本ブログが様々な視点から見てきたように中国経済はますますデフレーショナリーになっている。そのモヤモヤ感はどうもいわゆる「バランスシート不況」ではないかと思えてきた中、バランスシート不況の大家である野村総合研究所のリチャード・クー氏が中国の東呉証券の招待で香港で講演を行ったのが中国で大きな反響を呼んだ。講演の内容どころか、最終的にはスライドまでインターネットで出回った。それ自体が既にデフレーショナリーである。バランスシート不況と最近流行っている「日本化」はほぼ同義である。
バランスシート不況とは
バランスシート不況はクー氏が数十年にわたって推してきた有名な議論であり、筆者の手持ちの氏の著作、『陰と陽の経済学』からの丸写しで簡単に紹介する。本当は『The Holy Grail of Macroeconomics: Lessons from Japan’s Great Recession』の方が有名だが、だいたいどの本も似たようなことが書いてあるのだろう。経済には大きく分けて「陰」と「陽」の二つの局面があり、大学で教えている従来の経済学は「陽」の局面を前提にしている。この「陽」の局面では、民間企業は良好な財務基盤を前提に利益の最大化に向かって邁進しており、そのようななかでのアダム・スミスの言う「神の見えざる手」は、経済が大きく拡大する方向へと導いてくれる。
ところが何十年に一回、民間の夢と欲望が複雑に重なり合ってバブルが発生して崩壊すると、経済は「陰」の局面に入る。この局面下では、バブル期に借金で購入した資産の価値が大幅に下がり、負債だけが残った企業が、その過剰債務を一掃しようと一斉に借金返済に回る。つまり、この局面では企業の経営目標は経済学の大前提である利益の最大化を離れ、債務の最小化に移っているのである。その結果、それまで自社のキャッシュフローや家計の貯蓄を借りて投資していた企業は、その投資をやめるどころか、自社のキャッシュフローまで借金返済に回すようになる。多くの企業が一斉にこの方向へ動き出すと、経済全体では家計の貯蓄分と企業の借金返済分の合計に相当する総需要が失われる。しかも、このような理由で発生する総需要の減少は、企業の過剰債務が解消され、彼等が再びおカネを借りるようになるまで続くことになる。そうなると、「神の見えざる手」は継続的に経済を縮小均衡へ持っていくように働き、ここから「陰の経済」と言える長期不況が始まるのである。
ところがこれまでの経済学には、「陰」と「陽」の二つの局面が経済にはあり、それぞれの局面では「神の見えざる手」が全く逆の方向に働くという考え方はなかった。また、この視点が欠けていたことで、日本を含む多くの国々において、本来、「陽」の局面でしか有効でない経済政策を、「陰」の局面にも適用しようということで多大な努力が浪費されてきた。
香港講演の内容
講演のうちバランスシート不況そのものについての紹介は基本的に過去の著作の焼き直しなので翻訳は難しくない。オレンジのチャートが日本の事業会社の金融負債、青が金融資産の変化である。黒はそれらをネットしたもの(資金過不足)であり、ゼロより下にいれば事業会社は全体としてお金を借りており、上にいればお金を貯蓄していることになる。1980年代は日本の事業会社はGDPの5~10%を借入れて様々な資産に投資してきた。しかしバブルが弾けると借入れは急速に縮みはじめ、1997年には返済超に、1999年に黒線も0%をブレイクし、企業部門全体がデレバレッジしつつあることを示唆した。この傾向は2012~2013年まで続いた。
日本のバブルとその崩壊は住宅よりも商業用不動産が主導した。1990年にバブルが弾けると都市部の商業用不動産は2005年までに87%下落した。企業は大挙して株式や不動産で財テクしていたので一旦資産価格が下落に転ずると、負債は縮小しないため企業全体のバランスシートが毀損した。債務超過を避けるには本業で稼いだキャッシュフローを債務返済に回すのが合理的、また責任ある行動であり、実際日本企業は一斉に債務返済に動いたが、これは合成の誤謬で経済はデフレスパイラルに陥った。製品が売れなくて債務超過になるような構造的な不振なら仕方がないが、1990年以降の日本企業の製品はカメラにしろ自動車にしろ十分な競争力があった。しかし本業で稼いだ資金を研究開発ではなく負債返済に回したため、最終的には中国、韓国、台湾の企業に追い越されるようになった。
家計は当然貯蓄する側なので、企業まで貯蓄側に回ると法人需要不足と金融政策の空転が同時に起き、貨幣の回転速度が低下してデフレスパイラルに陥る。過剰債務を抱える企業はゼロ金利でも債務返済を優先するので、金利が経済に与える影響は小さくなる。20年経ってBSが綺麗になった後、一部の企業は再び借入れを始めたが、同時に貯蓄を再び積み増しはじめる企業もあり、ネットでの資金過不足は依然ゼロ近辺であった。この背景は二つあり、一つは債務へのトラウマである。BSの修復は10~15年かかった。経営者は二度と借金などするまいと金融資産を厚く積むようになった。もう一つはグローバル化の流れの中で国内に設備投資需要を見出せなかったためである。
しかしこれだけのバブル崩壊とBS不況を経ても日本のGDPは名目でも実質でもバブル期の水準を下回ることはなかった。これは奇跡である。その背景はこの資金循環統計から分かるように、政府が民間の過剰貯蓄を巨額の財政赤字という形で借りて財政出動を行いGDPを支えたためである。GDPの水準さえ維持できれば人々は債務を償還するための原資を収入で得ることができ、BS不況は時間の経過とともに解決される。
クー氏自身を含めて1990年時点でBS不況という概念は知られていなかった。ケインズでさえ大恐慌の解説の中で「流動性の罠」までは提唱したものの、それを借り手のBS不況ではなく貸し手の都合で解釈しようとした(現に振り返ってみると流動性選好という概念は全くピンと来ないので丸暗記するしかない)。日本政府は日本について無知であるアメリカ人のアドバイスを真に受けて構造改革も試した。しかし日本の問題の8割はBSであり構造的なものは2割程度と思われ、従って構造改革も金融緩和も大して効かなかった。日本は財政出動に集中すべき時に金融緩和や構造改革に多くの時間を浪費した。
ここからが中国について。北京とかつての東京、大阪の不動産価格を比較すると、上げ方は異なるものの上昇幅は似ている。従って一旦中国の不動産バブルが崩壊すれば中国もBS不況に陥ると思われ、それは苦痛に満ちたものになるだろう。しかし中国と日本とで最大の違いは、30年前の日本人と違って中国人は既にBS不況という概念を知っていることである。知り合いの中国の教授によると、中国の経済学の博士論文の半分近くはBS不況についてのものである。従って中国の経済学者や経済政策の立案者はこの問題の対処法も知っているだろう。それは時間を金融政策や構造改革で時間を浪費せず、経済規模を維持できるように財政出動に集中すべきということである。もし安定的な財政出動があれば日本の20年よりも短い期間で中国はBS不況から脱することができるだろう。金融危機後の米国はBS不況を理解したためBS不況から素早く回復し、一方欧州は構造改革至上論に囚われたため10年間の停滞に苦しむことになった。
中国でも資金循環統計を行ってみると、家計(赤)は日本と同様貯蓄好きで貯蓄はGDPの10%に近い。企業部門(黒)は2015年まで借入れを増やしてきたが、2016年から突然顕著に減らしはじめ、2020年には資金過不足は0に近付いている。これは懸念すべき趨勢である。中国はまだ経済成長が続く新興国であり、賃金の上がり方も1980年代どころか1970年代の日本と同様であり、企業はもっと借入れを行って設備投資や研究開発を行って日韓や台湾のライバルとの競争を勝ち抜こうとすべきである。しかし全ては起きなかった。それもバブル崩壊の前からである。2016年にバブルが弾けたなら中国企業のこの行動は完全に理解できるが、実際にバブルが弾けたのはあくまでも2022年である。ここでも代わりにお金を借りる主体が必要であるがそれはやはり財政赤字であった。これはBS不況の対策として正しいものの、中国経済の2016年以来のパフォーマンスの多くは政府支出に頼ったものであったことも示している。
中国が直面する課題はかつての日本よりも多い。日米と異なり中国の建築業のGDPに占める割合は大きく26%である(この数字について本ブログも出典を聞かれたことがあるが再現できていない。GDPに占める建築業そのものの割合は7%弱であり、不動産開発関連の15%を足しても22%にしかならない。よほど裾野まで集計しているのか)。ということは建設業が10%シュリンクすればGDPの2.6%が失われる。日本の建築業はバブル期でも20%だった。もしクー氏自身が中国政府であり財政出動の使い方を選べるなら、いま建設中のプロジェクトをいかなる代償を払ってでも完成させる。もしこれらの不動産プロジェクトが止まってしまったら建築業、家計、そしてGDPに与える損失は莫大なものになる。
1990年にバブルが崩壊した時、日米間で貿易摩擦がエスカレートしていたが、今日の米中関係と違って外交や安全保障には波及しなかった。地政学リスクを管理できなかった場合、中国の輸出企業は全世界のGDPの55%と全ての豊かな顧客が集まる西側市場を失い始めるかもしれない。西側への輸出が伸び悩むとグレーの27%、一人当たりGDPが中国と大して変わらない非西側諸国(non-West)を開拓するしかない。
次に人口動態である。日本の少子化は有名であるが、本当に人口が減り始めたのは2009年、つまりバブルが弾けて19年後である。従って日本経済の減速を人口動態で解釈するのは少なくとも2009年より前については適切ではない。一方、中国では人口減少とバブル崩壊が同時にやってきた。人口減少は緩やかな過程ではあるものの、人口減に伴い海外からの投資が減り、更に中国自身の投資もベトナムやバングラデシュに出ていくとなれば中国の経済成長は大幅に減速するだろう。
中所得国の罠も控えている。中所得国の罠を乗り越えた国は日本、韓国、シンガポールなど少数である。更に規制の不確実性がある。これは日本人が永遠に懸念する必要がない課題であるが、中国政府は不動産、金融市場、IT業界、教育業界で規制引締めを行っており、規制の不確実性は経済成長に極めて大きな悪影響を与えるだろう。最後にパンデミック対策である。西側と日本では政府は財政支出を通じて多くの家計や企業を支援したので、パンデミックが終わると多くの家計や企業には余剰貯蓄があり、それが米国経済が堅調さを維持している背景の一つである。しかし中国だけは政府はそれほど多くのお金を使わなかったため、多くの家計や企業は自分自身の金融資産を使ってパンデミックを乗り越える必要があった。これは彼らの貯蓄がこの3年間で消耗しており、経済がリオープンしても貯蓄がパンデミック前並みの、或いはそれ以上の水準に達するまで再構築するだろう。この行動はBS不況と全く同じ効果を産むだろう。
まとめると中国が直面する問題は30年前の日本よりも大きなものである。中国の政策立案者がこれらの課題を理解し正しい政策を打ち出すよう期待している。なぜならこれは中国が先進国並みの生活水準に到達できる最後の機会と思われるからである。これほど肝心な時期にこれらの課題の対応を間違えれば中国は中所得国の罠に陥る可能性がある、という話であった。
バランスシート不況論争
この講演の後に「中国はバランスシート不況に陥っているかどうか」について本土系経済学者の間で激論が交わされた。総じてそれらの議論のレベルは低く、「かつての日本が成長へのアニマルスピリットを失ったのは米国依存路線の下で成長の天井に当たったのだ」のような全く的外れな精神論が飛び交っている。よく巷では「中国は日本のバブル崩壊を研究し尽くしている」と言われているが本ブログには到底そう思えない。そもそも、バブル崩壊に「こうやれば阻止できた」というような教訓などあるのか。本ブログの見方としてはまず、狭い意味でクー氏が観測し、バランスシート不況の兆しと見なした「2015年以降の中国企業の借入れの減速」に限っては、当時の中国経済を追っていなかった氏の勘違いである。中国の民営企業はお金を借りたくなかったのではなく、習近平政権が始めた「デレバレッジ運動」のせいで借りられなくなったのである。限られた貸出は国営企業が独占したし、LGFVが地方政府の信用を利用して低利で借入れた資金を民営企業に又貸しする椿事さえ起きた。従って中国の民営企業の借入れ意欲が衰えていたかどうかは観測できない。満足に借りられた時代が長らく存在しなかったからである。これは中国がバランスシート不況に差し掛かっていないと言っているのではない。極論、バランスシート不況こそが――2018年のデレバレッジ運動やパンデミック後の「三道紅線」から分かるように――習近平政権が理想とする経済環境ではないか。どう見ても習近平政権はパンデミックを挟んでの2期にわたってバランスシート不況をわざと起こそうとしてきたとしか思えないのである。
苛政はバランスシート不況より猛なり
従って「中国の政策決定者にはバランスシート不況の知識があるところが1990年代の日本との決定的な違いである」とする氏の論理も危うくなってくる。率直に言って習近平政権がクー氏の処方箋を採用することはあり得ない。博士論文が多数発表されていればそれが当局に影響を与えられると考えているとすればそれは専制国家の意思決定機構を過大評価している。バランスシート不況論は不況になるたびに湧き上がる構造改革論のいわばアンチテーゼであるが、習近平政権は明らかに構造改革論者である。現政権に限らず中国共産党の各政権は一貫して財政緊縮的であり、地方債の発行を長らく禁止するほど地方政府の「野放図な」財政拡張を警戒し、またその「野放図な」財政拡張の責任を取ることから一貫して逃げようとしてきた。その結果、地方政府の隠れ債務だの何だのと言われてきた横で、中央政府に限ると欧米諸国より遥かに綺麗なバランスシートが残されているのは有名である。
2015年のチャイナショックに際しても「バランスシート不況」が一部で唱えられていた――とにかく不動産価格が下がるたびにバランスシート不況論が出てくるのはトートロジーに近い――が、その時も劉鶴が「サプライサイド経済学」で「L字成長」を唱えながら余剰生産力の削減を実行している。中国共産党政権が強みとしているのは「公的債務を気にしない財政刺激」などではなく「景気のハードランディングを恐れない勇気」なのである。前者は建国以来2008年の一回しかなかったし、それはあくまでも大量な失業者による労働争議の多発が勝ち取ったものである。今回の民営不動産企業迫害が予想外にダラダラ続いているのも、問題を過剰供給力の削減から解決しようとする「不動産のサプライサイド経済学」の発想と解釈できなくもない。サプライサイド経済学はバランスシート不況論と真っ向から対立する。使えないと身をもって体験する前から「構造改革で時間を浪費する時間帯」を回避するのは人類には早すぎる。賢ければ賢いほど人間は空論の方に魅力を感じるからである。特に計画経済というのは財政刺激や金融緩和をばら撒いて後は民間企業の経営者によきに計らってもらうやり方の、むしろアンチテーゼであり、あくまでも当局には個別の問題に「精密に」介入し、問題そのものを一個一個正しく解決する能力があるという世界観の上に成り立っているのである。習近平政権になって計画経済はいよいよ建前だけでなくなっており、事実これまでの緩和策の多くには「精密(targeted)」という投資家が忌み嫌う枕詞が付いていたではないか。財政出動の可能性については不動産市場がランドセールを通じて地方財政に結びついており、であるにもかかわらず習近平政権が民営不動産業界を破壊したので、習近平政権がたとえクー氏の処方箋を採用したとしても実行に移す能力が弱っている。
現状に立ち戻ると、中国企業のセンチメントは恐らく2022~2023年にかけて空前絶後と言えるほど悪化していると思われるものの、バランスシート不況とまで言えるかどうかは微妙である。より長期的には、日本企業と違って中国企業の経営陣は銀行や株主に怒られ、或いは従業員に恨まれることをそれほどトラウマには感じないだろう。彼らにとって一攫千金して海外に移民することが目標であり、中国国内に健全な企業を末長く残すことにそれほどの興味を持たないはずなので、それがよくも悪くもセンチメントが招くバランスシート不況の期間を短縮するだろう。民営不動産業界などはバランスシート不況どころか今にもそのまま潰れそうだが、それ以外の業界にとっては多少の保有資産の含み損などよりも、習近平政権が濫発する引締めで即死する方がより恐怖に値するものではないか。民間企業がお金を借りなくなる程度では他の経済政策、外交政策と比べると正直霞んでしまう。苛政はバランスシート不況より猛なり、である。
家計のバランスシート不況
消費者でありスモールビジネスの担い手でもある家計については、クー氏が想像で語ったほど貯蓄には毀損しておらず、むしろ事実として中国にも過剰貯蓄が存在することが分かっている。しかし給付金もなくゼロコロナ政策に翻弄され、リオープン後も雇用情勢が悪いようでは、かつてバブル崩壊を体験した日本企業と同じように、それまでよりも小さなBSと厚い貯蓄を持とうとするに決まっている。その一環として住宅ローン返済ラッシュに向かっているのはバランスシート不況そのものであり、今の住宅市場の弱さもその結果でもある。ただ中国では住宅ローンの借り換えが認められていないので、借りた後に金利が下がった時に繰上げ返済が出やすいのは仕様であり、センチメントさえ回復すればBS修復は次の住宅ローンに繋がりやすいだろう。また、バランスシート不況の理論の断片がある程度中国当局に取り入れられているのは間違いない。何もバランスシート不況というワードを使わなくても、逆資産効果を防ぐために「度を過ぎた値下げ」への指導など、不動産の価格統制を断続的に行っている。買い手はだからと言って上がっては来ないので流動性が悪化するだけだが、それでも帳簿上のBSは幾分かましに見える。もちろんそれが上手くいくとは思われないので、家計周りが逆資産効果に晒されるのはほとんど確定していると見てよく、こちらが中国のバランスシート不況の本丸だと思っている。
日本化の議論
日本化の可能性については日本化どころではないというのが結論になりそうである。クー氏が指摘するように人口動態の天井とバブル崩壊が同時に来たように見えるが、ものすごく習近平政権を美化すれば、一人っ子政策を撤廃した2016年頃から人口動態の天井が見えていたので、大規模なバブル崩壊と重ならないようにフライングで人工BS不況を起こしていたという解釈もできる。かつての日本との違いとしてよく挙げられるのは都市化(Urbanization)の天井がまだ来ていないところであり、現に都市部から長らく農村住民を排除してきた都市戸籍制度の開放は時間の問題である。しかし少なくとも短期的には、経済成長の鈍化に伴い都市部の失業率が高止まりしており、余った若年層を逆に農村部に送り込もうと言い出しかねない状況下で、「都市化が進むから不動産価格や経済成長は堅調さを維持する」などと言われてもピンと来ないだろう。
民営不動産に関しては、確かにサプライサイド経済学だけでなくバランスシート不況の発想でも数十年かけて借金を返させるよりは潰して金融機関に損失を一気に補填する方が早い。(そもそも税収が弱いこともあって)税金投入には中国共産党政権は概して吝嗇であるものの、民意だけは無視できるので、バランスシートが毀損した金融機関への公的資金注入だけは迅速にできると思われ、現に2000年代にそれを既に一度行っている。その時も外準から資金を捻出したように、財源としては財政赤字というよりも直接財政ファイナンスという形で行われる(例えば政策銀行が不良債権の箱に融資し続け、その分のファンディングをPBOCが永久に行う)イメージが強い。次のそれが再び日本で言うりそなモーメントになるだろう。構造改革の試行錯誤期を通過してアベノミクス・モーメントがやってくるのがいつかになるかはさっぱり分からない。
最終的に日本は長いバランスシート修復期を乗り越えた。金融緩和の効果をクー氏は否定するが、企業も全くの無借金経営で回しているわけではないので、低金利だけを見てBSを膨らませるのに至らなくても、既存BSの金利コストを削減することには意味があった。円安誘導も海外資産を見かけ上膨らませた。BSが綺麗になった日本企業はアベノミクス以降の10年間を通してインフレ体質に移行するタイミングで花咲いた。不足しつつある労働力人口も女性活躍で補ってきた。財政出動を唱えるたびに「まずは構造改革を」「金融緩和だけで代替できる」と反論されてきたのがウザくてたまらなかった事情は理解できるものの、財政出動だけが善で他が一切使えなかったわけではない。
クー氏の指摘のうち、むしろバランスシート不況に関連しない部分の方が正鵠を射ているのではないか。西側諸国に対する好戦的な態度が招いたデリスキングに伴う潜在成長率の低下。経済環境を大きく悪化させた民営経済の引締め。パンデミックで先進国と違ってあくまでも給付金を払わなかったことが招いた家計の萎縮。いずれも本ブログが取り上げてきたテーマであるが、「国家主席の耳はロバの耳」といわんばかりに、中国企業が集まるカンファレンスの場でそれらを全てを羅列したところに、今回の講演の最大の意義があったと言える。
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この記事は投資行動を推奨するものではありません。