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  デジタル・クワルナフ
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ドイツを中心とした中世に生きた女性たちの姿。エーディト・エンネン著『西洋中世の女たち』
どうもー。部屋が本格的にゴミ屋敷化してきた馬頭です。
ここ数日は体調の悪さのためにどうにもならなかったです。日曜には人を誘って食事でも、とか考えてたけど諦めて部屋でカップ麺食ってました。理想と現実の落差がどうこうとか考えながら布団の中で悶々としてたわけですが、あまりの部屋の汚さなので、ムリクリ片付けはじめて多少はマシになりました。熱はあがったけど。
片付ける中で、もう10年くらい前から持ってた古いPCを処分することに。使わないのに何故か捨てるに捨てらんなくて持ってましたが、分解して不燃ゴミにしました(当時すげー金出して買ったのに、今じゃゴミにしかならないという・・・)。でも、PCケースだけは分解できなくて困ってます。どうしよう、とか思いましたが、そういやこーゆーのは分解せずにそのままゴミ回収してもらえばよかったとか今更ながら思ったり。あの分解作業はなんだったんだ・・・

車などに実弾2700発=防弾チョッキも着用−佐世保8人死傷乱射・長崎(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007121600125
2700発って凄いな。防弾チョッキもあったし、どんだけやりあうつもりだったんだ。

そういえば、今日、わけあって『萌え萌え銃器事典』って本をちょこっと読んだんですが、最後の方に、「あなたの誕生銃」みたいな記事があって、宝石の「誕生石」みたいに月ごとに「誕生銃」が示されていました。もう、ここらへんの発想からしてアレですが、私の場合はスパスでしたよ。

患者射殺で組員再逮捕=「拳銃で男性撃った」−人違いとみて動機解明へ・佐賀県警(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007121600092
不審な部分の多い事件ですが、結局はっきりしないまんま終わるんだろうか。


そういや、いつの間にかカウンターが5万を越えてますね。来てくださった皆様、ありがとうございます。あと5000ほどで、55555となって五人並んだミハイル・ロマノフが見れそうですよ。

まあ、それはともかく。
『ドロテア』を読んだからじゃないですが、これをピックアップ。

西洋中世の女たち


『西洋中世の女たち』

(エーディト・エンネン著。訳/阿部謹也&泉眞樹子。人文書院。1992年。6386円。532ページ。)
序文-----中世と私たち
第一章 初期中世 500年から1050年まで
1 ゲルマン人における女性の地位 2 キリスト教の婚姻観と教会法 3 メロヴィング朝の女たちから 4 世俗世界と修道院、律院の大貴族の女たち 5 下女と隷属農民の女たち
第二章 盛期中世 1050年から1250年まで
1 女性にとって、都市の生活様式と家族法・相続法の発展がもつ意義 2 女性の宗教運動 3 宮廷と騎士の世界の女性
第三章 後期中世 1250年から1500年まで
1 一般的な枠組みと法的枠組み 2 中世都市共同体における女性 3 イタリアの状況 4 政治における女性 5 農村の女性
結論------変わるものと変わらないもの、変化のなかで継続してゆくもの

訳者あとがき
解説にかえて-----中世ヨーロッパの女性と現代------
図版の出典
参考文献
人名索引

中世ドイツを中心に、当時の女性たちの生活、生き様、制度上の扱いといったことについて語りまくった一冊。
ドイツだけじゃなくフランスやイタリアについても扱ってますが、王や諸侯の妻・妃・姫についてはドイツが多いです。あと、中世も後の方になってくると史料が多いのか、都市の女性などにも言及が多くなってきます。
また、私がとくに興味のあるところでは、東ヨーロッパ・スラヴ関連とかなんですが、例えば、「北ヨーロッパ、スラヴの婚姻法」(P161〜)のところにある記事とか。

「広大なスラヴの地はビザンツの影響を受けていたために、事情はかなり多様であった。キリスト教は単婚制を普及させようと努めていたが、それはまだこのあたりの大公たちの間では一般的ではなかった。ポーランド大公ミェシュコ1世(在位963年〜992年)がキリスト教徒の女領主と結婚するとき、大公がまずしなければならなかったのは七人の異教徒の妻を離縁することだった。(中略)11世紀から13世紀までポーランドとロシアでは、非公式に結ばれた結婚で教会に一種の同意結婚と認められたものがあったことが証明されている。」(P163より抜粋。)

ここでミェシュコ1世の妻となったのは、ボヘミア公女ドゥブラヴァですね。「女領主」ってどういう意味なんでしょう。ミェシュコ1世が七人の妻を離縁したという話はどっかに書いてあったと思いましたが、なんだったか。恒文社『ポーランド史』ではなかったような気が?
そういや、ロシアでキエフ大公やその息子たちが、ポロヴェツ族から嫁を取るってことがありましたが、あれってやっぱりキリスト教的建前では非公式な関係ということになるのかな? あそこはウラジーミル1世のこともあるし、年代記に書いてあるからってだけでは「公式」とは言えないような感じ。


あと面白かったのは、イタリアで奴隷のことを意味する言葉のこと。
「イタリアの奴隷制度-----ジェノヴァの例」

「しかし私たちは暗い面を忘れるわけにはいかない。地中海地方の多くの場所で、特に港湾都市で文字通りの奴隷制度が残っていたのである。(中略)1154年から1200年の間に約4500の公正証書(公証人が私権に関して作成する証書)が発行された。専門用語のせいでいくらか難解だが、スクラヴィ(奴隷)やスクラヴァエ(女奴隷)という言葉が見られるのは13世紀初頭からであることが立証できる。1180年代以降、本来はサルディニア地方出身を意味する名前だった『サルドゥス』や『サルダ』が同じように奴隷を表わすようになっていったが、『サラケヌス』や『サラケーナ』(サラセン人、イスラム教徒のこと)は、たとえ公正証書の中でその者の購入に関して使われているばあいや遺言書や解放証書で使われているばあいでも、必ずしも奴隷を意味しているとは限らなかった。売買証書や解放証書に出て来るセルヴィやアンキラエという用語は明らかに奴隷身分をさしている。」(P185より抜粋。)

奴隷を意味する「スレイヴ」の語が、中世初期に奴隷として大量に取引されたスラヴ人に由来することはよく知られてますが、これ読む限りだと、さらにサルディニア島(当時はイスラム教徒の勢力下にあった)からの運ばれた奴隷がいたようですね。あと、イスラム教徒が捕まって奴隷となるから、「サラケヌス」「サラケーナ」という言葉があったんでしょうし。イベリア半島ではイスラム教徒との戦いが激しかったからそこからの奴隷も多かったようです。あと、気になるのは「セルヴィ」とか「アンキラエ」。セルヴィの方はセルビア人ってことなんでしょうかね? アンキラエはなんだろ。古代黒海北岸のアンテス族とは関係ないだろうし・・・


いや、ともかく引用も多いし、事例を見せてくれたり、なんとも読み応えがあります。女性史という観点だけじゃなく、中世の生活誌としても読めます。いい本です、オススメ。


ところで、人文書院って京都の出版社なんですね。


参照サイト
人文書院
http://www.jimbunshoin.co.jp/
女性 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7
奴隷 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

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by xwablog | 2007-12-17 00:57 | 書庫
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