大橋川沿いで出土した「朝酌渡」とみられる石敷き護岸跡。中央奥は「矢田の渡し」の船着き場

 出雲国風土記(733年)で「朝酌渡(あさくみのわたり)」と記される渡し場があったとされる松江市朝酌町の大橋川北岸で、7~8世紀の石敷き護岸跡が見つかった。島根県埋蔵文化財調査センターが23日、古代の船揚げ場などがあった可能性が高いと発表した。

 護岸跡は、国土交通省の大橋川河川改修事業に伴う朝酌矢田II遺跡で出土。現在もある渡船「矢田の渡し」の船着き場のそばで、南北11メートル、東西20メートルの調査範囲全体にわたって、人の頭からこぶしほどの大きさの石が人工的に敷き詰められていた。7世紀後半から8世紀末のものと推定される。

 石は、5度程度の傾斜のスロープ状に敷かれ、低くなった水際は粒が大きくまばらになっている。同センターは「風土記に記された朝酌渡の一部で、船揚げ場や船着き場、荷揚げ場があった可能性が高い」と説明。「当時の景観や交通史、護岸施設の構築技術を伝える貴重な遺構」としている。

 朝酌渡は、大橋川の南にある出雲国府(松江市大草町)から隠岐国へ通じる古代山陰道の支線「枉北道(おうほくどう)」の一部とされ、木造船で人や物を運んだとみられる。古代の官道に伴う渡し場の発見は全国でも例がないという。

 26日午前11時と午後1時半の2回、現地説明会を開く。新型コロナウイルス感染症対策のため各回先着20人限定で、24、25日の午前9時~午後5時に電話で受け付ける。同センターTel0852(36)8608。(松本大典)