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科学
2023.02.28
新たな宇宙飛行士の候補に選ばれた諏訪理さんと米田あゆさん。
“最難関”とも言われる試験への応募者は過去最多となる4127人。
NHKはこの選抜試験に去年から密着。
倍率2000倍を超える難関をくぐり抜けた2人の素顔に迫る。
諏訪理さん、46歳。
私が初めて諏訪さんに出会ったのは去年10月。
緊張感が漂う選抜試験の会場で、若い受験者がほとんどの中、周囲に積極的に話しかけて、いつのまにか会話の中心にいる。それが諏訪さんの印象だった。
諏訪さんは東京都生まれ、茨城県育ち。
東京大学理学部地学科で地球科学を専門に学び、卒業後はアメリカのデューク大学へ留学。
その後、プリンストン大学で博士課程を修了。
留学中には研究者として南極に滞在した経験を持つ。
世界各地での経験を役立てようと進路に選んだのは、JICA=国際協力機構の青年海外協力隊だった。
派遣先のルワンダでは、教師として現地の高校生や大学生に勉強を教えた。
現在は、アメリカの首都ワシントンに本部がある世界銀行に勤務。
気候変動などに苦しむ途上国のために、防災支援のプロジェクトを中心となって進めている。
仕事を終えると、ランニング用の服に着替え、職場から自宅までのおよそ12キロの道のりを週2回、走って帰るという。
選抜試験の募集が始まる少し前から始めたそうだが、体重をピーク時から20キロ以上、絞ることに成功。
いまではフルマラソンを2時間45分で走れる体力も身についた。
諏訪さんには今回の挑戦を応援してくれる妻と2人の娘がいる。
世界各国を飛び回る諏訪さんも、家に帰ればどこにでもいる「パパ」。
パパの作る「しょうが焼き」は家族に人気のメニューのひとつだ。
「お父さんが宇宙飛行士を目指すことをどう思う?」という質問に、
娘
「アストロノート(=宇宙飛行士)になりたいのはすごいいいと思う」
諏訪さん
「この世代(娘たち)が大きくなるころにはふつうに宇宙に行ける時代になるかな?」
順風満帆にも見える諏訪さんだが、これまでの人生のすべてが順調というわけではなかったという。
中学受験に失敗。いまの勤務先も1度目は不採用。
「うまくいかないことが多かったです」と話す諏訪さん。
実は、前回の宇宙飛行士選抜試験にも挑戦。
今よりも10歳以上若い、30代で挑んだものの、1次選抜で落選していた。
諏訪さん
「宇宙飛行士をずっと意識して憧れていたので、ショックだった。青年海外協力隊としてルワンダに入ってまだ半年くらいのころで少し気持ちがそちらにいっていた部分が反映されたのかと思う」
諏訪さんが宇宙飛行士を意識するようになったのは小学校のとき。
雑誌の企画でアメリカのNASAを訪れ、ある人物に出会ったことがきっかけだった。
ユージン・サーナン宇宙飛行士(2017年死去)。
1972年に月面に着陸した「アポロ17号」で船長を務めた人物で、月面に降り立ち、クレーターなどの探査を行った人物だ。
あれから半世紀以上たつが、その後、誰も月面に降り立っていないことから「月を歩いた最後の人」として知られている。
諏訪さんは当時のことを日記につけていた。
諏訪さんの日記
「今日、サーナン元宇宙飛行士と会った。ぼくたちの質問を答えてくれた。とてもおもしろいおじさんだった。サインをもらった。とてもうれしかった。僕もサーナンさんみたいになりたい」。
まだ小学生だった諏訪さん。宇宙飛行士への夢を初めて意識した瞬間だった。
諏訪さん
「選抜試験を受けて、宇宙飛行士になりたいという思いはかなり強くなった。宇宙飛行士の候補に選ばれれば、いろいろな訓練をして毎日、新しいことを学んでそれが宇宙に飛び立つことにつながるんだと考えただけでもワクワクする」
そして運命の日。
JAXAからかかってきた電話。
合格だった。
諏訪さん
「自分でもびっくりしている。前回の選抜試験の時は『やってやるぜ』みたいな気持ちがあったが、今回はわりと気楽に受けていたと思う。もしかしたら、それがよく出たのかもしれない。46歳が合格者にいるとわかると、周りからなんて言われるのか気にはなる。それでも46歳でもできるんだぞというところを示せたのはうれしい。宇宙飛行士の夢の入り口に立てたのはすごく感慨深い。自分なのかはわからないが、月面に日本の国旗が立つ日を見る日がくるかもしれないと思うと、ゾクゾクする」
過去最年長で選ばれた46歳が、2度目の挑戦で夢への切符をつかんだ。
米田あゆさん、28歳。
先頭に立ってぐいぐい引っ張る、というよりは、周囲の受験者の会話に注意深く耳を傾けるタイプ。的確な発言でチーム全体の雰囲気をいい方向に導く姿が印象的だった。
米田さんは東京都生まれ、京都府育ち。大学は医学部に進学。学生時代には勉強だけではなく、ヨットやテニス、馬術などにも取り組み、体力には自信があるという。
卒業後は日本赤十字社医療センターに所属。現在は外科医として都内で患者の治療にあたる。
米田さんもまた、小さいころから宇宙飛行士に憧れていたという。
きっかけは父親が買ってくれた1冊の漫画。
日本初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんの伝記だった。
米田さん
「向井さんが『宇宙に行って帰ってきた時にものが落ちるのが不思議だった』というのが、子どもなので重力の概念があったわけじゃないけど、不思議だなと思うと同時に、宇宙飛行士という職業があるんだと。かっこよくてすてきだと思ったのが最初」
小学校の卒業文集。タイトルは「将来やってみたいこと」。
5つの職業が書かれてあった。科学者、医師、航空管制官、パイロット、そして最後に挙げていたのが「宇宙飛行士」だった。
「宇宙をどんどん探検する宇宙飛行士になりたい。なぜなら宇宙へ行って、新しい星を発見したり、宇宙人と会ったりしてみたいからです。宇宙飛行士になるためには、虫歯はいけないそうなので、これからしっかりと歯を磨いて虫歯をなくそうと思います」
小学生らしさの残る文章だが、目標のためにいまできることは何かを考え、実行に移すところは、あのころから変わっていないという。
そんな米田さんが何よりも大切にしていることがあるという。
それは「感謝」の気持ちだ。
米田さん
「いまの自分があるのはこれまで支えてくれた人たちのおかげ。最終選抜に残った私以外の9人から勇気をもらい頑張ることができた。もし宇宙飛行士になったら、今度は自分が周りに元気を与えられる存在になりたい。宇宙飛行士は憧れの存在で、かっこいいと小さいころから思っていたが、私自身はみんなにとっての友達のような宇宙飛行士になりたい」
ことし1月初旬。
米田さんは都内の神社に初詣に訪れた。願ったのは…。
米田さん
「宇宙に行けるかもしれない、という状況まで来られたことにありがとうとお伝えしたのと、世界の宇宙産業が発展するように、それが安全に進められるようにとお願いしてきた」
そして。
米田さんにも合格が告げられた。
幼いころからの憧れの存在だった向井千秋さんに近づいた瞬間だった。
女性の合格者は山崎直子さん以来、24年ぶり。
28歳での合格は若田光一さん、山崎直子さんと並ぶ、最年少での選抜だ。
感謝の気持ちを持ち続けて。
28歳の新たな未来が始まろうとしている。