「幻の戦闘機」震電とは?
「幻の戦闘機」と呼ばれる震電は、太平洋戦争末期の1944年に開発が始まりました。高度約1万メートルを飛行できる米軍の新型爆撃機「B-29」を迎撃するのが狙いです。高度1万2000メートルまで上昇可能、最高時速は740キロ以上という驚異的なスペックが要求されました。
震電の最大の特徴は「エンテ型」と呼ばれる特異な形状です。一般的な機体ではプロペラが機体の前方にあるのに対し、震電では機体の後ろにプロペラがあるのです。
エンテ型では前翼が主翼以上に効率良く揚力(機体が浮く力)を受け持つため、主翼の面積を減らすことができます。
これによって空気抵抗を減らし、最高速度を上げる狙いがありました。またエンジンが機体後部にあることで、機首に30ミリ機関砲4門という重装備を可能にしています。
軍事ライターの松代守弘さんは「その攻撃力は日本戦闘機史上最強といっても過言ではなかった」と『歴史群像』2007年8月号(学習研究社)のレポートで書いています。
試験飛行に成功するも終戦。試作機は米国へ
戦果が大いに期待された震電ですが、1945年8月初旬に計3回の試験飛行に成功したところで終戦を迎えました。
設計を担当した日本海軍の鶴野正敬(つるの・まさよし)技術少佐は戦後、以下のように振り返っています。
「開発がもう一年早ければ、B29の迎撃に相当の威力を発揮したのではなかろうかと思うと、残念である」(『海鷲の航跡ー日本海軍航空外史ー』原書房)
震電の試作1号機は終戦直後に米軍が接収。1945年10月の船便で米国に移送されました。スミソニアン博物館に機首が展示されています。