
憲法問題を考える ――政治の世界では憲法改正論議が進められ、改憲日程まで具体的に論じられています。しかし、主権者である国民にとっては、あまり関心の高いテーマとは言えないようです。国民の理解が十分でない間に、「政治の論理」だけで憲法改正手続が進められることがあってはなりません。そこで今こそ、憲法とは何か、日本の憲法改正手続は厳しすぎるのか、などについて、5回にわたって考えてみることにしましょう。
憲法は、「権力を縛る」役割をもった「最高法規」
2017年10月の総選挙で自民党が大勝したことから、憲法改正の論議が急いで進められようとしています。しかし、憲法を簡単に変えることはできません。法律は、必要に応じて次々と制定したり改正したりできるのに、なぜ、憲法は簡単に改正することができないのか。それは、憲法には法律とは異なる役割があり、憲法の改正には、法律よりも厳しい手続が定められているからです。
憲法は、国家の統治の組織や人権原理などを定めた基本法であり、「最高法規」です。すべての法律、命令や、政府の行為等は、憲法に反する場合は効力をもたない(98条)と定められているように、一般の法律よりも上位にあるものなのです。この憲法が頻繁に変わるようでは、国の在り方や基本方針が揺らいでしまいます。時の政府の思惑だけで簡単に憲法を改正できたら、それによって、もともと国民の自由や権利を制限する役割のある法律や命令も、政府の都合の良いものに変えることができるようになります。人権や平和・外交などに関する重大問題を含めて、国民の生活に非常に大きな影響力をもつ政治が、憲法に反する形で進められるようになると、独裁政治もできるようになってしまいます。
そこで、憲法には、「権力を縛る」という役割が与えられているのです。憲法に従って政治を行わなければならないという考え方を「立憲主義」といいます。18世紀に制定されたアメリカやフランスの憲法では、国民主権、基本的人権、権力分立など定めていて、これらの基本原理を定めた憲法を「近代立憲主義の憲法」と呼んでいます。「近代立憲主義」のもとでは、憲法は権力を縛るもので、ライオンを監視する檻のような役割に喩えられます。このため権力者たちは、この檻が邪魔になり、たえず拘束から逃れるために憲法改正をしようとするのです。このような身勝手な憲法改正をさせないために、憲法自体に、改正について厳しい手続が定められています。もちろん、憲法を一切変えてはいけないということではありません。時代の変化に応じて国の在り方や基本方針にも変化が求められれば、改正を論議する必要があります。しかし、時の政府の意向や一部の人たちの思惑で変えて良いものではありません。多くの国民のコンセンサスを得ることによって、初めて憲法は改正されるものなのです。このような主権者のコンセンサスを得ないままに、総選挙で与党が発議に必要な3分の2以上を確保したことから、(例えば、結党以来の宿願である憲法改正を自己目的化して)手続を急ぐようなことがあれば、それはまさに「立憲主義の危機」といわざるをえないでしょう。このような現状のなかで、国民が「熟議」をすることができるように、十分な時間や適正な手続が必要です。
そこで次回は、憲法改正を定めた96条の改正手続について考えます。(立憲主義の考え方や憲法改正の意義については、辻村みよ子『比較のなかの改憲論――日本国憲法の位置』岩波新書、2014年をご覧ください。)
#1 そもそも、憲法と法律はどう違うのか?
#2 日本の憲法改正手続は特に厳しすぎるのか?
#3 日本国憲法は「押しつけられた憲法」か?
#4 いまの憲法は「実態」に合わない?
#5 改憲を問う国民投票のまえに知っておくべきことは?
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。