ピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」が発売から25周年を迎え、新たに生まれ変わった。
「あなた」は誰のこと?
オリジナルの発売は1993年12月1日。フジテレビの子ども番組「ウゴウゴルーガ2号」のテーマソングとしてつくられた。小西によれば、命名の由来はあっさりしたものだった。
「夜7時の番組で、関東ローカルだから関西はやらないと言われて。じゃあ『東京は夜の七時』ねって即答した覚えがあります」
いつもなら、タイトルが決まれば曲はすぐにできる。なのに、その時に限ってなかなかアイディアがまとまらない。さっさとレコーディングを終わらせてデートに繰り出すはずが、キャンセルする羽目になった。
「すみません、今日は会えません」
ガールフレンドに電話して、ひとり自宅でビールを飲む。すると、さっきまでのスランプが嘘のように「自動書記」状態で手が動き始め、一気に歌詞を書きあげてしまった。
「で、その時に付き合っていたガールフレンドっていうのが、いまの奥さん。『東京は夜の七時』は彼女のことを考えてつくった曲なんです。だから、『早くあなたに逢いたい』のは自分の気持ちでもあるし、相手がそんな風に思ってくれたらいいな、という願望でもある」
「お経みたい」と思ったワケ
実は野宮の夫も当時、テレビマンとして「ウゴウゴルーガ」に携わっており、それが縁で結婚することになった。小西が笑う。
「お互いそんな話はしないですけど、それぞれ恋愛している2人が、たまたま曲の作者と歌唱者だったんですよ。だから、そういうマジカルな何かがあったんだろうなと」
初めて曲を聴いた野宮は「お経みたいな歌だな」と思った。
「『ぼんやりTVを観てたらおかしな夢を見ていた』とか、メロディーラインがお経っぽくないですか? サビにいくとメロディアスだけど、Aメロとかすごく……。そこが新しいし、ほかのどこにもないって思いました」
小西の楽曲の歌詞とメロディーは、日本語としてのイントネーションの自然さにこだわり抜いてつくられている。1番と2番で歌詞が変われば、それに合わせて音程も微妙に変わる。
「そういう細かいところをきっちり歌わなくちゃいけないから、意外と難しいんですよ。聴いている分にはサラッと聴けるんだけど、カラオケで歌うとすごく難しいってよく言われます」
歌詞の意味は絶対聞かない
とりわけ野宮が惚れ込むのが、作詞家としての小西のセンスだ。
「『お腹が空いて死にそうなの』って女の人は割と使うんです。そういう女心みたいなところ、小西くんはなんでわかるんだろう」
しかし、ピチカート時代に歌詞の意味について、小西に尋ねることはなかった。
「これどういう気持ちで歌ったらいいの? なんて絶対に聞かない。最初に『恥ずかしいから聞かないでね』って言われてたし。小西くんも『野宮さんのいいところは、歌詞の意味を聞かなかったところだ』なんて言ってますね(笑)」
「だから、私も深く考えないで歌ってました。でも、それが良かったのかな。小西くんの歌詞には結構、暗い部分もあるんだけど、『悲しいことを明るく歌う』みたいな、不思議なバランスになったのかもしれません」
池袋の風俗案内所で…
「東京は夜の七時」は、過去にいくつものカバーが発表されてきた。2016年のリオパラリンピック閉会式でも、浮雲が歌う「東京は夜の七時-リオは朝の七時-」が流され、大きな話題を呼んだ。
小西自身の手によるセルフカバー、セルフリミックスも多い。なかでも小西のお気に入りが、野本かりあによる2006年の歌唱。クラブでDJをする際は、決まってこの野本バージョンばかり掛けてきた。
ところが数年前、野宮が歌うオリジナルの良さを「再発見」したのだという。
「池袋の名画座で映画を見て出てきたら、風俗案内所みたいなところで曲がかかっていて、猥雑なパワーを感じたんです。渋谷の恋文横町で不意に耳にして、ハッとしたこともありました」
「自分では思ってもみなかったけど、歌謡曲に通じるような下世話なパワーのある曲だったんだなって気付いた。それで、すごい気に入っちゃったんですね」
少林兄弟とコラボ
野宮もまた、この曲を大切に歌い継いできた。ライブでは必ず、冒頭かラストに歌う。
「本当に何回歌ったんだろう。どんなアレンジになっても楽曲の良さがあって、一度たりとも飽きることがない。毎回、毎回、新鮮な気持ちで歌える曲ですね。ピチカートの代表曲なんだけど、自分の代表曲でもあると思って歌ってます」
今回のコラボレーションは、野宮が小西に「東京は夜の七時」のリミックスを依頼したことがきっかけで動き出した。
「リミックスではなくて、カバーに変えられませんか」
小西から返ってきたのは意外な逆提案の言葉。それも、まだ無名のロックバンド「少林兄弟」と組んで、ロカビリー調にアレンジするという斬新なアイディアだった。
少林兄弟は小西が「21世紀に入って最初に好きになったバンド」というほど入れ込む4人組。小西から教えられ、ライブに足を運んだ野宮もすぐに気に入った。
「ちょっと面白すぎるぐらい、すごく楽しくて。ショーアップされてるし、テクニックもあるし。小西くんが好きなのもわかるなって」
ロックではなくロックンロール
一緒にレコーディングするのは、解散以来初めて。積もる話に花が咲いたかと思いきや、野宮によればそんなこともなかったようだ。
「昔からあんまりしゃべらないですから。歌詞の話は聞いたら怒られちゃうし(笑) 『両親も年取ってね』とか、ちょっとした世間話はしましたけど。でも不思議なもので、実際に歌い始めると昔の感覚に引き戻されちゃいますね」
小西の方も手応えをこう語る。
「僕はロックンロールって言葉を、ロックより一段崇高なものとして捉えてるんですけど。今回の新録で25年前に書いた曲が、ちゃんとロックンロールだったんだと思うことができた。そこは野宮さんと少林兄弟にすごく感謝しています」
「過去のカバーのなかでも、一番いいものができた。25年前の曲を、もう一回チャンスをもらって、こんなに新しい曲にできるっていうのは本当にラッキー。大きなボーナスをもらった感じですね」
なくなる店、変わる景色
「待ち合わせたレストランはもうつぶれてなかった」という歌詞の通り、東京の街も大きく姿を変えた。
「『もうつぶれてなかった』ってさ、本当に全然、言葉選んでないよね(笑) もうちょっと歌詞としてきれいな表現にしてもよかったのにさ。最初に浮かんだ言葉で、それが一番強いと思ったから採用したんだけど」と小西は言う。
行きつけだった五反田の名画座も、隠れ家にしていた白金のカフェも、ミニッツ・ステーキがおいしかった原宿のダイナーも、みんななくなってしまった。
「東京は、どんどん変わるのがいいんですよ」
小西は最近、タクシーの運転手からそう言われた。
「僕は合理主義の名のもとにどんどん変わっていくことに、反対の気持ちがずっとあるんです。でも運転手さんみたいな考え方もあるんだなって。最近そういう何気ない一言で、まったく逆の言い方もあるんだと気付かされることが多いですね」
東京タワーにほっとする
変わるものと、変わらないもの。
小西が監督したオリジナルのミュージックビデオに登場する東京中央郵便局は38階のJPタワーに建て替えられ、銀座の街にも多くの外国人観光客が行き交うようになった。
MVで象徴的に使われた東京タワーは、野宮が東京で一番好きな場所だ。電波塔としての役割はスカイツリーに譲ったものの、いまなお東京のランドマークであり続けている。
今回の新録版「東京は夜の七時」は、東京タワーの開業60周年記念ソングでもある。「渋谷系ソングブック」と7インチシングルのジャケットにも、東京タワーの写真をあしらった。
野宮は言う。
「昔よく海外ツアーに行ってましたけど、成田空港から戻ってきて車窓から東京タワーが見えると、ああ帰ってきたって、ほっとするんです。変わらないものって安心するじゃないですか」
今回は「会えた」気がする
ニューバージョンのMVの監督は、映像ディレクターの柿本ケンサク。
再開発で変わりゆく渋谷を舞台に、野宮のお面をかぶった25人のダンサーが、彼女がこれまで身につけてきた衣装を着て踊る。現在と過去が交錯する内容だ。
「『東京は夜の七時』って、別に渋谷っていう言葉は出てこない。でも、私はなんとなく渋谷をイメージしちゃうんですね。小西くんは(オリジナルの)MVで銀座を撮ってたから、もしかしたら銀座のイメージだったのかもしれないけど」
オリジナル版で、「早くあなたに逢いたい」と歌われたカップルが実際に会えたかどうかは定かではない。
「東京は夜の七時」の1年後を描いた「one year after」バージョン(アルバム「overdose」収録)は、出会えず終いの悲しい結末を想起させるものだった。
「1993年のオリジナルは、もしかしたら会えなかったのかな?っていう、ちょっと寂しい感じもなきにしもあらず。だけど今回のアレンジは、ハッピーエンドになったような気がして……。2人は会えたんじゃないかって、私は思ってます」
互いをリスペクト
解散後も野宮が小西に訳詞を依頼したり、小西のステージに野宮が飛び入り参加したりと交流を続けてきた2人。互いをどのように評価しているのだろうか。
今年の6 月、「素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事 1986-2018」に際してのインタビューで小西はこう話していた。
「野宮真貴さんは、とにかく声がいい。小泉今日子さんとは違う意味で、やっぱり僕の理想のボーカリストだったんですよね」
「野宮さんのあの声は、ある時代の東京のアイコンだと思いますね。僕にとって、重要な曲を書かせてもらった一人です」
一方の野宮も、小西への敬意を隠さない。
「やっぱり、小西くんと出会ってピチカートをできたのが、私の歌手人生のなかで最も大きいことだし。当時から、小西くんは世界で一番カッコイイことをやってるって思ってましたから」
「渋谷系のルーツの音楽だとか、60年代のフランス映画だとか、いいものをたくさん教えてもらいました。レコーディングの時にアナログや写真集、ファッションの本なんかを持ってきて、『それいいよ、聴いてみれば』って、さりげなく薦めてくれて」
再結成はあるのか
久しぶりのレコーディングも実現し、次はいよいよピチカート・ファイヴ再結成か? と色めき立つファンも少なくない。
6月の小西への取材時に、それとなく水を向けると「お金を積まれればやります! ちょっとやそっとの額じゃないですよ(笑)」と冗談交じりにはぐらかされてしまった。
野宮も「どうなんでしょう。それは私にもわかりません。ただ最近、しょっちゅう会いますね」と言葉を選びながら話す。
今回の取材では、同じ会場で時間を変えて小西と野宮に別々にインタビューしたのだが、入れ替わりの際に2人がすれ違う瞬間もあった。
決して饒舌に言葉を交わすわけではない。それでも、はにかみながら会釈し合う2人の姿からは、音楽界で長年一線を走り続ける「同志」としての強い信頼感がうかがえた。
「東京は夜の七時」の歌のなかで四半世紀ぶりに出会えた恋人たちのように、2人がピチカート・ファイヴとして「再会」する日は来るのだろうか?
――野暮と知りつつ、ついつい想像をめぐらせてしまうのだった。
〈こにし・やすはる〉 1959年、札幌生まれ。作編曲家。1985年にピチカート・ファイヴとしてデビュー、2001年に解散。アーティストのプロデュースやドラマ・映画の楽曲制作、DJなど幅広く活躍。海外でも高い評価を誇る。著書に『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』(朝日新聞社)など。初期作品や他アーティストへの提供曲などをまとめた5枚組BOXセット「素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事 1986-2018」が数量限定で発売中。
〈のみや・まき〉 1960年、北海道・音別生まれ。ピチカート・ファイヴの3代目ボーカリストとして「渋谷系」のアイコンに。解散後もソロとして活動し、2013年より「野宮真貴、渋谷系を歌う」シリーズを計5作発表してきた。ニューアルバム「渋谷系ソングブック」は同シリーズの楽曲を選りすぐったベスト盤。ファッションリーダーとしても活躍し、『おしゃれはほどほどでいい』『赤い口紅があればいい』などの著書がある。新作の電子書籍『おしゃれかるた』も発売中(いずれも幻冬社)。