Googleの知られざるCEO、スンダー・ピチャイを探して

巨大企業を動かす男の素顔

    Googleの知られざるCEO、スンダー・ピチャイを探して

    巨大企業を動かす男の素顔

    テクノロジーの祭典「The Consumer Electronics Show (CES)」は荒涼としたネバダ州の砂漠の街・ラスベガスで毎年開催される。喧噪、画面、説明するスタッフ、自動車、ドローン、ガチャガチャ音を立てるロボットが所狭しと展示されているコンベンションセンターに、17万人もの来客が詰めかける。その中にGoogleのCEOであるスンダー・ピチャイはいた。

    ピチャイは43歳。長身。やせ形で、服装はカジュアルなことが多い。今日はVネックのセーターを襟付きシャツの上に着て、ジーンズを履き、四角いフレームのめがねをかけている。少し白髪交じりの髭は、手入れされている。ぱっと見た感じ、その他大勢のCESの来場者たちと変わらない。モーション・シミュレータに乗り、ホール中のお祭り騒ぎの喧噪のなかで自分の声が届くように調整する。彼にとってはスリリングなことだ。このモーション・シミュレータでは20人ほどがVRヘッドセットを頭に付け、可動式のシアター・チェアに座って体験する。

    「CESの良いところは、すごく大勢の人が集まっているので、目立たずに済むところ」とピチャイは言う。

    確かにその通りだ。製品技術の世界で、長きに渡りビジョナリーとして尊敬を集めてきたピチャイは、お忍びでCESを見て回る機会を楽しんでいる。ピチャイは今やFacebookのマーク・ザッカーバーグやAppleのティム・クック、そしてAmazonのジェフ・ベゾスと並ぶテクノロジー業界幹部のエリート。新たなアメリカの実業家たちの世界的な影響は、例えてみれば、USスチールやスタンダード・オイルでさえ、小さなものに見えてしまうくらいだ。2億ドル(約200億円)の株式による収入にも関わらず、ピチャイは、まだまだ知られざる存在だ。

    もしクックやザッカーバーグが、CESの展示フロアを歩いていたら、人々が殺到してくるだろう。ピチャイは、まだそこまでの存在ではない。その日の午前中、ピチャイは名前のバッジを裏返しにして、ガジェットを見て回っていた。スマートロックからスマートライト、靴に入れるスマートインソール。Samsungのスマート冷蔵庫のデモ担当者が、彼のバッジに手を伸ばし、「プレスの方ですか?」と聞いた時は、面倒なことになってもおかしくなかった。しかし説明員は、ピチャイの名前を見ても何も気付かない。「それで、この冷蔵庫は何ができるの?」。よく見る光景が繰り返された。

    今は目立たないようにしているが、今後は難しくなるだろう。ピチャイがGoogleのトップに昇格したのは8月のこと。新たな持ち株会社「Alphabet」を設立する組織改編に伴う人事だった。インターネット関連の事業はGoogle傘下に維持しつつ、「硬直化」して死に至ったバイオテックのCalicoや、ドローンによる自動飛行配達サービスのWingなど、まだ実体が固まっていないベンチャーを、Alphabetの子会社としてGoogleから分離した。

    Googleの昨年の年間売上高は745億ドル(約9兆円)。Alphabet傘下で、最大かつ唯一利益をあげている事業だ。事実、Googleは10億人以上のユーザーを持ち、7つの異なる製品を持つ。検索、Gmail、YouTube、Android、Chrome、Maps、そしてアプリとメディアの自販機とも言えるGoogle Play Storeだ。

    Googleの成長は常に議論の的だ。エドワード・スノーデンが明らかにしたPrismと呼ばれるNSAのプログラムとGoogleは密接に関わりがある。GoogleはNSAに協力していたと世界中の人々が疑った。Googleは一貫して、システムへのアクセスをNSAに許可した事実はない、との立場をとっている。社員の通勤にために出しているバスは、収入格差の象徴として路上で妨害を受けている。検索結果から好ましくない項目を削除する市民の権利(忘れられる権利)や、競合に先んじて自社製品を表示している疑いをかけられ、独占禁止法違反かどうかをめぐってヨーロッパの各国政府と争うことになった。中でも2014年のGoogle IOデベロッパー・カンファレンスのキーノート・プレゼンテーションの途中で、Googleに抗議する人が立ち上がり「おまえが勤めているのは、人間を殺す機械を開発する全体主義の企業だ」と叫んだことは印象深い。

    以前のGoogleは違った。90年代のウェブの理想主義的な原則を掲げていた。2004年のIPO時の手紙の中で、設立者たちは「邪悪になるな」と書いている。Googleはユーザーの役に立つためにある。探しものを検索し終われば皆、出て行く。

    Googleのミッションは世界中の情報を整理すること。検索でライバルはいない。Gmailはメールを管理するのに最高のツールで、Googleフォトは何千枚もの写真をまとめ、どの写真に誰が写っているかすぐわかる。

    こうしたことを実現するには、膨大な量の情報が必要だ。Webページからだけでなく、ユーザーからも。あなた自身も今この瞬間、データを山ほど持っている。例えば、現在位置、年齢、移動手段、性別、ブラウザー履歴、心拍数、人種、IPアドレス、ブラウザー、OS、頸管粘液、コレステロール・レベルといったものだ。集めたデータを、Googleは有意な情報に変換する。そして、さらにより良い答えをユーザーに提供しようと、またデータを集める。Googleが機械学習に力を入れれば入れるほど、人間はGoogleに決定権を譲り渡すことになる。

    なぜ、GoogleのAIであるAlphaGoが、囲碁で世界最高の棋士を破る一手を選べたのか? 誰一人として、本当はわかっていないというのが正直な答えだろう。Googleは邪悪ではないかもしれない。だが、気味が悪いことは否定できない。

    Googleは今、「次の10億人」のユーザーを獲得すべく、疾走している。ターゲットは、発展途上国。GoogleのAndroid端末を使って、初めてネットにつながる人々だ。GoogleはNSAにべったりな企業であり、現代の東インド会社として認知されることになるだろう。

    曖昧な、だが差し迫った不気味さ。そして世界へビジネスを広げようとする野望。Googleのこの立ち位置こそが、ピチャイが今、経営者として理想的に見える理由なのだ。前CEOであるエリック・シュミットとラリー・ペイジは、人間味や共感を呼ぶ雰囲気を持ち合わせていなかった。しかし、ピチャイに対しては、毎晩子供達がベッドに向かうように、どういう約束をしてきたか、というようなことを聞くのだ。


    他人に知られたくない情報にはいくつか種類がある。「ユーザーが簡単に『自分は情報を公開せず、プライベートなものにしておきたい』と意思表示できるようにシステムを設計する必要があります」と、ホテルでアボカドペーストをつまみながらピチャイは話す。彼は、Googleのイメージを変革できるのか? Googleをかつてのように、愛される企業にできるのか?

    ピチャイのテクノロジーに対する考えを、Googleのバーチャル・リアリティ部門のクレイ・ベイバーはこう評している。

    「思慮深くあろうとし、人間に重きを置き、課題について考え、目標が実現するように会社をリードする。他の誰でもなく、彼がGoogleのCEOで本当に良かった」

    逆に、スンダー・ピチャイがCEOとなり、Googleが悪くなることはあり得るのだろうか?

    11月。冬の季節風がインド南東の沿岸部に吹き込む。いつもの年と違うこともあった。ひどい嵐がチェンナイを襲い、市街は洪水となった。非合法のビルや近隣の湿地帯が破壊され、洪水対策ができていなかったために何週間にもわたり浸水が続いた。300名を超える命が失われ、被害は30億ドル(約3000億円)と推定された。ピチャイの家族も被害を受けた。

    「祖母は洪水の被害を受けた」。12月の暖かい日、デリーの渋滞を避けながら、走るバンの後部座席でピチャイは話した。祖母は、叔母と一緒に住んでいた。雨が降り始めるとビルの2階に移った。水も電気も携帯電話の電波も届かない状態で4日間も取り残された。いとこが雨水を集め、飲み水にした。この4日間、世界中の誰より多くの情報を収集する企業のCEOは、自分の家族に何が起こっているか知ることができなかった。洪水の数週間後、ひさしぶりにピチャイはインドを訪れた。

    「インドに帰ってくるといつも感傷的になる」と数千名の学生が待つ講演会場のスタジアムに向かう途中で、ピチャイは言う。

    ピチャイは、チェンナイの2部屋しかない家で育った。兄弟は、リビングの床で寝た。「両親はいろんなことを犠牲にしていた。教育が常に最優先だった」。「機会に恵まれたことに幸運を感じるし、それは謙遜でも何でもなく、どんなに大変でも、教育を受けさせると両親が決めていたからだ」

    インドの生活水準からすれば、子供の頃のピチャイの生活は恵まれていた。父親はエンジニアだったので、教育を受けることができた。一家にはスクーターを購入できる十分な金があった。時々、家族全員でスクーターに乗った。

    しかし幸運に恵まれない人も、たくさんいる。「家の外には『夜警さん』がいた」とピチャイは回想する。「その人は家の外で毎晩眠っていた。ホームレスと思ったことはないが、その人には家も家族もなかった。自分がどこでどのようにして生まれたかも知らなかった」

    今、ピチャイはボディーガードやアシスタントと旅をする。車のクラクション、ちょこまかと走るトゥクトゥク、路上の屋台、巨大な風船を売ろうとする露天商。インドの風景だ。ピチャイは回想する。

    「子供の頃、夜、家に帰ると犬がいて家に入れなかった。仕方がないから屋根に上って、屋根伝いに移動しようとした。でも、犬が吠えながらずっとついてきた」

    ボロボロの旧市街と、急速に近代化する風景が同居するデリーの街。渋滞の中クルマを進めると、Googleのスマホ「Nexus 6P」の大きな広告看板が目に入る。デリー中のあちこちに、デリーの外にもある。空港でも目にする。iPhoneは、インドでほとんど見かけない。Appleの市場シェアは2%に満たない

    一方、Androidはインド市場の64%ものシェアを誇っている。そして2016年には、Androidは始めてインド市場の販売額でアメリカを超えるとGoogleは予測している。スマートフォンは、アメリカでは、ほぼ飽和状態だ。成人人口の70%、20代の86%が少なくとも1台は所有している。それに対しインドではまだ普及途上。人口の26%しかスマートフォンを所有しておらず、その26%がインドにおけるほぼすべてのインターネットユーザーという状況だ。だがこれもあっという間に変わるだろう。Nexus 6Pのような高機能のハイエンド端末だけでなく、無名のメーカーによる安価なスマホの爆発的普及、そしてインフラ整備が背景にあるからだ。経済発展するインドにおいて、Androidの市場シェアを確固たるものにすること。これはピチャイの課題だ。

    インドでパソコンは普及しなかったと、ピチャイは言う。「Androidをベースにした安価なスマートフォンと、インターネットがつながりやすくなったこと。この2つの組み合わせが、インドに光をもたらしてくれる」

    Androidは文字通り、変化を作り出している。Androidを採用すれば、世界中のどのメーカーでもスマホの大きさや形状、価格をカスタマイズできる。550ドル(約6万円)するNexusの看板がデリーには溢れているが、同時に40ドル(約4000円)以下で手に入るLava Atom Xのようなスマホもある。だから、世界を変えることができる。ピチャイはそう考えている。

    「数百年前は、情報にアクセスできる人は、ほんのわずか。情報は基本的に、権力者の手中にしかなかった。印刷機のようなシンプルなものが、多くの人に本を届けた。あらゆるテクノロジーの進化は、世界をフラットにする。そこに心を惹かれるのだ」

    しかし、安価なインターネット接続がなければ、安価なスマホも意味を持たない。インドの回線速度は遅く、混んでいる。地方では全く電波が届かないこともある。だがこの状況もGoogleやFacebookといった企業の努力によって変わりつつある。

    Facebookがインドで押し出しているのは「Free Basics 」というプログラムだ。Free Basicsは天気予報やWikipedia、Facebookといった一連のサービスを、データプランを消費することなくアクセス可能とするものだ。しかし、コンテンツによって料金を変えるのをインド政府が規制したため、FacebookはFree Basicsの提供を止めざるを得なくなった。

    Googleは別の道を選んだ。スマホ側でデータの使用量を削減すること、そして無償の帯域をユーザーに提供し、使いたいサービスをなんでも使えるよう、課金体系を分けた。「インドで求められている仕組みはアメリカに似ている」とピチャイは話す。「より多くのデータ通信量が使えて、安くする。さらに努力が必要だ」

    Googleは1月、インドの鉄道駅で無料Wi-Fiの提供を開始した。ムンバイから始め、年内までに100カ所の駅、1千万人のユーザーを目標としている。ゆくゆくは400カ所まで拡大するのが目標だ。

    速度の遅いネットワークや、全く接続されていない状態でもスマホを使えるようにしようという取り組みもある。地図をあらかじめキャッシュし、インターネット接続なしでもナビが使えるようにする試みや、同じタスクでも必要とするデータ量を少なくするといったことだ。

    Googleはインドの地域言語への対応にも力を入れている。ヒンディー語はインドで最も広く話されているが、4億人のネイティブ・スピーカーは13億を超える人口の一部でしかない。インドの次の3〜4億人のインターネットユーザーは、地域言語を母語とする人々だとGoogleは考え、11言語に対応した。

    「私の母国語であるタミル語で一番の新聞の発行部数が、ニューヨーク・タイムズより多くても、少しも驚きません」とピチャイは話す(事実、タミル語で最大の日刊紙は170万部であり、ニューヨーク・タイムズは62万6千部である。その次に大きなタミルの日刊紙の発行部数は120万部だ)。「多くの人が、切り捨てられている。インドでユーザーを3億人から10億人に増やすには、地域言語が必須だ」

    これは、インドの女性たちがインターネットを使うことも意味する。ピチャイは、このことを、とても個人的な問題としてとらえている。

    「母親は経済的な理由で高校を中退したが、学校の課題で難しいところがあると、私はいつも母親に相談していた」とピチャイは話す。「彼女に能力があり、それが役に立つものであることを、私は知っている。ただ、教育を受けることができなかったため、その能力を十分に発揮できずにいる。女性のインターネット利用者は全体の1/3以下でしかない。しかも、その数字は地方では断然、低くなる。地方の女性のインターネット利用の普及促進は、絶対に必要なことだ」

    Googleには、インドの地方に住む女性たちのインターネット・リテラシーを高めるためのプログラム「Internet Saathi」がある。プログラムでは、女性を雇い、Android携帯とタブレットを持たせ、バイクで地方の村に行ってもらう。そして村の女性に、スマホの使い方を教える。Googleでは2018年末までに、インド中の30万の村で実施しようと計画している。

    「インドの地方の女性の大半は、インターネットと自分たちは無関係だと思っている」とピチャイは続ける。「インターネットは夫や父親や息子や兄弟のためのものだと思っている。しかしインターネットの画面を見せ、自分でクリックさせてみると、自分たちのためのものだとわかる。ある人にとっては、それは野菜の値段がスマホで確認できること。西洋の世界に住んでいると、テクノロジーは常に変化しており、その変化も連続している。変化は常に起こるのが当たり前だと思っている。だが、一歩引いて見ると、テクノロジーがどんなに大きく暮らしを変化させているか、ということに気付くのだ」

    私たちが乗っていたバンは、ブロックが崩れかけた壁に挟まれた狭い道に入った。道ばたには、何もせずに立っている男性たちがいる。バンがデリー大学のスタジアムの外に到着すると、ドアが開いた。ピチャイは外に降り、歓声に迎えられた。

    バックステージで準備をしているピチャイは、珍しく緊張しているようだ。繰り返しため息をつき、少し言葉を交わす間に、ぼんやりと床や壁を見つめていた。

    アメリカでは、ピチャイは有名になり始めたばかりというところだ。しかし、インドでは、有名経営者で国の誇りなのだ。「ピチャイがGoogleのCEOに指名されたとき、人々は街中で文字通りクラッカーを鳴らした」と、インド紙「ヒンドスタン・タイムズ」で以前テクノロジー分野の記事の編集を担当していたプラナブ・ディクシットは話す。「特にチェンナイでは大騒ぎだった」

    ピチャイが2000名の学生でいっぱいのアリーナに入ると、歓声に包まれた。ピチャイは一時間かけて、高校時代のテストの点数からキャリアのアドバイスまで、いろいろな質問に答えた。その日の一番大きな拍手は、なぜこれまでインドのデザートにちなんで名付けたAndroidのコードネームがなかったのか、という質問に答えたときだった。Androidには、アルファベット順にデザートの名前がついている。Kはキットカット、Lはロリポップ、そして現行バージョンのMはマシュマロだ。

    「たぶんオンライン投票をして、インドのみなさんが全員投票したら……」とピチャイは話した。翌日、この発言はインド中の新聞の紙面を飾った。

    スタジアムを後にし、バンに戻ったピチャイは、見るからに疲れ切っていた。ホテルに戻り、すぐに青いセーターと黒いズボンを脱いでスーツに着替え、インドのモディ首相との非公開の面会に向かった。その後は、旧インド総督の宮殿で、いまは大統領官邸となっている「ラシュトラパティ・バーワン」に移動した。

    この夜、ピチャイを迎えたレセプションは、数十年にわたるインドの政治の重鎮であるプラナブ・ムカルジー大統領の主催だった。そこで、ピチャイは、テクノロジーや教育の関係者と一堂に会し、いかにしてテクノロジーを通じてインドの教育を改善するか議論した。

    部屋が静まり、大統領が入ってきた。そして2時間ほど、意見交換が続いた。大統領は終始表情を崩すことなく動かずに座っていた。最後に口を開くまで。

    「ここには、話をするためでなく、勉強のために来た」と大統領は言う。「私が知っていることは、新しいインドが出現しつつあるということだ」大統領は国中の700を超える大学を引き合いに出した。「インドは世界で最も歴史ある文明です。誰が新しいインドを創るのでしょうか?」その「答え」は、大統領の向かいに座っていた、スンダー・ピチャイ、その人だ。意欲的で、人の話に耳を傾け、そしてこのつまらなく長い時間中ずっと笑顔を絶やさずにいた人物だ。

    「これは大きな動きです」とピチャイは言う。「インドにとって、新しい出来事だ。普通、こういう場に来るのは業界のリーダーだけだが、今回はスタートアップの人間も宮殿に来た!」ピチャイは大きな笑顔を作り、両手を上げ、周りを見渡し、食事を始めた。

    数分後、小さな白のディーゼル車のUberが宮殿の門の外側に到着し、夜の空気に震えるアメリカ人を連れていった。言葉の壁があるにも関わらず、運転手はどこに迎えに来て、目的地はどこか、きちんと分かっていた。これも、ダッシュボードに置いている安価なAndroidスマートフォンのお陰だ。Google Mapsの一部としてデジタル化されたインドの古代都市の道路を、小さな青い点が、進行方向に向かって進んでいくのだ。

    すがすがしい2月の朝。ピチャイは「今朝、重力波の検出についての発表があって、とても興奮した」という。自宅のドアを開けながら、飛び上がって、大きくうなずいた。アインシュタインの理論が証明されたのだ。

    「この発見は本当に重大で、衝撃的だ。アインシュタインが重力波について書いたのは100年以上前。彼の頭の中だけにあった理論だ。彼はたった1人でそれを考えた。私は午前中、ずっと重力波を理解しようと勉強していた」

    ピチャイの自宅は、米カリフォリニア州、シリコンバレーのサンノゼのすぐ北西にあるロス・アルトス・ヒルズという高級住宅地だ。どの家にも前庭にブドウ畑とソーラーパネルがある。いつも晴れていて美しい場所だ。

    ピチャイの自宅はアメリカでトップクラスの高給を得ているCEOの自宅としては、驚くほど質素だ。道路の突き当たりにある5ベッドルームの家で、テニスコートが脇にある。郊外の住宅街で目立つようなものではない。しかし、一番目を引くのはエントランスホールの床だ。

    玄関を入ってすぐの床は、色のついたテープを使って長さ1.5メートル、幅1メートルほどの長方形の格子状の模様になっている。これは9歳の息子が作ったミニチュア版の室内サッカー場で、2人で遊ぶのだそうだ(ピチャイには13歳になる娘もおり、妻はインドのIIT大学でエンジニアリングを学んでいるときに出会った)。「ルールはいつも違うよ」とピチャイ。「いつも彼が勝つようにしている」

    仕事でも、ピチャイは同じやりかただ。Googleで昇進した理由は、公平性や、他人の成功を願うという考え方で説明がつく。ピチャイの最初の仕事はGoogle Tool Barだった。これはブラウザの拡張機能で、インターネット・エクスプローラーの中からGoogleで検索できるようにするものだ。そこから、ピチャイは新たなブラウザーであるGoogle Chromeを開発するという、当時としては難度の高いミッションに乗り出すことになった。

    今日、Chromeはシェアの高いブラウザーになった。これによりGoogleはChrome OSに向かうことになり、同社を新たな市場へ後押しすることになった。これは、一見するとわかりにくいのだが、先を見通した非常に優れた戦術的な動きだった。

    Chromeを担当したまま、2013年、ピチャイはAndroidも引き継ぐ。つまり、Googleの主力オペレーティングシステムの両者を監督することになった。複数の幹部がピチャイの事業運営を賞賛した。

    Androidは、Googleが将来にとって非常に重要だと認識しながらも、社内的には問題事業部と見なしていたものだった。GoogleはAndroidをその初期に買収した。Androidの生みの親であるアンディー・ルービンは、買収後も、Android部門を統括しており、Google社内でほぼ完全な別会社として運営されていた。ピチャイは、AndroidをGoogleと一体化させ、恐らく10億人にとってインターネットとの最初の接点となるAndroidを、Googleに近づけた。

    「ピチャイがAndroidのトップとなったとき、Androidは離れ小島という評価を受けていた」と、MapsとLocalを担当するジェン・フィッツパトリックは話す。「ピチャイの下で、他部門との連携や協力のレベルが深くなり、目に見えて変化した」

    Android初期について、「Googleは検索の会社だった」と、Googleのヒロシ・ロックハイマー上級副社長は振り返る。ロックハイマーは、ルービンがAndroidに取り組む上で最初に雇った従業員で、買収を機にGoogle社員となった(今、ロックハイマーはAndroidとChromeを担当している)。「アンディーがAndroidをやめたとき、ピチャイが上司になり、Googleの要素を持ち込んだ。逆に言えば、AndroidをGoogleに持ち込んだとも言える」

    だが全員がピチャイのファンというわけではない。元Googleの管理職でピチャイの部下だった人物は、政治スパイと評する。「ピチャイは最高のミーティングをする」とこの元社員は言う。「スーザンやマリッサやオミッド、エリックとですら足並みを揃えることはなかった」とGoogleの大物エグゼクティブ(と元CEOで現会長)を引き合いに出して話す。「ピチャイはいつも折衷案を取る。そういう人が本当に何かを考えてると思う?」

    悪い面と良い面は、結局、同じことだ。ピチャイは、 つまらないけど会社に忠実な人物で、シリコンバレーで良くもてはやされる機知に富んだタイプの人物ではない(事実、マリッサ・メイヤーやアンディー・ルービンなど、その手の人材は、近年Googleを辞めている)。そして頭の回転を最重視するGoogleにおいて、ピチャイは天才と評されることが多い。頭の切れる自説を曲げない人を説得できるという、リーダーとしての優れた資質があるからだ。

    「Googleは、能力のない人間を受け入れない」と、シーザー・セングプタは12月のGoogleインド・カンファレンス中にホテルで話した。スングプタはGoogleの「次の10億ユーザー」チームを統括しており、2007年からピチャイの下で働いている。「ピチャイは同じチームからCEOに昇格しましたが、チームのみんなは今も彼と一緒だ」

    「ピチャイは忠実な人たちを引きつけ、そういう人たちはみんな彼のことが本当に好きだし、お互い好きなのだと思う。だから、政治を気にしなくてもよい文化を作った。ピチャイは大企業的ないろいろについて、我々が気にしないで済むようにした。我々はただ良い仕事をすることに集中すればいい」

    実際、ピチャイを取り巻くチームは非常に忠実だ。例えば、ベーバーはピチャイから学んだことをドキュメントにまとめている。(「品質を常に大事にすべきだ。品質の良い製品を出荷するために、納期を遅らせなければならないなら、遅らせればいい」というようなものだ)

    理不尽と思えることに挑む際にもこの誠実さは変わらない。2014年までに、ピチャイはGoogleの全製品の責任を負うようになり、その一方で、ベーバーは後にGoogle Cardboardの前身になるものに取り組み始めた2014年のことだ。Google Cardboardは、ボール紙とベルクロと磁石を使ったLow-Fiのガジェットで、電話の画面をVRヘッドセットにしてしまうものだ。ピチャイは、ベーバーを執務室に呼び出し、Google Cardboardのデモをさせた。ピチャイは非常に感心し、8週間半後に予定されている同社の大きなデベロッパー・カンファレンスであるGoogle IOでその製品を市場投入して欲しいとベーバーに伝えた。開発サイクルの観点では、それは全速力でダッシュするようなものだ。

    「ピチャイは『OK、クレイ、頼みましたよ』と言い、その後、8週間半、私やGoogle Cardboardには目を向けませんでした」とベーバーは話す。計画は、折りたたみ式のボール紙のビューワーを、全参加者に配るというものだった。しかし前日の夜11時、ピチャイは違うアイデアを思いついた。バッグに入ったボール紙が何なのかを、参加者が理解せず、捨てられてしまうのではないかと心配したのだ。「ピチャイは『ステージ上で発表したいんだけど。本当にクールだと思うんだよね。そうできないかな?』と言ったんだ」

    ベーバーと運営チームは、キーノートが終わって、参加者が会場を出る時に渡すよう、徹夜で11時間かけ、1万個のGoogle Cardboardをバッグから取り出したのだ。

    「ピチャイはステージに立ち、この製品を発表した」と、ベーバーは話をしながらにこりと笑い、椅子の上で少し跳ねた。「そのとき、彼はまだ製品の最終版、というかソフトウェアの最終版を見ていなかった。それほど、絶対的に信頼してもらっていた」

    シリコンバレーの優れたリーダーは、3つのタイプに分類できる。エンジニアリング、ビジネス、そしてプロダクトだ。

    エンジニアタイプは革新と発明をリードする。動くものを作るのだ。Facebookのマーク・ザッカーバーグは典型的なエンジニアで、ハッカー精神で会社を立ち上げた。

    ビジネスタイプたちはいわゆる破壊者であることが多い。供給や流通を再考し、冷酷無比に取引し、市場を独占する。このタイプにはAppleのティム・クックがいる。クックは中国のサプライ・チェーンのパイオニアで、Appleを財務的に強い企業に発展させた。

    プロダクトタイプは、どうすれば便利なだけでなく、優れていて美しくなるかということに注力できる人のことだ。このタイプは、エンジニアリングを人間らしさに昇華させることができる。スティーブ・ジョブスが究極的なプロダクト・タイプの人物だ。

    だがFacebookやAppleやGoogleのような巨大企業の経営には、ここに挙げた3つだけではなく、複数のスキルセットが必要になる。

    ピチャイは明らかにプロダクト・タイプの人物だ。ピチャイのリーダーシップのもとでAndroidは開花した。カスタマイズは可能だが見た目はいまいちだったインターフェースを、美しく優美なものに昇華した。Chromeは、ブラウザーを、どれだけ速く動作し、目に見えない存在になれるか、再定義した。Googleフォトは、写真の管理や表示方法をスマホ時代に合わせたものに変えた。いまでは、ピチャイは製品にフォーカスするだけでなく、Googleの巨大広告事業も管理している。

    「私にとってプロダクトの魅力は、複雑なものを、還元主義的な、単純なものに昇華することができた時だ」と、彼は言う。「私にとって、検索がその方法だった。中身はとても複雑だが、ほとんどの人にとって、ただのシンプルな検索ボックスだ。シンプルさを表現するのは難しいことだが、作ることができれば、いつでもユーザーはそれに応えてくれる」

    ピチャイは今、Googleという会社を一つのプロダクトとして考えている。「Googleという文脈の中でも、シンプルさについてよく考える。大きなものは、どうしても複雑になる。それは自然な成り行きだ。あなたならどうやって単純にする? 難しい問題だよ」

    Alphabetの広告事業の責任者であるだけでなく、Googleで彼は情報のすべてを組織化するインターネット・ビジネスの責任者でもある。

    「子供ができて、自分が変わったのとよく似ている。インドにいても、以前の私は今のように深く考えることはなかった。今は自分の一部である子供がいます。そうなると、もう自分の人生は、自分のものだけではないと感じるでしょう? それを仕事中に感じる。世界中にころがっているチャンスを、ちゃんと懸命に使えるようにしなくてはならない、という責任感を感じる」

    そして、彼の肩書き(それに資産)が増えるにつれ、多くの人が、答えようのない質問に対する答えを彼に求め、頼るようになる。彼自身がそのことを快く思っているかとは関係なく。

    Googleが最新の四半期決算を発表したとき、ピチャイがおよそ2億ドル相当の株式を含む報酬を得ていることが明らかになった。ピチャイに、その金額を受け取る資格があると思うかと尋ねると、まだ定義ができない財産だと返ってきた。「社会に還元する方法を見つけるためにじっくり考える時間を取っている」

    「これは私がしたいことでない、と感じる日がいつか来る。その時、どうやって還元すべきか考える次のステップに踏み出したいと思う。私はいつもこんな風に思い描いてきた」

    あまりはっきりしていないとしても、なんとなくすべてうまく行く感じする。それが、私から見たピチャイ像だ。彼はまじめで、思慮深く、楽観的だ。3ヵ月という時間の経過の中で、私はインドとラスべガスとカリフォルニアで、彼と時間を過ごした。

    私たちは、コンベンション・センター、スタジアム、会議室、車、ホテル、宮殿、そして彼の家で話した。 どの質問にも、彼は決して答えることを拒否しなかった(非公式に答えるだけとか、かわすことが2、3度だけあった)。 ある時には、彼は娘へのクリスマスプレゼントのメモさえ見せてくれた。(それはひどく控え目なものだった)。彼は、未来に魅了されている男だ。彼との会話は、しばしば科学理論の話題になった。彼が読んでいる本 (Being Mortal, The Wright Brothers)や、一般的に言って、大きなアイデアの話だ。しかし、細かいことも楽しんでいる。カメラのシャッターがたてる音や、ノートPCを開いてから使えるようになるまでにどのくらいの時間がかかるか、といったことだ。Googleの株主より、Google製品を使っている人々を気にかけているようだ(収益について議論しているときでさえ、株主について語るのを聞かなかった)。彼には思いやりがあり、優しく、親切で、公平だ。彼は、クリケットが好きだ。それにガジェットも。そして、あきらかに自分の子供たちのこと好きで、絶えず子供たちの話をしている。ベジタリアンだ。彼について、これほどのことを知っている。しかし、彼が誰であるかにという問いへの答えに、近づいているのだろうか?

    2月、アメリカで起きた銃撃事件に関して、容疑者が持っていたiPhoneのロック解除に手を貸すよう、FBIがAppleに要求し、プライバシーと暗号化について議論が起こった。Googleは法廷助言書という形でライバル企業に支持を表明し、ピチャイはTwitterでもAppleを支持した。 しかし、彼の言葉はとても用心深く、とても少なかった。そのため、支持を表明しているにもかかわらず、彼が実際のところどういう立場にいるのか、理解するのは難しかった。

    誰かが、巨大企業Googleを経営し、多くの製品・サービスのマネジメントをしなければならない。発展途上国への展開や、情報の管理もだ。そう考えると、私は、ビーバーと同じ気持ちだ。ピチャイがGoogleのCEOであることが、私はうれしい。それでも、Googleに日々提出している自分の情報について、私の心の奥深くには、相反する二つの感情がある。Facebook、Apple、Amazon、サムスン、マイクロソフトなど、情報を通して世界を支配しようとしている、世の中のすべての企業に対しても。


    アップデート

    「プログラムでは、女性を雇い、Android携帯とタブレットを持たせ、バイクで地方の村に行かせる」を「行ってもらう」に一部表現を修正しました。