文芸
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(28)
ワイは、既に1971年の「財界」誌に寄稿し“後継者が居ないので居座わる”と嘯く当時の川又克二社長に対し、後継者を育てなかった非を糾弾。 GM副社長からフォード社長に転じたシモーヌ・クヌードセンを、
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(26)
さて、移民船最大のイベント赤道祭りは、この航海の圧巻。藤原さんが、航海中に32歳になったワイを竜神、18歳の美人・大村松子さんを乙姫に指名した。 YY(柳生義夫君)の仮装は奇抜で好評、大村氏はキュ
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(25)
ロスからニューヨークまでヒッチハイクをする長島らの脱サラ組が、節子さん松子さんの大村姉妹をドライブに誘った。姉妹の義姉・三枝子さんも同行すると云い出したので「それはない、たまには夫婦水入らずで・・・
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(24)
正月明けの日に、さんさんと注ぐ陽光の甲板に日大ラグビー部のジャージーを着た男が居た。なんと、我が繁田一家の巻寿司の一級下の丹下君だったが、ホノルルで下船した。この男は現在、八丈島でリゾートの経営して
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(23)
おやじもワイに遅れること3ヶ月で会社を辞め、東京に事業を起こしていたのでスキャンダルには巻き込まれなかった。 石崎社長は豪勢な接待するくせに意地汚いけちで、ワイらと内輪で飲む時には徳利も使わず、石
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(22)
おやじも大喜びで、みんなに連絡してくれたらしく東京本社と横浜支店の幹部が大桟橋に集合していた。 横浜支店経理課長をしていた同期の浦野君が支店技術部長の岡本さんと二人で、ワイにとっては日本最後の昼飯
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(21)
実兄の徳山一郎氏は、九大第一内科助教授で次期教授の有力候補、NHK福岡支局の嘱託医でもあった。福岡支局の診療所でレントゲン更新の話があり、コネ探しの結果おやじの又従兄で本社にいた歌橋さんに頼むことに
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(20)
その翌年、仙台で開催された健康保険水泳大会に、田中嬢とワイは同じ福岡県チームの代表として出場し。アイスクリームを食べながら将来を話し合ったが、お互いうまく噛み合わず、ワイは失恋した。 仙台では福岡
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(19)
仁科がお笑い三人組と呼んでた石井、沖田、南川の三課長がパブリカに乗って鐘紡の打ちっ放しで会社をサボって練習してた。この鐘紡の跡地が現在のキャナルシテイ。仁科と高倉は瞬く間に上達し、今でも二人でコース
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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(18)
「ふとか儲けさせてもらったけん・・・」と謝礼と記した封筒を掴まされたので開けたら10万円入ってた。当時月給が5万円、こりゃボーナス並みの金額。早速、亀さんに返金して、おやじに相談したら、俺から話して