ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【北野八幡宮(7)】『雲』をつかむような話【牛と鬼と蜘蛛(後半)】

はじめに

前回の続き。#水木しげる さんが描いた妖怪 #牛鬼。牛の角、鬼の顔、蜘蛛の身体がハイブリッド合体。ひとつひとつのパーツは #北野天満宮 一帯に伝承が集まり、そしてあの御方に集まります #菅原道真公 #土師氏 #土蜘蛛

目次

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牛と鬼と蜘蛛のハイブリッドからの古代妄想

水木しげるさんが描いた妖怪 牛鬼

水木さんの牛鬼は、牛の角を持った鬼の顔に、蜘蛛の身体がハイブリッドに合体しています。

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牛鬼(水木しげるロード・鳥取県境市のブロンズ像)Wikiより

この造形。どうやら前回紹介した、平家物語を原典とした謡曲『土蜘蛛』に共通したイメージかと思われます。

土蜘蛛については、史実における『時の権力にまつろわぬ者』との説が有力ですが、いったい、それは誰か?を考えるとき、北野天満宮一帯の異界伝承がヒントになるかも知れません。

牛も鬼も蜘蛛も、北野天満宮一帯にパーツが集まり、そして、それらのパーツはあの御方の一身に集まります。

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牛鬼 Wikiより

牛と鬼と蜘蛛のつながり。ポイント整理

● 牛は、埴輪づくりと相撲の祖・怪力の野見宿禰(のみのすくね)を祖とする古代豪族・土師氏のシンボル

● 土師氏は、古墳造営、溝杭(みぞくい)のプロフェッショナル集団。現場の職工を多数、率いていたはず

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● 土師氏の嫡流・菅原道真公は、大宰府で悲憤の中で落命し、やがて鬼神と化した・・・牛(土師氏)が鬼になった

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● 土蜘蛛は、ヤマト・葛城、平安京の近くの竪穴住宅に住んでいた手足の長い人々の呼称とされています。一説ですが、蜘蛛は『雲』とも書きます

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● ご存じのように『出雲』の中にも、安曇氏(あどし)の中にも『雲』があります

● 縄文と出雲は習合し、稲作システムによるクニ造りで都市国家群を形成し、弥生時代をひらいた、というのが私の古代妄想の基本シナリオなんですが、出雲王家の手足となった縄文海人の集団、その中核が安曇(あど)であった、と考えています

● 全国にアド地名が数多く残されているのがそのこん跡です。(阿曇・阿積・厚見・厚海・渥美・阿積・英積・熱海あたみ・飽海あくみ・温海あつみ、さらには、安土あづち・安東・阿刀あと、など。穂高・志賀・滋賀なども安曇との関係が確実。←アラハバキ解・第19話より)

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● 例えば安東氏は、安部氏の最後の棟梁・安部貞任(あべさだとう)の遺児・高星丸(たかあきまる)が津軽で興した一族とされていますが、安部氏は、蝦夷でありながら、朝廷に従った東北地方*1の 俘囚の長 でした。安東氏は津軽十三湖の水軍が有名で、その源流は縄文海人勢力であったと睨んでおり、古い先祖の由縁をたどって、高星丸は津軽に逃れたのかも知れません。

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● (話が広がってしまいましたが)菅原道真公の御母上・伴氏(ばんし)は大伴氏(おおともし)のことで(本シリーズ前回(5))、大伴氏は安曇氏十六家のひとつ。(上記・アラハバキ解の記事中。春日かすが、大伴、佐伯、雀部ささべ、阿部、膳部かしわでべ、穂積、采女うねめ、羽田、巨勢こせ、石川、平群へぐり、木角きずみ、阿積、藤原、上毛野かみつけの)

● 菅原道真公は御父上が土師氏、御母上が大伴氏。つまり、出雲の土師氏の牛と、縄文血統・安曇氏の蜘蛛のハイブリッドという見方が出来るんじゃないかと思っています。鬼神の頭と蜘蛛の身体を持つ牛鬼です

● 参考までに、弘法大師・空海さんは、父方がもともと蝦夷の佐伯氏、母方が安曇系の阿刀氏です

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● 安曇氏十六家に見える大伴氏・佐伯氏は、藤原京(奈良時代)の朝廷守備隊

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*1:現在の遠野を含む岩手県内陸部にあたる奥六郡を中心に、青森県東部から宮城県北部に及ぶ。前九年の役で滅亡