Inc:スティーブ・ジョブズを知らない人はいないでしょう。ジョブズは、テクノロジーに革命をもたらした天才であり、デジタルデバイスの世界で、機能と同じくらいスタイルが大切であることを訴えた偉大な指導者でもあります。
とはいえ、まだあなたが知らないジョブズの驚くべき横顔が少しくらいはあるはずです。以下、スティーブ・ジョブズの驚くべき43の事実をお届けします。
- スティーブ・ジョブズは生まれてすぐ養子に出された。
- スティーブ・ジョブズは、生物学的に半分はアラブ人。ジョブズの生物学的な父親はシリア人で、母親はアメリカ人である。
- スティーブ・ジョブズの生物学的な両親は、スティーブを養子に出す際にひとつの条件を出していた。養子先の夫婦は、ふたりとも大学卒でなければならないというものだ。養子先の夫婦であるクララとポールは、どちらも大学卒ではなかったが、スティーブ・ジョブズに大学教育を受けさせることを約束し、養子縁組が行われた。(後にジョブズが大学をドロップアウトすることを思うと興味深いエピソードである)
- ジョブズとAppleの協同創設者スティーブ・ウォズニアックは高校で出会った。そのときウォズニアックは18歳、ジョブズはわずか13歳だった。
- ジョブズはペスクタリアンだった。すなわち、魚以外の肉は決して食べなかった。
- スティーブ・ジョブズは大学を中退した後も、もぐりで授業を聴講していた。
- ジョブズが聴講していた授業のひとつにカリグラフィーがあった。ジョブズいわく、この授業が、後にApple製品でタイポグラティーとフォントが重視されるきっかけとなったという。
- もぐりで聴講生をしている期間、ジョブズはお金のやりくりに苦しんでいた。友人の学生寮の床で寝泊まりし、コーラの瓶をお金に換え、地元のクリシュナ寺院で無料の食べ物をもらっていた。
- スティーブ・ジョブズの成績(GPA)はかなり低く、2.65しかなかった。後にジョブズは、学校のシステムになじめなかった、型にはまらないやり方で学ぶのが好きだったと話している。
- ジョブズはインドを7ヶ月の間旅をし、サイケデリック・ドラッグを試したり、禅の修行を行ったりした。
- ジョブズはLSDを体験したことについて、「人生で行ったことの中で最も重要な経験のひとつだ」と語っている。
- ジョブズはAppleの共同創設者であるスティーブ・ウォズニアックから、お金を着服したことがある。ふたりでアタリ社のゲーム「ブレイクアウト」を作ったとき、儲けは山分けすることになっていた。アタリ社はジョブズにゲームの報酬として5000ドルを支払ったが、ジョブズはウォズニアックに、報酬は700ドルだったと報告した。ウォズニアックが350ドルを持って家に帰るころ、ジョブズのポケットには4650ドルが入っていた。
- ジョブズはアタリ社で働いているとき、あまりに不潔だという理由で夜間勤務に移動させられたことがある。ジョブズはめったにシャワーを浴びず、社内を裸足で歩きまわっていた。
- Appleには3人目の共同創設者がいる。Appleの最初のロゴをデザインしたロン・ウェインである。ウェインはApple株の10%を持っていたが、会社設立から2週間もしないうちに、わずか800ドルで売却してしまった。
- 最初の製品「Apple I」は666.66ドルだった。ジョブズとウォズニアックは500ドルの卸値にちょうどその3分の1の価格を上乗せしたかった。
- 1985年、ジョブズは自分が創設した会社から追放された。ジョブズはめげることなく、後に、このクーデターについて、不幸中の幸いだったと話している。この一件が、創造的な試みをするチャンスや、後にピクサーとして知られるアニメーションスタジオを買収する機会となった。1997年、ジョブズはAppleのCEOとして返り咲く。(そして、落ち目だったAppleを復活させた)
- Appleから追い出された直後、ジョブズはスペースシャトルの民間搭乗員に応募している(結果は不採用)。また、ソ連でコンピュータ会社を設立することも考えていた。
- ジョブズにはリサ・ブレナンという非嫡出子がひとりいた。ジョブズが23歳のときの子どもである。ジョブスは長い間、認知をしなかった。リサの母親は、リサを育てるために生活保護に頼らねばならなかった。最終的に、ジョブズはリサが自分の子どもであることを認め、リサは、自身の名前をリサ・ブレナン・ジョブズに変えた。
- 認知は拒否していたとはいえ、リサが生まれたとき、ジョブズは新しいAppleのコンピュータに「Apple Lisa」という名前をつけた。(ジョブズ自身は、Local Integrated Software Architectureの頭文字をとったのだと主張している)
- Appleにいる間、スティーブ・ジョブズは自分の年俸を1ドルにしていた。とはいえ、ご心配なく。ジョブズはApple株を550万株持っており、ディズニー株も多数保有していたのであり、「清貧のアーティスト」などでは到底なかった。
- ジョブズは大人になってから、生物学上の妹、モナ・シンプソンとコンタクトをとり、とてもよい関係を築いた。ふたりとも生まれながらの芸術家で、多くの共通点があった。
- 映画『Anywhere But Here(邦題:地上より何処かで)』は、スティーブ・ジョブズの妹、モナ・シンプソンが書いた小説が原作となっている。
- ジョブズは慈善事業家ではなかった。実際、Appleの初期、ジョブズは会社の慈善事業プログラムを削減している。もっと利益があげられるようになったらプログラムを再開すればいいと話していたという。しかし、会社が大成功を収めた後も、慈善事業プログラムが戻ってくることはなかった。
- ジョブズはパッケージデザイン専門の研究チームを持っていた。箱を開けたときの体験を、今日のApple製品に見られるような、エキサイティングで感動的なものにするためである。
- 異常に自己中心的なジョブズは、気難しく、要求が厳しいことで悪名が高かった。1993年、ジョブズはフォーチューン誌が選ぶ「米国で最も苛酷な上司」のリストに名を連ねた。
- ジョブズは、ジャーナリストやメディアに必ずしもフレンドリーではなかった。それは、Appleの世間的な印象を総合的に管理しておくためだった。Appleは10代のニコラス・チアレリさんを、ブログ「Think Secret」の件で訴えた。理由は、Appleの未発表製品の情報を暴露したというものだった。
- ジョブズは主たる発明者および共同発明者として、346件の米国特許に名を連ねている。内容は広範囲のテクノロジーに関連するもので、その多くはデザイン特許である。
- ジョブズはジョーン・バエズ(米国のミュージシャン)、ダイアン・キートン(米国の女優)と恋愛関係を持っていたことがある。
- Appleの共同創設者スティーブ・ウォズニアックによると、ジョブズはコードの書き方を知らないらしい。
- スティーブ・ジョブズは、ビル・クリントンから招待されて、ホワイトハウスのリンカーン・ベッドルームに泊まったことがある。
- Appleはフォーチュン誌の「米国で最も賞賛される企業」の第1位に選ばれている。
- ジョブズは「PC」をかなり嫌っており、ある友人に「PCを売るくらいなら、犬のクソを売るほうがましだ」と語ったことがある。
- ジョブズは自身が所有するシルバーのメルセデスに、ナンバープレートを付けていなかった。なぜそんなことができたか? カリフォルニア州の法律では、新車は半年以内にナンバープレートをつければ良い。ジョブズは(まったく同じモデルの車を)半年ごとに乗り換えることで、ナンバープレートを付けずに公道を走っていたのだ。
- ジョブズはよく、障害者用のスペースに駐車していた。
- ジョブズはもともと白い製品をつくるのを嫌がっていたが、「ムーングレー」という白の階調色を見せられて意見を変えた。今では、白くクリーンな外観がApple製品の象徴となっていることを考えると興味深い。
- ジョブズはGoogleの創設者セルゲル・ブリンとラリーペイジにとって、メンターの役割を果たしていた。自分のアドバイザーをふたりに紹介したりもしていた。
- ジョブズはGoogleがAndroidデバイスをつくったことに激怒した。Googleがスマートフォン市場に参入し、Appleの競合となったからである。
- ジョブズは2003年にすい臓がんと診断されていたが、医師の勧めに従わず、すぐには手術を受けなかった。その代わり、菜食療法、ハリ治療、ハーブ療法などの民間療法を受けることにした。超能力者にも相談していた。
- 9ヶ月後、ジョブズは考えを変え、手術を受けることにした。多くの人は、この遅れが致命的な結果につながったと考えている。
- ジョブズが死去すると、Apple、Microsoft、ディズニー各社(ディズニーランド、ディズニーワールドを含む)で半旗が掲げられた。
- スティーブ・ジョブズの最期の言葉は、「Oh wow. Oh wow. Oh wow」だった。家族の肩の向こうを見つめながらの言葉だった。
- ティム・クックは2014年のインタビューで、ジョブズのメインオフィスとネームプレートが、2011年のジョブズの死去以来、そのままになっていることを明かした。
- 2011年10月16日の日曜日は「スティーブ・ジョブズの日」である、とカリフォルニア州のジェリー・ブラウン知事は宣言した。
43 Surprising Facts About Steve Jobs|Inc
Larry Kim(訳:伊藤貴之)
Photo by Stefan Holm / Shutterstock.com