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医療・健康・介護のコラム
[日本エレキテル連合 中野聡子さん](上)子宮体がんで子宮全摘手術…「喪失感はありません。好きなように生きます」
「ダメよ~ダメダメ」のフレーズで、2014年に日本中をわかせた日本エレキテル連合の中野聡子さんは、2022年に子宮体がんとわかりました。子宮全摘の手術を受け、「残された人生を自分のやりたいことだけやっていきたい」と覚悟したそうです。(聞き手・斎藤雄介、撮影・秋元和夫)
相方が病院の予約をいれてくれた
――どうして病気とわかったのですか。
2022年8月に相方(橋本小雪さん)が、勝手に婦人科の予約をいれたんですね。私はわりと生理痛はないんですけど、ホルモンバランスが乱れてメンタル面に支障をきたすことがありました。
あまりにも自分の体に無頓着で、一切、病院にも行かないのを相方が心配して、強制的に私を婦人科に行かせたんです。その時、病院でがん検診もしましょうと言われました。
でも、私はその結果も聞きに行かず、放置していたんですね。そうしたら、2か月後、病院から「異常が出ているので、来てほしい」という手紙が来ました。
――そのとき自覚症状はなかったのですか。
まったくなかったです。だから、私は本当にラッキーでした。相方が病院を予約していなかったら、もしかしたら今も病気に気づいていないかもしれません。
――病院ではなんと言われましたか。
子宮 頸 がんの疑いで、もっと精密な検査を受けることになりました。その時点では誰にも報告はしていません。10月に2回目の検査。その結果が11月1日に出て、さらに3回目の検査を受けました。11月15日に、子宮頸がんという最初の診断が出ました。この病名はあとで「子宮体がん」と変わります。
疑いがある最初の段階で、病気について自分なりに調べていました。「 円錐 切除術」という子宮の入り口をカットする手術があって、「まあ、それかな」と思っていました。それで、病名を告知されたとき、先生に「円錐切除術ですか」と尋ねたら、先生は首を振って「子宮全摘です」と。
死を覚悟して明るく、アクティブに
――ショックを受けましたか。
全然です。私はちょっと、 躁 状態になりました。ちょっと私が特殊だと思うんですけど。
今はがんの多くが治る時代ですが、私の年代だと、どうしても、死という連想をしてしまうんですね。そこから、逆に「生きる」ということに意識が行って、まわりが引くほど、明るく、アクティブになりました。口笛吹くほど。でも、がんと診断されて、いったんはそうなる人もいるんじゃないでしょうか。
子宮をなくすことで、多くの女性は喪失感があるのかもしれないんですけど、私はいまだに喪失感はないです。でも、これは私の例であって、ほかの女性は違うと思います。私はこの病気のことを全てわかっているわけではなくて、患者それぞれ違う考え方があります。私は自分が思ったことをお話ししますが、全員が違う考え方だと思います。
――診断を受けて活動休止を公表されました。
「治療に入るので予定していた単独ライブは中止」「所属事務所のタイタンとは今後、業務提携という形になる」と11月17日にホームページで報告しました。
――15日に診断が出て、17日には活動休止を報告。ずいぶん急ですね。
11月1日、2回目の精密検査の結果が出たときに、私は「全てストップする」と決めていました。ライブも中止にしてほしいと事務所に伝えました。その後、15日に大変な治療をしなきゃいけないとはっきりして、公式に発表しました。
卵巣を温存
――その後に入院されたのですか。
それが、大きい病院に通って、また検査なんですね。がんの転移がないかどうか、CT(コンピューター断層撮影法)やPET(陽電子放射断層撮影)などのいろんな検査を受けました。私は正直、もう早く手術をしてほしかったんですよ。日々、がんが転移するんじゃないかと怖かったので。
何で検査をしていたかというと、子宮頸がんではなくて子宮体がんではないかっていう疑いが出てきたんですね(子宮は体部と頸部に分かれ、発生するがんの性質が異なる)。そこの見極めがすごく大事だったんですね。結果的に、子宮体がんでした。
何度も痛い検査があったんですけど、それで医師が子宮体がんの状態を見極めてくださって。その結果、私は今、卵巣とリンパ節を温存できています。
女性ホルモンは卵巣から出ますから、卵巣がなくなれば、更年期障害が起こる可能性があります。私は卵巣があるので、更年期障害の治療はしなくていい。リンパ節をとれば、リンパ浮腫といって足がはるようになったかもしれません。
でも、卵巣を温存できるかどうかは、おなかを開けてみないとわからなかった――私の場合は 腹腔 鏡手術(腹部に小さな穴をあけて、内視鏡などを挿入して行う手術)だったんですけど。がんの広がりによっては、卵巣はどうなるかはわからなかった。手術の途中で、卵巣、リンパ節の温存が決まり、私は手術後に知ったわけです。先生方の見極めのおかげです。
――手術は大変でしたか。
新型コロナの患者さんがいたりして、手術の予定がなかなか決まりませんでした。2023年の1月中旬に入院し手術しました。手術の翌々日にはおしっこの管を抜いて、病院の廊下を歩くというスケジュール。手術から1週間後に退院でした。
人によると思いますが、私の場合、一番つらかったのは手術前に飲んだ下剤が術後まだ残っていたことですね。おなかが痛いけど、トイレはベッドの上。私はどうしてもできなくて。あと、腹腔鏡手術って体にガスを入れるんですけど、それで肩が痛くて。
臓器を取ったことで、取ったところが空洞になっているのか、内臓はどう収まっていくんだ、と想像して、そっちのほうが怖かったですね。
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