日本で「イスラム教の子供」として生まれた少年は、こう育つ

    「あ、僕は無宗教です」

    2001年9月11日。あの日に起きたことを、あなたはどう説明するだろうか。

    アメリカ同時多発テロ事件――。イスラム過激派が航空機を奪って、米国ニューヨークの高層ビルや国防総省などに突っ込み、約3千人が死亡した。

    繰り返しテレビに流された、頭にターバンを巻き、銃を構える男たちの姿を思い浮かべるかもしれない。

    そんなとき、イスラム教の父を持つ子供が近くにいたら、あなたはどのような振る舞いをしただろう。

    父、そして宗教めぐる21歳の青年の書き込み

    スオミアッキ(@Asena0330)さんは、1996年にイスラム教徒の父と日本人の母のもとに生まれた。

    最近、彼がTwitterにあげた文章が話題になった。「日本でイスラム教の子供に生まれてしまった僕の話」と題された心情の吐露だ。

    周囲との関係、宗教との関係、そして、父との関係。淡々としていて、それでいて読む人の心臓を掴む文章は、1万7000回以上もRTされた。

    「父からのいじめで爆発しそうなのでストレス発散に書きました」という言葉とともにアップされたスオミアッキさんの文章を、そのまま掲載する。

    日本でイスラム教の子供に生まれてしまった僕の話

    「テロリストの子供」、「虐め」、「不登校」、「父からの暴力」……ショッキングな言葉が並ぶ。

    しかし、彼は日本人にもイスラム教に対しても、ネガティブな感情を持っていない。一体、どういうことなのか? BuzzFeedは彼に話を聞いた。

    福岡出身。持っているパスポートは日本。でも、「テロリスト」と呼ばれる。

    スオミアッキさんが生まれ育ったのは福岡だ。ここは、イスラム教徒の移民が多く、街の中にいくつかモスク(イスラム教の礼拝堂)がある。

    彼が保育園に通っているときに9.11が起きた。大人たちは自分の子供に「あの子と話してはいけません」と言うようになった。

    小学3〜4年になると、子供たちは「テロリスト」という言葉を覚え、攻撃してくるようになった。

    「うわばきで殴られたり、班作りするときに机を離されたり」

    スオミアッキさんは、その頃のことを淡々と振り返る。

    6年生の担任は、いじめられるスオミアッキさんを見て「強くなれ」と、野球を勧めた。それからスポーツにのめり込み、身長は飛躍的に伸びた。中学生になると逞しい体つきになり、いじめは減ったが…

    「またテロが起きたんです。この時に、3人から暴行されてしまって。腕を抑えられて、みぞおちに膝蹴り、みたいな。右肘を悪く骨折してしまい、野球はできなくなりました」

    傷害事件だ。中学校にも教育委員会にも報告した。でも、何も変わらなかった。

    日本の社会で壁にぶつかる息子を見かねてか、父は幼い頃からスオミアッキさんを何度も祖国に連れていき、長期滞在を促した。

    しかし、それは彼にとって心地良いものではなかった。イスラム教の国で過ごせば過ごすほど、さらに日本に馴染めなくなるからだ。

    日本で生まれ育った彼にとって、祖国は心休まる場所ではなかった。

    父は、スオミアッキさんの「日本で普通に暮らしたい」という考えを否定し続けた。「イスラム教徒の息子は、より厳格なムスリムであるべきだ」と迫った。

    中学3年のときに、郊外の中学へ転校した。そこで「生まれて初めてストレスなく日本人とコミュニケーションがとれる環境」を手に入れる。

    いじめられない、特別視されない。周りの生徒たちと普通のクラスメイトになった。

    日本の中学に通う僕には「許嫁」がいた

    「とにかく父と距離をおきたかった」から、遠方の高校に通った。

    いじめもなくなり、楽しい生活を送る中で初めて出会うものがあった。

    アニメだ。友人から『さくら荘のペットな彼女』を勧められ、世界が開けた。「今は、ガルパンがかなり好きです」。

    なぜ、彼はそれまでアニメを見てこなかったのか?

    「イスラム教では、女性は肌の露出をしてはいけません。アニメに出てくる服が父としてダメだったようで、見せてもらえなかったんです。だから通学途中に見てました。家でアニメを見ると暴力をふるわれるから」

    彼は思春期の頃、恋人がいなかった。理由の一つが「許嫁がいた」からだ。

    「祖父のムラの決まりで、14歳くらいまでは『この子と結婚する』という女の子がいたんです。でも、僕は好きな人と結婚したくて、祖父に『嫌だ』と言い続けて、恋愛してもいいと許しが出ました」

    おおよそ、日本で暮らしていると耳にしないルールが、彼の思春期にはあった。父のムラの風習といえど、日本で育った彼には受け入れがたかった。

    「イスラム教を軽蔑してるわけじゃない」

    スオミアッキさんは「自分は無宗教」とはっきりと言う。

    だが、イスラム教を悪く思っているわけではないという。それは、父から「イスラムの教えを守らない悪い息子」と暴力を受けても変わらない。

    「小学6年くらいに、授業でイスラム教が出てきたので、自分でも調べてみたんですね。そうすると父の出身地でのイスラム教は、一般的なものよりも、かなり厳格だったことがわかったんです」

    父の信じるイスラムが特に厳格だというだけではなく、父が自分に厳しいのは、父自身の考え方にも理由がある、と考えている。

    スオミアッキさんの父は、学校教育を十分に受けていないという。

    「父は、他宗教の知識がないんです。もちろん他の地域のイスラム教も知らない。だから、自分とは違う人のことは認められないし、息子の僕に『厳格なムスリムとして自慢できる存在であれ』と思っているんです。宗教というか自慢したいか、みたいな」

    「両親がイスラム教の子供たちは、『当たり前』『仕方がないこと』だと思っていることが多いです。でも僕は、自分の宗教は自分で選びたい」

    最近、スオミアッキさんはイスラム教徒の大学院生に出会った。その際、「僕は無宗教なんです」と自己紹介すると、こう返ってきた。

    「ここは日本なのだから、そのスタンスで全然いい。それに、イスラム教の神様はあなたがイスラム教徒でなくとも、あなたのことを愛しているよ」

    信仰に「グラデーション」があってもいいんじゃない?

    「日本にもたくさんのイスラム教の子供たちがいます。でも、彼ら彼女らも、自らイスラム教を選んでいるわけじゃないかもしれない。親の都合とか」

    「でも本当は選べるはずなんです。度合いとかも」

    子供の頃のいじめの原因は、テロ行為とイスラム教を直接的に結びつける偏見もあった。しかし、スオミアッキさんはこうも思う。

    イスラム教の生活習慣を頑なに守ると、日本の社会では逸脱しているようにみえる。壁が生まれやすくなる。

    例えば、教えを守るのであれば、1日に5回祈りを捧げなくてはいけない。ムスリムの子供たちは授業を抜けて、図書室で祈りをしていたという。

    同級生の子供たちから見ると「変わったことをしている」ように見える。

    博多に住んでいるのに、友だちと「モツ鍋」も食べれない。学祭の打ち上げが焼肉だったりすると、参加できなかった。

    もちろん、そういう違いを皆が自然と受け入れる多様性のある社会が理想だ。

    でも、現実として、いまそこに壁がある。それをないように振る舞えば、理想と現実の間で苦しむのは、当事者たちだ。

    「今が最高に幸せ」

    親元を離れて踏み出した世界は、想像以上に広かった。

    好きなものを食べ、親友もでき、アニメを自由に見る。最近では『ウマ娘』をきっかけに、競馬が趣味になった。

    父の教えによると、ギャンブルも、アニメも、豚肉を食べることも飲酒も禁止だ。

    「今が最高に幸せですね。お肉大好きです、一昨日も昨日も食べました」

    そもそも宗教の本質って何なのか

    「宗教は、人の精神の支えになるものだから否定しない。でも宗教を押し付けるのはおかしい」

    これがイスラム教徒の息子として日本で生まれ育った、彼の宗教観だ。

    取材の最後に聞いてみた。

    あなたにとって宗教ってどういう存在ですか?

    「宗教は幸せになるための道具……幸せになるためのものだと思います」

    「例えば僕がキリスト教の女性と結婚したら、洗礼を受けるかもしれない。それくらいです」

    そんな彼は、現在パイロットを目指して勉強中だ。理由は、堤真一演じる『GOOD LUCK!!』の香田一樹に憧れたから。

    厳格なイスラム教徒の息子として、日本で生まれ育った。ドラマがきっかけで夢を持ち、実現に向けて歩んでいる。アニメが好きで、お酒も大好き。

    父とは一生わかりあえないかもしれない。

    でも、それがスオミアッキさんが自分自身で選びとった、彼自身の21歳の姿だ。