黒執事考察ブログ

葬儀屋(アンダーテイカー)についての考察を載せたいがためにはじめたブログです。『黒執事』に隠された「嘘」と「伏線」に、貴方も騙されていませんか?※本誌内容に言及します※

【考察】 葬儀屋(アンダーテイカー)は、何故「笑い」を求めるのか?/笑いと涙の真相を徹底考察

こんにちは!餅月です。
今回は黒執事葬儀屋(アンダーテイカー)について考察していきたいと思います。
テーマは「笑い」についてです。

「笑い」は、葬儀屋というキャラクターを紐解いていくうえで非常に重要なテーマである可能性があります。

なお、今回の記事は重要考察である可能性が高いため、2024年8月に動画化させて頂きました。
こちらも是非チェックして見て下さい!
youtu.be

葬儀屋の「笑い」と「涙」の関係性

葬儀屋(アンダーテイカー)というキャラクターを紐解くうえで外せない要素が「笑い」です。

葬儀屋は情報屋としての対価を、お金ではなく笑いで要求します。
お金で解決できないため取引が面倒なだけでなく、葬儀屋は「笑い」に対して一切妥協しません。

故に彼を笑わせることはとても難しく、葬儀屋から情報を得ることはとても大変であることが分かります。

坊ちゃんも毎回葬儀屋への対価に苦戦を強いられており、その苛立ちからか笑いに異常な執着を見せる葬儀屋をよく「変人め・・・」と罵ります。

このように「笑い」は、今のところ
葬儀屋がいかに変人であるかを強調するためのものとして原作の中で扱われている印象を受けます。

しかしこれは葬儀屋の本質を隠すためのミスリードである可能性があります。
ミスリード、というよりは「それだけの意味ではない」といった方が正しいのかもしれません。

葬儀屋にとって「笑い」とは、ただ「好き」である以上に、もっと深く、キャラクター性を180度変えてしまうほど大きな意味を持っているものである可能性があります。

具体的に説明していきたいと思います。

葬儀屋にとって「笑い」とは「お金より価値があるもの」

先程も言及しましたが、葬儀屋は自身が裏社会の情報を与える対価としてお金ではなく、笑いを要求します。

つまり葬儀屋にとって笑いとはお金よりも価値があるものであることが分かります。

では、葬儀屋にとって何故「笑い」は「お金」より価値があるものなのでしょうか?

葬儀屋の涙

葬儀屋が何故そこまでして笑いを求めるのか。
その答えの可能性があるシーンが原作に既に存在します。

それがこちらです。

黒執事22巻第105話「その執事、尋訪」より

このシーンは、緑の魔女編のラストの回想の中の一コマです。

葬儀屋がディーデリヒの元を訪れたとき、彼はヴィンセントの写真を見て涙を流しました。

特筆すべきは、葬儀屋は涙を流すこの直前まで、ディーデリヒをからかいゲラゲラ爆笑していたということです。
お腹を抱え「もーーーだめーーーっ」と言いながら文字通り抱腹絶倒しています。

しかしその次のコマで突然、この表情になるのです。
この瞬時の表情の替わり様には、思わずディーデリヒも言葉を失っていました。

葬儀屋の涙は一体何を表しているのでしょうか?

私はこの表情こそが、葬儀屋の「本当の普段の表情」なのでないかと強く感じました。

葬儀屋は普段「笑い」を求め続けることで、本来の涙に濡れた自身の気持ちと表情を隠している可能性があります。

葬儀屋にとって笑いは「麻酔」か

葬儀屋にとって「笑い」とは何なのでしょうか?
私は葬儀屋にとって「笑い」とは言うなれば「麻酔」なのではないかと感じています。

葬儀屋は人間として自殺した後、死神として望まぬ生を受けています。
そしてそこで人を見送る上で、様々な経験をしたはずです。

長く生きている彼は、恐らく現在明かされていないだけで想像よりもはるかに大きな悲しみを背負ったキャラクターであると、この涙から推察することが出来ます。

彼は常に笑い続けてでもいないと、すぐに泣き出してしまうほどの悲しみを背負っているのではないでしょうか。
そんな葬儀屋の笑いの裏に隠された本当の顔が原作の中で唯一垣間見えたシーンこそ、先ほど挙げた涙の場面なのではないかと私は感じています。

このシーンの直前まで葬儀屋はゲラゲラと笑っていました。
しかし予期せぬところで自分の視線に大切なファントムハイヴであるヴィンセントの写真が入ってきて、つい琴線に触れ本来の自分自身が出てきてしまったのではないでしょうか。

それほど葬儀屋の過去の悲しみは深く、そして悲しみから目を背けるための「笑い」という鎧はあまりにも脆いものなのではないでしょうか。

だからこそ、葬儀屋はこれほどまでに貪欲に笑いを求め続けている可能性があります。

葬儀屋「小生に極上の笑いをおくれ。(でないとすぐにでも泣き出してしまいそうなんだ)」

私にはこれが葬儀屋の本心であるような気がしてなりません。

葬儀屋は常に泣いている可能性

葬儀屋は原作の中では常に笑いを求め、実際笑っています。
しかしこれらは逆に捉えてみれば
「積極的に笑おうと努めている」ともいえると感じます。

私は葬儀屋は実際、常に泣くほどの悲しみを背負っているのではないかと感じています。

緑の魔女編で葬儀屋の表情が「笑い」から「涙」に変わるスピードは驚くべき早さでした。
彼の中での「麻酔としての笑い」は、想像以上に脆いものなのかもしれません。

葬儀屋は黒執事の中で
笑っているイメージの強いキャラクターですが、
実は最も涙を堪えているキャラクターなのかもしれません。

2019年1月追記
葬儀屋は、時に笑いながら涙を流していることがあります。
もしかすると葬儀屋は悲しみを理由にしないで泣くためにも、笑いを求めている可能性もあるのかなと感じました。

悲しみから涙を流すことをしたくなく、そこから逃げ、
せめて笑いからくる涙にと変換しているのかもしれません。

よくヒッヒと笑う葬儀屋さんですが、
それが一部すすり泣きの表現だったとしたらとても切ないですね。

葬儀屋が金銭を受け取らないことは伏線である

最後に、葬儀屋さんが対価として金銭を受け取らないことについても併せて触れておきたいと思います。

葬儀屋が自身の働きの対価として金銭を受け取らないことは、いくつかの伏線であると考えることが出来ます。

一つは葬儀屋が死者蘇生の研究をする上で必要なはずの膨大な資金を誰が援助しているということを表す伏線です。

緑の魔女編では、サリヴァンを通じ「研究には膨大な資金がかかること」が言及されていました。

これは「進みすぎた技術」である「輸血と死者蘇生」を研究している「スフィア・ミュージックホール」の資金源の謎としての伏線も兼ねている可能性があります。

当ブログでは、この資金援助をした人物には豪華客船編でのカンパニア号の造船会社「ブルースターライン社」もその一端を担っているのではないかと考察しています。
詳しくはこちらの記事をどうぞ
www.under-taker.com

つまり、葬儀屋が自身の仕事で金銭を受け取っていないことは、これらの強力な金銭的バックアップが葬儀屋の後ろに存在することを示唆する伏線であると言えます。

ブルースターライン社の他にも、スフィア・ミュージックホールでも透析治療を受けるために、イギリスの元老院たちが多額の寄付をしていたことも明らかになっています。
しかしその程度の金額では、現在の葬儀屋の研究を続けることは不可能です。
サリヴァンがドイツの国家的な援助の元研究をしていたことから、葬儀屋の後ろにもまだまだ国家レベルのバックアップがいる可能性もあると感じています。(葬儀屋はよくフランスへ行っているのでフランス政府である可能性もあります。)

国家レベルのパトロンについての考察は下記記事からどうぞ
www.under-taker.com
www.under-taker.com

つまり葬儀屋は金銭面では全く困っていない可能性が高いです。
逆に言えば、いくらお金があってもお金では葬儀屋の過去の悲しみをぬぐうことだけはどうしてもできなかったのかもしれません。

行きついた苦肉の策が、
情報屋の対価として自分の孫(仮)である坊ちゃんに笑わせてもらうこと。
そして坊ちゃんが笑いの提供を苦手なことも知っている為、孫の可能性がある坊ちゃんが自分を笑わせるまでなるべく長く自分の元に留まってくれることを葬儀屋さんは望んでいるのかもしれません。

だとしたら、とても切なく健気だなと感じてしまいます。

餅月