小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号/トピック店舗:筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店(茨城県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年11月号)

マイコンベーシックマガジン1992年11月号(第11巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89で先月比+3、2か月連続で増加しています。

今月も2店の新規掲載があります。

 

・その他

ゲームプラザコトブキ(埼玉県)

 

プレイランドスカイシアター(埼玉県)

(マイコンベーシックマガジン 1992年11月号より)

 

「ゲームプラザコトブキ」は、都市規模の割にハイスコア掲載店に恵まれなかった埼玉県浦和市(現さいたま市)初の掲載店となりました。ベーマガが先行しましたが追ってゲーメストにも掲載されることになります。

 

また「プレイランドスカイシアター」は90年台のハイスコア界では著名なお店。こちらはゲーメスト先行でベーマガが後追いの掲載となっています。

 

この2店の追加で埼玉県の掲載店が今号で5軒まで増加しますが、そのうち「ハイテクセガ東松山」は今号が最後の掲載となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年11月】

(マイコンベーシックマガジン 1992年11月号より)

 

スコア解説欄でも触れられていますが、キャラ別集計タイトル専用ベージが追加されたためトップスコア紹介に合計3ページが割かれています。

 

一方で店舗欄は6ページに減少していることから、かつての100店オーバーのような集計店舗数はもはや確保できないという意思表示になっているように感じます。

 

トピック店舗:筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店

 

トピック店舗です。引き続き北関東方面の初期ナムコ系掲載店から、場所を群馬→栃木から茨城へと移し「筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2024年11月23日撮影

筑波大学や国の研究機関が多数立地する筑波研究学園都市。

計画都市として整然と配置された街区が広がっていますが、その一角に意図的に集められたような所謂「繁華街」に該当するエリアがあります。

飲食店やスナックが立ち並ぶその区画にナムコのキャロットが存在していました。

研究学園都市の主要施設は、南北方向に走る学園東大通りと西大通りに挟まれたエリアに広がっていますが、その2本を東西方向で繋ぐ学園北大通りに面した場所になります。

(ゼンリン住宅地図 桜村1985年より)

 

住宅地図は1985年ですが、この年はちょうどつくば科学万博が開催された年です。

その時はまだ現在のつくば市は誕生しておらず、キャロットの住所は合併前である「新治郡桜村」となっています。つくば市の誕生は1987年となっており、合併に合わせてキャロットの住所もつくば市へ変更されるのですが、合併前は唯一「村」に存在したハイスコア掲載店であり、またここ以外に行政区分が村に存在する店舗は現れませんでした。

 

キャロットの周辺は前述のように繁華街エリアとして小規模なスナックや飲食店が林立した場所で、それは2024年時点でも大きくは変わっていません。

 

ただ既にこの場所に街が出来てから半世紀近くが経過しており、空き店舗や古くなった建物のリニューアルや再建築が所々に見えるようになっています。キャロットの入っていた「河田ビル」も再建築され現在はアパートになっていました。2022年のGoogleMapで建築中の光景が映し出されていたため、2020年頃までは建屋は残っていたものと思われますが、既に跡地から存在を認識できるものは何も残っていませんでした。

 

誌面への掲載は前回紹介した「宇都宮キャロットハウス」と同じく、ベーマガに初めて掲載店が追加された1984年3月号からスタートしています。

そしてゲーメストは創刊号の1986年5月号から掲載が開始。創刊号にて掲載された店舗は次号まで4か月期間が空いてしまう関係で半数以上が掲載店から脱落してしまいますが、1986年9月号以降も掲載が続けられました。

(ゲーメスト 1986年5月号より)

 

ゲーメストへ掲載を開始したことの反動か、ベーマガは1987年に入ると3,7月号の2回のみの掲載となりゲーメスト単独掲載へ移行するのかと思いきや、1988年3月号にて復活すると以降は重複掲載店として両誌ともに安定した掲載が続きます。

 

そして1990年10月号にて店名が「プレイシティキャロット筑波学園」へと変更されます。前後して一部を除いて都市型店舗の名称が「プレイシティキャロット」に統一されつつあり、その流れに準じています。

(マイコンベーシックマガジン 1990年10月号より)

 

その後、1988年以降1度も休載の無かったゲーメストへの掲載が1992年10月号にて終了し、ベーマガ単独掲載店へと戻ります。

 

最終掲載は1998年10月号となっています。チャレハイ通信欄で閉店の告知が掲載されていました。トータル15年に渡る長期掲載店となっています。

(マイコンベーシックマガジン 1998年10月号より)

 

キャロットとしては比較的後年まで残存していた店舗なのですが、店舗の外観や内部が記録された写真は探した範囲では見つかっていません。

唯一、ゲーメスト1991年1月号の「ハイスコア店訪問激走ツアー 筑波、群馬、東京、神奈川編」に店舗が取り上げられていました。(この場合の「筑波」って地域名は自動的にこの店舗を指す言葉ですよね…)

(ゲーメスト 1991年1月号より)

 

建屋が消失してしまった現在、掲載されている店舗写真が入口上部の看板しか写っていないのが非常に残念です。

また記事内に「駅からバス」とありますが、つくばエクスプレスが開通したのは2005年のため、1998年の営業終了まで公共交通機関ではバスで行くしか方法がありませんでした。そのアクセスの悪さ故に、筑波大の学生以外にこの店舗をホームとするプレイヤーは少なかったのではないでしょうか。

 

最後に、研究学園都市内のお店という場所柄、筑波大学学生新聞会が発行する「筑波学生新聞」(2007年廃刊、現在も続く「筑波大学新聞」とは異なる)内に店舗広告が掲載されていたため、確認ができたものを以下抜粋します。

(筑波学生新聞 1987年10月号より)

 

(筑波学生新聞 1990年4月号より)

 

(筑波学生新聞 1991年4月号より)

こういった媒体にゲームセンターの広告が掲載されることは非常に珍しいと思いますが、顧客の大半を学生が占めていたであろうこと、また店舗のアルバイトを確保する目的でも広告を掲載する効果が期待できることから、店舗予算として認められていたのではないかと思われます。入荷タイトルの案内に時代を感じることの出来る貴重な資料となっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号/トピック店舗:ジャックアンドベティ(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年10月号)

ゲーメスト1992年10月号(第7巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は先月と同数の87なのですが、新規掲載店は2店あります。

 

・その他

JOYCOM'S(福島県)

 

ゲームセンターピノキオ(兵庫県)

(ゲーメスト 1992年10月号より)

 

「JOYCOM'S」は茨城県日立市の住所にて既に掲載されていましたが、今号から福島県いわき市に住所が変更になっています。

系列店で恐らくこれまでも合同集計となっていた可能性が高いですが、いわき市の住所は今回初めて登場するため新規店の扱いとしています。

 

また明石市の「ゲームセンターピノキオ」ですが、こちらも1991年5月号から既に「明石ラポス2Fゲームコーナー」と合同集計にて誌面に登場していましたが、今号からラポスは外れてピノキオ単独掲載となっています。

 

また以前にもコメントしていますが、同じ明石市にて1987年6月~1988年1月号にて掲載されていた「ゲームプラザピノキオ」とは別店舗で、両店の間に関係もないことを確認しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年10月】

(ゲーメスト 1992年10月号より)

 

縦スクロールシューティングの王道である東亜プラン製シューティングゲームの文脈で、必ずといって良い程登場する「達人王」がヒットゲームベスト10ランキング最高の3位となっています。

 

ストⅡ全盛期において上位2枚の壁は厚く、3位まで付けたことは当時としては流通、人気共に確保できたことの証ですが、11月号以降プレイヤー人気では7→10位と順位を落とし、1993年に入るとランキングから姿を消します。

 

人気タイトルの後継で期待度が高かったものの発売直後から難易度について懸念され、それ故に店舗からは比較的早く姿を消してしまったことから、グラディウスⅢと並んでブームの火消し役として捉えられることも多い本作でしたが、その難易度故にカルト的人気を維持しているのも事実であり、アーケードゲームの評価はかくも難しいものであると痛感します。

 

トピック店舗:ジャックアンドベティ

 

トピック店舗は前回に引き続き群馬県両毛地域の店舗から「ジャックアンドベティ」をピックアップします。

 

(ゲーメスト 1989年11月号より)

2024年10月13日撮影

前回取り上げた「ハイテクセガ太田」と同じく、群馬県太田市の東武太田駅前に立地していた店舗です。

 

場所は太田駅北口を出て駅前を西方向に向かい、国道407号線と交差する場所の角地にありました。

(ゼンリン住宅地図 太田市1990年より)

1990年の住宅地図ですが、「プレイシティ―ビルディング」という3階建てのビル1階に「J&B」の文字が確認出来ます。名称から鑑みるに娯楽施設で固められた物件だと思われますが、2,3階に何が存在したのかは記載がありません。

また地図引用部右端にハイテクセガの文字も見えます。駅からの距離は双方大差ない感じがします。

 

2024年現在で店舗跡地は写真のように建物が消失し公園として整備されています。

現在太田駅は高架になっていますが、1990年時点ではまだ平面で、現在跡地が面している国道407号は跨線橋にて東武の線路を超えていました。そのため当時店舗は直接国道には面しておらず跨線橋の側道と接していたことが地図から把握できます。

また太田駅前から延びる道は店舗の前を通り、跨線橋をくぐって十字屋太田店方面へ延びていたことも確認出来ます。

 

跨線橋は高架化後に取り壊されているため、店舗の周囲は営業当時の光景から大きく変わっていると思われますが、隣接した建物が残存しており当時の面影を僅かに残しています。

 

誌面掲載はゲーメスト1989年11月号からスタート。

近隣のハイテクセガ太田は1990年2月号から掲載のため若干早くなっていますが、掲載期間が重複するため店舗間では意識しあっていたのではないでしょうか。

駐車場を設け客を広域に集めている現在のアミューズメント施設と比べると、当時の特に地方の駅前ゲームセンターは駅に乗降りする学生が最大の顧客だったため、スコア集計、掲載を行うことで限られた学生客の奪い合いをしていたのかもしれません。

 

そしてハイテクセガが掲載を終了した1992年4月号以降もこちらの掲載は継続しました。しかし1992年まで一度も発生させなかった休載が1993年に入ると度々発生するようになり、1993年11月号をもって掲載が終了しています。こちらの掲載終了後、両毛地域にハイスコア掲載店が再度現れることはありませんでした。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号/トピック店舗:宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮店(栃木県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年10月号)

マイコンベーシックマガジン1992年10月号(第11巻第10号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は86となり先月比+3となっています。

新規掲載店が2店あります。

 

・タイトー系

タイトーイン608 トロン(沖縄県)

 

・その他

プレイタウンYOU&YOU町田店(東京都)

(マイコンベーシックマガジン 1992年10月号より)

 

1990年12月号で「ヤングパレスゲームセンター」が姿を消して以降空白県となっていた沖縄県に掲載店が再登場、かつ沖縄県初のメーカー系列掲載店となっています。

 

また「プレジャーキャッスル」と合同集計となっていた「プレイタウンYOU&YOU町田店」が先月号の石神井店に引き続き単独枠として登場。ゲーメストは合同集計が維持されましたがベーマガは別々に店舗欄を確保することになります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年10月】

(マイコンベーシックマガジン 1992年10月号より)

今号からSNK/ADKの対戦格闘ゲーム「ワールドヒーローズ」が集計開始されているのですが、サンプルバージョンが発売バージョンと比較して点数が高くなるとの理由で集計対象から外されています。

 

サンプルバージョンと言えばコナミの「サンダークロスⅡ」はサンプルバージョンと発売バージョンでランク設定が異なることから、ゲーメストでは別々に集計がされましたがベーマガでは特に分けることはされませんでした。一方今回のワールドヒーローズについてはゲーメストではサンプルバージョンの件について一切言及は確認されていないため、単純に流通度の問題とされたのではないかと思われます。

 

トピック店舗:宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮店

 

トピック店舗です。

場所を栃木県へと移し。「宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2024年11月3日撮影

政令指定都市クラスを除くと、同一市内にナムコ系キャロットが複数あった場所としては、3店を擁した山梨県甲府市及び香川県高松市が最多ですが、それに続いて2店存在したのが栃木県宇都宮市です。

 

その2店のうち最初に誌面に登場したのが今回紹介する「宇都宮キャロットハウス→プレイシティキャロット宇都宮店」です。栃木県の県庁所在地である宇都宮市の代表駅であるJR宇都宮駅前に位置していました。

(ゼンリン住宅地図 宇都宮市北部1986年より)

1986年の住宅地図となります。

宇都宮駅前から中心街に向かう大通りに掛かる「宮の橋」と駅の間に広がる僅かな場所に存在を確認しています。

 

2024年時点においては「クスリ 宝くじ」の看板がある秋元薬局が健在で、住宅地図ではその2軒隣がキャロットとなっていることから、チケット店と宇都宮餃子店「香蘭」の間にある店舗が跡地になると思われますが、建物は既に建て替えられているようです。

現在も間口が狭く奥行きが長い建物で、住宅地図から察するにキャロット営業時も構造は大きくは変わっていないと思われます。

 

宇都宮市の中心街はJR宇都宮駅から1.5㎞程度離れた東武宇都宮駅付近となっており、JR駅付近は最近こそヨドバシカメラが出来たりと商業区域が広がりつつはあるものの東武駅と比較すると賑わいには欠けるのですが、宇都宮駅に乗降りする学生が主なターゲットとして設定されていたのかもしれません。

 

誌面への掲載はベーマガ1984年3月号からとなり、オリジナル26店にはノミネートされませんでしたが初めて掲載店が追加された際の16店には入っています。ゲーメストへの掲載はされませんでした。

 

そして1989年2月号から店名が「プレイシティキャロット宇都宮店」に変更になっています。その前月に改装に伴う店名変更の旨がチャレハイ通信欄に記載されていました。

(マイコンベーシックマガジン 1989年1月号より)

(マイコンベーシックマガジン 1989年2月号より)

 

その後もコンスタントに掲載は継続し、最終掲載はベーマガ1995年11月号となっています。11年以上に渡る長期掲載店となりました。

 

掲載終了や閉店に関する記載は特にありませんでしたが、最終となったハイスコア欄に意味深なコメントが掲載されていました。

(マイコンベーシックマガジン 1995年11月号より)

スコアラー募集に関するコメントですが、サンプルスコアが1億カンストなのはともかくとして、「ハイスカンガルー(注 コアラ―)」という謎の表現や、募集した翌月には掲載が停止するという状況について思いを馳せなければならない状況があったのではないかと推察されます。

 

閉店時期は判明していませんが、後のナムコ広報誌「NOURS」に掲載された「全国ナムコ店舗ガイド 北関東編」には2000年3月現在として掲載が無いため、それ以前に閉店していたようです。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号/トピック店舗:ハイテクセガ桐生/ハイテクセガ太田(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年9月号)

ゲーメスト1992年9月号(第7巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比-1、新規掲載はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年9月】

(ゲーメスト 1992年9月号より)

 

先月から掲載が開始された静岡県の「ハイテクセガ三島店」のハイスコア通信欄のコメントが目に付きました。

(ゲーメスト 1992年9月号より)

このコメントを見てから当月のスコア欄を改めて眺めると、非常に味わい深いものとなっていることが分かります。

(ゲーメスト 1992年9月号より)

 

4~6項にグラディウスシリーズのタイトルが並んでいますが、備考欄には「10時間ねばる」「開店から閉店まで」の文字が。

当時からオールドゲームを入荷した際の長時間プレイは店舗にとって問題であり、1日で100円しか売り上げがない傍らで格闘ゲームの対戦台が1日10,000円以上を平気で稼ぎ出すことを考えれば、対戦ゲームにタイトルシフトが進むのも宣なるかなという状況でした。

 

ただ特にメーカー系列店は新製品の入荷に限りがあり、対戦格闘ゲームばかりを揃えられないことからオールドゲームも店舗ラインアップに取り込まなければならない事情があったのも事実です。しかし苦言を呈する位ならわざわざスコアを店舗欄に載せなければ良かったのでは?というのが正直な感想です。


トピック店舗:ハイテクセガ桐生/ハイテクセガ太田

 

トピックは引き続き群馬県から、両毛地域の掲載店である「ハイテクセガ桐生」「ハイテクセガ太田」の両店をピックアップします。


【ハイテクセガ桐生】

(ゲーメスト 1987年10月号より)

2024年10月13日撮影

【ハイテクセガ太田】

(ゲーメスト 1990年2月号より)

2024年10月13日撮影

今回紹介する2店は共に両毛地域の鉄道駅前に位置していたセガ系店舗で、特徴も非常に似通っていたのではないかと思われます。

 

先に誌面に登場したのは、絹織物とパチンコメーカーの街である桐生市の「ハイテクセガ桐生」です。ゲーメスト1987年10月号からの掲載となっています。

(ゼンリン住宅地図 桐生市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、桐生駅前交差点に面している「金子ビル」に「HI-TECH」の表記があります。JR桐生駅から至近距離であり、また4枚目写真に映る矢印案内板にもあるように信号を渡って200m程度で上毛電気鉄道の西桐生駅もあります。電車通学の学生であればどちらの駅を利用していても通いやすい場所だと思います。

 

そして2024年現在は建物1階に居酒屋の魚民、及びサウナの2つのテナントにて使用されています。入口は別々に存在していますがどちらをセガが使用していたのかは判断が付きませんでした。また「金子ビル」という名称も確認には至っていません。

 

一方、SUBARUのお膝元で有名な太田市の「ハイテクセガ太田」ですが、こちらはハイテクセガ桐生から遅れること約2年半後の1990年2月号から掲載が開始されました。

 

場所は太田市の中心部である東武伊勢崎線太田駅前で、こちらも桐生店同様に駅前ロータリーを出て直ぐの場所にありました。

(ゼンリン住宅地図 太田市1990年より)

 

こちらは1990年の住宅地図となります。

 

現在太田駅は高架になっていますが高架工事が完成したのは2007年であり、1990年当時はまだ地平駅でした。

高架完成後に駅北口は整備され、1990年の駅前ロータリーの場所には現在太田市図書館、美術館が建っていますがセガのあった区画は手が付けられておらず、まだ当時の建物が残存していました。2024年時点では地元社会人サッカーチームである「邑楽ユナイテッドFC」の事務所として使用されているようです。

 

こうして1990年はゲーメスト誌面上に2店並んで店舗欄が存在していましたが、1990年10,11月号で掲載店が大幅に入れ替えられたことを受け、比較的距離が近く店舗の性格も近似していた両店は合同集計へと舵を切ることになりました。1990年12月号から開始されています。

(ゲーメスト 1990年12月号より)


その後合同集計は1992年4月号まで継続しますが、翌5月号から太田店が外れて再び桐生店の単独掲載に戻ります。しかしそれも長続きはせずちょうど今回取り上げている1992年9月号が桐生店最後の掲載となっています。太田店は2年程度ですが桐生店は5年以上の掲載期間となり、セガ系の店舗としては比較的長期に渡っています。

 

連射装置の取付やストⅡの大会といった施策も行われていた形跡があり、地域のゲームファンを積極的に取り込む努力が垣間見えますが、90年台以降のセガ店舗の郊外化で地方の駅前や繁華街の店舗は急速に数を減らしており、その波に飲まれたのではないかと想像しています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号/トピック店舗:ゲームシティジル/ファンフル(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年9月号)

マイコンベーシックマガジン1992年9月号(第11巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

今月の総掲載店舗数は83となり先月比-5の大幅減。

この数字は掲載数が60→101店となった1984年8月号以降で最も少ない数字となっています。

 

新規掲載店は1店あります。

 

・その他

プレイタウンYOU&YOU石神井店(東京都)

(マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

ジャレコ系の「プレイタウンYOU&YOU」が久しぶりに掲載店に登場しました。

合同集計においては、「プレジャーキャッスル」と合同集計となっていた町田市の「YOU&YOU町田店」がありますが、単独掲載となると1984年5月号の「プレイタウンYOU&YOU三軒茶屋店」「プレイタウンYOU&YOU駒沢店」以来、実に8年振りとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年9月】

(マイコンベーシックマガジン 1992年9月号より)

 

さて今月号のハイスコア的トピックと言えば何といっても「ストリートファイターⅡダッシュ」の永久パターン発覚です。(ダルシムを除く)

 

既に対人対戦需要の方が大きくなっていたとはいえ、ほとんどの掲載店からスコアの申請が入るタイトルだっただけに集計対象から外れることは、ただでさえ対戦ムーブに押されて斜陽となりつつあったハイスコア集計に水を差す出来事となってしまいました。

 

トピック店舗:ゲームシティジル/ファンフル

 

トピックは先月に引き続き群馬県の店舗から、高崎市の「ゲームシティジル」及び前橋市の「ファンフル」の2店をピックアップします。

 

【ゲームシティジル】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2024年10月13日撮影

 

【ファンフル】

(マイコンベーシックマガジン 1985年4月号より)

2024年10月13日撮影

 

「ゲームシティジル」は、ナムコ系店舗以外の店舗が大きく増加したベーマガ1984年8月号から掲載が開始されました。

 

場所は前回紹介した高崎キャロットハウスと同じく高崎中央銀座商店街で、キャロットとの距離は100mあるかないかという程度です。

(ゼンリン住宅地図 高崎市1985年より)

 

1985年の住宅地図にて位置を確認しています。

中央銀座商店街のアーケード内ではなく、横道を少し入った場所となっています。

 

2024年時点では写真のように居酒屋となっており、建て替えがされているような印象はないのですが、以前にここにゲームセンターが入居していたという建物にはあまり見えません。またgooglemapにおいてこの場所の住所は「高崎市中紺屋町31」となり、誌面の住所とは異なっています。

 

そのため隣接している建物も含めて周囲も確認しましたが、85年の地図で東側に隣接している「神山ビル」の1階にあるテナント「林ェ門」がまだ健在であったことからこの場所で間違いないと判断しています。

 

そして掲載終了は1986年12月号となり、約2年半の期間となっています。1990年の住宅地図では該当箇所は空き店舗となっていました。

 

気になるのは、既に紹介している「ウィルトークタイトー(高崎1号店)」が1987年1月号から掲載開始のため、こちらと入れ替えとなっていること。

誌面では特にウィルトークへの移行等は触れられていませんが、掲載開始時のゲームタイトルがタイトーに偏っていることや、1984年8月号でタイトー系店舗が多数掲載開始されたという状況から、こちらもタイトー系店舗でウィルトークへ移転して閉店となった可能性が高いとみています。店舗の位置も含めて情報をお持ちの方は是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。(現時点では確証がないためタイトー系店舗へは分類していません。)

 

そしてもう一方の「ファンフル」ですがこちらは群馬県の県庁所在地である前橋市の掲載店です。

 

場所は中心街の千代田町にある「オリオン通り商店街」に位置しています。前橋市の中心街はJR前橋駅からは若干離れており、上毛電気鉄道中央前橋駅が近くなります。

(ゼンリン住宅地図 前橋市1985年より)

 

こちらも1985年の地図ですが店舗の向かいに映画館、また裏手にはニチイも存在しており当時の繁栄が伺えます。しかし2024年現在は映画館やニチイの場所は全て更地となっており、調査した日が偶々前橋祭りの日に該当していたため多数の人通りがあったものの、年季の入ったアーケード商店街から往時を偲ぶことしか出来なくなっています。

 

そして現地には写真のように「タイトー ファンフル」の店舗サインが残っていました。そのため店舗名称からは判断出来ないもののタイトー系店舗であったことの確認が取れています。

 

誌面への掲載は1985年4月号から、時折休載を挟みつつ1988年1月号までとこちらも約2年半の期間となりました。掲載終了時点で店名はファンフルのままで、店舗サインも残っていることからウィルトークやタイトーインへの名称変更は実施されなかったと思われますが要追跡調査です。閉店時期は不明です。

 

こちらの掲載終了後、前橋市は追ってゲーメスト2部の掲載店が1店出現するのみとなっており、複数の店舗にて掲載店の命脈が繋がれた隣の高崎市とは対照的となっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号/トピック店舗:ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店/ウィルトークタイトー高崎2号店(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年8月号)

ゲーメスト1992年8月号(第7巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は88で先月比+1、3店の新規掲載があります。

2か月連続の登場ですが、先月号の「プレイスポットサン」がウィルトークタイトー小田原店の代替と考えると純粋な新規店は1992年3月号以来5か月ぶりです。

 

・セガ系

ハイテクセガ三島(静岡県)

 

・その他

ガリバー熊谷店(埼玉県)

 

オキモト(広島県)

(ゲーメスト 1992年8月号より)

「ハイテクセガ三島」は1991年9月号から登場の「ハイテクセガ東松山」以来1年ぶりのセガ系新規掲載店となるのですが、そのハイテクセガ東松山は今号をもって掲載が終了してしまいます。

 

あとの2店は共にベーマガにて先行で掲載されており、後追いで重複掲載店となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年8月】

(ゲーメスト 1992年8月号より)

 

今月号のヒットゲームベスト10欄を眺めていて気付いたのが、データイーストの「ダークシールⅡ」がナムコ販売であったという点です。

 

80年台後半から90年台前半でナムコはカネコ(エアバスター)やビデオシステム(パイプドリームや闘神ブレイザーズ等)の販売元となっていたことは認識していましたが、データイーストのタイトルにも存在したことは初めて知りました。

game-kanaya.com

確かにインストカードには「総販売元 namco」のステッカーがあります。稼働時の姿を見ていたはずなのですが全く気付きませんでした。

 

ちなみにハイスコア的には、永久パターン発覚でクリア統一となった初代ダークシールの二の轍は踏まない…と思いきやⅡでも発見され集計対象とはならず。ウルフファングに次いでの永久パターン発覚だけに、「うーん、やっぱりデコゲー」というコメントに皮肉が混じっています。

 

トピック店舗:ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店/ウィルトークタイトー高崎2号店

ゲーメストもトピック店舗を群馬県に移します。

最初は「ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店」「ウィルトークタイトー高崎2号店」の2店をまとめてピックアップします。

 

【ウィルトークタイトー高崎店】

(ゲーメスト 1987年4月号より)

2014年10月13日撮影

 

【ウィルトークタイトー高崎2号店】

(ゲーメスト 1988年11月号より)

2014年10月13日撮影

「ウィルトーク」の名前が示す通り両店共にタイトー直営店です。

 

最初に誌面に登場したのは高崎1号店なのですが、この時にはまだ2号店は存在していなかったようで、店舗名称は「ウィルトークタイトー」のみの表記となっています。

(マイコンベーシックマガジン 1987年1月号より)

 

また誌面掲載はベーマガが先行して1987年1月号から開始されており、ゲーメストは若干遅れて1987年4月号からのスタートとなっています。そしてゲーメストは1987年9月号、ベーマガは1988年3月号から「ウィルトークタイトー高崎店」の表記へと変更になっています。

 

場所は「高崎キャロットハウス」と同じく高崎中央銀座商店街に位置していました。

(ゼンリン住宅地図 高崎市1990年より)

 

1990年の住宅地図にて所在を確認しています。隣接していた「パチンコ王将会館」は現在建物がなく更地に。また高崎キャロットハウスはこの地図の上部枠外に位置していましたが既に地図上からは姿を消しています。

 

だた1990年時点は既に誌面へのスコア掲載を終了しており、ベーマガは1988年6月号まで、ゲーメストは同年10月号を最後に姿を消しています。ベーマガから通算しても2年弱の掲載期間に留まっています。

 

そして跡地は2024年時点でバー&ライブハウスとなっていますが、写真でもわかるようにアーケード天井から吊り下げられている店舗サインに「GAME TAITO INN」の表記が残っていました。そのためどこかのタイミングで「ウィルトークタイトー」から「タイトーイン」に店名が変更されているのですが、変更された時期やタイトーインとしての閉店時期は不明です。

 

ozuma.txt-nifty.com

ちなみに2006年の高崎中央銀座商店街に存在したゲームセンターの状況を記したブログを発見しましたが、タイトーインの店舗サインの場所には「モンテカルロ」が存在しています。

近隣の店舗が移転でこの場所にやってきたと思われるのですが、この「モンテカルロ」も移転前にハイスコア掲載店だった履歴があるためそちらで改めて詳細を取り上げたいと思います。

 

そしてもう一方の「ウィルトークタイトー高崎2号店」ですが、こちらは中央銀座商店街の一本隣である旧中山道に面した連雀町交差点の付近に存在しました。1号店からは徒歩で5分程度の距離となります。

(ゼンリン住宅地図 高崎市1990年より)

こちらも地図は1990年です。テナント一覧でも「ウェルトークⅡ」という表記となっているため2号店であることが何かしら外観から判断できたのではないかと推察されます。

 

2024年現在でビル名称は「イシイビル」から「寿ビル」へと変わっていますが、隣接する「金子園ビル」を取り囲む形状は変わっておらず、ビル躯体自体は当時のままと思われます。ただ2か所ある出入口の階段がどちらも後付けされたような不自然な外観となっており、ビルオーナーが変わり飲食店主体となった際に内外装に大きく手が加えられているであろうことから、ウィルトーク時代の痕跡は全く残っていないのではないでしょうか。

 

スコアの掲載はゲーメストで1号店が掲載を終了した翌月の1988年11月号から開始されました。そのため1号店と重複掲載はされていません。店長の交代やスコアを理解しているスタッフの異動といったなんらかの理由でスコアラーが1号店から離脱してきたのでしょうか。またベーマガへの記載は2号店では実施されませんでした。

 

その後1989年はコンスタントに掲載が続きますが、1990年に入ると休載が増加し、同年9月号が最終掲載となっています。1号店から続いていた高崎のタイトー系掲載店はトータル4年弱で幕を下ろすこととなりました。閉店時期は不明です。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号/トピック店舗:高崎キャロットハウス(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年8月号)

マイコンベーシックマガジン1992年8月号(第11巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は88で前月比±0、半年ぶりに新規掲載も無しとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年8月】

(マイコンベーシックマガジン 1992年8月号より)

先月号のチャレハイ通信の中で「プレイシティキャロット高田馬場店」の欄に気になる記述を発見しました。

(マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

そして今月号になると来店予定が変更になった旨の記載があります。

(マイコンベーシックマガジン 1992年8月号より)

 

そして今号をもってプレイシティキャロット高田馬場店は、由緒ある「ゲームブティック高田馬場」から店名変更後も続いていたハイスコア掲載が中止されたため、このチャレハイ通信欄の顛末は不明です。

中江有里本人は本当に来店したんでしょうかね?イベントとして呼んだのであればもっと騒がれていても良さそうな気がしますが…

 

それにしても「営団ベガ」っていう表現に時代を感じます。東京メトロになる前の営団地下鉄の電車が往復する様を見立てて付けられた呼称だと何となく想像がついてしまします。

 

トピック店舗:高崎キャロットハウス

 

トピックは北関東方面へと舞台を移します。

まずは群馬県から「高崎キャロットハウス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2024年10月13日撮影


「キャロット」の名称が示すようにナムコ直営店となります。マイコンベーシックマガジンのオリジナル26店に名を連ね、かつ群馬県初のハイスコア掲載店となりました。

 

場所は旧市街地側に面する高崎駅西口を出て徒歩10分程度、官公庁街である高崎城址公園付近から延びる商店街「中央銀座通り」のアーケード内となります。

近隣には地場百貨店の「スズラン百貨店」もありかつての栄光が偲ばれますが、現在は賑わいは駅周辺へと移っており古びたアーケード街はシャッターを下ろした店舗や夜間営業主体の飲食店が目立っています。

 

(ゼンリン住宅地図 高崎市1985年より)

1985年の住宅地図ですが、当時の住宅地図によく見られた「カーロットハウス」という表記で所在を確認しています。

 

2024年現在、該当箇所は写真のように建物はなくなっておりキャロットの存在を想起させるものは何もないと思いきや、商店街にはよくあるアーケードから吊り下げられた店舗案内に「サロン・ド・コアフィール・セーヌ」の表記が残っていました。

(ゼンリン住宅地図 高崎市1990年より)

こちらは1990年の住宅地図ですが、1985年におけるキャロットの場所に「サロンドセーヌ」の文字があるため、キャロットが撤退した後のテナントとして美容院が入居してしており、その名称が店舗案内サインに残っていたことで正確な場所の特定に至っています。

また1985年の地図ではキャロットのほぼ向かいの場所に「サロンドコアフィルセーヌ」の文字があるため、キャロット閉店後にこちらへ美容院が移ってきたこともわかります。

 

誌面への掲載は前述のようにベーマガオリジナル26店として1984年1月号からスタートし、トップ欄に度々スコアが掲載されるなどレベルの高いプレイヤーが揃う店舗だったようですが、1984年11,12月号で早くも店舗欄を欠き、1985年1月号の休載表記をもって誌面から姿を消しています。

これは1984年3~5月の3か月のみの掲載となった「ビッグキャロットすみのえ店(大阪府)」、同年7~12月号掲載の「ヤング・タウン(鹿児島県)」に次いで3店目の離脱であり、かつオリジナル26店においては初の掲載中止店という不名誉な履歴を持つこととなってしまいました。

 

1985年の住宅地図では店舗が存続しているため掲載中止→即閉店ということではないと思われますが、90年の地図には所在がなく80年代後半には閉店していたことから店舗としては比較的短命であったと思われます。

しかし、この高崎中央銀座通りだけで以後4店ものスコア掲載店を輩出することとなり、その礎を築いたお店として大きな足跡を残したことは間違いありません。

 

https://maps.app.goo.gl/g4sj9uferp5ZG5F49

https://maps.app.goo.gl/9CeYidMcWgK93zta8

ちなみに2024年時点で「高崎キャロット」を検索すると高崎市内のこちらの店舗がヒットします。

「アミューズメントキャロット」という店名で、プライズ機やガチャガチャの専門店のようですが、営業されている形跡が皆無です。

 

それにしても店舗看板右下の「CARROT高崎」の文字が以前のナムコ直営店を彷彿させており、関係者や店舗の常連がここを開いたのではないかと思わせるのに充分なのですが、いかんせん情報が不足しており詳細は不明です。事情をご存知の方がお見えであれば是非ともコメントをお寄せ下さい。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号/トピック店舗:ジョイランドタイトー草津→遊ingポイントセオラ(滋賀県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年7月号)

ゲーメスト1992年7月号(第7巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比-1、新規掲載が4か月ぶりで1店あります。

 

・その他

プレイスポットサン(神奈川県)

(ゲーメスト 1992年7月号より)

 

こちらは先月号まで「タイトー小田原周辺」として神奈川県小田原市付近のタイトー系店舗の合同集計となっていました。

 

1992年5月号までは、「ウィルトークタイトー小田原店」の住所である「小田原市栄町2-13-19」が住所となっていましたが…

(ゲーメスト 1992年5月号より)

 

翌6月号から「小田原市栄町1-14-57」に住所が変わります。

この住所はこれまで一度も誌面に現れておらず、またこの号で初めて「P.S.SUN店」の店名が備考欄に掲載されます。そのため「栄町1-14-57」は「プレイスポットサン」の住所と推察されます。

(ゲーメスト 1992年6月号より)

 

そして今号から他の合同集計店は外れて「プレイスポットサン」の単独掲載へと変更になるという経緯です。

店舗トップ獲得数である☆は「タイトー小田原周辺」の時から継続されており、新規店とすることは相応しくないかもしれませんが、上記経緯から単独掲載となった今月から新規店という扱いとすることにしています。

 

また単独掲載に移行した時点でタイトー運営から外れた可能性が考えられますが、現時点ではその証拠を得ていないため「プレイスポットサン」はタイトー系として区分しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年7月】

(ゲーメスト 1992年7月号より)

 

今月もスコア欄に装丁ミスが発生しており、スコア欄トップページである122頁の前に121頁が存在していますがさすがにそのままではわかりにくいため順番を入れ替えています。そのため122→121頁の順となっていることをご了承願います。

 

トピック店舗:ジョイランドタイトー草津→遊ingポイントセオラ

 

トピック店舗は引き続き滋賀県の店舗から、「ジョイランドタイトー草津→遊ingポイントセオラ」をピックアップします。

 

(ゲーメスト 1990年10月号より)

2024年8月11日撮影

 

よく草津温泉のある町と勘違いされる滋賀県南西部の草津市は、東海道と中山道が合流する古くからの交通の要衝で、宿場町を起源とした市街地が現在はJR草津駅付近を中心に展開されています。

 

その草津駅を降りて、旧市街地側である東口に店舗がありました。

(ゼンリン住宅地図 草津市1988年より)

 

1988年の地図にて「ジョイランドタイトー」の存在を確認しています。

縦に延びる「中央商店街」が旧中山道となり、上部に見える「平和堂草津店」の枠外にJR草津駅があります。駅から徒歩で5分程度の好立地です。

 

ただ宿場町起源の古い町並みは防災上問題であり、また地域活性化を阻害しているという観点からか再開発の対象区域となり、タイトーのあった区画付近は2005年に現在の「TOWER111」というマンションが竣工しています。そのため店舗の形跡は全く残っていません。また道を挟んで向かいの区画も2020年に「アトラスタワー草津」というこちらもタワーマンションが竣工しているため、タイトー営業当時と周囲の町並みは全く異なっていると思われます。

ja.wikipedia.org

「TOWER111」のwikiを引用します。111というのはマンションの高さのようです。

 

誌面への掲載はゲーメストに先行してベーマガ1988年6月号からスタートしました。

(マイコンベーシックマガジン 1988年6月号より)

 

2年以上ベーマガ単独掲載だったのですが、1990年10月号からゲーメストへの掲載も開始されダブル掲載店となります。

 

しかしゲーメスト掲載開始から1年も経たない1991年7月号にて、ゲーメストのハイスコア通信欄にて以下のコメントが掲載されます。

(ゲーメスト 1991年7月号より)

 

店舗改装のための休業予告であれば珍しくはないのですが、「店名も変わる」「新しいお店に生まれ変わる」という文言に「ただの改装ではない」という雰囲気を漂わせています。

 

そしてその翌月である1991年8月号から同一住所にて店名を「遊ingポイントセオラ」に改め掲載が継続されることになります。

(ゲーメスト 1991年8月号より)

(ゼンリン住宅地図 草津市1992年より)

 

1992年の住宅地図では、ジョイランドタイトー草津と同一の場所が「遊ingポイントセオラ」に変わっていることが確認出来ます。

 

この改装ですが、店名からタイトーの名前が消えたことでわかるように改装を機にタイトー系列店から離脱しています。

 

1991年と言えば「ストリートファイターⅡ」が登場してムーブメントを引き起こしますが、メーカー系店舗において特に他メーカーの人気タイトルは全ての系列店舗に行き渡らず、地域営業所単位で購入数に応じて店舗への基板の割り振りがされていました。

漫画家の後藤羽矢子さんが2024年9月に上梓した「90年台のゲーセンでバイトしていた話」にもエピソードがありますが、ストⅡのような人気タイトル投入で店舗の売上が上がることが分かっていても、店舗への割り振り以上に直ぐに基板が手配され追加投入されることは特にメーカー系店舗では難しく、遅れて投入された時には既に旬を過ぎていた、という状況が多発していたのです。

 

特に店舗オーナーがメーカーと共同経営しているタイプの店舗では人気タイトル投入の遅れがメーカーへの不満につながってしまい、苦情を言って追加投入されるならまだしも契約を切って他メーカーや自主運営に切り替える例も多々あり、こちらではストⅡの入荷が遅れたことがオーナーの不興を買った結果自主運営へ切り替えられた、というのが真相のようです。

(ゲーメスト 1992年7月号より)

ちょうど今号のハイスコア通信欄にセオラのコメントがありますが、無印ストⅡが7枚に加えてストⅡダッシュを更に7枚入荷するとあり、正直タイトー運営のままでは都心部の大型店でもない限りここまで台数を確保できなかったのでは、と思います。

 

ちなみに「セオラ」の名前は、「セ〇いおっ〇ん〇して稼ぐ」の略だという情報を頂いております。(非公式、〇の中身はご想像にお任せいたします...)

 

また改装を機にベーマガへの掲載は終了し、以後はゲーメスト単独掲載店となります。

 

セオラへ変更された後のハイスコア掲載ですが、ゲーメスト1993年9月号をもって終了しています。最終のスコア欄とハイスコア通信欄に掲載終了の旨が告知されていました。

(ゲーメスト 1993年9月号より)

ベーマガ時代から通算すると約5年の掲載期間となっています。セオラとしての閉店時期は判明していません。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号/トピック店舗:セガセンター京極(京都府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年7月号)

マイコンベーシックマガジン1992年7月号(第11巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は88となり先月比-1となっています。

新規掲載が1店あります。

 

・その他

北習志野ゲームコーナー(千葉県)

(マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

こちらですが、先月まで掲載されていた「ゲームセンター二和エコー店」が移転の上継続して掲載店となった店舗です。

(マイコンベーシックマガジン 1992年6月号より)

前月のチャレハイ通信欄に移転そしてスコア集計継続の旨が掲載されています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年7月】

(マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

 

今号から「ストリートファイターⅡダッシュ」の集計が開始されています。

既に対戦ムーブに移行しつつあったとはいえ、人気タイトルであることが約束されていただけにハイスコアを特にベーマガのデカ文字欄に載せることへのモチベーションは非常に高いものがありました。

 

無印ストⅡではドローやダブルKOを駆使して対1キャラ最大10ラウントまで消化できたことが長時間プレイの原因になってしまったこともあり、ダッシュでは最大4ラウンド(4ラウンド目は点数加算無し)というプレイ時間を考慮した仕様に。もっとも無印のスコアアタックでのラウンド消化はどうしても展開が間延びしてしまいプレイヤーにもギャラリーにもなかなか辛いものがあったため、この程度が丁度良い塩梅だったのかもしれません。


トピック店舗:セガセンター京極

トピックは場所を京都市中心部の河原町界隈へ戻し、「セガセンター京極」をピックアップします。

(マイコンベーシックマガジン 1989年8月号より)

2024年8月15日撮影

 

京都市中心部の河原町付近において多数林立していたゲームセンターの中で、80年台における唯一のセガ系店舗が今回紹介する「セガセンター京極」です。

 

場所は新京極商店街から折れた路地の先にあった「京極東宝ビル」内となります。

(精密住宅地図 京都市中京区1992年より)

 

「東宝」が名前に入っていることからもわかるように映画館併設のゲームセンターで、当時のテナント一覧においても地下1階は映画館となっています。セガはこのパターンの店舗が多く、集計店においても堺東のハイテクセガ103やハイテクセガ青森が同様に東宝のテナントとして営業されていた履歴があります。ja.wikipedia.org

1992年住宅地図では2階までの表記しかありませんが、建物のwikiでは地下1階以外に3,4階も映画館だった旨の記述があります。建築は1973年で、2006年に閉館後解体、跡地は写真のようにスーパーホテルとなっています。

 

ハイスコアの誌面掲載が開始されたのは1989年8月号からですが、それ以前の1985年当時の店内写真がゲームマシン誌に掲載されていました。

(ゲームマシン 1985年8月1日号より)

そしてベーマガにてスコア掲載が開始されたのと同時期のゲーメストにおける店舗紹介記事「ランダムピックアップ 京都編」でもお店が取り上げられています。

(ゲーメスト 1989年8月号より)

 

両替機の位置を見るに、ゲームマシンとゲーメストはほぼ同じアングルから撮影されているようです。店内は圧倒的にテーブル筐体が多く、追って普及するエアロシティ筐体が登場する前だったことが想像できます。

 

そしてゲーメスト記事内に店内ハイスコアボードのことが触れられていますが、スコア掲載店としてエントリーされるには至りませんでした。結局ベーマガのみの単独掲載店となりますが1990年9月号をもって掲載終了、掲載期間は僅か1年程度に留まっています。

 

京都中心部の店舗はこれまでタイトー系やビデオシステム直営移行後の京都オリンピアでハイスコア掲載の履歴があるものの、いずれも短期間で掲載終了となっていましたが、こちらも同様の経緯を辿ることになってしまいました。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年6月号/トピック店舗:ハイテクセガ長浜(滋賀県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年6月号)

ゲーメスト1992年6月号(第7巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は88で先月比±0、先月に引き続き新規掲載もありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年6月】

(ゲーメスト 1992年6月号より)

 

ハイスコア通信の「プレイシティNASA杉本町店」の欄にて、これから発売されるスト2ダッシュの対戦ツアー予告が載っています。

 

普通は「〇〇店へ行きますのでよろしく」というのが遠征のスタイルだと思いますが、「遠征してほしいゲーセンの方連絡下さい」という言わば逆スカウトな内容です。しかも「3~5人宿泊可能なところ」「交通費が掛かるのでよろしく」とわざわざ条件まで付しているというのは、今改めて眺めると随分失礼な告知のように思えます。これ連絡した店あったんですかね…


トピック店舗:ハイテクセガ長浜

 

トピックは滋賀県のセガ直営店舗から「ハイテクセガ長浜」をピックアップします。

(ゲーメスト 1989年8月号より)

2024年8月11日撮影

セガがGENDAに店舗事業を売却する直前では、ショッピングセンター内のセガ系店舗はそこまで珍しい存在ではありませんでしたが、1980年台においてはセガがショッピングセンター内に店舗を構えることは稀で、まだ「ハイテクセガ」ブランドを中心とした都市型店舗の出店が主流でした。

 

今回取り上げる滋賀県長浜市の「ハイテクセガ長浜」は、当時セガがショッピングセンター内に出店した稀有な事例です。

まだ郊外型の「セガワールド」が世に出る前の出店のようで、当時のメインブランドであった「ハイテクセガ」の名前が付されています。

 

場所は長浜市郊外の国道8号線沿道で、西友が長浜駅前にあった店舗を郊外に移転拡張したショッピングセンター「長浜楽市」内になります。

(ゼンリン住宅地図 長浜市1989年より)

 

施設オープンは1988年のため、住宅地図は開業1年後の時のものです。

今でこそ郊外に大規模な敷地を確保するショッピングセンターは珍しくありませんが、当時はこの規模の郊外店は少なく、当時愛知県在住の私でも長浜楽市の名前は聞き及びました。まだ西友はセゾングループの中核企業で、勢いがあった時代を象徴する施設です。

 

施設は西友長浜楽市店をキーとして、西友を取り囲むようにテナントが配置されています。セガはそのテナントのうちのひとつで、施設の南寄りに住宅地図上にも単独で掲載されるレベルの敷地を確保していたようです。

 

そして2024年時点でもショッピングセンターは存続していますがそこにかつての栄光はありません。

ja.wikipedia.org

施設のwikiがあったので転載していますが、90年台後半から近隣に別のショッピングセンターがオープンして客足が落ち、2000年以降に2度のリニューアルを経た後もテナントの撤退が続き3階の建屋のうち2階は封鎖中、1階にも所々に空きスペースが目立っています。

 

長浜楽市は長浜駅前の旧市街地が商業的に地盤沈下したことが原因で西友が移転拡張した施設ですが、その旧市街地が歴史的建造物を観光地化した「黒壁スクエア」を中心として息を吹き返し、移転したこちらが時間の経過と共に凋落していく姿に諸行無常を感じずにはいられません。

 

そしてハイスコアの掲載はゲーメスト、ベーマガ共に1989年8月号から揃ってスタートしました。以下はベーマガの初回スコア欄です。

(マイコンベーシックマガジン 1989年8月号より)

 

ショッピングセンターの大型店舗でハイスコア集計が行われるのは、80年台中盤はナムコやダイエーレジャーランドの店舗に見られましたがこの頃には減少しており、セガの大型店で集計が行われた事例はここ以外は皆無なのですが、集計開始に至ったであろう理由をゲーメストのハイスコア通信欄に発見しました。

(ゲーメスト 1989年7月号より)

 

長浜店が集計店となる1月前の通信欄ですが、当時集計店であった神戸市の「ハイテクセガ三宮」から店長が長浜に異動した旨が記されており、恐らくはこの店長の意向でスコア掲載が開始されたのではないかと推察しています。

 

しかしゲーメストは1989年8月号の初回掲載の際、いきなりゲーメスト名物の誤植の洗礼を受けることになります。

(ゲーメスト 1989年8月号より)

初回掲載時のスコア欄を再掲しますが、住所欄が「滋賀県大津市…」となっており、初回掲載にして肝心の住所を誤植されるという残念な状態に。

かつこの誤植された住所は前回紹介した大津市の「ゲームセンターアスター」のもの(滋賀県大津市馬場町1-13-9)と思われますが、「馬場町→馬町」と誤植された住所にさえ誤植が混じるというなんともゲーメストらしいエピソードが。

 

この誤植が影響したのかどうかは定かではありませんが、ゲーメストは1989年9,10月号と連続で掲載がされませんでした。

1990年に入ると落ち着いて掲載が継続するのですが長続きはせず、結局ゲーメスト、ベーマガ共に1990年6月号をもって掲載が終了、どちらも1年弱の短期掲載に留まっています。

 

またハイスコアとは無関係ではありますが、ハイテクセガ長浜を語るにあたって外せない要素として「セガ・スーパーサーキット(SSC)」の存在があります。

https://segaretro.org/images/3/3e/SegaSuperCircut_Arcade_JP_Flyer.pdf
(画像は上記より抽出)

当時のセガが店舗の大型化を推進する際の目玉アトラクションとして、CCDカメラを搭載したラジコンカーを操作して疑似サーキットコース上を走らせタイムや順位を競うというもので、そのインパクトの大きさから1988年のAM(アミューズメントマシン)ショーでお披露目された際には大きく話題となった製品です。

ただ当然ながら専有面積が大きく、かつ専属のオペレーターも必要なため一般のゲームセンターに展開されず、添付パンフレットのように大型レジャー施設やショッピングセンター内への設置が目論まれていました。その中でショッピングセンター内設置のモデルケースとして選ばれたのがハイテクセガ長浜だったようです。

 

パンフレット内には当時の長浜楽市のテナント配置、ハイテクセガ入口部、そして一部店内写真も掲載されており、そこから元々は現在の4枚目写真の右端に見えるガラス張りの部分が店舗入口で、フードコートの場所がハイテクセガであったことの裏付けが取れています。

 

鳴り物入りで登場したSSCでしたが、1989年の横浜博覧会のようなイベントにて設置されたことはあったものの店舗に常設されたのは恐らくパンフレット掲載のハイテクセガ長浜及び静岡県の「ジョイスクエア・イン ハママツ」2店のみで、導入に対する高い障壁が仇となってしまったようです。

 

80年台末にこれを世に送り出す当時のセガの着眼、技術、そして意欲が感じられますが、普及の低さゆえに埋もれてしまったこともある意味「時代が早すぎる」セガの一面を表しているタイトルだったのではないかと思います。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年6月号

【次記事】

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年7月号