SF映画の嚆矢といえば、文字通り月への旅行を描いた1902年の短編映画『月世界旅行』( Le Voyage dans la Lune)だろう。しかし、SFが本当に幕を開けたといえるのは、それから30年近く経った1929年、フリッツ・ラング(Fritz Lang)監督の過小評価された傑作『月世界の女』(Frau im Mond)の公開だ。
世界初の〈本格〉SF映画とされる『月世界の女』は、時代をはるかに先取りしていただけでなく、大衆が黎明期のロケット科学を初めて目の当たりにした作品でもあった。アドバイザーに科学者を起用したのも、映画界では初めての試みであり、そのリアルさは、軍事機密の漏洩を懸念したナチスによって上映を禁止されるほどであった(ラングがユダヤ系だったことも影響したかもしれない)。
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『月世界の女』の最初の登場人物は、月には金が埋まっている、と論文を著した学会の異端児、マンフェルト博士(Professor Mannfeldt)だ。彼は、科学者仲間の侮蔑を買い、排斥されたが、その論文は、起業家のヘリウス(Helius)、米国の山師、ウォルト・ターナー(Walt Turner)など、金儲けを企む起業家たちの関心を惹いた。
ヘリウスは、マンフェルト博士に接近し、博士の理論を実証する可能性について話し合った。そして、ふたりは、人類初の月面旅行計画を進めることに合意する。しかし、博士の研究室から帰る途中、ヘリウスはターナーとその仲間たちに襲撃され、博士の月面旅行計画書を盗まれてしまう。ターナーたちは、博士とヘリウスが金鉱を求めて月面旅行を計画していることを知り、自分たちも同行させないとロケットを爆破する、と脅した。
月に向かう道中で、様々な事実が明らかになる。ヴィンデガーが臆病者であること、ヘリウスのフリーデへの想い…。居心地の悪い空気が船内を覆う。しかし、空気が存在する月の裏側に到達すると、みんなの重苦しい空気は霧散した。金鉱を発見し、マンフェルト博士の理論が正しかったとわかるのだ。しかし、博士とターナーが金を巡って争った末、博士が金鉱の断崖に落ちて命を落としてしまう。
博士の死後、ターナーはロケットを乗っ取って地球に戻ろうとするが、ヘリウスによって射殺される。ところがその弾丸が、ロケットの酸素コンテナのひとつに直撃し、ヘリウス、フリード、ヴィンデガーの3人が地球に戻るための酸素が足りなくなってしまう。つまり、誰かが月に残らなければならないのだ。ヴィンデガーとヘリウスは、誰が残るかを決めるためにクジを引く。そして、ヴィンデガーの不安が的中し、彼が月に残ることになる。しかし高潔なヘリウスは、一計を案じ、自分が月に残って、婚約者同士であるフリーデとヴィンデガーが安全に地球に帰れるよう計らった。
しかし、ふたりを乗せたはずの宇宙船が月を飛び立った後、なんと最愛のフリーデが月の岩陰から姿を現し、ヘリオスとともに月に残ると告げる。最初の月の住人であるふたりがその後どうなるかは観客の想像に委ねられているが、映画のラストを見る限り、きっと幸せに暮らしたのだろう。
ドイツ表現主義の巨匠であるフリッツ・ラングにとって『月世界の女』は、彼がメガホンをとった最後のサイレント映画であり、最後のSF映画だ。同作は、ラングと、当時の彼の妻、テア・フォン・ハルボウ(Thea von Harbou)が共作したなかでも、最高傑作といっても過言ではない。同作の原案である小説を著したフォン・ハルボウとラングは、1918年の出会い以来、ともに映画をつくってきた。フォン・ハルボウは、資料集めと脚本制作を、ラングは、監督を担当していた。
1927年に『メトロポリス』(Metropolis)が公開され、ふたりは映画業界で初めての大成功を収める。『メトロポリス』はラングの最高傑作として広く知られるサイレントSF映画であり、後にフィルム・ノワールと呼ばれるジャンルの原型を確立した作品だ。
共同制作者として完璧なコンビだったふたりだが、夫婦生活は決して円満ではなかった。というのも、ラングは、悪名高い女たらしで、実際、『月世界の女』のヒロインを演じたゲルダ・マウルス(Gerda Maurus)とも浮名を流した。フォン・ハルボウも、貞淑からはかけ離れた女性だった。フォン・ハルボウがドイツのナショナリズムに傾倒するにつれ、ふたりはますます疎遠になっていった(事実、彼女はその後ナチス政権下において映画業界の重鎮となった)。そして、フォン・ハルボウが若きインドのナショナリストにしてナチ信奉者のアイ・テンドゥルカー(Ayi Tendulkaer)とベッドにいたところにラングが踏み入り、ふたりの結婚生活は終わりを迎える。
「どちらも結婚を重視していなかったという点で、彼らの結婚生活は非常にヨーロッパ的でした」と、映画史家にして『Fritz Lang: Nature of the Beast』の著者、パトリック・マクギリガン(Patrick McGilligan)は語る。
「ラングは常にシナリオライターを必要としており、彼女は、彼にとって不可欠な協力者でした」とマクギリガンは付け加えた。「しかし離婚と同時に、不可欠なパートナーを失うことになります。ラングは、米国では、ずっと、シナリオライターを探していましたが、似た感性を持ったフォン・ハルボウのようなソウルメイトは見つからずに終わりました」
結婚生活こそ波瀾万丈だったが、フォン・ハルボウとラングの映画観がほぼ完璧に噛み合っていたことは『月世界の女』が証明している。両者ともSFに情熱を燃やしていたが、細部にこだわったのはラングだった。
「ラングは細部まで入念に調査することに誇りを持っており、専門家に敬意をはらっていました。どのカットにも本物の科学、調査による裏付けを欲した彼は、科学者を訪問し、彼らの心をつかみ、友達になろうとしました。そうやってロケット科学者たちと親しくなったんです」とマクギリガン。
当時のドイツでは、世間の科学への関心が高く、未来の宇宙旅行のアイデアがかたちになり始めていた。そんな状況もあって、ラングは、ロケット工学者のヘルマン・オーベルト(Hermann Oberth)と出会うことになる。オーベルト博士は『月世界の女』がドイツで封切られたのと同じ年に、ロケット科学の草分けとなる論文〈宇宙旅行への道(Wege zur Raumschiffahrt )〉を発表した。当時のロケット科学は、まったく新しい分野であり、その最先端にいたのがオーベルト博士だった。ラングが、オーベルト博士に作品の監修を依頼すると、ロケット科学に関する彼の理論を世間一般に伝えるチャンス、と考えたオーベルト博士は快諾した。
ふたりの共同作業は素晴らしい成果に結実する。『月世界の女』は、時代をはるかに先取りし、打ち上げのカウントダウン、水を張ったプールからのロケット打ち上げ(現在でもロケット発射台は、排熱のため水で濡らしている)、そして月に到達するための多段階ロケットの使用など、後に実現するロケット科学の成果をいくつも予見している。
もともとオーベルト博士は、映画の宣伝活動として、フリーデ号をモデルにした打ち上げ可能なロケットの模型を設計し、ドイツ北部での打ち上げを予定していたが、予算の都合で実現しなかった。それでも、ラングとオーベルト博士は、実物大ロケットを完成させて、撮影のために完成品を発射台に移動させた。
映画の公開直後、オーベルト博士の弟子であるヴェルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)の指揮のもと、名高いV-2ロケットの開発がドイツで始まった。劇中のロケットが国家最高機密であるV-2ロケットと酷似している、との理由から、ドイツ政府は、1933年から1945年にかけて、本作品のドイツでの上映を禁じた。そして、ロケットの模型も破壊された。
月の金鉱や大気など、のちにデタラメだと判明する考証もあったにせよ(20世紀初頭、ドイツの天文学者ペーター・アンドレアス・ハンゼン(Peter Andreas Hansen)は、月の裏側には酸素を多く含む大気が存在するという説を信じていた)、『月世界の女』が扱うテーマは、公開から約100年経った今でもなお、古びてはいない。
今日の科学者たちは、人間が月や火星で長期間生活できるような、地球外居住区の設計に取り組んでいる。ここ数年間で、月への植民を真剣に提案する、数多の宇宙計画も提案されているが、いずれも、まだ実を結んでいない。月に金鉱はなかったが、最初に探査機を月に着陸させた民間チームに3000万ドルの賞金が与えられるというGoogleの月面探査レース〈Luner XPRIZE〉のおかげで、月のゴールドラッシュとでも呼ぶべき現象が起きた。さらに、ヘリオスの人物像は、否が応にもイーロン・マスク(Elon Musk)を連想させる。ヘリオスもマスクも、星々が有する莫大な富を想像しているのだ。
今日の映画技術やロケット技術は、ラングの想像を超えているかもしれない。しかし『月世界の女』は、時が経っても色褪せない宇宙探査の魅力と、宇宙探査に常に伴う道徳的不明瞭さを描写している。