データドリブン経営、DXという言葉を耳にする機会が増えましたが、中小もしくは小規模企業にとって「データ活用」のハードルは依然として高いのが現状です。
「専門人材が必要なのでは?」
「高額な分析ツールへの投資は難しい」
このような声をよく聞きます。
しかし、本当にそうでしょうか?
実は、無料で始められるGoogleスプレッドシートやSlackといった既存のツールを工夫して使うだけでも、データを活用した経営改善は十分に可能です。
今回は、特別な投資をせずに売上1.2倍を達成したソフトウェア開発会社の事例を紹介します。この会社が取り組んだのは、日々の業務で自然と情報が集まる仕組みづくりでした。
Contents
- データ活用に踏み出せなかった2年間
- 転機は営業部門からの提案
- 「今あるもの」で始めるアプローチ
- 現場からの不安の声
- 誰でも続けられるデータ収集の仕組みづくりから
- プロジェクトチームの立ち上げ
- 最初の一手:商談記録の統一化
- Slackの活用:情報の自然な集積を目指して
- Google カレンダーの工夫:時間の使い方を可視化
- データ収集を継続させた3つのポイント
- 予想外の効果も
- データから見えてきた「売上向上のヒント」
- 最初の発見:製造業における強み
- 2つ目の発見:14時台の商談効果
- 施策1:製造業向けの提案パッケージの開発
- 施策2:商談時間の最適化
- 予想外の相乗効果
- 数字に表れた成果
- データ活用が組織文化に変わるとき
- 予想外の展開:現場からのボトムアップ
- データがつなぐ部門間連携
- 具体的な成果:売上1.2倍達成までの道のり
- 見えてきた新たな課題
- 次のステップに向けて
- 今回のまとめ
データ活用に踏み出せなかった2年間
「このままでは、会社の成長が止まってしまう…」
2021年の年末、神奈川県横浜市でパッケージソフトウェアの開発・販売を手がけるアルファテック株式会社(仮名)の佐藤社長(仮名)は、深いため息をつきました。
創業から7年、従業員数は30名に成長したものの、ここ2年は売上が伸び悩んでいました。
案件の見通しが立ちにくく、新規開発と保守運用の要員配置に四苦八苦する日々。かといって、営業部門を大幅に強化する余裕もありません。
「データを活用して効率的な経営を」
そんな言葉をよく耳にしましたが、佐藤社長は及び腰でした。
理由は主に次の3つです。
- 分析ツールへの投資負担
- 専門人材の確保
- データ管理の仕組みづくり
中小企業にとって、どれも大きなハードルに感じられたのです。
転機は営業部門からの提案
転機が訪れたのは、2022年1月の経営会議でした。
入社3年目の営業担当・山田さん(仮名)から一つの提案がありました。
「毎日使っているGoogleスプレッドシートとSlackを工夫すれば、立派なデータ分析ができるのではないでしょうか」
山田さんは、前職の大手製造業の生産子会社で工程管理の経験があり、必ずしも高度なツールがなくても、日々の情報を適切に蓄積・分析することで、業務改善につなげられることを知っていました。
「今あるもの」で始めるアプローチ
この提案を受け、アルファテックは「今あるもの」を最大限活用する方針を決めました。
具体的には……
- 商談記録はGoogleスプレッドシートに統一
- 気づきや情報共有はSlackの専用チャンネルで実施
- スケジュール管理はGoogleカレンダーで一元化
「とにかく3ヶ月やってみよう」
そう決めた佐藤社長は、新たなツール投資は一切せず、既存ツールの活用方法を見直すことにしました。
現場からの不安の声
もちろん、最初から順調だったわけではありません。
「また新しい作業が増えるのでは?」
「今までのやり方を変えるのは面倒」
「結局、データを取っても活用できないのでは」
現場からはそんな不安の声も上がりました。
しかし、山田さんの「まずは必要最小限の情報から始めましょう」という提案に、徐々に賛同の声が集まっていきました。
誰でも続けられるデータ収集の仕組みづくりから
プロジェクトチームの立ち上げ
2022年1月中旬、アルファテックは山田さんをリーダーとする3名のプロジェクトチームを発足させました。
メンバーは、営業部門から山田さん、開発部門から平井さん(仮名)、そしてカスタマーサポート部門から鈴木さん(仮名)。
「現場の生の声を拾える」メンバー構成にこだわったと、佐藤社長は語ります。
最初は週1回、30分のミーティングから始めました。議題は「今、何の情報があれば事業判断に役立つか」。
「ここで重要だったのは、『理想の姿』ではなく『今すぐ集められる情報』に焦点を当てたことです」(山田さん)
最初の一手:商談記録の統一化
チームが最初に取り組んだのは、商談記録の統一化でした。
それまで営業担当者4名がそれぞれの方法で記録を取っていた状態から、Googleスプレッドシートによる統一フォーマットへの移行を図ったのです。
「最初は15項目ほどの記入欄を作ったんです。でも、1週間試してみたら『記入が大変で商談に集中できない』という声が。そこで思い切って5項目まで減らしました」(山田さん)
最終的に定着した記入項目は以下の5つでした。
- 商談日時
- 顧客業種(プルダウンで選択)
- 商談フェーズ(初回/提案/クロージング)
- 次回アクション
- 気づき(箇条書き3点まで)
「あえて『商談内容』という項目は作りませんでした。詳細な内容はSlackに投稿してもらう方針にしたんです」(山田さん)
Slackの活用:情報の自然な集積を目指して
続いてチームは、普段のコミュニケーションツールであるSlackの使い方を見直しました。
「それまでもSlackは使っていましたが、情報が流れていくだけ。『後から見返したい』という声が多かったんです」(鈴木さん)
そこで導入したのが、3つの専用チャンネルと簡単な投稿ルールでした。
「#商談気づき」チャンネルの投稿ルール例:
■ 業種: ■ 気づいた課題: ■ 考えられる対応: #タグ
「タグ付けのルールを決めたのが良かったですね。後の分析で『製造業の品質管理部門からの問い合わせが多い』という発見があったのも、タグのおかげでした」(平井さん)
Google カレンダーの工夫:時間の使い方を可視化
「開発リソースの配分で悩んでいた」という平井さんが提案したのが、Googleカレンダーのタグ活用でした。
商談や開発MTGなど、予定を入れる時に必ずタグを付けることにしました。
すると「月の大半が内部会議で埋まっている」という事実が見えてきて、会議時間の見直しのきっかけになりました。
データ収集を継続させた3つのポイント
チームが特に注力したのは、「続けられる仕組み」づくりでした。
毎週金曜日の朝会で5分間の「データ共有タイム」を設定
「先週との違いを1つだけ共有する」というルールで、全員が当事者意識を持てるようにしました。
「完璧」を求めない
「データの欠損があっても責めない。まずは傾向を掴むことを重視しました」(山田さん)
定期的な見直しの機会
「1ヶ月ごとにフォーマットの見直しをしました。現場から『ここは使いにくい』という声があれば、すぐに改善しました」(鈴木さん)
予想外の効果も
「当初は売上管理が目的でしたが、思わぬ効果もありました」と佐藤社長は振り返ります。
例えば、新入社員の教育にも役立ったといいます。
先輩の商談記録やSlackの投稿が、生きた教材になりました。
「この業界ではこういう切り口で話をするんだ」といった暗黙知の共有につながりました。
データから見えてきた「売上向上のヒント」
最初の発見:製造業における強み
データ収集を始めて1ヶ月が経った2022年2月末、山田さんはSlackのタグ分析から興味深い発見をしました。
「製造業、特に品質管理部門からの引き合いで、商談成約率が他の業種より25%も高いことがわかったんです。でも、なぜだろう?」
チームは早速、Googleスプレッドシートの商談記録とSlackの「#商談気づき」チャンネルを詳しく分析していきました。
すると、ある共通点が浮かび上がってきました。
品質管理部門の方々は、「数値での管理」「データの可視化」といったキーワードに強く反応していることがわかりました。
平井さんは説明します。
「実は、私たちのパッケージソフトが持つグラフ作成機能や数値管理機能が、品質管理の現場ニーズにマッチしていたんです」
2つ目の発見:14時台の商談効果
続いて、Googleカレンダーのデータから意外な事実が判明しました。
「14時台の商談は、成約率が午前中の商談より15%高かったんです」と鈴木さんは語ります。
Slackの記録を遡ってみると、「午後の方が相手も落ち着いて話が聞ける」「朝一は相手も忙しそう」といったコメントが複数ありました。
これらの発見を受けて、アルファテックは2つの施策を実施することにしました。
施策1:製造業向けの提案パッケージの開発
既存の機能を「品質管理の視点」で再編集した提案パッケージを作りました。
平井さんは説明します。
「例えば、従来は『データ分析機能』と呼んでいた機能を、『品質トレンド分析』という名称に変更し、品質管理での具体的な使用例を盛り込んだんです」
この取り組みは、営業トークの統一にも役立ちました。新人営業でも、品質管理部門特有の課題に焦点を当てた提案ができるようになったのです。
施策2:商談時間の最適化
「可能な限り商談を14-16時に設定する」という新しいルールも導入しました。
「最初は『相手の都合もあるから難しいのでは』という声もありました」と山田さん。
「でも、『午後の方が詳しい話ができます』と提案すると、意外にもスムーズに調整できることが多かったんです」
予想外の相乗効果
これらの施策は、予想外の効果ももたらしました。
「製造業向けの提案が整理されたことで、他の業種への提案も見直すきっかけになりました」と佐藤社長は説明します。
例えば、物流業界向けには「在庫管理」の視点で機能を再編集するなど、業種別のアプローチが自然と広がっていきました。
数字に表れた成果
3ヶ月後の2022年5月、最初の大きな成果が表れました。
- 製造業からの新規問い合わせが前年比40%増
- 商談成約率が全体で15%向上
- 特に品質管理部門からの引き合いが2.5倍に
「データに基づく小さな改善の積み重ねが、着実に成果につながっていることを実感しました」と佐藤社長は振り返ります。
データ活用が組織文化に変わるとき
予想外の展開:現場からのボトムアップ
2022年6月、アルファテックで興味深い変化が起こり始めました。
当初は営業部門から始まったデータ活用の取り組みが、他の部門にも自然と広がっていったのです。
開発部門のリーダーである平井さんは、その変化をこう説明します。
開発チームの若手メンバーから「機能改修の依頼内容をタグ付けして分析してみました」という報告がありました。
すると、特定の機能に改修依頼が集中していることが分かり、その機能を全面的に見直すきっかけになりました。
カスタマーサポート部門でも、問い合わせ内容をSlackに集約し始めたところ、マニュアルの分かりにくい箇所が特定できました。
鈴木さんは語ります。
「マニュアルを改善したことで、問い合わせ数が15%減少しました」
データがつなぐ部門間連携
さらに注目すべき変化が、部門間の連携の強化でした。
「以前は営業が感覚的に『この機能が欲しい』と開発に依頼していました」と山田さんは振り返ります。
今は「製造業の品質管理部門から〇件の要望があり、想定の売上増加額は××円」といった具体的な数字を示せるようになりました。
開発部門の平井さんも「数字があると優先順位の判断がしやすい」と評価します。
限られたリソースを最適に配分できるようになりました。
具体的な成果:売上1.2倍達成までの道のり
2022年12月、アルファテックは当初の目標であった売上1.2倍を達成します。
その内訳は以下の通りでした。
製造業向けの新規売上が50%増加
- 特に品質管理部門からの受注が大きく貢献
- 業種特化型の提案手法が成功
既存顧客からの追加受注が30%増加
- 問い合わせ分析から導き出された機能改善が寄与
- カスタマーサポートの品質向上による信頼関係の強化
営業効率の改善
- 商談成約率が25%向上
- 一人当たりの商談件数が15%増加
「数字だけを見ると大きな成果に見えますが、実は小さな改善の積み重ねでした」と佐藤社長は強調します。
見えてきた新たな課題
しかし、この取り組みで全ての課題が解決されたわけではありませんでした。
データ量が増えてくると、Googleスプレッドシートだけでは分析が難しくなってきました。
山田さんは説明します。
「特に、過去データとの比較や複雑なクロス集計には限界を感じています」
また、情報共有の課題も出てきました。
「Slackのメッセージが流れていってしまい、過去の知見を探すのに時間がかかるようになってきました」と鈴木さんは指摘します。
次のステップに向けて
これらの課題に対して、アルファテックは次のような方針を決めました。
データ分析ツールの段階的導入の検討
- ただし、現場の使いやすさを最優先
- 既存の仕組みとの連携を重視
ナレッジベースの構築
- Slackの重要な投稿を自動で保存・整理するの仕組みの検討
- 部門横断で活用できる情報共有の仕組みづくり
今回の取り組みで最も大きな学びは、「完璧なシステムを目指さない」ことの重要性でした。
佐藤社長は締めくくります。
「現場が無理なく続けられる仕組みづくりこそが、持続的な成長につながるのだと実感しています」
今回のまとめ
今回は、「中小IT企業の『身の丈データ活用』から始める売上改善」というお話しをしました。
データ活用というと、大規模なシステム投資や専門人材の採用が必要だと考えがちです。
しかし、神奈川県のソフトウェア開発会社アルファテックの事例は、そんな思い込みを覆すものでした。
彼らが実践したのは、Googleスプレッドシートやslackといった既存ツールを工夫して使う「身の丈データ活用」です。
特に注目すべきは、完璧なデータ収集を目指すのではなく、「継続できる仕組み」を優先した点です。商談記録は必要最小限の5項目に絞り、Slackでの情報共有もシンプルなルールで統一しました。
このアプローチは、予想以上の効果をもたらしました。
製造業、特に品質管理部門での強みが数字で見えてきたことで、提案内容を最適化。商談時間の分析からは、午後の商談が効果的だという発見も生まれました。
こうした小さな改善の積み重ねが、最終的に売上1.2倍という成果につながったのです。
さらに興味深いのは、当初は営業部門から始まった取り組みが、開発やカスタマーサポートなど他部門にも自然と広がっていったことです。
データに基づく意思決定の文化が根付き始めた結果、部門間の連携も強化されました。
この事例が教えてくれるのは、データ活用の本質は「完璧なシステム」ではなく、「現場で続けられる仕組み」にあるということです。
中小企業がデータ活用を始める際、まずは身近なところから、小さな一歩を踏み出してみることが、確かな成果につながるのかもしれません。