8月31日は小沢健二「LIFE」再現ライブ@日本武道館でした。
台風接近で交通もいろいろ動かず、「延期すべき」という声も一部にありましたが、決行。
このライブの場合、2024年8月31日に実施しなければあまり意味はない催しですし、完全に日本武道館の形に合わせたステージセットと演出なので他の場所ではできないし、多忙な方々も含めて総勢30名以上のミュージシャンの予定をもう一度合わせて調整してとなると非常に難度高く、この日開催できなければ延期はなく「中止」しか恐らく選択肢のない状況ですので、そりゃ物理的に開催できるのであれば、決行します。
本当、来られなかった方には申し訳ないのですが、最高でした。
まず入場してビビるのが、360度客席に囲まれて、武道館中央に構えられた三段の円形ステージ。
鏡餅で言えばみかんがオザケンのポジション(時々スチャダラとかは登ってくる)、下二段の餅の部分にミュージシャンが配される形です。
座席には「1994年から届いたFAX」と説明された歌詞シート。
事前に提灯の画像をダウンロードしておけと命じられ、開演前の館内放送では「携帯は機内モード、音声OFF、電源はONで」という旨が繰り返し説明される。
割と他にない感じの状況で、15分程度押して開演。
3人程度のミュージシャンが鏡餅の部分に上がりぽつぽつと演奏を始めたら、いつの間にかみかんの位置にオザケンが。
ずっと鏡餅の中にいたのでしょうか。もしそうならそれ最高に可愛いじゃないか。
そしてミュージシャンを呼び込んで、ミュージシャンが自転車に乗って続々登場。ちなみに自転車はシェアサイクル「ダイチャリ」のでした。
この頃もしかしたら千代田区近辺のダイチャリのステーションの自転車、枯れていたかもしれません。
そんな感じで以下の通り。
1:台所は毎日の巡礼
(小沢健二+数人のみでちょっとだけ)
2:流れ星ビバップ
(歌に乗せて他のミュージシャン呼び込み)
3:フクロウの声が聞こえる
4:強い気持ち・強い愛
5:サマージャム'95
(「夏のせい」部分のコール&レスポンスのみ)
6:天使たちのシーン
7:旅人たち
8:大人になれば
9:台所は毎日の巡礼
10:ぶぎ・ばく・べいびー
11:彗星
12:流動体について
ここから「LIFE」再現ですが、ここでアルバム順の「逆」で演奏されることを宣言。
それは果たして「再現」と呼べるのかとは思いましたが、この順で実際にライブで聴くと実に具合がいい。
13:いちょう並木のセレナーデ(reprise)
(手回しオルゴールを実際に回す)
14:おやすみなさい、仔猫ちゃん!
15:ぼくらが旅に出る理由
16:今夜はブギーバック(nice vocal)
17:ドアをノックするのは誰だ?
18:いちょう並木のセレナーデ
19:東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー
19":服部隆之+弦部隊による「ドアノック(変奏曲)」
20:ラブリー
21:愛し愛されて生きるのさ
22:愛し愛されて生きるのさ
(客電を付けた状態で弾き語り&BOSEがインスタライブ撮影)
実際にオザケンが手回しのオルゴールで「いちょう並木のセレナーデ(reprise)」を再現し、「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」でゆるゆる気味に開始、「ぼくらが旅に出る理由」で最初の盛り上がり、スチャダラ登場の「ブギーバック」で1回爆発してその流れで「ドアノック」もいい感じに来て、「いちょう並木」で小休止、そこからは「東京恋愛専科」「ラブリー」「愛し愛されて」と曲を追うにつれて熱狂を帯びて最高潮で終了。
唯一問題があったとすれば、「愛し愛されて生きるのさ」の最後が割とあっけなく、拍子抜けするくらいの勢いで終わったことくらいですが、そこは「再現したじゃん」と開き直ってみたり、割と無茶なMCを入れながら客電を付けて「愛し愛されて」を改めて弾き語ることで解決。解決したと思う。
とにかく全体的な空気は圧倒的に「お祭り」でした。
スチャダラ、スカパラ、ヒックスヴィル、服部隆之、渋谷毅といった、音源制作に参加したミュージシャンがこぞって参加し、入れ替わり立ち替わり演奏。オザケンはそのステージの頂上に圧倒的王子として君臨。
ここまで形式としては鏡餅で例えてきましたが、あれは「お祭りの櫓」だったんだろうなと思います。
実際、提灯の画像をダウンロードさせたり、参加ミュージシャン全員が提灯を提げていたのも、ものすごく「祭」のモチーフですし。
やたらに「歌える?」と聞いてきたり、ハンドクラップとかフィンガースナップやら無闇に「参加」を促してきたのも、全員にとってのお祭りにするためで。
どうしても比較したくなるのが、7月に観たCorneliusの30周年記念ライブ。
こちらは映像や曲目にスペシャル感はあったものの、演奏や基本的な演出やステージ構造はどこまでも「いつも通り」で、MCもほぼなく、でもそれが素晴らしかったのですが、オザケンはまったくの真逆といっていいくらい何もかもがスペシャルで、かつ事前から現場からオーディエンスの関与を強く求めるもので。
ただ、それぞれが1993年以降やってきたこと進んできた道を考えると、両方とも「今の自らの表現」としてはすごく正しいと思いました。
あの時の2人がそれぞれ、年を経てこんな圧倒的な表現を行っていて、それを観られるのであれば、年を取るのも悪くないです。
2人とも「Life is coming back」。