういうもんだと素直に従って作るでしょう。

 でも、不思議に思いませんか?
 なんで? 最初に味付けしてダメなの?
 どうして? 酒を加えないとどうなるの?
 どういう理由で? 蓋をするとどうしてす・が入るの?

 レシピには当たり前のように書いてあり、料理をする人は当たり前のように実行している数々の手順。でも、そこには理由があります。理屈があります。なぜなら、料理は科学だからです。
 熱による物質の変性、気圧の違いによる沸点の変化、化学成分による生理的な刺激受容の抑制、等々。
 言葉を覚えるより前から経験的に得てきた知見で人間は料理を発達させてきましたが、おいしさの秘訣には、化学や、物理学や、熱力学や、生理学など、種々の自然科学に基づく説明がつけられるのです。

 料理というありふれた行為に隠されている、感動すら覚えるほどの理屈の塊。そういうものに好奇心を刺激されて已まない一部の方々(含む私)にドンピシャ刺さるのが、本作だと言えるでしょう。

料理の全ての工程には科学的根拠がある
それを理解して知識を上手く使えば 失敗を避けれたり 無駄な手間を省いて作ることができる!
(1巻 35p)

 本作を象徴するような蘭のセリフです。でも、このセリフをもっと平易にかみ砕いた次のセリフ。

もっと美味しくしたいとか上手くいかない時 
効率化を図るときのヒントに科学が役立ちますよってだけだ
(1巻 54p)

 このある種投げやり感さえ漂うセリフに、知識は使ってナンボ、日常に活かしてナンボだ、という実際家の精神を感じられ、とてもよいですね。

 科学知識の使い方も、既存のレシピに科学的説明を加える帰納的な話だけでなく、科学的知見に基づいて既存のものとは違うレシピを考える演繹的な話もあります。2話の「冷たい油から揚げるから揚げ」なんかがそれですね。その回で蘭が言うセリフがいいんですよ。「調理工程・食材みて苦手なこと聞いて解決策を理詰めで考える」。まさに「調理ってより実験」。
 千秋は、弟妹においしい料理を食べさせたいこともあって、最初はしぶしぶ補習(という名の実験(という名の調理実習))に参加していましたが、実際に科学的知識で料理を美味しくすることができると知り、徐々に興味を持って取り組むようになっていきます。ついには、ふとした拍子に蘭不在で料理に取り組むときも、それまでやってきた実験(料理)で蓄積してきた知識を活用して、科学的に工程を考えてるのが、青春の成長譚というか、知識が新しい知識を呼ぶ好循環というか、読んでいて嬉しくなっちゃうストーリーなんです。

 科学的説明の難易度も、教師がヤンキー高校生(ただしそこそこ料理はできる)に化学の補習で教えるというテイだから、中~高校生レベルの科学の理屈で説明してくれます。好奇心を刺激されて已まないのにそういう話には反射的に耳を塞いでしまいそうになる、そこら辺の授業でほっかむりしていた人間(含む私)に優しい仕様でありがたいです。

 また、科学と料理というテーマ以外にも、ヤングケアラーやネグレクトなど、児童虐待の話にもちょこちょこ足を踏み込んでいます。そういう家庭に育った子供を教育、すなわち教え育てるにはどうすればいいか、ということですから、意外に教育問題に広くコミットしている作品だと言えるかもしれません。

 あと、主人公の千秋と蘭を初め、同級生や弟妹、千秋の周辺の人間関係、他の教師陣など、登場人物のキャラ造形がけっこう尖っているというか、ギャグではないコメディレベルの作品にしてはピーキーな性格なのが多いんですが、不思議とそれが気にならないんですよね。各々の振る舞いが自然というのではなく、作り物のドラマとしてちゃんと成立しているというか。アメリカのホームドラマを見ているような感じ、というのが近いかもしれません。

 とまれ、知的好奇心を満たせ、便利なレシピを知れ、青春の成長を見れ、教育問題にも思いを馳せられる、いろいろな魅力が詰まった作品です。
tonarinoyj.jp

 以前書いた記事はこちら。
yamada10-07.hateblo.jp

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男四人廃墟に突撃 何も起きないはずがなく…『ゾゾゾ変』の話

 「ゾゾゾ」。それは心霊スポットやいわくつきの廃墟を探索して、ホラーポータルサイトを作り上げようというYouTubeチャンネル。落合、皆口、内田、長尾らが怪しい場所に突撃しては怪しいものを探し、撮れ高が悪ければ誰か一人を置き去りにすることも厭わない。そんな彼らが何か怪しいものに出遭わないはずもなく……

 ということで、界隈でコアな人気を誇るホラーYouTubeチャンネル、「ゾゾゾ」を原作として、タダノなつ先生がコミカライズした『ゾゾゾ変』のレビューです。
 初めに言っておくと、私はYouTubeチャンネル、本家「ゾゾゾ」を視聴していないので、漫画『ゾゾゾ変』のみを読んでのレビューとなりますが、これが動画を視聴してなくてもまったく問題なく面白いのですな。
 
 本家を視聴してない人間がなんでコミカライズを買うのかと思われる向きもあるでしょうが、それはもともと私がタダノ先生のファンだったから。作者買いです。ちょうどホラーの漫画や小説を読んでいた時期でもあったので、タイミングですね。
 タダノ先生といえば『ゆくゆくふたり』や『束の間の一花』など、コメディやシリアスで味付けしたヒューマンドラマを描くイメージだったので、ここでホラーとはかなり意外。でもそういえばSCP関係で読み切り一本描いていたので(SCP-040-JP「ねこですよろしくおねがいします」)、そういう下地はあったのかな?
www.pixiv.net

 ま、それはともかく『ゾゾゾ変』ですが、体裁は上記のとおり、ホラースポット突撃系YouTubeチャンネルのコミカライズ。チャンネルを企画した皆口が、本業の上司の落合を半ば騙して撮影に連れ出し、日本各地(主に関東圏?)のホラースポットに突撃します。
 ホラーチャンネルを元ネタにした漫画ですので、肝はやはり読んでて怖いかどうかなのですが、安心してください、ちゃんと怖い。
 怖さにも、ジャンプスケアやグロテスクさなど種類はありますが、この漫画の怖さは、そこになにか“いるような気がする”這い寄るような不穏な怖さ。ここに何がいるのか、何もいないのか。何もいるはずないけれど、何かいるような気がしてならない、脇に汗がにじむような嫌な怖さ。

 もともとの動画がそうなのか、基本的にはおちゃらけた、ダラダラした空気でスポットには潜入するのですが、いざ足を踏み入れるとそこはまるで異界。一変した空気にそれまでの笑顔を忘れて、落合たちは真っ暗な中を恐る恐る進みます。手元のライトから延びる光の輪の外側は、鼻をつままれてもわからないような闇。揺れる草木も、小動物の物音も、彼らを驚かせるには十分です。でも、気のせいではない、自分たちのものではない人の声、足音、人影。それらは確かに感じられて、柳が正体とはとても思えない、不確かな何かがいる気がしてならないのです。

 この、登場人物が恐怖を感じている描写と、その恐怖をもたらしているなにがしかの演出が絶妙。話し声や物音は耳にするのにそれを発生されているものは見えない。嫌な気配だけがにじり寄ってきます。
 潜入中を描いている紙面は暗く、何が描かれているかも少々わかりづらいほど。そんな暗闇の中に浮かび上がる人影は、「あれ、もしかして、見えてます?」と落合らが実際に目にしていることもあれば、読者にだけ見えていることもある。ナニモノかの気配は大げさに現れることなく、落合らのかたわらにそっと近づいては、ふっと消えてしまう。読者の方もさらっと読み流していては見逃してしまう程度に、何の予兆もなく、大仰さもなく、です。
 この正体のわからない恐怖。
 ホラースポットの由来などは説明されても、それが本当にあったことだったのかとか、そこで体験した怪現象の原因がこれだったかとか、そういう意味でのネタ晴らしや解決はありません。彼らはただホラースポットに突撃し、わけのわからない現象に遭遇し、もやもやした気味の悪い気持ちを抱えて帰るだけ。ある意味でリアル。ある意味で尻すぼみ。でも、その後味の悪さ、消化不良が、かえって読後を嫌な気分にしてくれます。いい意味で。
 
 たまに挟まれる、ホラーのホの字もないようなコメディ回も一服の清涼剤。それも元の動画にある回なのでしょう。
 現在は2巻まで発売されていますが、単行本未収録分も連載中。元動画との兼ね合いで何巻まで出せるのかはわかりませんが、このイヤ~な後味のまま、いけるとこまでいってほしいです。
comic-boost.com

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