「大学のレジャーランド化」とは学生が勉強せず遊びやアルバイトに明け暮れる姿を揶揄した、30年以上前からある表現だ。
だが、「むしろ大学は教員のレジャーランドである」と指摘するのは京都大学名誉教授、京都女子大学客員教授の橘木俊詔(たちばなき・としあき)氏だ。同氏は『格差社会』(岩波新書)などの著書で知られる経済学界の重鎮である。
橘木氏は時代が大きく変化しているにもかかわらず、大学に身を置く教員の意識だけが前時代的なままになっていることに強い危惧を抱き、大学教員の“不都合な真実”を業界内部から告発しようと決意した。
「日本の大学は世間の持つイメージとは違ってぬるま湯に浸かりきっています。まず『研究しない研究者』が少なくない。ある有名私立大学の文系学部では、生涯に2本しか論文を書いていない教授が複数います。助手・助教から准教授に昇進する時に1本、教授になる時に1本論文を書いているだけ。
自然科学系では生涯に300本以上、文科系でも150本の論文を発表する研究者もいますから、論文2本の教授などおかしいはずですが、残念ながら特に文系学部では決して珍しい存在ではありません」
大学は研究機関であると同時に教育機関でもある。生涯執筆論文2本の教授は教育に力を入れているのかというとそうでもない。橘木氏は新著『経済学部タチバナキ教授が見たニッポンの大学教授と大学生』(東洋経済新報社)で「研究も教育も熱心ではない教授」の存在を指摘した。
「一般的な私立大学の場合、教授に最低限のものとして課せられる授業数は平均して1週間に5コマです。1コマ90分ですから450分。それ以外の時間に何をしているかは大学側は把握しきれない。講義のない日に学生が研究室を訪ねても教授が不在ということは少なくありませんが、これは『自宅研修』という制度が認められているから。大学教員は自宅で書籍や論文を読むといっておけば、大学に来なくてもいい。監視の目のないところで好きなことができるのです。
ある地方の市立大学の教授から聞いた話では、医学部出身の学長が自宅研修の多さに業を煮やして『教員は毎日大学に来るように』と通達を出したことがあるそうです。医学部は患者の診断や実験装置を使った研究のために毎日大学に来るのが当たり前ですから、その基準を他の学部にも適用しようとした。その学長はサボりが横行していることを見抜いたのでしょう」
もちろん橘木氏も、「すべての大学教員がサボってばかりだとはいわない」とするが、問題は研究にも教育にも力を入れない教授が職を失う心配もなく毎日を過ごし、さらに高給を得られる大学のシステムにある。
※週刊ポスト2015年2月27日号