2020年1月、「#二十歳の自分に言っても信じないこと」というハッシュタグがついた、こんなツイートが話題を呼びました。
「32歳あたりで漫画家引退するよ、って言ったら信じるだろうけど、40過ぎで同人誌始めて、60過ぎてからスカウトされて、64歳で商業出版するって言ったら、絶対に信じない!」
このツイートをした笹生那実さんが描き下ろしたコミックエッセイが『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)です。
18歳でデビューし、プロ漫画家兼アシスタントとして活躍した笹生さん。子育てのために引退後はしばらく漫画から離れていましたが、1995年に亡くなった三原順先生を追悼すべく、40代で同人誌を作りはじめました。
そして64歳になる今年、若き日を振り返るエッセイ漫画の単行本を上梓したのです。
美内すずえ先生、くらもちふさこ先生、樹村みのり先生、山岸凉子先生、三原順先生……
「少女漫画黄金期」とも呼ばれる時代を作ってきた数々のレジェンドたちの“シュラバ(修羅場)”に立ち会った思い出をコミカルに生き生きとつづっています。
少女漫画家のリアルをおさめたお仕事本でありながら、漫画を愛した女性たちの青春物語でもある1冊。笹生さんが目撃したあの頃の輝かしい少女漫画の世界、聞かせてもらいました。
漫画家志望の中学生、憧れの美内すずえに出会う
――『薔薇はシュラバで生まれる』、すごく面白かったです! この時代をリアルタイムでは知りませんが、少女漫画の歴史を垣間見るような気持ちで読みました。
ありがとうございます! 正直、同世代にしかわからないニッチな本かな、と思っていたのですが、そうやって楽しんでくださった方も多かったようでとてもうれしいです。
――描かれているのは1970年代のことなのに、とにかくエピソードが生き生きとしていて笹生さんの記憶力にびっくりしました。
私も自分でびっくりしました、最近のことはすぐ忘れちゃうのに40年以上前のことはこんなに覚えているんだ……って(笑)。
――やはり一番印象的だったのは美内すずえ先生のお話です。中学生の笹生さんと美内先生との衝撃の初対面!
別冊マーガレットにネームを持ち込んだあと、編集長さんに「美内さんに会っていく?」と言われた時は心底驚きました。
毎月欠かさず先生にファンレターを送っていて、自分も漫画家志望として投稿を重ねていたので、お名前を覚えてくださっていたんですよね。
――美内先生の「編集部からファンレターをもらうと真っ先に笹尾さんの手紙を探すのよ」に震えました(※「笹尾」は笹生さんの当時の本名)。憧れの先生にこんなこと言われたらうれしすぎますね。
このあたりはもう一字一句、実際の会話のままなんです。なぜかというと、神様のような美内先生の言葉を一言も忘れたくなくて、帰宅してすぐに詳細なメモを残していたから……(笑)。
中学生が書いた個人的な日記が、何十年も経って皆さんに披露されることになるなんてね。
15歳の私から見たら、20歳の先生ってすごい大人でしたけど、あの年齢で看板作家だったんですから本当にすごいですよねぇ。
――若かりし頃の美内先生がとってもチャーミングで好きになってしまいました。
美内先生、優しくて心が広くて素敵な方なんです。
この本の中で紹介したエピソードは事前にネームでご確認いただいたのですが、TwitterのDMで「一読爆笑」とお返事がきて安心しました(笑)。
――TwitterのDM!
先生、使いこなしていますよ。完成した本も見ていただいて「これならアシができます、また頼みます」って、それもDMで来ました(笑)。
この数年、「紅天女」オペラなどお忙しかったようですが、今年こそ漫画家に戻ってくださるのではないか……と、先生のいちファンとして期待しています。
徹夜は当たり前、「眠気覚まし」はみんなで怪談
――70年代のリアルなアシスタント生活の様子も興味深かったです。「資料なしで描いて」がすごかった……。
当たり前ですけど、インターネットもスマホもないですからね。記憶が頼り!
でも、当時は今ほど本物そっくりに背景を描かない時代だったんです。リアル志向の作品が出てきたのはもう少しあとでしょうか。上手な背景を描けるアシさんは争奪戦になっていきました。
お洋服の模様も、繊細なバラも点描も、全部全部手描きでしたからね。今はトーンがいっぱいあるから便利で助かります。昔はロクな柄がなかったから(笑)。
――睡眠を削って締切に間に合わせる「修羅場」の大変さもありつつ、作業の合間におしゃべりしたり、夜中に怪談で盛り上がったり……合宿みたいでわくわくしました。
怪談は「眠気覚まし」なので、必ずとまでは言いませんけど、どの先生のところでもよく話題に出ました。怖い体験をよくする人は話題の宝庫でしたよ。
私はまったく霊感がないので、他の人が話す新しい怖い話を“仕入れる”と「これは別の仕事場でも話そう!」って覚えていました。アシスタントと一緒に広がっていく怖い話(笑)。
――先生たちもアシスタントさんもみんな漫画を愛する仲間。青春物語としても楽しみました。
寝られないし座りっぱなしだし、大変なこともたくさんありましたけど、先生もアシスタントたちも10代後半〜20代前半のほぼ同世代で、振り返るとあれが青春だったな、とは思います。
睡眠時間、私は一番短かった時が3日間で1時間だったかな。さすがにその時は、帰宅して24時間くらい死んだように眠りました。
先生方の苦労はアシスタントの比じゃないですが……。美内先生なんか「睡眠時間15分」とかでガシガシ描いてらっしゃいましたよ。
――15分! 睡眠不足どころじゃない!
逆に言うと、若くないとやってられない生活でもありました。
当時は短命な職業、選ばれたほんの一握りの人しか生き残れない世界でしたが、今は長く描き続ける人が多いので、あんな無茶なやり方では続かないでしょうね。
描くことがトラウマになった時期も…
――笹生さんは子育てを機に引退されたとお話していましたが、やはり両立は難しかったのでしょうか。
子どもが1人のうちはなんとか頑張っていたのですが、2人目が生まれてから「これは無理だ」と思いましたね。子育てしながら漫画家を続ける人も増え始めていた時期ではあったのですが、自分は遅筆なので……。
現役の時、月刊連載しながら定期的に読み切りも描いた時期があり、どうしても時間がなくて絵も内容もひどいものになって、トラウマになっちゃったんです。正直、絵を描くのが嫌になった、描けなかった時期は長かったです。
でも、たまたま三原順さんの作品復刊活動に関わるようになって、同人誌を作るようになって。
せわしない毎日の中で、日々の生活とは離れたことをやるのがすごく救いになりました。私には私にしかできないことがあるんだなと思えました。
――素敵な話です。
当初はまだまともな絵は描けなくて、落書きみたいな感じだったんですけどね。それでものびのび自由に描けるのは楽しかったです。それがリハビリになって徐々に絵を描けるようになりました。
漫画家復帰ではなく、自分のペースで続けていける同人活動だったのもよかったです。コミティア(同人誌即売会)に出展する中で、毎回欠かさず買いに来てくれたり、感想をくれたりする顔が見える読者さんがいたのも、すごく励みになりました。
――子育てが終わってからも楽しいことが待っている、と思うとすごく希望があります。
それは本当に! 好きだと思えることに出会えたら、何歳になっても楽しいですよ。40歳くらいで出会えたのは運命だったなぁと思います。
あの衝撃作『天人唐草』の裏話
――「名作を手伝うと、漫画評論記事などで何度も自分のミスを目にしてしまうことになってしまう」という高レベルなお悩みにくすっとしました。
これは山岸凉子先生の『天人唐草』のことですね……(笑)。
――冒頭の「きえーーーっ」のところですか?
そうです、そこ。私は通行人たちを描いたのですが、背景はまた別の人が担当していて、背景と人物がうまく噛み合ってないコマがあるんです。
名作の1シーンとして紹介される度に「ごめんなさい!!」という気持ちになります(笑)。
『天人唐草』は内容もすごいですが、主人公が30歳というのが当時の私たちには衝撃でした。
少女漫画の主人公といえば10代か20代が当然で、30歳は脇役にしか与えられない年齢だったんですよね。今の時代ではこの衝撃、伝わらないかもしれないですね。
――『天人唐草』もまさにですが、少女のレイプ被害を扱った樹村みのり先生の『40-0』など社会派作品たちが紹介されています。少女漫画と言えば恋愛もののイメージが強いですが、今に通じるフェミニズム的な側面も力強く感じました。
今よりも男尊女卑が色濃かった時代の中で、「本当にそれでいいのかな?」と訴える作品は多かったですよね。
先生方それぞれに強い思いがあって、漫画を通して、若い読者たちにどんなメッセージを伝えたいのか? と本当に深く考えていらっしゃったと思います。
それぞれの作品が生まれた裏側を通して、その真摯な姿勢も伝えられればと思っていました。語らないと消えていってしまうから。
少女漫画が下に見られていた時代
――このパワフルな時代の作品、もっと読んでみたいと思わされました。「60年代末頃は少女漫画がとても低い位置に置かれていた」というくだりもありました。
本当にね……下に見られていましたね。読者の私でもそう感じていたもの。
雑誌に投稿すると、原稿返却の時に批評用紙が同封されて来るんですけど、その冒頭に「残念ながら少女マンガは少年マンガに比べるとレベルが低い」なんて堂々と印刷されていたんですよ!
もちろん未熟なものもあったけれど、輝くもの、パワーがあるものだってたくさんあったのに。
そんな状況の中で、「花の24年組」と呼ばれる先生方(萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子をはじめ、1970年代に少女漫画を革新した漫画家たちの通称)はじめ、多くの人が「少女漫画だっていいものが描けるんだ!」と気概を持って頑張って、それを大歓迎した読者の私たちがいて。
そういう熱い気持ちで、少女漫画という文化が次の世代につながっていったことを知ってもらえたらうれしいです。