「100円で女の子がキスします」40年前に迷惑系YouTuberを先取り?「寺山修司」は何者だったのか〈中森明夫×大槻ケンヂ対談〉
対談・鼎談
『TRY48』
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寺山修司とは何者だったのか? サブカル巨星対談 中森明夫×大槻ケンヂ
[文] 芸術新潮編集部
1983年の5月4日に寺山修司が早逝してから40年となる。
47歳でこの世を去るまで、短歌、戯曲、映画、エッセイ、小説、ラジオ、テレビ、写真にくわえ競馬やスポーツ評論まで、当時のあらゆるメディアで怒涛の創作活動を続けた。その前衛的な作風は、今なお日本のサブカルチャーに大きな影響を与え続けている。
サブカル界の巨匠として真面目に語られることも多い寺山だが、令和のいま振り返ってみると、まるで“迷惑系YouTuber”のような一面もあったという。渋谷で乱闘を起こして逮捕され、連載では「100円で女の子がキスします」と書き、ノゾキでまた逮捕される……。
そんな寺山を振り返るのは、ロックバンド「筋肉少女帯」ボーカルで作家の大槻ケンヂと、作家でアイドル評論家の中森明夫だ。中森は近著の『TRY48』(新潮社)で、寺山が今なお生きていて、85歳にしてアイドルプロデュースを始めるという世界を描いている。
寺山修司とは一体何者だったのか。大槻が寺山から受けた影響と、中森が『TRY48』で描きたかった寺山の姿とは。サブカル界の巨星ふたりが、寺山修司を語り合った。
芸能人のゴミ漁り、「100円で女の子がキスします」……まるで迷惑系YouTuber?
中森:寺山修司が亡くなったのは1983年ですが、大槻さんは当時何歳でしたか?
大槻:16~17歳ですね。
中森:僕が1960年生まれだから、大槻さんと6歳違いか。70年代に林静一さんが表紙を手掛けた寺山の本が次々と出て、僕はハマりました。寺山が亡くなった時、僕は23歳ですでに物書きの仕事をしていました。寺山が5月に亡くなり、ちょうどその月に出た「漫画ブリッコ」で、「『おたく』の研究」という文章を書いて、「おたく」の名付け親になったんです。
大槻:それまでは「おたく」という言葉はなかったんですよね。亡くなった時の印象が僕にはあまりなくて、寺山修司が覗きをやった事件が子供心に残っています(笑)。
中森:この新聞を見てください。古本屋で買ったんだけど、見出しが「書を捨てよ ノゾキに出よう!?」。こんな記事になる文化人は寺山の他にはいないでしょう(笑)。
大槻:寺山修司がやっていたことって、芸能人のゴミをあさったりとか。
中森:そうそう、ひどい。
大槻:今だったら迷惑系ユーチューバーでしょうか。
中森:日刊ゲンダイの連載「人生万才」でやっていたんですが、100円で女の子がキスしますだとか、40年も前に、紙でそんなことをやっていたのだから、すごいと思います。
寺山に影響されて嘘ばっかりついていた
大槻:中森さんの小説『TRY48』でも重要なところで登場する、「実際に起こらなかったことも歴史のうちである」という寺山の言葉に、僕はものすごく影響されたんです。それでひと頃、嘘ばっかりついていました(笑)。寺山修司と梶原一騎の影響でした。
中森:梶原一騎のプロレスものも、嘘か本当かわからない。
大槻:嘘しかないです(笑)。それと「空手バカ一代」。
中森:あれは大山倍達と共犯ですよね。世界の格闘少年たちを狂わせた。寺山は「あしたのジョー」の力石徹の葬式の発案者だから、そのふたりが葬式で一瞬まじわるのはおもしろいですね。
大槻:寺山も、お母さんのこととか、書いているものがどこまで本当かわからないでしょう。『TRY48』も、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか。たとえば小説の中では、野坂昭如と大島渚が「朝まで生テレビ!」でケンカをするシーンに寺山が登場しますが、実際は出てこないですよね。
中森:そうです。この小説では、そういうことがやりたかったんです。
大槻:97歳の三島由紀夫と会うところもあって、これはフィクションだなとはっきりわかりますが、野坂vs大島とか、信じちゃう人がいるかもしれない。島田雅彦さんがデビュー作で芥川賞をとって、受賞パーティーの二次会の後、階段から落ちて死んだって、僕、一瞬信じそうになりましたよ(笑)。あれ? デビュー作以外も読んだことがあるぞって。
中森:でも、それって、寺山っぽくないですか?
大槻:寺山っぽいです!
中森:寺山の評論とか評伝とか、まじめに書いている人が多いんですよ。大槻さんも寺山の文庫本の解説などをいくつか書かれていますが、大槻さんは寺山をすごくリスペクトしているけど、一歩引いて、笑っているところもある。そういうスタンスの人って、なかなかいないんですよ。僕は、寺山のアプローチで、寺山を書いてみようと思ったんです。
寺山修司の周辺にも結構やばい「こじらせた」人が……
大槻:中森さんが『TRY48』を書き始めたのはいつ頃ですか?
中森:構想を考えたのは、10年前です。没後30年のムックに、「もし寺山が生きていたら」という原稿依頼をされて、そのオチを、寺山が秋元康と大ゲンカをして、みずからTRY48というアイドルグループをプロデュースする、というものにしました。で、しばらくしたら、これを小説にしたらいいんじゃないかと思ったんです。
それで寺山のお弟子さんのような存在で「月蝕歌劇団」を主宰されていた高取英さんの芝居を見た後、高取さんに、寺山と結婚していた九條今日子さんを紹介していただいて飲みに行きました。そこでこの小説の構想を話したら、「ぜひ協力するわ」と言ってくださったんですが、1カ月後に九條さんがお亡くなりになってしまいました。高取さんも「月蝕で芝居にするよ」と言ってくださっていたんですが、4年前にお亡くなりになられた。
大槻:月蝕で芝居になっていたかもしれないんだ。
中森:なぜなかなかできなかったかというと、寺山修司って、とにかく本がいったい何冊あるんだろう、という感じで、死んでからも、アンソロジーとか、どんどん出ているんです。他に映画、演劇、戯曲、ドキュメンタリーもある。これは無理かなと思っていたんですが、そこにコロナ禍がやってきた。人と会う機会も減って、その間に、約1年かけて下書きを書きました。
大槻:『TRY48』は、寺山以降のサブカルチャーを総括している部分もありますね。中野ブロードウェイのシーンに、僕を登場させてくださって、ありがとうございます。すごいうれしかった。
中森:カメオ出演というのがあるじゃないですか。あの場面は、大槻さんを出さなきゃ、と思ったんです。大槻さんの影響で、大槻さんのファンが寺山にハマる、というようなこともあるでしょう。
大槻:よくあります。
中森:大槻さんの本を読むと、サブカル系の当時のファンのエピソードが書いてあったりするじゃないですか。
大槻:こじらせた子たち。
中森:寺山の周辺も、カルメン・マキさんはもちろん、鈴木いづみとか、結構やばい人が多い。サブカル少年少女たちを引き寄せて、寺山に会った人たちがみんな才能を開花させていった。J・A・シーザーさんなんか、音楽をやったことがないのに、ギターを買ってこいとか。
大槻:才能を見抜くんですね。
中森:「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」という寺山の代表的な短歌がありますが、マッチというのは、寺山のキーワードのひとつです。でも、寺山はマッチ棒ではなくて、マッチ箱の紙やすりの部分だったのではないか。才能のあるマッチを擦って、火をつけるけど、実は自分は燃えないという、そんな感じがします。
大槻:当時、僕が20歳を過ぎていたら、渋谷にあった「天井桟敷館」とか、絶対行ってたな、と思います。それで、とんでもない目にあっていたような気がします。三上博史さんが、少年時代に映画『草迷宮』のオーディションに行って……。
中森:素っ裸にされてね。
大槻:ああいう洗礼を受けたりして、やばかったでしょうね。
若いころのハシカのようなものであり、モスキート音でもある
中森:マンガ家の竹宮恵子さんが寺山を追悼するマンガを描いているんですが、「エレベーターの中でキッスするのはすてきです」と書いているんです。それで竹宮さんに会った時に、「寺山修司とキスしたんですか?」と聞いてみました。竹宮さんが京王プラザホテルの上層階でカンヅメになっていた時、差し入れを持ってきてくれて、帰りに送っていくと、エレベーターが閉まったら、寺山がキスしてくるんだそうです。それで竹宮さんが「開いたら見られるでしょう」と言ったら、「それがいいんじゃない」って。覗くんじゃなくて、覗かれるほう。
大槻:そこはプライベートな空間だけど、開いた瞬間、誰かが見た瞬間に、演劇になる。ふたりの秘密が演劇になる、という屁理屈ですよね。
中森:そうそう、屁理屈です。でも寺山の屁理屈って、圧倒的に中二病ですよね。
大槻:今だったら、ひろゆきさんと対談させてみたい。
中森:論破合戦。
大槻:超おもしろい対談になると思います。寺山って、若い頃のハシカのようなものという部分もありますよね。高校とか大学の時に寺山を読んでびんびん来て、でも、もうちょっと大人になって読んだらよくわからなくて、ショックだったんです。なんで若い頃あんなにびんびん来ていたんだろうって。
中森:もしかしたら、若い頃にいろいろなことがわかっていなかったのではなくて、今が衰えているのかもしれない。ほら、若い頃しか聞こえない周波数の音とかあるらしいじゃないですか。
大槻:モスキート音。ああ、腑に落ちました。寺山修司はモスキート音だった!?(笑)
中森:田舎の物置を探っていたら、天地真理のポスターが出てきたんです。天地真理がにこっと笑っているやつで、それを僕、天井に貼っていたんです。でも、物置で見つけた時、全然かわいいと思わなかった。いったい自分はこれに何を見ていたんだろう?って。でも今が正しいともかぎらない。80歳くらいになったら、また天地真理に戻ってくるかもしれない。
大槻:僕も、寺山からちょっと離れていた時期もありましたが、ある日、寺山の競馬エッセイを買ったら、わかったんです。逆に若い頃は競馬ものはわからなかった。それが年齢が近くなったせいか、「なんかいい」と思うようになって、そこからまた寺山をちょいちょいつまむようになりました。
中森:僕は「サブカルホイホイ」と名付けましたが、寺山にハマるのに、入口がたくさんあるんですよね。
大槻:そろそろ、二代目・寺山修司とか、生まれてこないかなあ。
中森:大槻さんもある面を引き継いでいますよね。ただ寺山の作品は、分量がすごい。映画だけ、とかじゃなくて、全方面なので。あの量だから、書くのも猛烈なスピードですよね。あの時代、あの速度でやるって、脳みそがどうなっていたんだろう。
若者に受け継がれる寺山修司の世界観
中森:僕が若い頃、ライターをやっていた時、団塊の世代が寺山の劇団のいちばん元気な人たちで、彼らは僕よりひとまわり上なんですよね。その人たちがよく新宿のゴールデン街に流れてきていました。でもどちらかというと、全共闘世代は寺山さんをバカにしていました。唐十郎のほうが支持されていた。
大槻:そのへんは僕にはどこがどう違うのかわからない。
中森:「ガロ」と「COM」だと、寺山が「COM」です。ビートルズとストーンズだと、ビートルズ。ビートルズは、寺山修司であり、手塚治虫です。
大槻:唐十郎がストーンズか。暴力的だってこと?
中森:ケンカをしても、唐のほうが強いというね。
大槻:寺山の「天井桟敷」と唐十郎の「状況劇場」の有名な乱闘騒ぎがありますよね。あれが『TRY48』に出てきて、うれしかったですよ。
中森:寺山修司は、大メジャーではないかもしれないけれど、一定数のファンはずっと確実にいますよね。
大槻:います、います。よく「1周まわって」と言いますけど、寺山修司はいったい何周まわっているのか。
中森:若い人が寺山を知るのは、もちろん大槻さんであったり、美輪明宏さんであったりとか、誰かを介してだろうけど。
大槻:この前、ある若い男の子のツイキャス配信を聞いていたら、その子が暗いことを語り出したんです。「僕はそこそこ普通の家に生まれて、それなりに恵まれているけど、でも何をしていいのかわからない」と。それで思わず「本を読んだらどう?」とコメントしそうになったんですよ。しなかったんですが、この子に勧めるなら、やっぱり今も『書を捨てよ、町へ出よう』か『家出のすすめ』だよな、と思った自分がいました。
中森:その2冊は、今もずっと版を重ねていますからね。寺山の昔の戯曲は、今も若い人たちがやっていますよね。
大槻:やってます。今でも、寺山修司的な世界観って、「お!」と思うんですよ。
中森:世界観って、いちばん早く古びるような気がするんだけど、そこがすごいんですよね。
※「芸術新潮」2023年4月号をもとに再構成
【プロフィール】
中森明夫(なかもり・あきお)
1960年、三重県生れ。作家、アイドル評論家。1980年代から多彩なメディアで活動する。著書に『アイドルにっぽん』『東京トンガリキッズ』『午前32時の能年玲奈』、共著に『AKB48白熱論争』等。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』が三島由紀夫賞候補となる。
大槻ケンヂ(おおつき・けんぢ)
1966年、東京都生れ。ロックバンド「筋肉少女帯」の他に、「特撮」「電車」でもボーカリストとして活動。エッセイスト、小説家としても活躍し、SFの賞である星雲賞を2年連続受賞。著書は『グミ・チョコレート・パイン』3部作、『オーケンののほほん日記』『サブカルで食う』など多数。