結婚に当たっての条件というのはさまざまで、戦前の家父長制的な慣習のなかでは「何年以内に子どもが出来なければ離婚」というケースもあったらしいが、最近では「何年以内に家を買う」といったところであろうか。
ところが、結婚の条件としてセックスの回数を要求したという事例がある。ただし、ややワケありのケースではあるが。
東京都荒川区に住む順子(43歳、仮名。以下、人物はすべて同)は、昭和3年頃に結婚し2人の子供をもうけたものの、その後夫と死別。保険の外交員などをして生計を立てていたが、昭和8年頃になって田中という男と知り合い、男女の関係となる。そうした関係になっても別々に住んでいた2人だったが、戦災によって家を失った順子が2人の子供をつれて仮住まいを転々とした挙げ句、田中の家に移り住んだのが終戦間もない昭和22年頃のこと。以後、4人は普通の家族のようにごく平穏に生活していたという。
終戦直後に田中は闇ブローカーをしていたが、その仕事仲間に坂本という25歳の男がいた。この坂本が仕事の打ち合わせで田中の家に出向くこともしばしばだった。当然、順子とも顔をあわせるようになり、次第に親しくなっていった2人は、男女の関係を結ぶようになる。そして、互いに本気で結婚を考えるようになっていった。最初に結婚を迫ったのは坂本だった。順子が「あなたは20歳近くも年下で、私は2人の子がいるのだから、結婚は無理」と言ったが、それでも坂本はあきらめなかった。さらに順子が坂本から「僕が今まで惚れたただ一人の女性だ」と口説かれたことも、彼女が夢中になったきっかけともいわれている。
やがて2人の関係は、田中に知られることとなる。17年間も純子の面倒を見てきた田中である。当然、激怒するかと思われたが、田中は何ひとつとがめなかった。懐の広い田中は、順子の不実を許したのである。
だが、順子と坂本の結婚については、田中は厳しく反対した。これは、後から考えれば田中が坂本という男の不誠実を見抜いていたからかもしれない。
それでも気持ちが高揚していた順子と坂本は、何度も田中に頼み込んだ。すると、さすがの田中も根負けして、ついに2人の結婚を認めた。
ところが、今度は順子のほうに不安が生じてきた。坂本は自分を「一生大切にする」などと言っているが、若い男のことだから、年をとった自分はいつか捨てられるだろう。でも、一方的にいきなり捨てられるのは、惨めだし納得できない。それならば、何か条件をつけてそれが満たされたらきっぱり分かれるという約束をしていたほうが、あきらめもつくし納得できる。そう考えた順子は、坂本に相談した。
順子は当初、期間限定ではどうかと提案した。だが、坂本がこれを拒否。あれこれ話し合ううちに、「セックスの回数」でどうだということになった。そしてさらに相談した結果、「セックスの回数が3000回に達したら離婚する」との条件で互いに同意した。
以後、順子は坂本とのセックスの度に、記録をノートにつけるようになった。
しかし、この契約は1年ほどで破たんした。その原因は、坂本の生活力のないだらしなさだった。