1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。記者として在籍した日本経済新聞社を退社後、執筆業を中心に活動。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)や『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)、『愛と子宮に花束を』(幻冬舎)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)、『女がそんなことで喜ぶと思うなよ~愚男愚女愛憎世間今昔絵巻』(集英社)、 『浮き身』(新潮社)など。最新の著書は『トラディション』(講談社)。","jobTitle":"作家","image":"https://hips.hearstapps.com/rover/profile_photos/ce8681da-116e-42e4-8c35-44f5640f7fee_1530352877.file","sameAs":["www.twitter.com/Suzumixxx"]},"@context":"http://schema.org","about":{"@type":"ItemList","numberOfItems":15,"itemListElement":[{"@type":"ListItem","position":1,"item":{"@type":"Thing","name":"上映後しばらく椅子から立ち上がれなかった元カレとすぐ椅子から立ち上がった私","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=1","description":"ヒット上映中の映画「花束みたいな恋をした」が、若者だけでなく一部の30〜40代からも熱烈な支持を集めている。菅田将暉と有村架純のダブル主演が若者の人気を集めるのに不思議はないが、学生から新社会人あたりの男女を描いた恋愛譚に、アラフォー世代のおじさんなどが自らを投影して甚く感動しているのはちょっと珍しい。「まるで私の青春そのままみたい!」という感嘆がTwitterなどで流れてくる一方、私の周囲や一部ネットなどでは、どうにも入り込めなかったという感想もちらほら聞く。甚く感動しているのはどちらかといえば男が多く、今のところ冷ややかな感想は女からばかりである。"}},{"@type":"ListItem","position":2,"item":{"@type":"Thing","name":"","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=2","description":"私はこの映画皮切り時、知人から「鈴木さんが昔一瞬だけ付き合った男性が、あまりにも感動して上映後しばらく椅子から立ち上がれなかったらしいよ」と、あまり食指が動かない文句で紹介され、翌日いそいそと1人で映画館に観に行って、やはり最初から最後までそこはかとない疎外感に包まれ、上映後は即座に椅子から立ち上がった。そして同じく評判を聞いて観たという女友達らと、私らには無関係なハナシだったよね、と何度か盛り上がった。その、映画を自分に投影して感動したのであろう男性が、重ね合わせたのは私との2〜3ヶ月の付き合いではないことも確かだし、本作に椅子から立ち上がれなくなるほど入れ込む人と私が2〜3ヶ月ほどの縁だったのもよくわかる。","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/sub7-sss00262-1614928477.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":3,"item":{"@type":"Thing","name":"サブカルおじさんの感慨を引き起こす、映画に散りばめられた仕掛け","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=3","description":"すでに観た人も多いと思うので簡単に話をなぞると、タクシー代を捻出できないほど貧しいが、若さと自意識だけは持て余した男女が同じタイミングで終電を逃し、似たような本やお笑い芸人を愛でていることが発覚して付き合い、同棲して就職して冷めて別れる物語である。どちらかの目線で紡がれるのではなく、男女双方のモノローグが随時挿入されるフェアなつくりで、すなわち女性からも男性からも自分を重ね合わせた、という感想が漏れ出るのはおそらくそんな事情による。","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/sub8-ssa03808-1614928475.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":4,"item":{"@type":"Thing","name":"","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=4","description":"そして一部の、自分はど真ん中のカルチャーを咀嚼する大衆よりもちょっとだけ趣味がいいと思っているが、個人的な趣味を貫くというよりはサブカル系とかカルチャー女子とかいうコードに身を委ねるタイプの人々には、作品中に散りばめられた、たとえば押井守や今村夏子やゴールデンカムイなどの固有名詞が、「私もハマったなぁ」とか「彼女も読んでたなぁ」といった感慨を引き起こす仕掛けになっているらしい。","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/main-hanakoi-1614928475.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":5,"item":{"@type":"Thing","name":"","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=5","description":"さらに、そういった、自分のことを普通よりちょっと面倒くさいタイプだと思っていて、その面倒くささに並々ならぬ誇りを持っている男女は、自分の学校の、ひいては日本の多くの人は悪趣味で本も読まず、映画も観ずにくだらない音楽を聞いてくだらないビジネス本を読んで暮らしている、と思い込みがちなため、自分とピタリと一致するカルチャー嗜好を持つパートナーを見つけて愛し合うことは兎角尊いものらしく、この2人の関係をある種の青春の理想形だと感じるようだ。2人はベストセラーくらいしか知らない大衆を見下す程度には子供で、かといって自分らが特別な人間だと無邪気に信じ込めるほど子供ではない、つまり成長の過渡期、全裸とドレスアップの狭間、冷静と情熱のあいだ、簡単に言えば青春の後半にいる。"}},{"@type":"ListItem","position":6,"item":{"@type":"Thing","name":"楽しかったあの恋を尊いものとして心の宝箱にしまって歩き出す2人","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=6","description":"さて、別に特定の映画に、入れ込む人もいればそれほど入れ込まない人もいるのは当然だが、似たような年代の一見似たような人たちの間で、感想が綺麗に分裂するのも、ヒットしているのに「普通によかった」と平時のテンションで言われることがあんまりないのも、個人的には結構面白いと思っている。それも含めて、語りたくなる作品、ひいては良い作品なのだろう。そして盛り上がるサブカルおじさんたちを尻目に、「?」と若干冷ややかな気分になる私たちのこの冷ややかさはなんなのだろう。","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/sub9-sss09365-1614928476.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":7,"item":{"@type":"Thing","name":"","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=7","description":"映画のキモは、ある種の人々にドンピシャな趣味を共有している男女が奇跡的に出会って、慎ましいながらも楽しい日々を過ごす幸福と、就職してみればそんな面白い漫画とかばかり読んでもいられず、かつてその種の人々がネオリベとかネオコンとか言って見下していたはずの人種に自らも成り下る悲しみにある。面白い漫画とか読んでいた男はくだらないはずのビジネス本など手にとってしまうようになり、生チョコショコラなんていう、少年ボーイみたいな名前のフレーバーがメニューにあるアイスクリーム屋に勤めていた女はくだらないはずのナンパ経営者のもとで働きだす。ただ、そこにやるせない悲しみを感じながらも、最終的には自分の凡庸さを受け入れ、楽しかったあの恋をお互いに尊いものとして心の宝箱にしまって歩き出すので、ちょっとした寂しさがありつつも一応暖かいエンディングということになる。","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/sub6-ssa00105-1614930516.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":8,"item":{"@type":"Thing","name":"多くの人が若さという病におかされた記憶や、若さという病におかされた男を相手にした記憶はあるはず","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=8","description":"私はドラァグクイーン以外の男と偶然クツが被ったことなどもちろんないし、偶然同じお笑いライブを予約していたこともないし、そもそもお笑いライブというものに人生で一度も行ったことがないし、小説の感想を何もセックスする相手と共有したいという願望も全く持ったことがないし、身体を売ってでもタクシーに乗って生きてきたし、そういう私のような人間もこの主人公の男女と同じくらいには大量にいるので、前半の幸福や後半の切なさがそれほど染み入らない視聴者がいるのは納得できる。ただおそらく私たちの冷ややかな視線の矛先は、このカップルに同化できないことや、側から見た時のこのカップルの凡庸さにあるわけではない。","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/sub1-ssa05543-1614928475.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":9,"item":{"@type":"Thing","name":"","url":"https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g35734854/hana-koi-suzuki-suzumi-review-210305/?slide=9","description":"誰だって若い時にはそれなりの自意識を抱えて、自分の凡庸さとの向き合い方も心得ず、結局最も凡庸な形で凡庸さに反発し、プチギレと絶望を繰り返して、自分は凡庸だし日常は平坦だし世界は退屈だけど、死ぬほどではない、というあたりで折り合いをつけてくだ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LOVIN'」","image":"https://hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/list-1562324333.jpg"}},{"@type":"ListItem","position":15,"item":{"@context":"https://schema.org/","@type":"Product","name":"『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』","description":"この世に男と女がいる限り、恋だの愛だの修羅場だのは永久に避けられないもの。そして、わが国ニッポンにおいては、なんだか独自の男女生態系がハッテン中。愛しているのに腹立たしいとはこれいかに? 女は本能で体感できることが男は10回生まれ変わっても理解できないのはこれいかに? 時代が流れようと事件が起きようと、進化してるのか退化してるのかどうかも曖昧な現代男女の実態を気鋭の書き手が分析。もはや「涼美節」ともいうべき、独特の視点と描写と文体が浮き彫りにする男と女の最新エンサイクロペディア。","image":"https://vader-prod.s3.amazonaws.com/1598243698-51kBY8K09L.jpg","sku":"4087880435","brand":{"@type":"Brand","name":"集英社"},"review":{"@type":"Review","name":"『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』","author":[{"@type":"Person","name":"鈴木 涼美"}]},"offers":[{"@type":"Offer","url":"https://www.amazon.co.jp/dp/4087880435","priceCurrency":"JPY","price":"1540.00","availability":"https://schema.org/InStock","offeredBy":{"@type":"Organization","name":"Amazon"}}]}}]}}

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映画『花束みたいな恋をした』に包摂されない女たちー作家・鈴木涼美のコラム連載

興行収入22億円を突破(2021年3月2日現在)、今年公開した映画のNo.1のヒット作となっている『はな恋』を作家・鈴木涼美さんと観てみた。※内容に一部ネタバレが含まれています

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EMORI YASUYUKI

映画『花束みたいな恋をした』全国公開中
配給:東京テアトル、リトルモア 脚本:坂元裕二 監督:土井裕泰 出演:菅田将暉 有村架純
https://hana-koi.jp/

上映後しばらく椅子から立ち上がれなかった元カレとすぐ椅子から立ち上がった私

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
『花束みたいな恋をした』本編映像【2人だけの新生活編】
『花束みたいな恋をした』本編映像【2人だけの新生活編】 thumnail
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ヒット上映中の映画「花束みたいな恋をした」が、若者だけでなく一部の30〜40代からも熱烈な支持を集めている。菅田将暉と有村架純のダブル主演が若者の人気を集めるのに不思議はないが、学生から新社会人あたりの男女を描いた恋愛譚に、アラフォー世代のおじさんなどが自らを投影して甚く感動しているのはちょっと珍しい。「まるで私の青春そのままみたい!」という感嘆がTwitterなどで流れてくる一方、私の周囲や一部ネットなどでは、どうにも入り込めなかったという感想もちらほら聞く。甚く感動しているのはどちらかといえば男が多く、今のところ冷ややかな感想は女からばかりである。

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

私はこの映画皮切り時、知人から「鈴木さんが昔一瞬だけ付き合った男性が、あまりにも感動して上映後しばらく椅子から立ち上がれなかったらしいよ」と、あまり食指が動かない文句で紹介され、翌日いそいそと1人で映画館に観に行って、やはり最初から最後までそこはかとない疎外感に包まれ、上映後は即座に椅子から立ち上がった。そして同じく評判を聞いて観たという女友達らと、私らには無関係なハナシだったよね、と何度か盛り上がった。その、映画を自分に投影して感動したのであろう男性が、重ね合わせたのは私との2〜3ヶ月の付き合いではないことも確かだし、本作に椅子から立ち上がれなくなるほど入れ込む人と私が2〜3ヶ月ほどの縁だったのもよくわかる。

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サブカルおじさんの感慨を引き起こす、映画に散りばめられた仕掛け

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

すでに観た人も多いと思うので簡単に話をなぞると、タクシー代を捻出できないほど貧しいが、若さと自意識だけは持て余した男女が同じタイミングで終電を逃し、似たような本やお笑い芸人を愛でていることが発覚して付き合い、同棲して就職して冷めて別れる物語である。どちらかの目線で紡がれるのではなく、男女双方のモノローグが随時挿入されるフェアなつくりで、すなわち女性からも男性からも自分を重ね合わせた、という感想が漏れ出るのはおそらくそんな事情による。

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

そして一部の、自分はど真ん中のカルチャーを咀嚼する大衆よりもちょっとだけ趣味がいいと思っているが、個人的な趣味を貫くというよりはサブカル系とかカルチャー女子とかいうコードに身を委ねるタイプの人々には、作品中に散りばめられた、たとえば押井守や今村夏子やゴールデンカムイなどの固有名詞が、「私もハマったなぁ」とか「彼女も読んでたなぁ」といった感慨を引き起こす仕掛けになっているらしい。

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これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
『花束みたいな恋をした』本編映像【告白までのカウントダウン編】
『花束みたいな恋をした』本編映像【告白までのカウントダウン編】 thumnail
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さらに、そういった、自分のことを普通よりちょっと面倒くさいタイプだと思っていて、その面倒くささに並々ならぬ誇りを持っている男女は、自分の学校の、ひいては日本の多くの人は悪趣味で本も読まず、映画も観ずにくだらない音楽を聞いてくだらないビジネス本を読んで暮らしている、と思い込みがちなため、自分とピタリと一致するカルチャー嗜好を持つパートナーを見つけて愛し合うことは兎角尊いものらしく、この2人の関係をある種の青春の理想形だと感じるようだ。2人はベストセラーくらいしか知らない大衆を見下す程度には子供で、かといって自分らが特別な人間だと無邪気に信じ込めるほど子供ではない、つまり成長の過渡期、全裸とドレスアップの狭間、冷静と情熱のあいだ、簡単に言えば青春の後半にいる。

楽しかったあの恋を尊いものとして心の宝箱にしまって歩き出す2人

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

さて、別に特定の映画に、入れ込む人もいればそれほど入れ込まない人もいるのは当然だが、似たような年代の一見似たような人たちの間で、感想が綺麗に分裂するのも、ヒットしているのに「普通によかった」と平時のテンションで言われることがあんまりないのも、個人的には結構面白いと思っている。それも含めて、語りたくなる作品、ひいては良い作品なのだろう。そして盛り上がるサブカルおじさんたちを尻目に、「?」と若干冷ややかな気分になる私たちのこの冷ややかさはなんなのだろう。

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映画のキモは、ある種の人々にドンピシャな趣味を共有している男女が奇跡的に出会って、慎ましいながらも楽しい日々を過ごす幸福と、就職してみればそんな面白い漫画とかばかり読んでもいられず、かつてその種の人々がネオリベとかネオコンとか言って見下していたはずの人種に自らも成り下る悲しみにある。面白い漫画とか読んでいた男はくだらないはずのビジネス本など手にとってしまうようになり、生チョコショコラなんていう、少年ボーイみたいな名前のフレーバーがメニューにあるアイスクリーム屋に勤めていた女はくだらないはずのナンパ経営者のもとで働きだす。ただ、そこにやるせない悲しみを感じながらも、最終的には自分の凡庸さを受け入れ、楽しかったあの恋をお互いに尊いものとして心の宝箱にしまって歩き出すので、ちょっとした寂しさがありつつも一応暖かいエンディングということになる。

多くの人が若さという病におかされた記憶や、若さという病におかされた男を相手にした記憶はあるはず

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

私はドラァグクイーン以外の男と偶然クツが被ったことなどもちろんないし、偶然同じお笑いライブを予約していたこともないし、そもそもお笑いライブというものに人生で一度も行ったことがないし、小説の感想を何もセックスする相手と共有したいという願望も全く持ったことがないし、身体を売ってでもタクシーに乗って生きてきたし、そういう私のような人間もこの主人公の男女と同じくらいには大量にいるので、前半の幸福や後半の切なさがそれほど染み入らない視聴者がいるのは納得できる。ただおそらく私たちの冷ややかな視線の矛先は、このカップルに同化できないことや、側から見た時のこのカップルの凡庸さにあるわけではない。

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©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

誰だって若い時にはそれなりの自意識を抱えて、自分の凡庸さとの向き合い方も心得ず、結局最も凡庸な形で凡庸さに反発し、プチギレと絶望を繰り返して、自分は凡庸だし日常は平坦だし世界は退屈だけど、死ぬほどではない、というあたりで折り合いをつけてくだらない大人になる。大人はくだらないが、若者だって同じくらいくだらないので、我らの多くがくだらない大人になってからは、自分のくだらない若さを振り返って、赤面して後悔して闇に葬る。特に、心の宝箱を美化して保存したがる男たちに比べて、女の振り返る青春の恋など極めて冷淡なものである。

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

だから、おそらく視聴後に席から立てなくなることなど全くなく、さっさと席を立ってしまう人の微妙な冷ややかさは、成長後の2人による一連の同棲時代の位置付けに向けられているような気がする。なぜなら、別に彼氏と同じ靴を履いた記憶などない私たちも、若さという病におかされた記憶や、若さという病におかされた男を相手にした記憶はあるからだ。

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「花束」を綺麗なまま保存できればいいのだけれど

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

劇中、確かに菅田将暉演じる男は面倒くさいが、その彼が自分の面倒くささを愛でていることに関しては、相手した女が振り返れば、誰だってアンタ程度には複雑だし面倒くさい、と感じられる程度でもある。貧乏をエッセンスにして、幼稚さや不器用さを個性と言い換えて、日和った就活を責任と言い換えて、自分の変化と相手の変化が一致しないと苛立ち、相手を思いやらない割には自分が思いやられないことに落ち込んだり、別れ話を拒否してみたりもする。こういった相手とズルズル付き合ってようやく別れた暁に、それを宝箱にしまう男はたまにいるかもしれないが、女もまた甘酸っぱい味付けをして宝箱にしまっていると思っているならそれは男の壮大な勘違いで、赤面して苦笑するか、ズルズルした間に重ねてしまった年齢に陰鬱な気持ちになるかのどちらかだ。

 
©️ 2021 『 花束 みたいな 恋 をした 』 製作委員会

そう考えると、作り手がこの恋愛譚を「花束」に喩えているのはなかなか嫌味の聞いた優れたタイトルだと思う。「花束」とは何か。新名解国語辞典では「草花を束ねたもの。ブーケ。『ーを贈る/ー贈呈』」とそっけなく紹介されているが、要は形式的な贈り物で、食えもしないのに消費期間が短く、最初はちょっと綺麗だなと思えてもちょっと放っておけば無惨に腐り、すぐに異臭を放つ。この異臭への批評がないままに終わるところが、どうも男目線ぽいというか、俺は綺麗なまま保存しているし、君もきっとそうだよね、という押し付けがましさがあって、一部の女にはそれが鼻につくのではないか。花束を買うだけ買って、異臭を放ちだした始末の悪いそれを処理したことがない男は多分結構多い。綺麗だったことなどすっかり忘れて鼻をつまみながらゴミ捨て場に放り投げられていることなど知らずに。

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鈴木涼美著書

集英社 『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』

『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』

この世に男と女がいる限り、恋だの愛だの修羅場だのは永久に避けられないもの。そして、わが国ニッポンにおいては、なんだか独自の男女生態系がハッテン中。愛しているのに腹立たしいとはこれいかに? 女は本能で体感できることが男は10回生まれ変わっても理解できないのはこれいかに? 時代が流れようと事件が起きようと、進化してるのか退化してるのかどうかも曖昧な現代男女の実態を気鋭の書き手が分析。もはや「涼美節」ともいうべき、独特の視点と描写と文体が浮き彫りにする男と女の最新エンサイクロペディア。