埼玉県で暮らす、ある人々の家庭料理のレシピを綴った本が、4月末に出版されました。
一般的な和食でも、埼玉の郷土料理のレシピでもありません。
実はこの本、埼玉に約2000人暮らすと言われている、クルドの人たちの家庭料理を集めたレシピ本なんです。
『クルドの食卓』は、難民として埼玉に逃れてきたクルド人の「隣人」として、共に歩んできた女性たちがつくりました。
著者と編集者に話を聞きました。
焼きなすのヨーグルトサラダ「バージャネマスト」、オクラと羊肉のスープ煮「バミヤテルシュ」ーー。
レシピ本には、野菜をふんだんに使った色鮮やかな料理が並びます。
これらは、「日本に暮らすクルド人の家庭料理」。
日々、クルドの人々が家庭でつくり、家族と食べている、約30の料理のレシピがまとまっています。
「うれしい」と笑顔を見せたクルドの女性たち
今から6年前、埼玉県川口市の公民館で日本クルド文化協会が開いていた、クルド料理教室に参加したことが、著者の中島さんとクルド料理の初めての出会いでした。
それから、料理教室がある度に参加。教室の運営を手伝いはじめました。しかし当時は、公民館は冷暖房がないなどの不便も。中島さんの自宅の1階を改装し、そこでクルドの女性たちと料理教室を開くようになりました。
レシピ本を作るきっかけは、クルドの人たちが多く住む川口市にある出版社「ぶなのもり」の代表で編集者の、小倉さんからの打診でした。
著者の中島さんは、約3年前の出来事をこう振り返ります。
「クルド料理のレシピ本を作らないかという話があるけど、どう…?とクルドの女性たちに聞いたら、すごく喜んでいました」
「卒業証書をもらえるような気持ちでうれしい、とおっしゃっていました。最初はレシピ本を作るのは難しいんじゃないかと思ったのですが、彼女たちのその反応があったから、作ろうという思いになりました」
「日本の人たちにクルド料理を知ってもらうということもですが、彼女たちが『いる』ということ、存在をアピールできることがうれしかったみたいです」
クルドはトルコ、シリア、イラク、イランにまたがって暮らす民族です。
人口は4ヵ国計で推定3000万人。しかし独自の国家を持たないため、「国家を持たない世界最大の民族」と呼ばれています。
埼玉に暮らすクルド人たちは、トルコでの激しい弾圧に遭い、日本へ逃れてきた人たちです。
命を守るために日本へ渡ってきた人たちですが、日本政府はトルコ政府との関係などを理由に、トルコ出身のクルドの人たちには一切、難民認定を下していません。
在留特別許可を得て、日本での在留、就労などを許可されている人たちもいますが、日本に住むクルド人の多くが、難民認定などを求める裁判をしながら、不安定な状態で暮らしています。
しかし、日本ではクルドの人たちの存在や、人々が抱える問題について知っている人はそう多くはありません。
埼玉県川口市や蕨市に住むクルドの多くは、「美食の街」と呼ばれる、トルコ南東部ガジアンテップの出身。
彼女たちの料理を通して、クルドについて少しでも「知ってもらうこと」が、クルドの人々にとても意味のあることだったのです。
川口で、クルド料理のレシピ本をつくる意味
編集者の小倉さんは「クルドの料理本は、(日本では)この地域でしか作れない、作るしかないと思った」と語ります。
多くのクルドの人々が生きるこの土地だからこそ、つくれた本でした。
「この場所で、一緒につくったり、売ったりすることに、意味があると思いました」
「クルドの家族が食べている、本当の家庭料理。レシピ本のための調理や撮影も彼女たちの自宅でし、この日本で彼らが生活をしている、そのままの状態で料理をしている写真が撮れました」
小倉さんは、こう思いを語ります。
「元々は難民や人権問題に興味を持つ人しかクルド人について知らなかったけど、クルド人がいるという認知が地元でもあがってきていると思います」
地元の人たちやクルドについて知らなかった人たちに、料理を入り口に「知ってほしい」。
そして、クルドの家族や、周りの人たちにもこの本が届けばと願います。
「クルドの子どもたちがクルド料理をつくるとき、親の見様見真似でつくるかもしれないけど、その子たちの『一冊』になるかもしれない。いつか子どもたちが友だちに『これがクルド料理だよ』って言える日が来るかもしれない」
「クルドの友だちがいる人が『一緒につくろう』と思ってくれるかもしれないとも思っています」
「クルドの子どもたちは今、中高生などに育ってきて、家で手伝いもしていると思います。親が作っている料理は親の背中を見てつくるのが一番かもしれないけど、必ずしもそういう環境があるとは限らない」
「クルド人と国際結婚をする日本人も増えています。そんな人たちも、レシピ本があれば、クルドの家庭料理を作ることができるかもしれないと思っています」
レシピで使われている食材は、大半が日本でも手に入る野菜や肉が中心。
ぶどうの葉や干し野菜はなかなか手に入れにくいですが、クルド料理では欠かせないという調味料「サルチャ」は川口市内のトルコ食材店などで販売されています。
サルチャは主にトマトを発酵させて作るトマトペーストのような発酵調味料です。
「隣人として」という思い
巻末には「在日クルド人はいま」とし、20ページ弱にわたり、日本で暮らすクルド人たちについての説明やクルド人女性たちへのインタビュー、子どもたちの声が載せられています。
中島さんは「料理本として手に取った人にも読んでもらえるように書きました」と話します。
その中で、中島さんは自身を「隣人」と表現しました。
その思いについて、こう語ります。
「どうしても、日本人とクルド人というと、日本人がクルド人を『支援してあげる』という形ができあがっています。クルド人の周りにいる日本人は『支援者』という風にも言いますが、私は支援者にはなりたくないと思いました」
「同じ地域に住んでいる者として一緒に何かやりたいと思い、あくまで隣人としてというスタンスを取りたいと思っています」
クルドの人たちは中島さんにとって「隣人」。しかし、多くの川口市民はクルドの人々を「隣人」と捉えられているでしょうか。
その問いには、「クルドの人たちは、隣人としてはまだまだ捉えられていないと思います」と答え、こう話しました。
「まず接点がありません。住んでるのは知っているけど、興味はないという人もいると思います」
川口市民から、クルドの人たちと関わっていることを批判的に言われ「彼らはうるさい」と言われたこともありました。
「家族の人数が多く、声が大きかったりもします。日本人が集まって喋っていたら何を喋っているか分かりますが、知らない言葉だと『ただうるさい』と捉えられ、ただのうるさい迷惑な人たちというイメージを持たれてしまうのかもしれません」
批判をした人はクルドについて全く知らず、中島さんは、彼らが日本にいる経緯や置かれている困難な状況などを説明したといいます。
「いないことにしないで」
実は、中島さんも以前は、クルド人について「知らない」川口市民の一人で、一番最初の接点は、少しネガティブなものでした。
「自宅に近くのコンビニの前で、クルドの若い男の子たちがたむろっていて、若い人が通ると『おかえり』みたいな感じで声をかけていたんです。特に誘うわけでもなく声をかけていただけなんですけど、娘たちはそれが嫌だったんです」
たまに迎えにきてほしいと頼まれていた中島さん。「あの子たちは誰なんだろう?」と思い調べて、はじめてクルドの存在を知りました。
スーパーでは、小さな子どもをつれたクルドの女性たちがいることにも気づき、「接点を持ちたい」という思いで、料理教室を訪れました。
最初は「嫌だ」と感じていた中島さんの娘も含め、家族ぐるみで教室に参加しました。
料理を入り口にクルドの人たちについて知り、今では料理教室や料理本を通して、その輪を広げようとしています。
「難民問題やクルド人ということに関係なく、料理教室なら来られる。難民やクルドの本は、関心がある人しか手に取りませんが、料理本だと誰でも手に取ることができると思っています」
レシピ本を通して、初めてクルドについて知る人がいたら…。
中島さんは、こう思いを語りました。
「クルドの人たちについて、とにかく『いること』を知ってほしい。なかなか、自分たちでは『いるよ』と声をあげにくい人たちです」
「いるんだから、いないことにしないでほしいと思います」