『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』
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町山智浩 めんどくさい奴のめんどくさくない映画評
[レビュアー] 町山智浩(映画評論家)
先日、宇多丸くんに焼鳥屋でおごってもらって、書評を書くと約束してしまいました。ラッパーで、ラジオで映画批評もする著者が、マンガ雑誌の読者の悩み相談に対して参考になる映画を紹介していく連載の単行本化。
たとえば「周囲から男らしくしろと言われるのが嫌です」という36歳の会社員に対しては、アメリカの80年代青春映画『ブレックファスト・クラブ』を推薦する。主人公のひとりのアマレス選手は、「男らしく」ふるまわなければという圧力によって、ひ弱なクラスメートをイジメてしまったことを後悔する。最後に宇多丸くんは「『らしくない』のは勲章です」と相談者を肯定する。
「なんでインテリよりもヤンキー(体育会系・不良)のほうが女性にモテるんでしょう?」という相談には、ウディ・アレンの実体験を基にした『アニー・ホール』などを例にとって、文系男子の自意識過剰と傲慢さを我が身のこととして振り返りながら、説明する。つまり、「めんどくさい奴はモテない」。
宇多丸くん本人は自他ともに認めるめんどくさい奴だ。メル・ギブソン監督の残酷アクション『アポカリプト』を愛してやまないのだが、筆者が「あれはコーネル・ワイルド監督の『裸のジャングル』のパクリだよ」などとめんどくささを発揮すると、「そうかもしれませんが、『アポカリプト』のほうが絶対面白いッス!」とめんどくささで返す。本書にも「『アポカリプト』を○○さんが腐していた」と書いてあるが、たぶん筆者のことだ。お互いにめんどくさい。
でも、宇多丸くんの映画批評はめんどくさくない。礼儀正しく、慎重で、丁寧で、両論併記で、決して押し付けがましくない。成績順に生徒の名前を廊下に貼り出すことで知られる都内某受験校出身者らしい優等生的な抑制のきき方が長所でもあり、物足りなさでもある。
でも、このバランスの良さはカウンセラーやセラピストにはまさに最適。宇多丸くんはやっぱり精神科医の息子なんだなあ。実際、精神科の治療にも映画は使われているそうだ。
宇多丸くん自身も映画に救われた。彼は日本人のラップはしょせんニセモノではないかと悩んでいたが、自転車レースの本場イタリアに憧れるアメリカの田舎の自転車オタクを描いた『ヤング・ゼネレーション』(ピーター・イエーツ監督)に共感し、自分を肯定されたと感じた。彼はその後もピーター・イエーツ監督の映画を追いかけたのだろう。『最高のルームメイト』まで出てくるのだからうれしくなる。『刑事コロンボ』のピーター・フォークが百歳以上の老人を演じるコメディで、日本ではビデオしか出ていないイエーツ晩年の滋味あふれる映画だ。
この引き出しの多さが素晴らしい。音楽も話も、面白さは引き出しの多さで決まる。引き出しは才能だけでは増えない。山ほど見聞きして体験しなくては。
「この世に価値はあるのか」という相談者に引き出してみせるのは、『続・猿の惑星』。確かにあのラストは史上最大のちゃぶ台返しだ。「人生が二度あれば」という相談に引き出すのは、映画でなく楳図かずおの短編漫画『夏の終わり』! これは『ねがい』と並ぶ楳図かずおのトラウマ短編!
知識も自制心もある宇多丸くんは、映画の紹介を書いても決してネタバレはしない。こんな書き方で、その映画を観てない人に伝わるんだろうか? 俺だったらもっと書いちゃうのに、と苛立つくらいだ。ただ、『隣る人』という児童養護施設のドキュメンタリー映画の紹介は、ずんっと来た。筆者はこの映画を観ていないのだが、少女が「大好き、大好き、大好き」と書き殴るシーンの描写だけで……いやー、年取ると涙もろくなっていけねえや。
宇多丸くんは今、映画好きの間では、かなりの権威だ。新作映画が公開されると、自分自身の感想が間違っていないかどうか、宇多丸くんの批評を聴いて「答え合わせ」する、という人たちも少なくない。筆者と彼の批評を比べて優劣つけたりしてる奴もいる。しかし本書で宇多丸くんは「映画はクイズではない」と書いている。大事なのはストーリーでも結末でもない。映画に答えなどない、と。