「あの作品に、決着をつけたかった」――村上春樹はそう話す。
6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』は、40年以上前の作品の“書き直し”だ。
1980年9月号の『文學界』に掲載された中編小説「街と、その不確かな壁」を原型にしており、タイトルも読点をとったのみでほぼ同じになっている。
この小説が書かれたのは、1979年に『風の歌を聴け』で鮮烈なデビューを果たし、翌1980年に『1973年のピンボール』が芥川賞候補となったすぐあとのこと。
村上自身が仕上がりに納得できなかったとのちに話しており、単行本や全集にも未収録の“幻の作品”としてファンには知られている。
「高い壁に囲まれた街」や「影」というモチーフはその後『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に引き継がれ、別の形へ昇華したとされていた。
それから40年が経ち、70代を迎えた村上春樹は、あの閉ざされた街へもう一度踏み込むと決めた。一角獣が生息する、高い壁で囲まれた不思議な街に。
執筆を始めたのは2020年3月、疫病が世界を襲い始めた頃だった。
「引っかかっていたんです、魚の小骨のように」
――『街とその不確かな壁』を書き直すに至った理由は。
あの当時はまだ、小説の書き方がよくわかっていなかったんですよね。
僕は『風の歌を聴け』を書き始めるまでは小説なんて書いた経験はなくて、とにかく思いつきで書き進めて、それが賞をとって。文章の、そして小説の書き方という訓練ができていないまま小説家として走り出し始めたんです。
勢いのままに『1973年のピンボール』を書き上げて、実質的な第3作目が「街と、その不確かな壁」でした。
僕が本当に書きたかった世界を描こうとしたんだけど、まだ技術力が全然足りなかったんですよね。書きたいものがまったく書けなかった。
いろんな事情があって中途半端な形で発表せざるをえず、当時もすごく後悔したんです。
いつかきちんとした形で決着をつけたいという気持ちは、ずっとどこかにありました。引っかかっていたんです、魚の小骨のように。
――その後、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』として別の物語になったんですよね。
そうです、それが……1985年かな? 当時はその結末に納得していたのですが、そのうちに違う描き方もできたんじゃないかと考えるようになりました。
要は、自分の頭の中にあるもの、考えていることを文章に転換する能力がなかったんですよね。今書ける文章のなかで、自分に書けることだけを書いていたんですよ。もっと書きたいこと、書かなくてはいけないことがあったのに。
それは『世界の終り〜』の時も同じで、書き終えた後「あと2年は待つんだったな」と思ったことを覚えています。2年待ったら、もう少し深いものが書けただろうな、と。
書きたいものが書きたいように書けるように、ようやくなった――もう一度向き合うことにしたのは、技術が追いついたことが何より大きいです。
「文章がうまくなりたい」そう思い続けた40年
――1980年当時の作品ももちろん読み返されたかと思うのですが、キャリアを重ねた今どう感じましたか。
僕はとにかくずっと「文章がうまくなりたい」「自分の思っていることを書けるようになりたい」と頑張って小説を書き続けてきて、文章を書く以外の仕事はほとんどしてこなかったんです。
講演もしないし、取材も極力受けない。走って、翻訳して、小説を書く。それだけ。
で、ある時点で「もうある程度、自由に書けるようになったな」というポイントがあるんです。
――それはいつ頃ですか?
『海辺のカフカ』(2002年)のちょっと前くらいかな。多少の細かい不満はあったとしても、自分の書きたいことは書けるようになったという思いがありました。
だから、『世界の終り〜』の時点ではまだそこに至ってなかった。技量が足りなかった。自分に書けないところはすっ飛ばしているんですよね。今回はすっ飛ばさないできちんと書き込めたという実感はありますし、それは僕個人にとっては、とても大事なことでした。
とはいえ、あの頃のすっ飛ばし方が、不完全さが好きだという人ももちろんいると思う。今回の小説でがっかりする人も、面白くないなと思う人もいるでしょう。
僕も年をとっているから、自分が納得できる書き方しかできません。そういう意味では、自分が納得できるものを書けた自負はあります。
発売後に、あるいはもっと長い時間のなかで、この作品がどう評価されるかは僕の知らないところですけど。
――タイトルがほぼそのままで、読点をとるにとどめたのはなぜですか?
このタイトルが好きだったんです。作品には満足いかなかったけど、このタイトルは気に入っていた。
どうしてもこのタイトルで書きたかったんです。それ以外の案がどうしても思いつきませんでした。
70歳を超えて、変わったこと
――2015年に読者から寄せられた「書き直したい作品はありますか?」という質問には「この先はもう書き直すことはないと思います」と答えていました。
〈僕は初期に書いたいくつかの短編作品を、講談社から出ている全集の中でいくらか書き直しています。つまりヴァージョンが二つあるわけです。(中略)この先はもう何かを書き直すことはないと思うんですが〉
――『村上さんのところ』
そんなこと言っていました? 我ながらいい加減なことを言いますね(笑)
――数年のあいだに心変わりがあったことになりますね(笑)この時点ではどんな感覚だったのでしょう? 決着をつけたい気持ちはあったけれど、具体的に書き直すまでは連想できていなかった…?
まだ時期が来ていなかったんでしょうね。「いつか」という思いはあったけど「今」じゃなかった。
そろそろ書き直してもいいかなと思ってきたのは……70歳を超えてからじゃないかな。年をとってくると「残りの人生、あといくつ長編を書けるかな」ってわからなくなってくる。カウントダウンですよね。
「そろそろやってもいいんじゃないの」というか「やらなくちゃいけないな」という思いはあったと思います。ほったらかしにしておくわけにはいかないから。
――旧作の書き直しとして呼応しているのは第1部のみで、主人公は17歳です。そこから第2部、3部では主人公は40代独身の中年男となり、彼を取り巻く状況もまったく変わります。
第1部としてまったく新しい形に書き直して、自分でもしっかり書けたなと思いつつ、「これだけで出す意味はあるのかな」と疑問を感じたんですよね。
自分の中でなんとなく疑問だったから、とりあえずそのまま置いておいたんです。もともと発表する、しないはどちらでもよくて、自分の中で納得するために書いていたものですから。
そうして半年くらい経ったら続きが書きたくなってきて、どんどん話がふくらんでいきました。
中年になった彼を導く老人が出てきて、10代の少年が出てきて。結果的には3世代が立体的に絡み合う展開になりました。
――第1部では、初期の村上作品を思わせる少年少女のイノセントで情熱的な恋が中心にありますが、そこからおっしゃる通り「3世代の物語」に様相が変わっていくのが興味深かったです。
僕ももうすぐ後期高齢者だから――免許証の更新をするのに高齢者教習を受けなくちゃいけないくらいにはね――中年や老人を立体的に描けるようになってきたんですよね。
それは40年前、30代の僕にはできなかったことですし、今書き直しにチャレンジした意味の一つだとも思います。
――老人から主人公へ、主人公から少年へ、ある種の「継承」のようなテーマも感じました。
それも自分が年を取ったからでしょうね。僕は子どももいないし、誰かに何かを継いでもらいたいこともないけれど、でも社会の中で生きている限り何かしら“継承”していくものもあるわけでしょう。
はっきりと何かを継承、とまでは言わなくても、誰かの中に取り込まれていく、一体になっていく可能性はあるかなと思うし、それはそれで意味があるかもしれないと思います。
死ぬまで小説を書きますか?
――今回取材を受けられていることもそうですが、ラジオDJをはじめたり、村上春樹ライブラリー(早稲田大学 国際文学館)で朗読や音楽のイベントを企画したり、積極的に表に出る機会が増えているように感じます。この数年で何か変化があったんでしょうか?
やっぱりね、ギシギシ文章ばっかり煮詰めていってもしょうがないかな、って。ようやく少し余裕が出てきたというか、もう少し自分を出してもいいんじゃないかとは考えるようになりました。
自分は小説を書くんだ、って意識がすごく強かったから。それ以外のことはやらないと縛っていたというか。
――月1回のラジオ、とても楽しそうにお話されていて新鮮です。
僕はそれまでずっとずっと音楽がすごく好きで、一人で突っ込んで聴いてきて、でもだんだん一人で集中して聴くのも疲れてきて(笑)
他の人と一緒に気楽に聴くのもいいなという気分になってきたんです。
――文章だけにフォーカスしていた頃と比べて、作品として出てくるものに変化は感じますか?
それはわからない、どうだろうね。
――先ほども「あと何作長編を書けるか考える」とおっしゃっていましたが、焦りを感じるところもありますか?
焦りはないですね。いっぱい書いているからもういいんじゃない?(笑)
僕は注文を受けて書いているわけじゃないからそこは成り行きですね。焦って書けるものじゃないですし。
翻訳や短編・中編の仕事をしながら、じっと待っていると、必ず書きたくなる時期って来るんですよ。それを待っているだけ。その時期が死ぬまでに何回来るか――僕もちょっとわかんないけどね。
――死ぬまで小説は書き続けたいですか?
そういう気持ちもあるけど、そのうち疲れてくるかも(笑)
まぁそれも成り行きじゃないですか。フルマラソン走っているのと同じで、疲れて「もういいや、ここでやめよう」ってなっちゃうかもしれない。
SNSに対抗できる“物語”
――以前、川上未映子さんの対談で「SNSに対抗できるのは物語しかない」と話していたのですが、もう少し詳しくお聞きしたいです。SNSは日々炎上し、トランプ大統領や新型コロナを巡ってデマやフェイクニュースも氾濫し、言葉の力が悪い方向に使われることも目立つ今、どうご覧になっているのかなと……。
〈今のSNSでもそうだけど、みんな自分の好きな意見だけ読むわけね。自分の嫌いな意見には悪口をいっぱい書くわけじゃない。そういうものに対抗できるのはフィクションというか、物語しかないと僕は思ってる〉
――新潮文庫『みみずくは黄昏に飛びたつ』(文庫版のためのちょっと長い対談)
僕はSNSってまったくやらないですけど、短いセンテンスでどれだけ自分の主張を通すか、明らかにするかというのが文章の特徴だと思うんですよね。
その点、小説はまったく逆で、長い時間性の中で何かを語る、何かを与えるというのが物語です。与えられたものもすぐにロジカルに説明できないものも多くて、何日か何ヶ月か何年か考えてやっとわかることもあるわけですよね。あるいは、10年経って何気なく読み返してみて「あ、こういうことだったのか」と腑に落ちることもあるでしょう。
僕は、そういうものの力を信じたいんですよね。センテンス1つや2つで説得する世界というのはあまり興味がありません。
――そういう、短くて勢いがあるセンテンスが力を持ってしまっている状況に危機感や対抗心はありますか?
でも、そういうものって消えていくんですよ。長い時間で見れば、残るのはそっちじゃないと思う。実のあるものが残ると思いますよ。
だから、そこまで心配はしていません。そういう耳ざわりのいい言葉で動かされてしまう人がいること、それは不安ではありますけど。
SNSが出てきた時は「ここから新しいデモクラシーが生まれるのかな」って期待がありましたよね。でもだんだんそうじゃなくて、パンドラの箱を開けたみたいな感じになってきた。それは怖いと言えば怖いんだけど……。
でも、やっぱり僕は、物語の力を信じています。そこまで悲観的ではないですね。
――作中には「疫病」という言葉も出てきます。小説を書き進めていた時期はまさにコロナ禍だったと思いますが、どんなことを考えていましたか。
歴史の流れが変わっていくんだな、というのは感じましたね。
それまで何十年かは、グローバル化によって世界はもっとよき場所になっていくんじゃないかという雰囲気が――少なくともそうなるかもしれないという可能性が――あったと思うんです。大きい戦争もないし。
でもこの間にコロナもあって、ロシアによるウクライナ侵攻もあって、今まで当たり前にあったものを無邪気に信じるのは難しくなってきましたよね。
ポピュリズムみたいのが出てきて、反グローバリズムも盛り上がって、民族主義が起こって。世界が動いているなぁという気持ちは強かったですね。
そういう風に世界が不安定になってくると、狭い世界に逃げ込みたいという気持ちは出てくるわけですよ。まさにこの作品にあるような「外界と隔絶され、壁に囲まれた幻想的な街」みたいな。
その場所はいいものであるかもしれないし、悪いものであるかもしれない。わからないけれど、とにかく現実の“外の世界”との交流というか、行き来があるのは大きな意味を持っていると思うんですよ。
壁に囲まれた街がどこまでよき世界で危ない世界なのか、誰にもわからないんですよね。主人公にもわからない。僕にもわからない。
読者がそれぞれに感じることでしょうね。素敵な世界だと思う人も、ここは危ないぞと思う人もいる。でも、とにかく主人公は最後にああいう選択をした。それは確かなことですね。