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『ゴジラ-1.0』で大活躍! 幻の戦闘機「震電」のプロペラが後ろにあるのはなぜ?

設計を担当した鶴野正敬氏は「開発がもう一年早ければ、B29の迎撃に相当の威力を発揮したのではなかろうかと思うと、残念である」と戦後、振り返っていました。

11月1日午後9時から、日テレ系の金曜ロードショーで『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が放送。2023年の国内の実写映画で興業収入1位、世界的な評価も高く、第96回アカデミー賞は、邦画・アジア映画史上初の視覚効果賞を受賞した傑作です。

終戦直後の日本を舞台にした『ゴジラ-1.0』で終盤、大活躍する戦闘機が「震電(しんでん)」です。一体どんな機体なのか、解説しましょう。

「幻の戦闘機」震電とは?

『ゴジラ-1.0』で使われた震電の実物大模型が福岡県筑前町立大刀洗平和記念館で展示されている(時事)

「幻の戦闘機」と呼ばれる震電は、太平洋戦争末期の1944年に開発が始まりました。高度約1万メートルを飛行できる米軍の新型爆撃機「B-29」を迎撃するのが狙いです。高度1万2000メートルまで上昇可能、最高時速は740キロ以上という驚異的なスペックが要求されました。

震電の最大の特徴は「エンテ型」と呼ばれる特異な形状です。一般的な機体ではプロペラが機体の前方にあるのに対し、震電では機体の後ろにプロペラがあるのです。

プロペラが後方にある特徴的な震電の姿(スミソニアン博物館の公式サイトより)

エンテ型では前翼が主翼以上に効率良く揚力(機体が浮く力)を受け持つため、主翼の面積を減らすことができます。

これによって空気抵抗を減らし、最高速度を上げる狙いがありました。またエンジンが機体後部にあることで、機首に30ミリ機関砲4門という重装備を可能にしています。

軍事ライターの松代守弘さんは「その攻撃力は日本戦闘機史上最強といっても過言ではなかった」と『歴史群像』2007年8月号(学習研究社)のレポートで書いています。

試験飛行に成功するも終戦。試作機は米国へ

プロペラが後方にある特徴的な震電の姿(スミソニアン博物館の公式サイトより)

戦果が大いに期待された震電ですが、1945年8月初旬に計3回の試験飛行に成功したところで終戦を迎えました。

設計を担当した日本海軍の鶴野正敬(つるの・まさよし)技術少佐は戦後、以下のように振り返っています。

「開発がもう一年早ければ、B29の迎撃に相当の威力を発揮したのではなかろうかと思うと、残念である」(『海鷲の航跡ー日本海軍航空外史ー』原書房)

震電の試作1号機は終戦直後に米軍が接収。1945年10月の船便で米国に移送されました。スミソニアン博物館に機首が展示されています

スミソニアン博物館に展示されている「震電」試作1号機の機首