頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「褒める」という行為は、相手が断りにくいからこそキモくならないように自分の側で気をつけるようにしたい

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・普通に上手くてキャラクターへの愛が感じられるイラストだと思うんだけど、なんでそんな言い方するの…。


・氷菓を描く随分前からこの人の絵が好きなんだけど、こんな悪ふざけ的にバズられて複雑。中の人女の人だし…


・meryさんのイラスト大好きでずっと見てるのに、変な言われ方して最悪。褒めてるつもりか?こういうオタク特有のノリがキモくて大嫌い。


・いくら元ネタが日本の作品だからって、自分が読めない言語圏の同人絵師を勝手に「謎の○○人」呼ばわりするのが、そもそも無遠慮すぎ…


・相手を人間扱いせずコンテンツ製造機かなんかだと思ってんのかなと感じた

かなり強い嫌悪感を示してる人が多いですね。

場や相手を選べば、キモい振る舞いをすること自体は全く問題ないと思うし、togetterまとめに挙げられてた人たちはそのあたりわきまえて遠くから言ってたと思うんですが、こうやってまとめられることによって「オタクの内輪ノリ」がさらされた形となり、それを見た人から拒絶反応が出るのはやむなしなところありますね。

私はこんなブログで毎日長文を書き散らかしていることからわかるように、他の人よりも何倍もキモい自覚があるので他人に言ってる暇があったら自分が気をつけないとなあって思いました。

人間、何かを褒める時に気が緩んでキモくなりがち問題。特にオタクはその傾向が強い

私自身がオタクなので、知り合いにもオタクがたくさんいます。しかしその中でも、社会経験が乏しくてかなりコミュ障なオタクの知り合いがいます。


その人はとにかく褒める時に「お前それ褒めてるつもりか?」っていう褒め方を良くしていました。メシマズならぬホメマズですね。(今はだいぶマシになった)。


なんかね、褒める時に無駄に「自分のセンス」みたいなのを出そうとするんですね。自意識をゴリゴリ押し付けてくるんですよ。無駄に独創性を発揮しようとする。Twitterのリプ欄で誰が一番目立つかを競ってるわけでもないのになぜか褒め言葉を言うときに自己アピールを始める。


例えばその人の場合、自分が得意なジャンルの話題を例に出してくる。あと、とにかくなんか奇をてらった表現をしようとする。いちいち例えを使う。自分の身の回りのもので例えようとする。自分がネットでよく見かける表現を使おうとする。などなどです。


相手を褒めようとしているのに、自分中心に考えてしまうからなぜかマウントになってしまう。「自分から見て面白いこと」を言うのが褒め言葉だと思ってしまっているせいか、褒め言葉から自分語りを始めてしまうことすらあります。

www.tyoshiki.com



例えばこんなケースがありました。

私はある時にこの人から「東條英機」に例えられたことがありました。話を聞いてみたらこの人なりに文脈があって納得できないこともなかったのですが……とはいえ、普通いきなり東條英機に例えられたら「ギョッ」としますよね?また、彼がその例えによってほめたい特性を表現するためには、別に東條英機を引き合いに出す必要はなかった。結局のところ、彼は東條英機のとあるエピソードを知ってる自分を自慢したかっただけにしか見えなかったんですね。 実際、私は褒められている立場のはずだったのに、その後全く興味がない彼の東條英機語りにつきあわされることになりました。*1


これされて嬉しいと思います?思わないでしょ?

https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755350023519


こういう褒め方は良くないのでやめたほうがいいと思うんですよね。


褒める時はハイコンテキストになるな。ひたすらローコンテクストに、ダイレクトに感情を刺激することを意識せよ

理由はいろいろありますがとりあえず2点だけ。

まず第一に、感謝の気持ちや褒めているという意図がダイレクトに伝わらないからです。意図が伝わらないということは、誤解されて悪意だと受け取られることすらあるということです。

二点目。相手に負担をかけてしまうからです。なぜか褒められている側が、褒めている側の表現を理解するために努力を強いられるという構図自体がそもそもおかしいからです。なんで褒める時に相手にストレスを掛ける必要があるのか。


人間というのはもちろん言葉を通じて思考をすることもありますが、喜怒哀楽という感情はもっと単純です。褒め言葉というのは相手に喜びの感情を当たるために行うべき動作です。たとえ褒めていようがその時にムッとしたりイラッという感情を与えるなら、もはやそれは褒め言葉ではありません。できる限りシンプルにすべきです。


「褒めるときに、表現に頭を使うな。相手の何がすごいのか、相手の何に感謝しているのかに集中せよ。相手にフォーカスせよ。自分にフォーカスするな」というのは褒め方の第1原則に出てくらい基本中の基本です。この基本原則が理解できてないと褒めるという行為のすべてが無駄どころか逆効果になります。

基本的には褒める時は変に頭良く見られようなどと思わず子供相手でも誤解なく伝わるシンプルな表現を心がけるべき

そこで冗長な言い回しをしたり、奇をてらった表現を使うのは、己の自意識を他人に押し付けているだけです。相手のための発言になっていません。そういう行為は他人から見ると総じて「キモい」のです。少なくとも「キモイ」と思われるということは自覚しておくべきです。

コミュ障と言っても最近はカジュアルに自称する人も増えてきて意味が薄まってきましたよね。でも、褒め言葉で誤解を招いてしまう人はネタじゃなくてガチでコミュ力に問題があると危機感を持ったほうがいいです。人間のコミュニケーションでいちばん大事な部分(他人へのリスペクト)が決定的に欠如しているかもしれない。

https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755350023654

内輪でだけ許されてるものを何も考えずに外に持ち出す人は、「バカ」にされても文句言うなとは思いますね。


キモいにも二段階ある。他人は一段階めは許容してくれることが多いが、二段階目になると警戒されるようになる

ここでいうキモいというのはまだ第一段階です。「違和感を覚える」「コミュニケーションコストがかかりそうで面倒だなと感じる」「あまり好ましいと思わない」という程度の感覚です。


「好きではない」「わろし(表現が上手ではない)」「SUKOSHI KIMOI」という感じ。


こういうすれ違いから生じる「キモい(違和感)」は人間関係ではよくあることで、このレベルは時々であればそれほど目くじらをたてられることはないでしょう。なんだったらその場でちょっと「それはキモいよ」と軽く指摘され、「ごめん、気をつけるよ」で済む話です。


ただ、この「キモい」が何度も繰り返されたり、大げさに言われたり、長々と聞かされたり、増幅されたりするとただの違和感だったものが「嫌悪感」や「警戒感」、さらには「恐怖」に繋がってしまいます。「SUGOI KIMOI」になります。


二段階目までやらかしておいて「キモイと言う言葉は差別だ」みたいな言説にしがみついても無意味です。まず自分がそういう状態にあることを自覚して、相手に嫌悪感を与えないようにするべきです。

*1:※こういう例えがしたいなら、せめて誤解がないように、一般的な褒め方をした後で「これは褒め言葉のつもりで言ってるので誤解しないでほしいのだけれど、そういう特性を持つ人で東條英機も実はそうだったんだよ」くらいに留めるべきでしょう。そういう気の使い方がこの人には全くできないんですね

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