新たな社会を目指す時、必要なのは変革を厭わず、挑むことができる人材だ。少子高齢化や生産性の減退など多くの課題を抱える日本社会。その中で、社会を変える人材をいかに育てるのか。問われているのは、未来を生み出す子供たちを育てる「教育の力」。現場の取り組みを探る。
JR武蔵溝ノ口駅、東急溝の口駅近くにキャンパスを構え、今年、創立100周年を迎えた洗足学園の中学高等学校、小学校(川崎市高津区)はともに全国でも指折りの進学校だ。
《中高は、最近3年間の東京大の合格者が20、22、15人と、県内の私立女子高で随一の実績》
《国公立大に80人超、海外大に10人合格という結果を残している》
《小学校はほぼ全員が外部の中学校を受験。有名私立・国公立中への進学率が極めて高い》
そうした進学実績を、両校の関係者は「結果論」とした上で、「そこがゴール、目標でやっているわけではない」と説明する。
「附属」看板外す
中高の玉木大輔オフィスマネージャーは「進学実績に唯一無二の価値を置いていない。そこはあくまで(生徒が歩む人生の)ホップステップジャンプのステップという段階」と言い、小学校の赤尾綾子教頭も「おそらく外部の人の想像以上に進学実績に固執していない。それぞれが希望する学校に進学し、将来、社会に有為な人材となることを目標とし教育を行っている」と語る。
教室にあるのは、プロジェクターによるスクリーン画面。授業の内容はそこに映し出され、児童はiPad(アイパッド)を文房具と位置付けて活用する。先生が黒板にチョークで書くという通常の形式である「板書」をすることはほぼない。
中高でも教鞭をとった小学校の田中友樹校長は「小学校では、先生が前にいるというより、子供が前でプレゼンをしていた。そういうスタイルを小学校がいち早く取り入れた」と語る。
レベルの高い進学実績を支えているのは、そうした「変革」だ。
洗足学園は幼稚園から大学院までの総合学園だが、実は幼稚園を除き、「附属」校ではない。平成14年に名称を変更し、「附属」を外し、一貫校であることをやめた。大学を頂点とし、小学校、中学校、高校を一貫して教育していく関係ではなく、各校がフラットに並び、児童・生徒の年齢に合わせた教育の在り方を考えていくイメージに変えた。つまり、人口減少社会の到来を念頭に、学生や生徒の確保を内部の中高、小学校に頼ることなく、自らが魅力ある学校となる方針に転換したのだ。
ただ、「(小学校では)昔は女子児童を対象とした内部進学クラスがあり、エスカレーター式を望む保護者もいた」(赤尾氏)。意義、狙いを丁寧に説明し、「附属」という意識を取り外し広く視野をもつことにより、現在のような進路を希望できる校風となった。
ICT積極導入
これにより、それぞれが独立して自分たちの教育の最高の形を出そうとか、そういう思いが実現できるような学校づくりをしていこうといった機運ができ、競争力の高い学校へと変貌を遂げた。中高、小学校の変革を支えたのは、重点的な事業に適切な予算措置が講じることができた健全な財務状況だった。学校法人の資金調達を図るものさしに「純資産構成比率」があるが、同学園は全国平均に比べて高いという。
中高と小学校の教育は「自立」「挑戦」「奉仕」と基本コンセプトが同じだが、具体的にはそれぞれの判断で教育を進めている。
中高では「教科融合」と「探究」を組み合わせた授業や、「STEAM教育」を掛け合わせた授業を多くの学年で行う。教科・科目という垣根を越えて、幅広い複眼的な視点から物事を見つめる力を身につけてもらう狙いがある。
中高、小学校ともに、ICT(情報通信技術)を積極的に導入し、知識を取り入れるインプット教育だけでなく、知識を生かすアウトプット教育に力を入れている。また児童、生徒の年齢に応じたやり方で従来の教育手法を変えたが、児童たちと同時に、教える側の意識、姿勢も変革を求められた。そうした挑戦を厭わない学園の「土壌」もまた、高い進学実績を支えている。(大谷卓)
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洗足学園
大正13(1924)年、「理想高遠 実行卑近」(高く遠い理想を、身近な日常から実行していく)を建学の精神として、敬虔なクリスチャンだった前田若尾氏が設立した。東京都目黒区にあった洗足高等女学校は昭和21年、現在の川崎市高津区久本に移転。その後、中学校や幼稚園、小学校、短期大学、大学、大学院が設立され、現在では幼稚園から大学院までの総合学園となった。