2014年11月19日から7日間に渡って開催されたイベント「Tokyo Work Design Week 2014」(トーキョー・ワーク・デザイン・ウィーク、略称TWDW)。私たちライフハッカーもトークセッションに参加。過去にライフハッカーに寄稿していただいたご縁のあるナリワイの伊藤洋志さん、NPO法人南房総リパブリックの馬場未織さんをお迎えし、編集長の米田智彦がモデレーターを務め、「多拠点のライフデザイン」をテーマに語り合いました。

いま、「何を仕事にして生きるのか」だけではなく、「どこで生きるのか」に強い関心が寄せられています。ライフハッカーでも移住や多拠点生活の事例を紹介していますが、今回のトークイベントは、その生活を実践してきた3人が顔を揃えました。

東京都内や和歌山県の熊野でのシェアオフィス運営、季節限定の農家、家屋の床張りなど、さまざまな土地で複数の仕事(=複業)を営んでいる伊藤さん。東京と南房総の2拠点に自宅を持ち、行き来しながら子育てや仕事をする傍ら、都市に暮らす人々と南房総の里山をつなげるためのNPO法人を運営する馬場未織さん。そして、2011年の約1年間、家財と定住所を持たずに東京を旅するように暮らす生活実験「ノマド・トーキョー」を敢行し、その体験を著書『僕らの時代のライフデザイン』にまとめた米田智彦。

主体的に生き、パラレルなキャリアを作るためにはどう動くべきか。いま、都市と地方をどのようにつなげればいいのか。1つの土地で1つの仕事だけをするの「ではない」働き方を選んだ3人の言葉には、「多拠点のライフデザイン」を考えるためのヒントが詰まっていました。

専業ではない「複業」のメリット

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ナリワイ 伊藤洋志さん

伊藤洋志(以下、伊藤):僕は「ナリワイ」をつくっています。起業家ではあるんですが、投資を募って一発当ててみたいなことはあまりできない能力なので、自分の生活の中で、できる範囲の仕事をたくさん作ってやっていこうという生活を送っています。小規模な起業をたくさんすること、僕はこれを「ナリワイ」と呼んでいます。いまの時代って「専業」にすると、よりマスなお客さんを相手にしないと全体のパイが足りないので「専業」では生きていけないけれど、僕のような「これだけで生きていく」わけではない働き方は、お客さんを異常なほど絞り込んでも成り立つから良いんです。

基本的には、自分の生活に役立つことしか仕事にしていません。必要だな、あった方がいいなと思うものを作ると、たいていは余るので、それを売るという作戦です。これの素晴らしいところは収入が増えて支出が減ること。それから、現代社会の仕事って、仕事で消耗したものをマネーを払って回復に当てるというのが多いと思うんですが、僕は「仕事をやるほどに健康になる」という一石二鳥以上のものしかやらないようにしています。たとえば「モンゴル武者修行ツアー」を組んで、ゲルの組み方を教わったり、乗馬で体幹が鍛えられたりして体が強くなっていくんです。このツアーはボランティアでモンゴルを訪れたのがきっかけで始まりました。

だから僕の職業は、いまよくわかりません。もともとはライターと編集業をやっていたんですけどね。僕が家の床貼りを始めたのは、東日本大震災があった年でしたが、和歌山県で水害にあった家があり、「このぶっ壊れたのをなんとかしてくれ」と知り合いのオッサンに頼まれてやったんです。それが終わった後の宴会で、今も続けている「全国床貼り協会」という名前が飛び出し、「全国組織なのに床貼りしかできないという弱小感が良いね、面白い」と盛り上がって、そのときの参加者にウェブデザイナーがいたので「サイト作りますよ、Tumblrで」と実際に作ってくれて、協会を続けることになった。それがきっかけで今年も10件くらい床を張るハメになった(笑)。

あとは、農家の友達を手伝ってみかんや梅を収穫して、Facebookに載せたら結構売れたり。どこの農家も収穫期は人手不足なので、農業をやりたいと思っている人はまずここから始めるのもいいと思います。和歌山県の農家でおばあちゃんたちがやっていた野山や庭の花を使った花飾りを「古座川ハナアミ」と名付けて販売したり、廃校を活用してその花飾りをあしらった結婚式のプロデュースをやったりも...。

この結婚式にしても、編集の仕事をしていたのでカメラマンやデザイナーの知り合いがいたのもあるけど、そうやって5~6人も集めれば、だいたいの結婚式はできるんです。しかしながら、これがなんか忙しくてやれないから、300万円の結婚式をね、ホテルなんかでやるハメになると。廃校は日本中に余っているので、言えば4日間5000円くらいとかで貸してもらえるわけです。300万円稼ぐのと節約するの、どっちが簡単かといえば、300万円面白く節約する方がぜったい簡単なんですけどね

最近は、田舎に家があっても借りるのに1年くらいかかってめんどくさいから、自分で建てられないかなと考えています。でも自分で家を建てる人が日本にはほとんどいないので、セルフビルドの先進国へ行こうと思って、タイの山岳民族に教わって、村人と一緒に家を建てるツアーをやっています。竹を使って、3日くらいかければ、夏場だけなら快適に過ごせる家ができるんです。期間限定の避暑地拠点にするならいいですし、日本は死ぬほど竹が余ってるから、余裕でできるんじゃないかなと。冬は冬で、寒い地域の同じような人を見つけて学んでこようかと思ってます。

私たちの代からの田舎を作ろう

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NPO法人南房総リパブリック 馬場未織さん

馬場未織(以下、馬場):私はイチから今の人生を作ってきたというわけではなく、途中からこうなっていたという形です。仕事はいくつかあって、稼ぎがあるものとしてはライター業。建築関係の記事が多いですね。それから稼ぎはまだないですが、NPO法人の代表をしています。3人の母親をしていて、もちろんこれはシャドーワーク(子育てや家事など、人間生活に不可欠なものでありながら対価が支払われない労働)。それから嫁としての務めをやらせていただいてます。

平日は東京、週末は南房総で暮らすという二地域居住をしています。きっかけは虫好きな息子が、図鑑でばかり見ている生き物たちを「ママ、どこで見られるの!」と聞いてきたことでした。私は東京生まれ東京育ちでしたが、東京の環境がいかに貧しいかをそこで感じて、『私たちの代からの田舎を作ろう』ということになりました。とはいえ、自分の中にも内なる野心があって、人間が「つくるもの」の価値観や世界が窮屈でしょうがない、飛び出したいという気持ちがありました。それから、タフな生き方を強いられても不幸にならない強さとゆとりを持ちたかった。あとは目に見えるものすべてを取り払った時に、人間という生き物はどのように生きていくのかという「暮らしの素形」を知りたいとも思っていました。

それで、東京の自宅からドアツードアで1時間半、南房総の里山に週末の家を持つことになりました。8700坪、ちょっと広すぎましたね(笑)。そこで30歳ちょっとの大人の私でも、いろんな初めてのことに出会うんですね(その様子は、以前に馬場さんからご寄稿いただいたこちらの記事をどうぞ)。そんな風に発見と感動、それから苦悩の日々だったんですけど、「恩恵を受けてばかりなのはどうよ」と、4年ほど前にNPO法人「南房総リパブリック」を設立しました。

どういうことをしているかザックリ言うと、都市には「人・お金・集合状態」があって、田舎には「お金で買えない豊かさ・人以外の生き物・体験」があると。これを相互補完的に組み合わせたような仕組みづくりを目指しています。結局は「住む人を1人増やす」というのは大変だけれど、めちゃくちゃコアなファンをたくさん作れば、限界集落もどうにかなるんじゃないの、という考えです。そこで南房総を知ってもらうきっかけとして洗足にカフェをつくって南房総の野菜を味わってもらったり、里山の暮らしを体験してもらう「里山学校」イベントをしたりしています。それから「三芳つくるハウス」という事業で、坪単価が安いビニールハウスを活用して、お金がなくても集まれる拠点を作ろうということもやっています。

計画書通りには進まないから、小さく楽しく始めればいい

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ライフハッカー[日本版]編集長 米田智彦

米田智彦(以下、米田):これは僕の本、『僕らの時代のライフデザイン』にも書きましたが、あくまで人生の目標は定めるのだけど、計画書通りにはまず進まない。現代は時代の変化が激しいし、外部要因が多いんでどうなるかはわからない。ただ、旗を立てて、目的地にたどり着くために、偶然性を取り入れながら、ジグザクの道筋を進んでいこうとしたっていうのは、今日登壇している3人に共通している点でしょう。でも、一般の方からすれば割と先鋭的に見える3人かなとは思います。

今日、来てくださっているみなさんは、仕事がある都市部、癒やしや自分のやりたいことがある田舎とかの拠点、それらを2つないし複数持ち、「仕事をやりながら人生でやりたいことも諦めない」みたいなことをどうやってやっていけばいいかを知りたいはず。ただ、僕ら3人がスーパーマンで、突飛な才能があるからやっていると思われたら損だなとは思っているんです。自分の人生のタイミングで、手探りでやりながら、現在地にたどり着いていたことは、まずわかってもらいたいなと。

伊藤:「世の中そういうものだな」と思わなければ、結構いろいろやる方法はあるんですよね。

米田:たしかに、うまくやる方法はあるなとは思っていて、そのためのツールがソーシャルメディアだったり、コミュニティをつくる装置だったりする。諦めないことが大事で、重厚長大な計画書を立てて資金を集めて...なんて考えたら何も始まらないから、まずは身近なところでお金をかけずに小さいところから始めて変化させていって、モチベーションを崩さずに楽しみながらやるのがテーマになるかなと思うんです。

伊藤:逆に言うと、楽しむことができないと成立しないものばっかりですからね。たいして床が好きでもないのに床貼っていても人は集まんないですから。基本、自分が楽しいことをどうやって他人にわかるようにするかという工夫が必要なだけで、意外にそのあたりは簡単だと思いますけどね。いろんな動きをする人は増えていて、その意味でもやりやすくなってきていますよね。

「わざわざ多拠点にする」と人間はパフォーマンスが上がる

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米田:さっきの結婚式の話しかり、伊藤さんは地味にいろんな活動を通して、既得権にレジスタンスしていますよね(笑)。

伊藤:そうですね。でも、僕は安定志向ですし、こんなことをやっているとより人生の安定を求めるようになって、富士山がいつ噴火するかもわからないから、住む場所が東京だけなのはヤバイと思って。とはいえ今は東京に住んでいるので、両方の家賃を払うのは大変だから、家賃が究極的に安い限界集落を探しまして、和歌山県の熊野にシェアハウスを作りました。月に5000円くらいの家賃ですし、維持費掛からないですし、バックアップとして持つのはいいと。それで、ここへ行くと、鎌で草を刈りまくったり、普段の生活と違うことをするので、めちゃくちゃ頭がシャープになるんですよ。

米田:ルーティンをずらしていかないと脳が活性化しないということは僕も実感してきたことです。仕事場と自宅を往復することの繰り返しだけだと、ずっと徒労感ばっかりで、発想も浮かばないし...というのは今日のテーマに関わる重要なことかなと思います。

伊藤:なんでわざわざ多拠点にするんや、面倒臭いやんっていうところはよく言われるんですけど、同じ関係でずっといると人間の頭ってパフォーマンスは落ちてくるんですよね

米田:あとは「移動」って心にいいんですよね。移動しているとリフレッシュできて、生まれ変わる気がする。僕の言葉ではないですが、移動距離とアイデアの倍率は比例するって言いますけど、飛行機とか車とかで移動していると人格が加わったり変容したりして、そういう往復運動が精神衛生上すごくいいなと感じますね。

伊藤:僕が拠点をめちゃくちゃ遠いところにわざとしているのは、性格上、マメに通うっていうことができないので、まとめて2週間とか行くことになる。その遠さが、僕にとってはデトックスにつながる。移動で強制的に身動きできない5時間をとれるというのは、それも贅沢な話だなと。

「この土地に骨を埋める覚悟があるのか」問題について

米田:あと、伊藤くんの活動で面白いのは、あまり最初から根を張りすぎたり、気合いを入れすぎたりすると、重いし失敗するって言うことです。

伊藤:僕の場合は「ここに骨を埋めるか埋めないか」は、田舎に移住したり関わる時によく聞かれるんですけど、それ言い出すとね、そもそも人はどんどん逆に逃げるっていう現象を見ることがあるわけなんですよ。「今ここで骨を埋める覚悟はあるのか」なんて言われても、そもそも骨になる覚悟もできていない、悟りが開けていない人物にそれを言われても困ると。ただ、できるかぎりお互いに良い形になるようには活動しますと伝えますし、それくらいの方が人が集まる場所になると思いますね。徳島県の神山町みたいに、オープンな雰囲気のある地域が良い例です。

あとは、自分が生まれ育ったところに戻らないといけないとか、「田舎で何かするなら地元からスタートや!」っていうのは、別になくてもいいかなと思います。逆に、知らない人がたくさんいるところの方が思い切ったことができる。僕の地元は香川県の丸亀市ですけど、「なんで丸亀に帰ってやらないんですか?」ってよく言われる。でも、丸亀には僕を知っている人が多いから、「また、なんとかさんのお子さんが変なことしとるよ」なんて言葉がプレッシャーになるし、親に迷惑がかかるのも嫌だ。精神的な自由さが減って、ちょっとむずかしいなと。

米田:僕も福岡出身だけど、福岡に帰って何かをやろうとしたら、地元の人に「ヨネちゃん、昔はそんなんじゃなかったやんけ」とか絶対言われますもん(笑)。萎縮しちゃいますよね。...という伊藤くんと僕の意見が出たところで、馬場さんはこの問題、いかがですか。馬場さんの場合は、骨を埋めるぞくらいの気概を見せないと始まらないってところもあるかと思うので。

 

馬場:言ってみれば苦労が多い人生なのかもしれないんですよ。東京の家もあれば、南房総の家もあって、3人の子どもがいて、嫁の務めもあって...とか、言おうと思えば苦労の塊なんですけど、実はガッチリと関わると、それだけ楽しいこととか喜びも多いんですよね。子育ても同じで、苦労しながら子どもと関わると、本当に楽しいんですよ。子どもから得るものの多さたるや。私は何もしていなくても楽しませてもらっているぐらいな感じがいしていて。でも、じゃあ、楽しいのは単なる何かを鑑賞する楽しさとは全然ちがって、苦労と裏腹にあるわけですよね。南房総も同じで、暮らしの中の苦労を、「草刈りって大変!」なんて苦労を一緒に語って分かり合うとか。そういう中で、よそ者じゃなくなっていく感覚とか。それで骨を埋めるほどかどうかはわからないですけど、とどまることによって得られるものは一方で、移動とはまったく違う価値を生み出します。多拠点居住においては「そこに、どうとどまるか」ということがとても重要だと考えます。

後編に続きます

TOKYO WORK DESIGN WEEK 2014

(文・写真/長谷川賢人)