12月7日、アメリカ・ラスベガスで開催されたUFCのフライ級タイトルマッチで、元RIZINバンダム級王者の朝倉海選手が、UFCデビュー戦でチャンピオンのアレッシャンドリ・パントージャ選手(ブラジル)と対戦した。2015年の堀口恭司選手以来9年半ぶりの日本人選手によるUFCタイトル戦挑戦だったが、2回2分5秒一本負けで敗れた。

UFCのタイトル戦には過去6人の日本人選手が挑戦してきたが、格闘技の世界最高峰の舞台ではいまだ勝利をつかむことはできていない。そんな過酷な挑戦にもかかわらず、試合後の論調は厳しいものばかりが目につくように感じる。周囲から「無謀だ」と言われた挑戦に何度も挑み続けてきた僕だからこそ、今回の朝倉海選手の挑戦について、「挑戦すること」にフォーカスしてコラムを書いてみた。

失神でのKO負けには多くのネガティブな意見が散見された。僕はこの試合の内容を語る気はない。というか、僕には語れない。僕が語れる目線はあくまで「挑戦者」としてだ。試合後のSNSなどを見ると、多くの人がまるで朝倉海選手が本気でチャンピオンになることを望んでいなかったような意見が多く見られた。まるで、彼がこの舞台に立てたことで満足しているかのようなとらえ方ばかり。そんな論調の波に、「日本人は相変わらず“出るくいを打つ”精神が根付いているな」と僕は感じざるを得ない。

そもそも「挑戦」とは、自分の遺伝子とのコミュニケーションだというのが僕の持論だ。だから、実際に試してみないとどういう結果になるかなんてやる前にはわからないものなんだ。挑戦者だけが味わうことのできる試合の最高の高揚感

朝倉選手はきっと「UFCでチャンピオンになる」ということに対して、自分でも想像できないくらい気持ちが高揚していたはずだ。それは前日の計量会見での彼の様子を見ればわかる。

抑えきれない高揚感。「挑発」ではなく「高揚」が立ち振る舞いに現れているように僕には見えた。僕はUFCの舞台に立ったことはもちろんないし、あの場の雰囲気も当然わからない。しかし、挑戦者が抑えられない感情を必死に殺そうとするテンションはわかる。抑えられないテンションを抑えてあの状態だったはず。朝倉海は遺伝子レベルで興奮していたんだ。

その「挑戦」が生み出す遺伝子レベルの興奮を知らない人は、あーでもないこーでもないと言いたがる。言うのは自由。ただその境地を知ろうと努力するのも必要だと思う。挑戦は時にとんでもない攻撃(=バッシング)を食らう。僕も40歳でJリーガーになると宣言した時、クラウドファンディングでJリーガーを目指した時、年俸を120円にした時、そしてJリーグ最年長デビュー記録を更新した時まで、鹿島ファンから「ジーコ超えてんじゃねーよ」とおしかりを受けた(笑い)。

しかし「挑戦」には勝敗を超えたメッセージがあると僕は思っている。あの時の僕の場合は、年俸120円Jリーガー挑戦の裏には、お金はクラブからもらうものだという「固定観念の打破」という狙いがあった。そして、今の稼ぎに執着してきゅうきゅうとしている人たち、今の仕事を失いたくないと保守的な意識でがんじがらめになっている人たち、組織の中に入ってひたすら「他力本願」になっている人たちに対して、「お金に執着しない人をめざせ!」「新しい価値観を提案する破壊者になれ!」というメッセージを込めた「挑戦」だった。

格闘家への「挑戦」の時も同じだ。40代から、全くの未経験である格闘技に挑戦するということ、そして格上の相手にも喜んで戦いを挑む姿勢を示し続けることで、無自覚に保守的に凝り固まってしまっている人たち、固定観念に縛られて身動き取れないでいる人たちに対して、「安定という幻想から解放されて生きろ!」というメッセージを込めた「挑戦」だった。

「挑戦の先」の景色が見える人と、見えない人。そう考えると朝倉海選手の今回の「挑戦」も、とても大きなメッセージを伝えていると言えるのではないだろうか。それは、一度手に入れた栄光を守り続けるだけでは、業界は発展しないというメッセージだ。すでに手にした名誉(朝倉海選手ならチャンピオン・ベルト)をあえて手放すことで、もっと大きなものを手に入れたいという大きなエネルギーが生まれる。その朝倉海選手が放った熱いエネルギーは、一般の格闘技ファンよりは、むしろ政治家や企業のトップの人たちにこそ、ビンビンに伝わったのではないだろうか。

RIZINでチャンピオンになってそこでベルトを保持していけば、地位も名誉も手に入る。しかし彼はそれで良しとしなかった。負ける可能性が高いUFCという世界最高の舞台にあえて挑むことで、「自分さえ良ければいい」と自分の損得勘定だけで動く“保守的な”人たちに対して、「業界を発展させるのは自分だという自負を持て!」というメッセージ。「トップランナーこそ、業界全体の未来の発展を見据えてさらなる高みへ飛び込む意識を忘れるな!」というメッセージを、自身の挑戦する姿勢に込めたと考えてみることで、見える景色は変わってこないだろうか。

僕たちの目の前には、無限の可能性が広がっている「無謀な挑戦」を何度も経験している僕は確信する。きっとこの敗戦で朝倉選手は大きなものを手に入れたはずだ。それは自分はまだ「何者にでもなれる」という無限の可能性だ。挑戦しなければ、ポジションを維持することだけに終始するが、挑戦することで、新しい世界や新たな自分の境地を知ることができる。それは自分さえまだ見たことのない「何者」かなんだ。

こうやって先人たち、業界の先頭を走り、あるポジションで高い評価をされた過去のトップランナーたちは、業界のさらなる発展や、自分の後に続く若者たちが歩む道をもっと広く大きく作ろうと「挑戦」をしてきたはずだ。この大きな挑戦に勝敗だけでどうのこうの言っている評論家気取りの人たちは、朝倉海選手の挑戦の結果だけを見て、自分の「小心者マインド」を肯定して低いレベルで安心しているだけ。「無謀な挑戦」の声は、トップランナーに託されたパイオニアとしての勲章。業界を盛り上げて、多くの人に格闘技の魅力を伝える。

そしてきっと、これは朝倉未来さんへのメッセージでもあったはずだ。この世界へ導いてくれた彼に対して、「一緒に見たい景色」に向けての挑戦だったはず。僕は、そう思えて仕方がない。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け3敗。175センチ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

安彦考真
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