江戸時代の尼「比丘尼」というお仕事 第1回~人気があった比丘尼~
江戸の性職業 #012
■人気があった比丘尼
比丘尼は本来、出家した女、つまり尼のことである。
図1に、比丘尼の姿が描かれている。
いっぽう、鎌倉・室町時代以降、尼の姿をして諸国を歩き、熊野神社の厄除けの護符である「牛王(ごおう)」売る女を、熊野比丘尼(くまのびくに)といった。
その後、一種の歌を歌って米や銭を乞うようになり、こうした尼を歌比丘尼(うたびくに)と呼んだ。
熊野比丘尼や歌比丘尼が、江戸時代になると定住し、尼の姿で売春に従事するようになった。こうしたセックスワーカーが「比丘尼」である。
図2のふたり連れの女は「うたびくに」と記されているが、要するにセックスワーカーの比丘尼である。
『人倫訓蒙図彙』(元禄三年)は、歌比丘尼について――
もとは清浄の立て派にて熊野を信じて諸方に勧請しけるが、いつしか衣をりゃくし歯をみがき頭をしさいにつつみて、小哥を便りに色をうるなり。
――と説明し、初めのうちは仏教の尼だったが、しだいに「色をうる」、つまり売春に従事する比丘尼になったことがわかる。
なお、頭を布で包んでいるのは、剃髪(ていはつ)しているからである。頭は尼のままだった。
図3に、歌比丘尼が描かれている。
吉原の楼主の著『吉原徒然草』(元禄末~宝永初)に、著者が町で比丘尼を見かけたことを記している。わかりやすく現代表記にしよう。
豆腐屋の裏から、若い尼と、弟子らしき子供の尼が出てきた。つややかな木綿の袷を重ね着して、幅狭の黒い帯をしている。ふたりとも菅笠をかぶり、子供はなにやら箱を抱えていた。
その風俗を不思議に思い、著者が人に尋ねたところ、
「それは比丘尼という私娼で、和泉町、八官町などに中宿があり、そこに通っているのです。
なかでも、桶町、畳町に中宿のある比丘尼が高級です」
ということだった。
その後、著者は人に頼んで、比丘尼の中宿に案内してもらい、若い比丘尼のいる家にいった。
二階座敷にあがると、ちょっとした料理が出て、酒を呑んだ。だが、すぐに片づけて、布団が敷かれ、床入りとなった。
中宿(なかやど)は、比丘尼と男が会う場所。いわばラブホテルに当たろう。
比丘尼遊びの仕組みがわかる。
なお、『吉原徒然草』の著者は、自身の比丘尼体験について――
むねの悪しき心地して、早くにげ帰る事、足も定めがたし。
――と、酷評している。
気分が悪くなって、逃げるように帰った、と。
だが、著者は吉原の楼主だけに、比丘尼を認めるわけにはいかなかった。著者の比丘尼評は割引して考えるべきであろう。
ともあれ、比丘尼が人気があったのは、たしかだった。
(続く)