ストア哲学の英知に触れ、その豊かな知恵を日々の生活に役立てる術を探るシリーズにようこそ。
今回は、古代ギリシャの哲学者エピクテトスを取り上げます。『語録』においてエピクテトスは、自分のやり方や信念に深くこだわる人の心を変えようとする行為を戒めています。
相手が、あまりにも明らかな真実に対して異議を唱えるならば、論拠を見つけて意見を変えさせるのは容易ではありません。その人自身が強いとか、その人を導いた師が弱いとか、そういうことではありません。議論の相手が頑なになった時には、その人の頭の中にはもはや論理的思考などないのです。- 『語録』第1巻・第5章・第1節
頑なになっている人の頭の中は?
論理を裏づける確固たる事実を示しても、相手がまだそれを否定する場合、討論を続ける意味はありません。簡単に揺るがないのは、相手の心に多大な抵抗力が宿っているからではないし、師の指導が間違っていたからでもありません。
自分の信念に固執し、自分が間違っていることを認めようとしないからなのです。自分のスタンスがどれほど馬鹿げていようとも、自分の心の中でさえ、それを認めないのです。道理をもってしても、頑固で無知な人の鎧を破ることはできません。
議論に勝つ意味とは?
討論するのは良いことです。道理を重んじる率直な人と討論できるなら、なおさら良いでしょう。しかし、やたらと体面を気にしたり、自分に都合の良い方向にばかり話をもっていこうとする、傲慢で口先だけの人と討論しても時間の無駄です。
事実を示して間違っていることを伝えても、相手は警戒して守りを固くし、自分の穴に引っ込んでしまうだけです。そこでは自分が王様で、自分がいつも正しいのですから。たとえあなたが証拠を次々と突きつけて議論に勝ったとしても、相手の心を変えることにはなりません。そんなことに何の意味があるでしょう。
ここであなたにできることは、「議論に勝つ」ということの意味を考え直すことです。感情が高ぶる熱い議題においては、本当の意味での「議論に勝つ」とは、対立を平和的に解決することかもしれません。時にはそれが、もっとも大切な勝利なのです。
相手を説得して、あなたが気になっている1点だけを譲歩してもらい、それについてよく考えてもらうと良いかもしれません。そのようにして蒔いた種がそのうちに根をはり、前向きな変化が起きることも考えられます。哲学者のDaniel H. Cohen氏は、「議論」は「戦い」だと考えるのをやめようと言っています。戦いに勝者はいません。相手が耳を傾けるのをやめてしまえば、そこからは何も生まれないのです。
Image: Ollyy/Shutterstock.
Reference: Wikipedia 1
Patrick Allan -Lifehacker US[原文]