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あと4キロ、あと1メートル...届かなかった命があった 消防隊を阻んだ「陸の孤島」

2024年3月5日 05時05分 (3月9日 12時59分更新)
 能登半島地震が起きた直後、石川県珠洲市宝立町春日野では地元消防団員の石井弘志さん(57)が住民と協力し、つぶれた家屋のがれきをかきわけていた。
 「ここや」。奥から助けを求めるかすかな声。20、30センチの隙間に住人の男性の頭部が見えた。あと1メートル。だが、素手での救助には限界があり、人手も足りない。「手に負えん」。石井さんは泣く泣く他の救助現場に向かい、数時間後に戻ると、男性は冷たくなっていた。
 春日野地区から約4キロ離れた珠洲消防署。地震後すぐに当直司令の中野透さん(51)もポンプ車で春日野に向けて急行した。隆起した道を慎重に進んだものの、道路を覆った土砂崩れに行く手を阻まれた。引き返して迂回(うかい)した先の海沿いの国道249号でも、通りかかった住民から「この先は通れん」と知らされた。いつもなら7分以内に到着できるはずの現場。「諦めるしかない」。すでに30分がたっていた。
 あの日、地元の消防隊員だけでなく、中部や近畿、関東地方各地の消防隊員が能登半島を目指した。だが、その日のうちに輪島市と珠洲市にたどり着いた救助部隊は一つもなかった。三方を海に囲まれた半島で道路が寸断された場合、部隊を送り込むことが一気に難しくなる現実。珠洲消防署の穴田比呂志署長(58)は語る。「消防力が負けとった」

「何で早くこんがや」元日、止まない119番

 1月1日午後4時10分の地震から10分ほどたつと、石川県輪島市にある奥能登広域圏事務組合消防本部の指令センターで、119番が鳴り始めた。「なんとかしてくれ」「何で早くこんがや」。輪島、珠洲、能登、穴水の2市2町から、泣きながら救助を求める通報や倒壊家屋の下敷きになった本人からの通報が続いた。
 普段は1日20件程度だが、元日の通報は約400件に達した。消防本部の通信指令員竹田正歳さん(48)は「なんとかして現場に消防車両を」と願いながら必死に通報を受け続けた。揺れで消防指令システムの一部機能が止まったため、A5用紙に通報内容を手書きし、各地の消防署に伝えた。「すべての事案、声が忘れられない」
 珠洲消防署の通信室にも非番だった源剛一(げんこういち)さん(49)が近くの自宅から到着した。しかし、出動させるべく震度4以上で集まるはずの他の非番隊員がそろわない。救助先を記した地図だけがホワイトボードを埋めていった。
 消防隊員がたどり着けた現場も、救助活動が難航していた。倒壊家屋には数人しか入れず、余震の恐怖が付きまとった。チェーンソーや油圧ジャッキを積んだ工作車は1台のみしかなかった。「まだか」。祈るような通報は2日になっても届いた。

海から空から、広域応援も苦戦

 「頼みの綱」となるはずの広域応援も苦戦した。地震から約3時間後、各府県の緊急消防援助隊をまとめる統括指揮支援隊として、名古屋市消防局消防課の桜田智也課長補佐(43)はヘリコプターで石川県へ向かっていた。「羽咋市と七尾市の被害が大きいようだ」と聞いて頭の中で作戦を練ったが、県庁に着くころに奥能登の惨状が徐々に分かってきた。さらに「車両では進めない」ことも。
 「陸路がだめなら、海か空しかない」と、前例のない進出作戦が始まった。県庁に詰めていた自衛隊幹部に掛け合い、2日未明に海上自衛隊の護衛艦「あさぎり」での輸送が決まった。だが、津波で流されたがれきや船が漂う飯田港に着岸できず、沖合からヘリで隊員を運んだ。

倒壊家屋を捜索する静岡市消防局の隊員たち=1月2日、石川県珠洲市正院町で(提供写真)

 静岡市消防局の救助隊も東京消防庁ヘリで珠洲市入り。だが、重量制限で持ち込めた資機材は、のこぎりやなた、バールなど数十キロのみ。2日は2人、3日は4人の遺体を確認し、生存者の救出には至らなかった。稲生貴久隊長(46)は「悔しさはすごくある。もっと資機材を持って行けていれば」と振り返る。

11府県の2000人出動、元日現地入りできず

 消防庁によると、石川県には発生当日に11府県の援助隊計2千人が出動。うち滋賀県など4府県が珠洲市を目指した。元日は1人も現地入りできず、2日は空路から約20人、陸路から10人がたどり着いた。2県を加えた計千人がそろったのは、約48時間が経過した3日夜だった。
 救助を待つ人の生存率が大幅に下がる発生72時間までに、いかに多くの命を救い出すか。その命題に対し、地形的に交通アクセスが限られ「陸の孤島」になった能登半島地震が立ちはだかった。能登と同様の半島地域は、紀伊や伊豆など国土の1割を占める。
 名古屋市消防の桜田補佐は痛感する。「現場に投入できた隊員はごくわずか。全く足りていなかった。同じような地震が東海地方で起きたらどうするか。いかに早く情報を収集し、現場に部隊を送るか考えていきたい」 
 
 (米田怜央、梶山佑)

連載「あの時なにが」


 1月1日午後4時10分ごろ、激震が石川県能登半島を襲った。大震災の混乱がいまだ続く中、振り返る。あの時、何があったのか。








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