院長急死、高野病院はどうなる?
福島県広野町にある高野病院。福島第一原発近くにありながら、避難せず、地域を支え続けた病院としてしられる。
その老院長、高野英男さん(81歳)が昨年末、火災で亡くなった。敷地内の院長宅から出火し、遺体で発見されたのだ。この病院唯一の常勤医だった名物院長の急死を受けて、病院は存続の危機に立たされた。
一報直後から「地域医療の火を消すな」と医師らによる支援する会が立ち上がり、周辺自治体の支援など存続に向けて動き出した。残された100人を超える入院患者、スタッフを抱え、これから高野病院はどうなるのか。
支援に入った若手医師の思い
東日本大震災直後から南相馬市などで医療支援にあたっている坪倉正治医師(34歳)は、年明け1月3日に高野病院の当直に入った。BuzzFeed Newsの取材にこう口を開く。
「厳しい。本当に厳しいです」
何が厳しいのか。坪倉さんによると、高野病院を支援する会を通じて全国各地から応援の申し入れが届いている。すでに当直医については、1月分は目処がつきそうな状況だ。
もとより、震災直後の混乱を乗り越えたスタッフは、辛い状況のなかでも士気を維持していた。患者にも、支援にはいった医師にも「悲壮感を感じさせなかった」という。坪倉さんは「スタッフが混乱なく業務をこなすことで、これだけの危機なのに高野病院は崩壊しない。すごいことだ」と敬意を払う。
高野病院はホームページに、院長の娘、高野己保理事長名義で声明をだした。
院長 高野英男が私たちに遺した、「どんな時でも、自分の出来ることを粛々と行う」この言葉を忘れずに、院長の意志を受け継ぎ、職員一丸となり、これからも地域の医療を守っていく所存です。
当面の危機は乗り切れたように思える。しかし、問題は医師の人数を集めただけで、解決しない。「厳しい」のはここから先だ。
高野院長の「代わり」は見つかるのか?
「高野院長は私からみると『超人』です。80歳を越えてもなお当直をこなし、本業は精神科なのに内科の診療もやっていた。非常勤の医師を統率して、地域の医療を支えてきたんです」
火災にあった自宅も病院のすぐ近く。事実上、365日24時間、地域の医療のために働いているようなものだった。
高野病院が継続するには、次の院長=常勤医を確保すること。これが必須条件になる。
病院の方針、ボランティア医師の管理、入院患者の治療方針、いざというときの危機管理……。医療的にも、経営面でもボランティアだけでは難しい問題がついて回るからだ。
ここでも課題は、単に後任院長、常勤医を見つけただけでは解決しないところにある。
「原発事故後の避難などで、大きな影響を受けた福島県沿岸部(浜通り)に残って働こうという医師は、高齢になっても身を粉にして働く昔気質の医師が多い。高野医師もその一人です。その代わりをすぐに、というのはとても難しいのです」
高野病院を支えないといけない理由
坪倉さんはそれでも、高野病院が必要な理由を患者側、医師側の2つにわけて説明してくれた。
原発事故後、もっとも必要な医療が提供できなくなる
患者側にとって必要な理由。それは慢性期の疾患をみる病院の重要性だ。
坪倉さんたち地域に根ざして診療を続けてきた医師がほぼ一致している見解がある。原発事故後の医療で最大の問題は、被曝影響ではなく、地域に残った高齢者向け医療にあることだ。
例えば肺炎を起こしたとする。今までなら、同居した家族が面倒をみれば事足りた病気でも、家族が避難したため入院を余儀なくされる。介護が必要な病気も同じだ。
「高齢者の健康を今まで10本の柱で支えていたとします。その柱には、家族の絆だったり、地域の目だったりといった定義がしにくい、あいまいなものも含まれています。それが原発事故で、若い家族が多く避難して、高齢者が残ったため5本まで柱が減ってしまった」
「避難する決断は誰も責めることはできません。現実の問題として、家族や地域という柱が無くなってしまった後、高齢者のケアをどうするのか、という問題が残ってしまったのです」
高野病院が担ってきたのは、まさに地域に残った患者のケアだった。この病院が無くなるということは、原発事故後、もっとも必要な治療がなくなることを意味する。
地域の医師に与える影響
もう一つ、医師側の視点。
「医師も高齢化していると感じます。地域に残り、頑張って必要な医療を提供しても『超人』的な働きをしないといけない。それでも経営が成り立たないとなったら……。どうしたらいいんだろうってなりますよね」
「地域の医療者の情熱に乗っかっているのが、いまの医療システムです。もし高野病院が続かないなら、この情熱自体がくじかれることになります」
本当に問われていること
坪倉さんは高野病院をどうするかだけでなく、地域の医療をどうするかという視点も問われていると話す。つまり、個人の「根性」や「頑張り」で持ちこたえている、いまの医療が持つかだ。早晩、破綻することは目に見えているという。
「原発事故後の地域医療は、常にSOS状態だったけど、たまたまいた医師や、スタッフの根性でどうにかしてきた、という面が大きい。この先、10年後はどうなりますか?根性だけでなく、必要な医療を見極めて、必要な投資、方針を立てて支えないと大変なことになります」
当直に入った坪倉さんは、高野医師が書いたカルテを目にした。そこに書かれていたのは筆圧が落ち、かすれ気味になった文字だった。