「ジブリの……呪いのようなものがあるんですよね。うん、呪い……」
天井を見上げて話すのは、スタジオジブリで『かぐや姫の物語』、『思い出のマーニー』のプロデューサーを務めた西村義明さんだ。現在は、スタジオポノックを立ち上げ、米林監督の長編アニメ―ション映画『メアリと魔女の花』を制作している。
スタジオジブリと言えば、高畑勲、宮崎駿の両監督。そして鈴木敏夫プロデューサーの3人が核だ。米林さんと西村さんは「ジブリの巨匠たちの魂を受け継ぐ」と言われることもある。そんな彼らは、スタジオジブリの制作部門解散によって退社していた。
「リストラクチャリング……僕らはリストラされたので」
2014年、米林宏昌監督と西村プロデューサーのタッグで作られた『思い出のマーニー』のプロモーションで全国を回り、東京に戻るとジブリのスタジオはがらんどうだった。
「数か月前まで、凄まじい勢いで一緒に制作に向かい合っていた仲間が誰もいない。前々から制作部門を閉じるとは聞かされていたのですが……愛している存在が留守にしている間にふわっと消えてしまった。その現実を見ると、虚無感というか……終わっちゃうんだぁって……そういうことしか覚えていないです」
一緒に全国を回った米林監督と「やっぱり、みんなはもういないんだなぁ」と、空っぽになったスタジオを去った。
後日、書類にサインをしたときに、改めて自分の立場を実感した。もうここから去らなければならない。しかし、そのときある思いが湧いてきた。
これでいいんだろうか? このままついえていいんだろうか?
「スタジオジブリの作品が大好きでここに入って、高畑監督、宮崎監督と映画を作ってきた。ここには9割の苦しさと1割の喜びがありました。最高のクリエイターが集って『一本の映画で世界を変えられる』と信じて邁進してきた。でも、みんなバラバラに散ってしまう」
そしてこう続けた。「ジブリにとってクリエイターは宝だった」。
宮崎監督の力を持つ稀有な存在
プロデューサー1人で映画を作ることはできない。優れた作品には「監督・プロデューサー・企画の強固なトライアングルが必要不可欠」だからだ。1つも欠けてはいけない。ジブリでもこのトライアングルが揃わず、頓挫した企画はあった。
西村さんと志を共にしたのは、「宮崎駿が持っていたアニメーションのダイナミズムを一子相伝で受け継いでいる稀有な存在」である米林さんだった。
「宮崎監督の後期作品で、僕が魅了されたシーンの数々はマロさん(米林監督)が作っています」
『崖の上のポニョ』の中のポニョがバーッと出てくるシーン。『風立ちぬ』で菜穂子と二郎が出会うシーン。電車の中で風が吹いて帽子が飛んで、ナイスキャッチ……そんな躍動感のある画を作るのがアニメーターであり監督の米林宏昌だった。
「高畑監督、宮崎監督はすごくいいコンテを作ったとしても、それを描けるアニメーターがいないと、絵コンテからそのシーンを外してしまうこともあるんです。映画は映像ですから。マロさんは宮崎監督にとって、思い描いたシーンを作ってくれる存在だったと思います」
それだけではない。『思い出のマーニー』では、繊細な心情の変化を描き、世界から絶賛された。主人公のセリフも極力排除された静かな世界で、キャラクターに息吹を与えたのは背景描写だった。
「『マーニー』では宮崎監督の作品で開花させたダイナミックな表現を封印したんです。なぜなら、この映画は背景描写で心情の変化を表すポエティックで静的なものだから。世界のアニメーション界を見渡しても、こんなことができる人はなかなかいません。静と動。この2つが組み合わさったとき、米林作品がどう進化するのかを見てみたいと思ったんです」
こうして、西村さんと米林さんは「スタジオポノック」を立ち上げた。ポノックとは、クロアチア語で午前0時という意味を持つ。
スタジオジブリの冠を受け継がない理由
ジブリでは、映画を作ることは当たり前だった。しかし、無名のスタジオとなると話は違う。実際、宮崎吾朗さんからは「ジブリの冠なしに資金を集めるのも、スタッフを集めるのも、ヒットさせるのも至難だぞ」と言われた。
「ジブリは高畑監督と宮崎監督の映画を作るためのスタジオでした。その人たちが作らないと言ったら続けることはできない。僕自身、ジブリというブランドには興味はありません。ブランドではなく、そこに集う人とできる作品が大事なので。ただ、今まで築き上げてきた映画作りの志が消えてしまう……一本の映画で世界を変えうると信じる作り手たちの映画が作られなくなるのは嫌でした」
高畑勲、宮崎駿。2人は…
1月末、スタジオポノックには宮崎駿さんの姿があった。制作現場の窮状が耳に入ったらしく、檄をとばしにきたのだ。現場に足を運ぶのは初めてだった。
「安心した。ココ(ポノック)が元気なかったら、アニメーションは終わりだもんな」と口にしながら、現場の一人ひとりに声をかけていった。西村さんはその背中に言葉を投げた。
「宮崎さん、5カットくらい描いてくれないですかね」
宮崎さんは無言で去っていったが、翌日にA4で2ページに及ぶ米林監督宛の手紙が届く。「僕が描いてしまうと、この作品を傷つけることになる。それはやってはならない」というコメントの後に、宮崎さん流の作品を完成させるメソッドと激励の言葉が直筆で綴られていた。
宮崎駿という人は、自分以外の監督にポジティブな発言をほとんどしないそうだ。
「マロさんへの愛って格別なんだって思いましたね。素直なことは言わない人なので、本当に驚いたんです。『こんなくだらない映画を作りやがって!』って言ってる方が宮崎監督っぽいですから」
このような態度をとったのは、宮崎さんだけではない。「『かぐや姫』のときはだいぶいためつけられた(笑)」という高畑さんも同じだ。
「高畑監督はファンタジー嫌いなのに『ほうほうほう…それで?』とニヤニヤしながら『メアリ』の話を聞いてきたんです。『スタジオポノックは今後、長編アニメーション映画のひとつの牙城になるかもしれませんね』と言っていただいて」
後日、特報映像を見た際、高畑さんはこう言ったそうだ。
「宮さんのアニメーションが継承されていくんだなって強く感じました」
西村さんは、2人の反応を見て実感したという。「師弟という関係ではなく、巣立った人間として自分の足で立たなければいけない……怖いですけどね」と笑ってみせた。
メンバーも技術も思考もほぼ同じ、スタジオジブリとポノック。違いは…
バラバラになったクリエイターたちに頭を下げ、再集結したスタジオポノック。規模や資金は小さくなったが、「ジブリで描いてきた世界を作れる」と確信しているそうだ。では、ポノックとジブリの違いは何なのだろうか?
「僕たちは、『今、作るべき作品を作る』だけなんです。例えば、高畑、宮崎両監督の晩年の作品テーマは『生と死』。今の僕たちが同じテーマを描けと言われても、いいものは作れません。自分たち自身がまだこの世の別れについて答を出せていないからです。逆に、80年近く生きてきた今の彼らに『ラピュタやトトロのような作品を作って欲しい』っていうのは、違うと思います」
一方、スタジオポノックが「今、描けるもの」をこう語る。
「マロさんには9歳の、僕には10歳と4歳の子どもがいます。身近に子どもがいる僕たちだからこそできる作品があるって気がつきまして。そして、2017年という時事性。僕らが生きてきたのは、人が住めなくなった土地を残し、美しい海を埋め立てる時代です。こんなものを次の世代にたくさん残してしまう。だったらせめて、もっと大事なものを子どもには贈りたい」
そこで生まれたのが『メアリと魔女の花』だった。
タイトルを見て『魔女の宅急便』を思い浮かべる人は少なくないだろう。
「宮崎監督のナウシカ、ラピュタやトトロは興行的に赤字だった。それを救ったのが『魔女の宅急便』の成功だったんです。一方、米林監督作品はアリエッティとマーニーを作って次で3本目。ジブリの冠なしに映画を作る勝負作となるだろうと。だったら、僕らも魔女で勝負をしたい……ゲン担ぎですね」
ジブリという魔法を失って
原作の児童文学を見つけたとき、西村さんの頭の中ですべてがつながった。「主人公のメアリを巡る話は、米林宏昌自身の物語である」と。作中でこんなセリフがあるそうだ。
「この扉を開けるのに魔法なんか使っちゃいけない。どんなに時間がかかっても、自分の力でいつもどおりに開けなきゃ」
魔法はいつか消えてしまう。自分に特別な力を与えてくれた魔法を使わないときにこそ、見えてくる景色があり、到達できる場所がある。この言葉にはそんな可能性が込められている。
スタジオジブリという魔法を失った後継者たち――ポノック自身を映し出しているようだ。西村さんは続ける。
「今、僕たちが信じて頼ってきたものが、ことごとく潰れはじめた時代です。魔法のように大きな力で発展してきたけれども、通用しなくなってきた。魔法を失ったときに人間の中に残るものは何なのか? 今しかできない。だから『メアリ』を作ることにしたんです」
魔法と呪い。そして涙
最後に、「ジブリのときと今、どちらが楽しいですか?」と聞くと、「100%今です」と即答した。
スタジオジブリの作品は、宮崎さんの承認なしには企画は成立しなかった。『火垂るの墓』、『かぐや姫の物語』、『思い出のマーニー』以外の作品には、すべて宮崎駿のクレジットがある。
「『メアリ』はジブリでは作れなかった作品だと思います。宮崎監督に『魔女はもうやってるだろ』と却下されてるか、潰されているか、どちらかじゃないですかね」
絶対的な存在がいないスタジオポノックで、西村さんは「仲間と企画について相談できる」楽しさを知ったという。
「かつてはどうしても『ジブリの映画』を作っているという気持ちが強かったんです。今はみんなが『米林監督の映画』を作ろうと素直に仲間が同じ方向を見れる。『ジブリ』というあまりに大きな概念は、恩恵をもたらしましたけど、呪縛でもありました。プレッシャーもあるし、高畑監督と宮崎監督の存在が偉大すぎた。力を持てるけど、生命力を奪われていく……そんな感じです」
「人のエネルギーを自分のエネルギーに変える天才」。長らくスタジオジブリの作品プロデューサーを務めた鈴木敏夫さんは宮崎さんを、こう評していた。
「今はただ純粋に映画を作る。ジブリとかポノックとか冠のようなものは、どうでもいいですね」
インタビューの前、2017年の1月初旬にスタジオポノックに訪れた際は、西村さんがジブリについて語る時、ピリッとした表情が多かった。偉大な存在に対して愛憎いりまじった感情があるように見えたのだ。西村さんは「実感はない」と言っていたが、この1ヶ月の間に呪いに対する想いに変化があったのかもしれない。
「環境や予算が違っても、ぼくらが作る以上はジブリ水準のクオリティと結果を求められる。恩恵もあるけど、ジブリの……呪いのようなものがあるんですよね。うん、呪い……」
「でも最近、できあがってきた映像を見て涙が出たんですよ。感動するシーンでもないのに。マロさんがすごく頑張っているなって。今、できあがりつつある作品を見て、自信を持ちました。"ジブリ"を越えていかなきゃって」